第31話:嵐の予兆
16:06
「思ってたより……早かったな……!」
吐きだす声は、荒い呼吸でかき消されそうだった。
大輝と鷺は、石畳みの坂を駆け下り、モノリスが安置されいてる王都の中心部を目指していた。
つい先ほど、大輝の携帯に華麗咲から魔族の来訪を確認したとの連絡が入った。
電話越しの彼女の声は落ち着いていたが、その背後で鳴り響く爆音と悲鳴が、事の深刻さを物語っていた。
第一支部は市街地で魔族と交戦中であり、王宮魔法使いたちが戦闘を繰り広げる王都へ駆けつけるには、時間を要する。
故に、宿で待機していた大輝と鷺は、先に王都へ向かい、彼らを援護するようを言い渡された。
宿を出て十五分。
今頃は他の皆にも、誠から連絡がいっている頃だろう。
坂を下るにつれ、街の様子は目に見えて変わっていった。
昼過ぎにはあれほど賑わっていた大通りに、一切の人影はない。
露店の天幕は風に煽られてはためき、売り物が地面に散らばったまま放置されている。
王都の方角からは腹の底に響くような爆音が断続的に届いていてくる。
そのたびに足音が震え、羽を休めていた烏が一斉に飛び立った。
焦げ臭い風が頬を撫でていく。
すると、横を並走していた鷺が、ふいに足を止めた。
「おい、あれ――――――」
彼の視線を辿ると、ちょうど通りを挟んだ反対側、建物の影が落ちた道沿い―――――二人の人影が、折り重なるようにして倒れていた。
遠目にも分かるその装いは、白いパーカーと、紺色のスカート。
どりらも、記憶に新しい服装だった。
心臓が嫌な音を立てる。まさか。
二人は戦闘には参加しないと決めたはずだし、彼女たちも了承したはずだ。
そう思いながらも、二人に駆け寄る。
その距離が近づくほどに、輪郭がはっきりしていく。
無造作に広がった、水色の長い髪。
その下敷きになるようにして投げ出された、細い腕と脚。
それは、思い違いなどではなかった。
大輝と鷺が見下ろしていたのは―――――氷と海夏だった。
「おい! しっかりしろ!」
鷺が膝をつき、声をかけるも、応答はない。
鷺に揺さぶれられるがまま、氷の首が力なく傾いだ。
酷い有様だった。
彼女たちの胸元から腹部にかけ、数十か所、いや、それ以上もの、数えきれないほどの穴が穿たれていた。
まるで、至近距離から銃火器の集中砲火を浴びたかのような。
パーカーの全面は、もはや白い部分を探す方が難しかった。
布地は赤く滲み、思いがけぬ豪雨に遭遇した時のように、重く肌に張り付いている。
穴の縁は焼け焦げて縮れ、そこから覗く肉は、熟れ過ぎた果実が潰れたかのように抉れていた。
二人の身体からは、まだ温かい血が石畳の目地を伝って広がっており、排水溝へと細い線を描いて流れ込んでいる。
鉄錆の匂いが、鼻腔を満たした。
海夏の右手のすぐ傍には、小型の拳銃が転がっていた。
銃身には、彼女自身のものと思われる血がこびりついている。
少し離れた場所には、果物やパンがぎっしり詰まった買い物袋が置かれていた。
傍に散らばった青林檎が、幾つか赤く浸食されている。
その光景を前に、大輝は拳を固く握りしめていた。
爪が掌に食い込む痛みすら、どこか遠い。
買い物帰りに、魔族に遭遇したのだろう。
戦うつもりなど、なかったはずだ。
それでも二人は、逃げなかった。いや、逃げられなかったのかもしれない。
ふと、違和感を覚えた。
辺りの空気が、まだ僅かに冷たい。
見れば、壁面には薄っすらと白い霜が張り付いていた。
氷の魔法だ。
まだ冷気を感じるということは、これはついさっきの出来事だと推測できる。
あと少しでも早く、ここを通っていれば―――――
「奇石野」
鷺の声に、大輝は顔を上げた。
氷の指に手を触れていた彼は、俯いたまま続ける。
「お前は先にモノリスに向かえ。俺はここに残って救急隊を呼ぶ」
「でも――――」
大輝は改めて二人を見下ろす。
素人目に見ても、二人がもう助からないことは明らかだった。
言葉を選ばずに言えば―――普段の彼のように言うならば、救急隊を呼ぶ行為は殆ど無意味だ。
大輝ですら、それが分かるのだ。鷺が分からないはずがない。
それでも、彼はそう決断した。
それは、彼の騎士道によるものなのか、あるいは―――
いずれにせよ、その意志を踏みにじるわけにはいかない。
「……二人のこと、頼んだぞ……!」
大輝は鷺にその場を任せ、王都のモノリスへと、ひたすらに地を蹴った。
ここで、二人を救うためにこの命を捨てることに抵抗はない。
だが、大輝にはまだやらなければならないことがある。
二人の命を奪った元凶を、モノリスを狙う魔族を、この目で確かめなければ。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
16:41
王都の中央広場は、既に地獄と化していた。
白亜の王城は、今は黒煙の向こうに霞んでいる。
かつては噴水を中心に、精緻な彫刻を施した石柱が円形に並んでいたのだろうが、その殆どは原形を失っていた。
石柱はどれも刀で切断したかのように滑らかな断面を晒して斜めに断ち切られ、瓦礫となって転がっている。
噴水の縁も同様、刃物で切り取ったかのように懸けており、溢れ出た水が血と混ざりあって薄紅色の水溜りを形成していた。
周辺の建造物や地面も、まるでかまいたちに遭ったかのように、縦、横、斜めと無数の裂傷に覆われていた。
そして、そこに転がるローブを纏った、王宮魔法使いと思われる者たちの遺体。
胴から上が無い者、腕が無い者、頭頂から股下まで両断された者など、悉く損壊していた。
鼻をつく臓物の匂いが、風に乗ってまとわりついてくる。
その中には、見知った顔もあった。
白いツインテールの少女が、瓦礫に背を預けるようにして座り込んでいた。
白銀聖騎士団の魔法使い、ライアだった。
胸から下はローブごと一文字に裂けていて、そこから腸やら何やらが零れ落ちている。
その傍らには、ウィズがうつ伏せに倒れていた。
その腹から下の部分は、見当たらなかった。
伸びた指先はライアの方を向いており、死の直前まで彼女を気に掛けていたかのように見える。
喉が震えた。
悲鳴とも嗚咽ともつかない何かがこみ上げてきそうで、大輝は必死にそれをかみ殺す。
その後方、瓦礫の山の向こうで禍々しい雰囲気を放つ、紫色の結晶体。
大人の背丈の三倍ほどの、歪な形状の柱。
表面はまるで虚空の地面のように、脈打つようにゆっくりと明滅している。
その結晶体―――――モノリスと思われる物体の前には、一人の男が腰かけていた。
青みがかった短髪に、紫紺の瞳を持つその男は、退屈そうに頬杖をついている。
年の頃は大輝とそう変わらないようにも見えるが、その身から滲み出る気配――――紫苑が感知していた魔力というものだろう、そのオーラは明らかに常軌を逸していた。
紫紺の瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
大輝の姿を捉えた瞬間、男の口の端が、僅かに吊り上がった。
男は頬杖を解くと、空を切るように無造作に右腕を振り上げた。
途端、大輝の右上腕に鋭い痛みが走った。
焼けた鉄を押し当てられたような熱を、一拍遅れて脳が察知する。
視線を落とすと、そこにはあるはずの腕の先が無かった。
肘から少し上の位置で、断ち切られていた。
断面から覗く白い骨と、筋線維。
そこから噴水のように血が勢いよく流れだし、石畳に飛沫する。
「―――――っ、ぐ……!」
膝が折れそうになるのを、歯を食いしばって堪える。
あの一瞬で、何が起きた?
魔法陣を展開する様子は見えなかったし、詠唱もしなかった。
ただ、腕を振っただけ――――ネメシスのように、手の動きと連動した遠隔攻撃が可能なのか。
それとも、常人には目視不可能な速度で何かを放ったのか。
震える左手で、断面を強く押さえつける。
指の隙間から生温い液体がとめどなく溢れ、肘を伝って滴り落ちていく。
顔をしかめながら、視線を前に前に移すと、そこにはもう男の姿はなかった。
風が、強く吹いたような気がした。
「僕は、『ネプチューン=ネプトゥヌス』―――――覚えておきな、名前を知る価値もない弱者」
ネプチューンと名乗るその男はいつの間にか大輝の真横につけていた。
足音も、気配も何一つ感じさせないその動きは、まるで風に乗って現れたかのようだ。
囁くようなその声には嘲りと、退屈が同居していた。
反射的に大輝は身を捻ろうとした。
だが反撃する隙を与えぬまま、ネプチューンのひんやりとした指先が、大輝の首筋に触れる。
――――次の瞬間、大輝の視界は反転し、暗転した。
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視界を取り戻した先、見えたのは薄紫色に澄んだ大気。
足元に広がるのは、明滅を繰り返す半透明の地表――――虚空だった。
大輝は咄嗟に自分の首に手を触れる。
指先に伝わる、確かな肌と、脈打つ血管の感触。
ちゃんと、つながっていた。
次いで、右腕を見る。
肘から先も、何事もなかったかのようにそこにあった。
握って、開く。思い通りに指は動いた。
「――――代償とする記憶を選別してください」
静寂を破ったのは、例の抑揚のない声だった。
大輝は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
血の海に沈んだ、氷と海夏の姿が、ライアとウィズの亡骸が、瞼の裏に浮かぶ。
「第一支部と合流してから、今までの記憶だ――――地下での解散直前に戻せ」
シロコにそう告げ、拳を強く握り締める。
――――痛い。
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12:34
「―――登録しておきなさい。私の連絡先よ」
はっと我に返ると、一枚のメモ用紙が差し出されていた。
丁寧な字面で電話番号が書かれていた。
指定した通り、第一支部と別れる直前の時間軸へと戻ってこれたようだ。
「……奇石野?」
なかなか用紙を受け取ろうしない大輝を見て、華麗咲は困惑した表情を見せる。
何かを探るように、大輝の顔を見つめている。
「ああ……悪い」
短く答え、大輝はそれを受け取り、ポケットにしまう。
改めて全員の顔を見渡した。
紅茶を淹れ直す暝。
不愛想に机を眺める翠嘩。
大輝を見つめる華麗咲と、華麗咲を見つめるベリーローゼン。
シロコに負けないほどに無表情な鷺。
眠そうにあくびをする紫苑。
そして―――氷と海夏。
氷は大輝の視線に気が付くと、きょとんと首を傾げた。
海夏は、何事かと目を瞬かせている。
二人とも、生きている。
ちゃんと、ここにいる。
目の奥が熱くなるのを、大輝は必死に堪えた。
鬼ヶ島でも水上都市でも、何度か、彼女たちが命を落とすことはあった。
大輝もそれは知っていたし、そうなる危険性を知ったうえで立ち回っていた。
だが、彼女たちの遺体を目の当たりにしたのは初めてだった。
これまでの死は、いつもどこか遠かった。
鬼ヶ島での奇襲、水上都市での濁流、両者共に己の命が散ったことが意味する別の結果でしかなかった。
だが大輝は、この目でみてしまった。
赤黒くなった衣服を。穴だらけになった身体を。
瞼を閉じてしまえば、その一つ一つが鮮明に浮かんでくる。
また、氷と目が合った。
彼女は不思議そうに瞬きをすると、小さく笑って見せた。
この笑顔を、もう二度とあんな風にしてたまるか。
―――俺が、全員を守ってみせる。
英雄なら、できるはずだ。
英雄なら、できなきゃいけないはずだ。
世界を救わなきゃならない存在が、身の回りの奴の命を守れないでどうする。
大輝は、ゆっくりと息を吐いた。
震えを押し殺すように、握った拳に力を込め、開く。
「皆―――俺から話がある」
ただならぬ雰囲気に、席を立とうとしていた全員の動きが止まる。
紫苑はあくびを噛み殺し、暝は口元へカップを運ぶ手を下ろす。
翠嘩の赤い瞳が、初めて真っ直ぐに、大輝に向けられた。
「―――魔族の襲撃についてだ」




