第7話:感動の夜
目を開けると、そこはキッチンだった。
てっきり虚空に居るものだと思っていた大輝は、少々困惑した。
まさか意識が戻らない間に記憶の徴収が行われたのかとも思ったが、脳内にはしっかりと前回の凄惨な記憶が残っていた。
「…まあ、今はそれどころじゃないか」
大輝は前回の挑戦で得られた情報を整理することにした。
少なくとも、紗亡とあの白スーツの魔族は仲間ではない___それどころか敵対している可能性が高い。とはいっても、その両方が自分たち兄妹にとって絶対的な脅威であることには変わらないのだが。
どうにかして二人との接触を避けなければないが、出発の時間を数時間遅らせた程度で葉、エンカウントから逃れられないことも証明されてしまった。
かといって出発を丸一日先延ばしにすれば、今度は確実に星羅が死んでしまう。
何か、この状況を打破する策はないか。大輝はこれまでの記憶を必死に遡る。
__『呪恩の名は「救済」これこそが貴様が死を跳ね返す真髄だ。儂を主権者とし、貴様自身の死を発動条件として、記憶を代償に過去へと時間を巻き戻すことができる』____
虚空で出会ったあの少女の言葉が脳裏を反芻した瞬間、一種の閃きともいえる、狂気的なアイデアが頭をよぎった。
だがそれは、あまりにも壮絶な決断だった。
大輝は迷いを断ち切るように足元の戸棚を開け、鈍く光る包丁を取り出した。
「ふぅ……」
大きく深呼吸をし、鋭利な刃先をゆっくりと自分の胸元へ向けた。
意志を固めたはずなのに、柄を握る右手は小刻みに震えていた。
……大丈夫だ、俺は死なない。恐怖を殺して、俺を、殺せ…!
「頼むぜ、シロコ…!」
自らを鼓舞するように異端の藩神への祈りを叫ぶと、大輝は包丁の先端を勢いよく、自身の心臓目掛けて突き刺した。
肉を裂き、肋骨の隙間を抉る痛烈な激痛が走る。
肺が急速に血で満たされて吸が浅くなり、大輝は崩れるように床へと横たわった。
床一面に広がっていく血をぼんやりと眺めながら、大輝は自身の体温が突き刺さったステンレスの刃に近づいていくのを感じていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「・・・自殺ですか」
大輝の意識が再び接続された先は、虚空だった。
ここに来られたということは、『救済』が発動したことを意味する。
相変わらずそっけないシロコの態度を横目に、大輝は胸の内で深い安堵を覚えた。
「お前の顔を見て、こんなに安心するとは思わなかったぜ」
大輝の軽口を完全に無視し、シロコは事務的に代償とする記憶の選別を要求してきた。
「その前にいくつか質問させてくれ。俺の記憶が完全に消えるまであとどれくらい時間が残ってる?」
「7時間ほどです」
「わかった。じゃあ_____『◆◆◆◆◆◆◆◆◆』を代償に、昨夜の八時頃まで引き戻してくれ」
今回もキャッシュ機能を利用して3周目のループの記憶を踏み倒そうとも思ったが、大輝はどうしても紗亡と白スーツの目的を覚えておきたかった。奴らが大輝を『継承者』として探しているのであれば、その情報は今後の立ち回りで絶対に重要になる。
「……それは、代償として釣り合っていないと思いますが」
「足りないっていうのか?」
「いえ、たかだか十時間の回帰に対して、その記憶は……重すぎるんですよ」
「いや、そう言われても他に差し出せるようなもんが思い当たらねぇんだよ…。昔の思い出なんて殆ど覚えてないしな。だから、それでいい。それを失ったところで俺が奇石野大輝であることに変わりはねぇからな」
大輝のあまりの思い切りのよさに、シロコは呆れたとも、あっけにとられたともいえる表情で、そっと手を突き出した。
「あ、それともう一つ。俺がここに来るのって、通算で何回目だ?」
シロコは淡々と詠唱を終えると、光に包まれて消え去っていく大輝の方を向き直り、答えた。
「三回目です」
____やっぱり、さっき俺が死んだ後、俺はここに来ていない。4周目のキッチンで目覚めたあの時は、呪恩が発動していなかったのか…?
「________
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
大輝がそう口にしようとしたとき、視界は既に見慣れた空間へと切り替わっていた。
大輝は布団の中で横になっていた。
__覚えている。
あの日__星羅が発病する前夜、いつも通り一緒に夕食を食べ終えたのは19時。星羅が風呂から上がり、自分の部屋に向かったのが20時頃。それが、大輝が最後に目撃した、健康な妹の姿だった。
掛け時計の長針は8の文字を指している。
大輝は布団から跳ね起きると、足早に隣の星羅の部屋へ向かう。
ドアノブに指をかけ、開け放った先___
「…入るときくらいノックしてよね」
ドアの向こうには、いきなり部屋に入ってきた兄を不満そうに見つめる妹の姿があった。
「星羅…っ!」
「きゃっ!?ちょっ、どうしたの!?」
大輝はなりふり構わず、星羅の身体をきつく抱きしめた。
そのあまりの勢いに、彼女の手から滑り落ちたマグカップからココアが飛び散る。
何度も星羅が血を吐くところを見た。何度も星羅が死に行く様を見た。
だからこそ、自分の腕の中で生き、困惑し、呼吸している妹の確かな体温を感じ、大輝は溢れる想いが堪え切れなかった。
当の本人はというと、普段とは違う兄の様子に驚きつつも、何を聞くでもなく空いた手でそっと兄の背中に手を回した。
「…星羅。今から一緒にナイトネアに行くぞ」
「え?こんな夜遅くに?急ぎじゃないなら明日でも…」
「ダメだ!!」
思わず声を荒げてしまった。
星羅はまたも驚いた顔で大輝を見つめた。
「今日じゃなきゃダメなんだ…。頼む…!」
「そこまで言うなら、別にいいけど…。お兄ちゃんどうしたの?今日、何か変だよ…?」
普段とは明らかに異なる大輝の振る舞いに動揺しつつも、星羅は渋々と了承してくれた。
妹に自分がここまで焦っている理由を説明するのは後回しにし、二人は大急ぎで身支度を済ませ、夜の山道を抜けてナイトネアを目指すのだった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
ナイトネアへ領へ入るまでの間、紗亡にも白スーツの魔族にも遭遇することはなかった。
奴らが捜索を始めたのは明日だったのだろうか。何にせよ、バッティングを回避できたのは大きな前進だった。
何の説明もなしに連れ出された星羅は終始不満げだったが、今のところ体調に問題はなさそうだ。
「で、そんなに急いでどこに行きたかったの?」
「王都」
「どうして?」
「大事な話があるんだ」
星羅を治せるかもしれないと伝えられた、石射秋__彼の情報を集めたい。
そのために例の探偵事務所に向かう必要があった。
だが、星羅の発病と同じく危惧すべきなのは、明日、奴らが自分たちを殺すためにナイトネアに現れるであろうことだった。
この襲撃を乗り越えることが、星羅の治療以前に課せられたデッドラインである。
__とはいえ、どうしたらいいんだ…。「明日王国が襲撃されます」なんて突然言っても信じる奴はいねぇだろうし、不審者として逮捕されるのがオチだ。「一回死んで見てきました」なんて理由が通用するはずもねぇ。いっそのこと、自称探偵に全部ぶちまけてみるか?
ひたすらに思考を巡らせていた大輝は、ふと気づくと、既に目的の事務所の前まで辿り着いていた。
その佇まいに、星羅はますます不信感を漂わせる。
「…探偵と話があるの?」
「まあな」
「なんか、いかにも『自称探偵が探偵ごっこしています』っていうような場所だね」
「やっぱそう思うよなぁ…」
初めて大輝が訪れたときと全く同じ感想を星羅の口から聞き、大輝は少しだけ口元を緩めながらインターホンを押した。
だが、「ピンポーン」とはならない。
そういえば以前もインターホンが鳴らず、直接ドアを開けて入ったことを思い出した。
とはいえ、こんな時間に施錠していないはずがない___そう思っていた矢先、鍵が開く音もないままに不意に扉が開かれた。
「何ですか…?」
「出たな、引きこもりお兄ちゃん」
ドアを開けて現れたのは、自称探偵__桧垣誠であった。
どうやらインターホンは壊れていなかったらしい。
__ってか、夜は普通に起きてるんだな…。夜行性とかマジもんの引きこもりじゃねーか。
「……誰ですか。ふざけたこと言ってないで、さっさと帰ってください。通報しますよ」
「そういや、一度も名乗れてなかったな___俺の名前は奇石野大輝。桧垣誠、アンタに話がある」
大輝が名乗りを上げると、先ほどまでの誠の不機嫌な表情は一変し、明らかに驚いた様子で大輝の名を復唱した。
「奇石野、大輝…!?」
誠はすぐに二人を事務所の中へ入れてくれた。
相変わらず事務所らしさの欠片もない屋内である。夜遅いせいか、寧音の姿は見当たらなかった。
「…本当に奇石野大輝なんですか?」
「嘘つくメリットねぇだろ…」
「おかしなことを伺いますが、死んだことって…あります?」
まさかの質問に今度は大輝が息を呑んだ。
彼もまた、大輝が継承者であると知っているのだろうか。
星羅の前でそれを認めるのは酷だとも思ったが、大輝は覚悟を決めて頷いた。
「…ああ、ある」
その言葉を聞き、疑るようだった誠の顔は確信に変わる。
そして、大輝の能力をも知っているような口ぶりで問うてきた。
「…何があったのか、教えてもらっても?」
「もちろんだ。早く誰かに言わねぇと忘れちまうかもしれねぇしな」
大輝はこれまでの周回で起きた出来事を、可能な限り詳細に伝えた。
唯一、どうにも説明できなかったのは、虚空での出来事だった。
それについて口に出そうとすると脳にストップの信号がかかり、まるでシロコがすぐ隣に立っているかのように、声が脳裏に響くのだ。
____虚空について、現世で口外することは禁じます
大輝の説明を一言一句聞き逃さぬよう、メモ帳を走らせていた誠だったが、大輝の話に何よりも衝撃を受けていたのは星羅だった。彼女は、自分が不治の病を患い、死に至る運命にあることを受け入れられない様子だった。
それは当然としか言いようがない。
まさに今も、彼女は健康体そのものなのだから。
「私、本当に病気になるの…?今は、凄く元気なのに…。身体だってどこも痛くないよ…?」
「俺だって信じたくなかった。けど…星羅の身体に異変が起こるのは確かだ。俺はこの目で、お前が苦しむ姿を何度も見てきた」
兄の、嘘偽りのない真に迫った表情を見て、星羅の顔は余計に暗くなり、今にも泣き出しそうに歪んだ。
「私、まだ死にたくない…!お兄ちゃんともっと一緒に居たいのに…!」
「そんなの俺だってそうだ。だから___何が何でも、星羅を助ける方法を見つけてみせる…!」
星羅は大粒の涙を流しながら俯いた。
彼女の頬の煌めきを見て、大輝の胸の奥で再度、妹を救うという命題に火が灯った。
「……その件ですが、手立てはあります。星羅さんが発病したのはいつ頃かわかりますか?」
「正確な時間は分からない。…けど、11時を過ぎてまだ何にもねぇってことは、発病は深夜か、あるいは…」
「発病のトリガーが睡眠か、ですね」
なるほど、流石探偵を名乗るだけはある。推察力が高い。
大輝も丁度そう考察していたところだった。
「やはり件の症状は病などではなく……呪いでしょう」
そう言いながら誠はポケットから携帯を取り出し、迷いのない手つきで発信した。
呪いと聞いて真っ先に思い浮かんだのは、大輝にも与えられた、呪恩だった。
もしかしたらシロコや虚空の主なら、何か知っているのではないだろうか。
「僕です。トキさん__奇石野大輝が現れました。……はい、わかりました。では後ほど」
「今、話してた相手って...」
「ええ。貴方の探している____石射秋です」




