第十五話 深海に眠る宝箱★
魔導潜水艇『エーテル・ポッド』のコックピット内は、外界の圧倒的な漆黒とは対照的に、柔らかな琥珀色の魔力光と複雑なホログラムディスプレイの青い光に満たされていた。
水深数千メートル。そこは、ネオ・エデンのいかなる潜水重機すら水圧によって平然と押し潰す、死の深淵だ。
しかし、私たちが乗り込むこの小さな潜水艇は、水圧に耐えられる卵型の機体形状に加えて、ユトラントの物質変生魔術によって分子構造を書き換えられた特殊装甲、私の魔力回路を直接接続した常時結界システムにより、微かな軋み音ひとつ立てることなく滑らかに深海を進んでいた。
並列シートに身を包む私たち二人の距離は、信じられないほどに近い。
全身を隙間なく覆う漆黒の防水サイバースーツは、皮膚と完全に同期して快適なナノ酸素を循環させてくれているが、お互いのしなやかな太ももや肩が触れ合うたび、スーツの極薄の布地を通して生々しい体温が伝わってくる。ステラはコンソールを凝視したまま、心なしかまだ耳の先を赤く染めていたが、サーチライトの光が海底に沈む巨大な影を捉えた瞬間、プロの非合法サルベージャーとしての鋭い表情へと戻った。
「見えたわ……。ルナ、あれが旧時代の海洋研究施設――『藍色セクター』のメインハッチよ。信じられない、千年前の大津波で水没したはずなのに、主要な構造ドームのいくつかの区画は、今も外部の水圧を完全に遮断して『防水状態』を維持しているみたい。生きたロスト・テクノロジーの塊が、あそこで私たちを待っているわ!」
「ええ、感知されるマナの波動からも、あの中に強固な『意志』のような防壁が残っているのを感じるわ。油断しないで、ステラ」
エーテル・ポッドは、まるで深海魚のように静かに施設の外壁へとアプローチし、錆びついたドッキングポートへと正確に固定された。プシューという排気音と共に、艇内と施設の気密室が強引に結合される。
私たちは大きなサイバーヘッドホンを装着し、互いの視線で合図を交わすと、潜水艇のハッチを開けて施設内部へと足を踏み入れた。
一歩足を踏み入れたその場所は、千年の時が止まったままの、不気味なほどに静謐な空間だった。
足元には薄く埃が積もっているが、驚くべきことに、壁面に埋め込まれた非常用の発光ラインが、今もなお微かな青い光を放ち、通路の奥へと続いている。空気は冷たく乾燥しており、ナノ防水スーツのセンサーは、ここが完璧な環境制御下にあることを示していた。
「驚いたわね……。千年前の地球の科学力は、今のネオ・エデンの中央AIが誇る技術と比べても、引けを取らないか、それ以上の頑強さを持っていたということかしら」
「ううん、違うわ、ルナ。これはネオ・エデンの技術の『元になった』プロトタイプそのものなのよ。……あ、見て。最初の関門よ」
ステラが指し示した通路の突き当たりには、厚さ数十センチメートルはあると思われる、重厚な純チタン製の隔離隔壁が立ちはだかっていた。その中央には、現在のネオ・エデンでは見られない、幾何学的な三重の円環を組み合わせた形状の、禍々しい電子ロックが赤く明滅している。
「旧時代の最高機密区画用マルチレイヤー・暗号ロックね。千年の時を経てもなお、内部の量子バッテリーが稼働を続けて防壁を維持しているわ。……ふふん、でも、この程度の骨董品、今の私のハッキングツールの敵じゃないわよ!」
ステラは手首の多機能端末からホログラムキーボードを展開し、空中に凄まじい速度でハッキングコードの群れを打ち込み始めた。彼女の短い栗色の髪が、コンソールの青い光を浴びて妖しく輝く。漆黒のスーツに包まれた彼女の華奢な背中からは、先日のジャンク屋での賑やかな少女とは一線を画す、天才ハッカーとしての圧倒的なオーラが放たれていた。
「――暗号アルゴリズムの解析を開始。第一レイヤー突破……第二レイヤー、量子もつれによる自動書き換えを確認。ちょっと手強いじゃない……! でも、そこがプロトタイプの可愛いところよ!」
ステラが不敵に笑い、指先の速度をさらに一段速める。
だが、そのハッキングの衝撃波が施設の制御ネットワークを揺るがした瞬間、通路の天井に配置されていた複数の隠蔽ハッチが、ガチリという機械音と共に一斉に開放された。
現れたのは、直径三十センチメートルほどの、赤く光るサイバーアイを無数に配置した、不気味な自律型の防衛システム――『迎撃用レーザードローン』の群れだった。十数機ものドローンが、侵入者である私たちを即座に排除対象としてロックオンし、その銃口に高エネルギーの熱線をチャージし始める。
「――警告、未知の不正アクセスを検知。これよりプロトコルに則り、対象の分子熱分解を実行する」
冷徹な合成音声が響くと同時に、網の目のように交差する無数の致命的なレーザー光線が、一斉に私たちを目掛けて放たれた。
「ステラ、そのままハッキングを続けなさい! 背後は私が完全に守るわ!」
「頼んだよ、ルナ!」
ステラは後ろを振り返ることすらせず、私の力を完全に信頼してキーボードを叩き続ける。
私は彼女の前に立ちはだかるようにして一歩前へ出ると、細い右手を大胆に空中へと掲げた。エルフの長い尖り耳を隠すヘッドホンの奥で、大魔術師としての冷徹な術式構築がコンマ数秒の速度で完了する。
「――光の理を敷き詰め、我が前に絶対の盾を築け! 『金剛光輪障壁』!」
私の凛とした声が静かな通路に響き渡ると同時に、私たちの周囲を包み込むようにして、幾百もの琥珀色の結晶体が連結した、圧倒的な密度を持つ巨大な光の結界が出現した。
直後、十数条の超高温レーザー光線が障壁へと直撃し、激しい爆音と、空間が歪むほどの凄まじい熱エネルギーの火花が周囲の壁をドロドロに溶かしていく。だが、私の展開した結界は、その絶大な未来の熱線攻撃を完全に減衰させ、寸分たりとも内側へ通すことはなかった。
「信じられない……っ、これだけの高エネルギー熱線を、ただの『光の壁』で完全に無効化するなんて……! ルナ、あなたやっぱり最高の私のヒーローだよ!」
「お喋りはそこまでよ、ステラ! エネルギーの出力が上がっているわ、早くその強情なドアを開けてちょうだい!」
「分かってる! これで、最後の第三レイヤー――強制書き換え(オーバーライド)、完了ッ!」
ステラがエンターキーを強く叩くと同時に、立ちはだかっていた重厚なチタン製の隔壁が、ゴゴゴゴゴ……という重々しい駆動音を立てて、左右へと静かに割れていった。それと同時に、制御権を完全にステラに奪われた天井のドローンたちも、赤いサイバーアイの光を失い、力なくシステムダウンして床へと落下していく。
「ふぅ……。完璧なコンビネーションね、ステラ」
「へへ、ルナの魔法が完璧だから、私は何の心配もなくコードに集中できるんだよ。さあ、この先が、この『藍色セクター』の最深部――中央研究室よ!」
私たちは割れた扉の向こう側へと足を進めた。
そこは、天井がドーム状に広がった、広大な円形の部屋だった。部屋の中央には、見たこともないほど巨大な、半透明のガラスでできた円柱型の量子メインフレームが鎮座しており、その内部では、今もなお微かな青い光の粒子が、まるで呼吸をするかのように静かに明滅を繰り返している。
千年の間、深海の底で誰に見られることもなく、ただ一つの『記憶』を守り続けてきた、超古代のロスト・テクノロジーの心臓部。
私とステラは、吸い寄せられるようにしてそのメインフレームへと近づいた。ステラが端末をコンソールに接続し、データ構造をスキャンすると、中央のガラス円柱が静かに開き、その内部から、一本の細長い、琥珀色に透き通った美しい『結晶体』が、ゆっくりとせり上がってきた。
長さは二十センチメートルほど。その内部には、未来世界のいかなる光ディスクやナノメモリとも異なる、三次元のホログラム状の超微細な回路が、幾重にも重なって刻まれている。
「……これ、が……?」
「間違いないわ……。これが、ネオ・エデンのアーカイブから完全に消去された、千年前の『データ保存用結晶体』よ。信じられない……、現在の都市のメインフレームが扱うデータ規格の、数万倍以上の超高密度で、情報が分子レベルで直接書き込まれている……っ」
ステラはその結晶体を愛おしそうに見つめながら、端末の解析インジケーターを確認した。だが、次の瞬間、彼女の琥珀色の瞳は驚愕のあまり極限まで見開かれた。
「う、嘘……っ。データの総容量……表示がバグってる……!? テラやペタなんて領域じゃない……、この一本の結晶体の中に、一つの『世界』が丸ごと収まるくらいの、信じられないほど膨大な、天文学的なボリュームのデータが圧縮されて格納されているわ……っ!」
「その場で再生することはできないの?」
私の問いに、ステラは悔しそうに短い栗色の髪を揺らしながら首を振った。
「だめ、私の持ち込み用の最高級端末の演算能力じゃ、このデータのほんの数バイトのヘッダーを解凍するだけで、一晩かかっても追いつかないレベルよ。ここで無理に再生しようとしたら、端末が過負荷で爆発するか、施設の防衛システムが完全に再起動して私たちが生き埋めになっちゃう。……これは、私たちのセーフハウスに持ち帰って、メインコンソールの全量子演算能力を解放して、じっくり時間をかけて解析するしかないわ」
「そう、ね。ここに長居をすれば、中央AIの追跡ノードにこのセクターの異常を検知されるリスクもあるわ。……手に入れられただけでも、最大の収穫よ」
ステラは細心の注意を払いながら、未来の特殊な絶縁ピンセットを使って、その琥珀色の結晶体を専用の耐圧保護ケースへと格納した。ケースがカチリと閉まると、部屋全体の青い光が静かに失われ、施設は再び、永遠の静寂へと戻っていく。
「さあ、ルナ! 私たちの宝物は手に入ったわ! ネオ・エデンのひっくり返るような過去の真実を暴くために、私たちの家へ帰ろう!」
「ええ、帰りましょう、ステラ」
漆黒のナノ防水スーツに身を包んだ私たちは、互いの手を今度は力強く握りしめ合い、完成したばかりの魔導潜水艇へと向かって、確かな足取りで通路を駆け抜けていった。
千年の深海の闇を破り、手に入れた過去の遺物。そこに眠るメッセージが、私の、そして私たちの運命をどのように変えていくのか。二人の絆はいっそう深く、等価交換の契約を超えた本物の相棒として、未来世界の果てへと向かって加速し始めていた。




