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『破片のパズル』  作者: くろめがね


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第68話 外から来た順番

68話です。この辺から、毛色が変わってきます。

その日、空気が少しだけ違っていたと感じたのは、特別な出来事があったからではなく、むしろ何も起きていないはずの朝の静けさが妙に均一で、まるで誰かが意図的に音量を下げたような感覚が校内全体に広がっていたからで、教室の窓から差し込む光も、廊下を歩く生徒たちの足音も、どこか現実より一段薄い膜を挟んで聞こえてくるようで、俺は椅子に腰掛けながら、その違和感の正体を言葉にすることもできずにただ机の端を指でなぞり続けていた。


朝の会は短かった。

担任は連絡事項を二つだけ読み上げ、最後に「今日は来客がある」と言ったが、その言葉の重さは教室の誰にも届かなかったようで、ざわめきはすぐに消え、普段通りの授業が始まったのだが、俺はその“来客”という単語が妙に引っかかり、頭のどこかで過去の記憶と結びつこうとしているのを感じていた。


三時間目の途中、ドアが静かに開いた。

見知らぬ女性が担任と一緒に入ってくる。

スーツ。低いヒール。落ち着いた目。


名前は紹介されなかった。

ただ、「少し見学しますね」とだけ言い、教室の後ろに立つ。


その立ち方が、妙に既視感を呼んだ。

距離を取りながら、全体を俯瞰する視線。

誰かを探しているわけではないのに、全員を順番に確認していく目。


一度だけ、視線が俺に止まった。


長くはない。

だが、確実に見られた。


胸の奥で、何かが静かに動く。

嫌な予感ではない。

むしろ、ずっと先送りにしてきた出来事が、ついに順番を迎えたという感覚だった。


昼休み、廊下の掲示板の前に人が集まっていたが、誰も声を上げないまま散っていく。

貼られていたのは新しい紙で、内容は簡単な注意書きだったが、文字の配置がどこか懐かしく、昔、家の棚の中で何度も見た報告書の書式と似ていることに気づいた瞬間、背中に薄い汗が流れた。


放課後、担任に呼ばれる。

例の小部屋ではなく、応接室。


中にいたのは、午前中に来ていた女性だった。

市の人か、別の部署の人か、それは分からない。


「少し話を聞いてもいい?」


声は柔らかいが、選択肢はない。

俺は椅子に座る。


机の上には、何も置かれていない。

紙も、ペンも。


それが逆に重い。


「最近、学校でいろいろあったよね」


曖昧な言い方。

具体を出さない。


俺はうなずく。


女性は続ける。


「あなたは、落ち着いているって聞いた」


その評価が、胸に刺さる。

落ち着いている。

整理できる。

説明できる。


それは、兄が昔言われていた言葉と同じだった。


「誰かが困っているとき、どうする?」


唐突な質問。

だが、答えはもう決まっている。


「……整理します」


口から出た言葉に、自分で少し驚く。

女性は、わずかに笑った。


「そうだよね」


肯定。

否定されない。


「でもね」


ここで、初めて声の温度が変わる。


「整理って、必ずしも正解じゃないこともある」


その一文が、部屋の空気を一段冷やした。


俺は何も言えなかった。

言葉を選ぶ前に、胸の奥で兄の背中が浮かんだ。

濡れた服。

低い視線。

沈黙。


女性はそれ以上何も聞かず、ただ「今日はありがとう」とだけ言って席を立った。


帰り道、夕焼けが川面に反射していた。

あの日と同じ色。

だが、今日は足を止めなかった。


家に帰ると、母が棚の前に立っていた。

布で角を揃えるように拭いている。


「今日は、どうだった?」


何気ない問い。


「……普通」


それが一番安全な答えだ。


母は安心したようにうなずく。

その仕草を見ながら、俺は初めて気づく。


母もまた、順番の中にいる。

兄が最初。

母が次。

そして今、俺。


夜、部屋に戻り、棚の前に立つ。

透明な袋が、静かに並んでいる。


だが、今日だけは違って見えた。


外から来た視線が、並びそのものを問い直しているようで、今まで完璧だと思っていた配置が、ほんのわずかに歪んでいるように感じられ、その感覚を否定しようと指先で角を押し揃えた瞬間、胸の奥で小さな音がした。


それは壊れる音ではない。

始まる音だった。


布団に入り、天井を見上げる。


今日、初めて思った。


もし、整理すること自体が、ずっと続いている“事件”だったら。


もし、俺が守っているのが真実ではなく、順番そのものだったら。


目を閉じる。


明日から、何かが変わる。

変わらないふりをしながら、確実に。


誤字脱字はお許しください。

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