第十一話 アーカイブ化始動!★
下層セクターの薄暗い路地裏で繰り広げられた、サイバーギャングたちとの遭遇戦。
それは、軍事技術の極致とも言えるモノ分子カッターやプラズマサブマシンガンに対し、私の放った異世界の理である『光障壁』と『火炎旋風』が完全なる勝利を収めるという、周囲から見れば驚天動地の結末を迎えた。
命からがら逃げ出したゴロツキたちの足音がネオンの霧の向こうへと消え去った後、私とステラは、強奪されるはずだった十万クレジットの金色の輝きをアタッシュケースごとしっかりと抱え込み、息を切らせながらセーフハウスへと帰還した。
「ふはぁぁぁ……っ! 戻った、戻ってきたぁ……!」
居住スペースの重厚なハッチが閉まり、完全に密閉された空間になった瞬間、ステラはその場にへなへなと崩れ落ちた。アタッシュケースを床に放り出し、トレードマークである真っ赤なタイツで覆われた両脚を大文字に広げて、天井の有機ELライトを見上げる。その短い栗色の髪は、私が放った魔法の熱風の余韻で、未だに微かにあちこちへ跳ねていた。
「もう、信じられない、信じられないよルナ……っ! 私、本当に死ぬかと思ったのに、あいつらのサイバーウェアを一瞬でオーバーヒートさせて焼き尽くしちゃうなんて……! あはは、あの時のリーダーのサイバーアイの点滅見た!? 『エラー:未知の熱源』って回路が叫んでるのが、ハッキングしなくても伝わってきたわ!」
「私はただ、自分たちに振り下ろされた危険を排除しただけよ。ステラを引きずり回すわけにはいかなかったもの」
私は耳元の大きなサイバーヘッドホンを外し、ベッドの端に腰掛けた。丈の短い黒のレザートップスから露出したお腹に、セーフハウスのひんやりとした空調の風が吹き抜ける。
お着替えをさせられた時の気恥ずかしさは戦闘の緊張で吹き飛んでいたが、安全な場所に帰ってきた途端、銀色ラメの輝くタイツに包まれた自分の脚のラインや、あまりにも前衛的な未来のストリートファッションの軽さに、再び中身の男子高校生・五十鈴飛鳥としてのピュアな動揺がじわじわと込み上げてくる。
顔を少し赤らめながら、私は散らばった銀糸のような長い髪を細い指先で梳いた。
「さあ! これでお金の問題は一気に解決したわ! 十万クレジットもあれば、中央AIの監視を掻き潜るための偽装マテリアルも、最高級の有機合成肉も買い放題! だから……約束通り、今夜から本格的に始めよう、ルナ。あなたの持つ二つの記憶の『アーカイブ化』をね!」
ステラはバネが仕込まれているかのような勢いで飛び起きると、部屋の中央にあるメインコンソールへと突進した。
彼女の細い指先がキーボードの上で火花を散らすような速度で踊り、空間に何十枚もの真っ白なホログラムディスプレイを展開していく。それらはすべて、これから私の記憶を吸い上げるための、特製プライベートデータベースのインターフェースだった。
「ルナ、こっちに座って! 私のすぐ隣!」
ステラは自分の座るワークチェアのすぐ隣に、丸いクッションスツールを引き寄せ、狂気的なまでに目を輝かせて私を呼んだ。断る理由などどこにもない。私は少し気圧されながらも、スツールへと腰を下ろした。
――近い。
腰掛けた瞬間、ステラの肩と私の肩が、遮るものもなくぴったりと触れ合った。彼女のジャケットから漂う、微かな機械油とナノ洗浄剤の混ざった匂い、そして彼女自身の少女としての甘い体温が、露出した私のお腹や腕に直接伝わってくる。
前世の飛鳥の意識が「ちょ、距離感! 未来人の距離感どうなってんの!?」と悲鳴を上げたが、ステラはそんな私の内面など露知らず、さらに顔を近づけてきた。
長い睫毛が見えるほどの至近距離で、彼女の琥珀色の瞳が私をじっと見つめる。
「まずは、ルナの『三千年前の地球の記憶』からいこう! アーカイブの超古代神話セクターにはね、西暦二〇二〇年代の地球は『高度な電子ネットワークによって人類の精神が均一化され始めた黎明期』って書かれているの。でも、当時の一般人がどんなエンターテインメントに熱狂していたのか、具体的な日常データが圧倒的に不足しているわ。ルナ、あなたの知っている『文化』を教えて!」
「文化、ねぇ……。私が高校生だった頃に流行っていたものと言えば……」
私は記憶の引き出しを漁った。エルフの明晰な脳は、三千年前の日本の光景を昨日のことのように鮮明に保持している。
「そうね……例えば、『アイドル文化』なんていうものがあったわ」
「アイ、ドル……? 宗教的な偶像のこと?」
「ううん、違うの。生身の女の子たちが、華やかな衣装を着て、ステージの上で歌ったり踊ったりするのよ。まあ、男のアイドルもいたけど女のほうが圧倒的に多かったかな。それはともかく、そのアイドルのライブイベントに何万人ものファンが劇場やスタジアムに集まって、一斉に同じ色の光る棒――サイリウムって言うんだけど、それを振り回しながら、地響きがするような大声で応援を送るの」
私が語る二十一世紀の、どこか泥臭くも圧倒的な熱量を持ったエンタメの姿に、ステラは「歌って踊る人間に、何万人もが生身で集まるの……!?」と息を呑んだ。
「今の時代、音楽や映像は脳内の視覚パルスに直接流し込むパーソナルなものよ! わざわざ一つの空間に集まって、物理的な棒を振るなんて……なにそれ、原始的だけど、もの凄くエモーショナルで狂気的……! ルナ、その『アイドルの歌』って、どんな旋律だったの!? ちょっとだけでいいから、歌ってみて!」
「ええっ!? わ、私が歌うの!?」
まさかの無茶振りに、私はエルフの尖った耳を激しく震わせた。中身は男子高校生なのだ。いくら外見が絶世の美少女エルフになっているとはいえ、ステラの目の前で歌を披露するなんて、恥ずかしさの極みでしかない。
「お願い、ルナ! あなたのその鈴が転がるような可愛い声で、三千年前の神話のメロディを再現してくれたら、私のデータベースが歓喜のバグを起こしちゃうわ!」
ステラは両手を合わせて拝むように懇願し、さらに私との距離を詰めてきた。彼女の太ももが、私の太ももにぴったりと密着する。その柔らかくも確かな肉体の感触に、私の脳内の処理能力は一瞬で飽和状態に達した。
「う、うう……。じゃあ、サビのところだけよ……?」
観念した私は、小さく息を吸い込み、当時ヒットしていたアイドルソングのメロディを口ずさんだ。前世で妹たちが好きでよく歌っていて、自分も一緒に歌わされた歌だ。
――♪「君のことが好きで、どうしても言えなくて……」
セーフハウスの白い壁に、私の澄んだ、どこか切なさを帯びた歌声が響く。
やっぱりリアルタイムで聴いていた男の頃に歌ったよりも、女声の今のほうがキーがあって歌いやすい。
ユトラントでも、千年間、誰に聞かせるでもなく、深い森や冷徹な研究室で、孤独を紛らわせるためだけに呟いていた、故郷の言葉。それがメロディとなって未来の空気を震わせる。
「……っ、……あ」
歌い終えると、ステラは完全にトランス状態に陥ったように、口を半開きにして私の顔を見つめていた。彼女の琥珀色の瞳からは、いつの間にか一筋の涙が溢れ落ち、真っ赤なタイツの膝の上にポタリと落ちた。
「凄い……凄いわ、ルナ。脳の味覚パルスなんか比較にならない……。ただの空気の振動なのに、胸の奥がキュンとして、なんだか泣きたくなるくらい優しい……。これが、三千年前の地球の『歌』なんだね……っ!」
ステラは感極まったように、私の細い両手をガシッと握り締めた。そのままの勢いで、彼女の顔が私の胸元へと埋められる。お腹が丸出しの衣装のせいで、彼女の温かい息遣いや、涙の濡れた感触が私の素肌に直接触れて、私は「ひゃうっ!?」と情けない悲鳴を上げて身体を硬直させた。
「ちょっと、ステラ、興奮しすぎよ! データベースに記録するんでしょう!? 早く端末に向き合って!」
「あうぅ、ごめん、でもルナが可愛すぎて私のハッキング脳がオーバーヒートしちゃいそうなの! よし、次は魔法! さっきのサイバーギャングを木っ端微塵にした、あの『異世界の魔法理論』をデータ化させて!」
ステラは涙を雑に拭うと、今度は狂ったようにホログラム画面をスクロールさせ、エネルギー解析のセクターを開いた。
私は胸の鼓動を落ち着かせようと深呼吸をしながら、今度は大魔術師としての思考へと頭を切り替える。
「魔法の基本は、大気中、あるいは自身の生命力から抽出したエネルギー粒子――『マナ』の制御にあるわ。さっき使った『火炎旋風』の基盤となる、最も基礎的な『火球』の魔力構成式を例に出すわね」
私は空間に指先を滑らせ、淡い琥珀色の魔力を用いて、ユトラントの共通魔導文字の数式を空中に描き出した。幾何学的な円の中に、複雑なルーン文字が立体的に組み合わさっていく、美しくも恐ろしい魔術回路の縮図。
「マナの密度を点に集中させ、それを熱量へと相転移させるの。構成式の第一小節で熱の発生を固定し、第二小節でベクトルの指向性を決定する。数学的なマトリクスに直すなら……こうなるかしら?」
私が前世の高校数学の知識を交えながら、異世界の魔術数式を未来のホログラム画面に直接書き込んでいく。
その瞬間、ステラのテンションは文字通り限界を突破した。
「な……何これ、何これぇぇぇ!!! 熱力学のエネルギー保存の法則を、空間の『情報改ざん』によって強引に書き換えてるの!? このルーン文字って、ただのデザインじゃない、それ自体が一種の『超高度な自己実行型量子ソースコード』なんだわ! ルナ、ここ、この第三数式の因数分解の整合性はどうなってるの!? マナの流入速度を計算するための定数は何!?」
ステラは私の丸いスツールに自分の椅子をこれでもかと押し付け、私の顔の真横からホログラムを覗き込んできた。彼女の短い栗色の髪が私の頬に何度も触れ、至近距離から発せられる彼女の熱い吐息が、私の首筋をくすぐる。
「あ、あの、ステラ、本当に顔が近――」
「定数は何!? ルナ、教えて! このソースコードのバグはどうやって修正するの!? ねえ!!」
「定数は……ユトラントの基本重力値を基準とした……うう、だから、胸が当たってるってば、ステラ……っ!」
作業台に向かって前のめりになるステラの豊かな胸元が、私の左腕をすっぽりと包み込むように圧迫している。いくら私の外見が女の子とはいえ、中身の飛鳥としての理性が「これはまずい、これは全年齢対象のライトノベルの限界値を超えている!」と猛烈なアラートを打ち鳴らしていた。
しかし、歴史オタクであり技術者であるステラの探究心は完全に暴走しており、夜が更けるのも忘れて、私の身体にこれでもかと密着しながら、質問の濁流を浴びせかけ続けた。
「次は!? 別次元のエルフの寿命はどうしてそんなに長いの!? 遺伝子のテロメアの構造を見せて! ねえ、ルナ、ルナってば!」
「もう、降参よ……っ! 誰か助けて……っ!」
結局、ステラの狂気的な質問攻めと、至近距離での濃密なボディタッチの嵐は、セーフハウスの時計が「夜明け」を示す時間まで、一睡も挟むことなく延々と続けられたのだった。
私の精神は、サイバーギャングとの戦闘時よりも遥かに摩耗し、最後はステラの腕の中でぐったりと溶けるようにして、意識を失うように眠りに落ちてしまった。
――しかし。
私とステラが、二つの世界の知識を繋ぎ合わせ、幸せな百合的日常の時間を満喫していたその同じ夜。この巨大都市の中枢で小さな動きが始まっていた。
それを知るのにさほど時間はかからなかった。
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環境管理都市『ネオ・エデン』の最上層――光り輝く特権階級のエリアにそびえ立つ、中央治安維持AIのメインサーバー・タワーの最深部では、静かな、けれど決定的な「異常」が検知されていた。
チカ、チカ、と、漆黒のドーム状の部屋に、無数の赤い警告ライトが不規則に点滅を繰り返す。
『――第八下層セクター、グリッド・バザール周辺の環境ログを解析。熱力学第二法則に対する重大な逸脱事例を確認』
『――発生したエネルギーの波形は、既知のナノマシン、プラズマ、反物質核融合のいずれのパターンとも合致せず。非科学的、あるいは“超過量子記述”による空間構造の改ざんと推測される』
中央管理AIの合成音声が、冷徹な機械音となって、誰に聞かせるでもなく空間に響く。
壁面の巨大なメインモニターには、サイバーギャングたちが焼き尽くされた路地裏の残骸の映像と、そして――防犯センサーの死角から微かに捉えられた、銀髪の少女が放つ「琥珀色の光」の静止画が、鮮明に拡大表示されていた。
『――該当個体の生体波形をスキャン。市民ID「コード:幽霊住民」への不自然な書き換えの形跡を感知。本個体を、都市管理に対する最優先の「特異危険排除対象:コード・ロスト」に指定』
『――第十一上層特務執行部へ通達。――“エージェント”を起動せよ』
モニターの端で、一つの新しいハッキング・追跡プログラムが静かに実行され、下層セクターのマップへとその魔の手を伸ばし始める。
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