第30話:第一支部
11:45
大輝が店の外に出てから数分後、花屋の扉が内側から押し開けられ、軒先の鈴が鳴った。
先に姿を見せた緑髪のエルフに続き、ベリーローゼンが出てくる。
ベリーは泣き止んでいたものの、その目元は赤く腫れており、頬には涙の伝った跡が、くっきりと残っていた。
いつもなら逆立っている毛先も、今はどこか元気がない。
何日も水を貰っていない植物のように、力なく垂れ下がっていた。
大輝の視線が自身の顔に向けられていると感じ取ったのか、ベリーは顔を背け、
「……何よ」
「……いや」
それ以上は何も言わず、大輝はベリーの横に立つエルフに視線を移す。
彼女を一言で表せば、淑女、というのが最も適切であろう。
身体の線に沿う黒いワンピースもさることながら、その立ち姿からも気品を感じる。
裾にはベリーのせいか、皺が残っている様子だったが、彼女はそれを気にしている様子はなさそうだ。
些細なことで直ぐに声を荒げる朱髪のエルフと同じ種族だとはにわかに信じられないほどの落ち着きぶりだった。
否、ベリーローゼンが特殊なだけで、本来エルフとはそういうものなのだろうか。
「貴方が奇石野ね。話には聞いているわ」
月のような瞳が、大輝の頭上から爪先をなぞっていく。
何かを見定められているかのような感覚だ。
「時間が無いわ。行きましょう」
値踏みにもう満足したのか、それとも大輝が大した存在ではないと知ったのかは分からないが、彼女はそれだけ一方的に告げると、踵を返し、石畳を颯爽と歩きだした。
呆気にとられたまま、大輝はその背中を見つめる。
黒い布地を裂くようにして、きめ細やかな肌が覗いていた。
彼女に続いて一歩踏み出したベリーローゼンは、大輝が立ち尽くしていることに気づき、肩越しに呆れた視線を向ける。
「なに突っ立ってんのよ。集合に遅れるわよ」
その一言で、全てを察した。
どうやらあの美しい方のエルフは、第一支部の関係者らしい。
大輝は慌てて地面を蹴り、遠ざかっていく二人を駆け足で追いかけた。
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12:02
連れていかれたのは、商店街から外れた、人気の少ない裏路地だった。
表通りの喧騒が嘘のように、静かな空間だった。
両脇の石壁は高く、湿った苔が目地に沿って黒く筋を描いており、見上げれば、切り取られた長方形の空の向こうに、王城の尖塔が見える。
緑髪のエルフが足を止めたのは、路地の突き当りだった。
そこには、通常の物より一回りか二回りほど大きなマンホールが嵌め込まれていた。
表面には錆に侵食されかけ、もはや原形が分からない紋様が刻まれている。
蓋を開けると、暗闇へ続く鉄の梯子があった。
冷えた金属の棒を、一段ずつ降りていく。
だんだんと小さくなる光を浴びながら行き着いた先は、とても地下とは思えない空間だった。
ダークブラウンのカーペットに、柔らかな明かりを落とす証明。
壁際には書架と資料の詰め込まれた棚が並んでいる。
第一支部との落ち合い場所に指定されたその空間は、櫻神社の地下とよく似ていた。
この組織は、いったい幾つ地下に施設を持っているのだろうか、などと思いながら視線を中央に向けると、長机の前には既に、第六支部の姿があった。
こちらには見向きもせずに腕を組んでいる鷺と対照的に、ひらひらと手を振る紫苑と、会釈する海夏。
氷も二人の到着に気づき微笑んでいたが、ベリーの顔を見るや、ほんの一瞬、心配そうに眉を寄せた。
鷺の隣には、ちょうど二つ空席が残されていた。
大輝とベリーローゼンはそれぞれ椅子を引き、腰を下ろす。
机を挟んだ向かい側には、二人の少女が座っていた。
一人は茶髪の、こちらもお淑やかな娘で、グレーとベージュの中間色みたいな色合いの服に身を包んでいる。
幾重にも重なった半透明のフリルとレース――――いわゆるゴスロリファッションというやつだろう。
星羅も似たような服を着ていたことがあった。
白磁のティーカップをそっと口元へ運ぶその所作は、切り取って額縁に収めれば絵画のように思えてしまうほどに様になっており、まるで洋風人形のようだった。
もう一人は、睫毛の先まで白い、白髪赤眼の、大人しそうな娘だった。
表情の変化に乏しいような印象を受ける彼女の首元に巻かれたチョーカーやベルト、小柄な身体には明らかにオーバーサイズの黒いジャケットは、軍の暗部や秘密組織の諜報員を思わせた。
深紅の瞳は机の一点に添えられたままで、こちらを見向きもしない。
まるで、そこには誰も居ないかのような態度である。
そんな二人の横に、緑髪のエルフが腰かけると、彼女は静かに口を開いた。
「遅れて申し訳ないわ。まずは軽く自己紹介といきましょう」
彼女はそう言って一同を見渡し、淡々とした声で続ける。
「私は『フィオリレ=ブルーロータス』改め『華麗咲衰蓮』――――今は第一支部の代表をやらせてもらってるわ」
ブルーロータスが本名で、衰蓮というのが組織での偽名なのだろう。
緑髪のエルフ――――華麗咲はそう名乗りを上げ、小さく会釈した。
その仕草ひとつ取っても、隙がない。
そう思いながら、大輝は気づかれないように隣に目をやった。
ベリーローゼンにも、せめてこの十分の一くらいの慎ましさを持ってほしいものだ。
その視線に勘付いたのか、はたまたエルフは心でも読めるのか、机の下でベリーに脛を蹴り飛ばされた。
続いて、大輝たちから見て真ん中に座っている、ゴスロリの少女の番となった。
先ほどからこちらには目もくれず、ひたすら紅茶を嗜んでいた彼女は、空になったティーカップを静かに受け皿の上に戻すと、ようやく顔を上げた。
「私は『帯広 暝』なのです。第一支部の魔法使いなのです」
それだけ言って、隣に座る白髪の娘へバトンタッチした。
アンカーに任命された彼女は、暫く黙ったままだった。
数秒の沈黙の後、視線をほんの少し動かし、小さく唇を開いた。
「……『夜那月翠嘩』です」
翠嘩と名乗ったその娘は、それだけ告げると、また口を閉ざしてしまった。
見かねた暝は、ティーポットに伸ばしかけた手を止める。
「初対面の相手にはもう少し礼儀正しくした方がいいのですよ、翠嘩」
しかし翠嘩は、何も聞こえていないかのように無反応だった。
困ったような表情を浮かべる華麗咲と、気にせずカップに紅茶を注ぐ暝。
視線を泳がせまくりの海夏に、頬を引きつらせ、愛想笑いを浮かべている紫苑。
沈黙が、続いた。
気まずい空気の流れる中、立ち込める居心地の悪さを断ち切って見せようと、大輝は勢いよく立ち上がった。
「よ、よし! じゃあ次は俺たちの番だな――――俺の名前は『奇石野大輝』! 以後、よろしく!」
倒れた椅子の残響と共に、無駄に大きな声が地下に響き渡る。
翠嘩の視線が一瞬だけ、こちらに向けられた気がした。
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12:11
大輝から始まり、自己紹介が始まった。
第六支部は良くも悪くも、いつも通りだった。
とても自己紹介をする態度とは思えぬ、腕組みしながら名乗りを上げたベリーローゼン。
名前を名乗ってすぐさま席に着いた鷺。
終始笑顔だった氷と、しどろもどろだった海夏。
誰も求めていなそうな最近のマイブームや好きな料理の話までしていた紫苑。
その一人一人に聞き入っていた華麗咲は、全員が名乗り終えると、静かに口を開いた。
「第六支部。結論から言うと、貴方たちに合流して貰ったのは――――魔族から『モノリス』を守るためよ」
「モノリス……?」
「一枚岩や石柱のことだ」
聞きなじみのない言葉に大輝たちが首を傾げていると、鷺が補足してくれた。
彼の知識の守備範囲には、度々驚かされる。
これも騎士としての教養なのだろうか。
「そうね。けれど、ここで言うモノリスとは――――大気中のマナ、の発生源のこと」
「そんなものがあるのか……!?」
「ええ。いつから在るのか、どのように出来たのかは分からないけれどね」
この国のどこかに、世界中のマナを生み出しているものが眠っている。
きっとそのモノリスがあったからこそ、この国は魔術王国として発展したのだろう。
あるいは司が言っていた、魔導帝国時代からの産物なのかもしれない。
いずれにせよ、大輝たちが魔法を使えるのはモノリスの恩恵によるものなのだ。
しかし、今の話には、幾つか引っかかる点がある。
大輝がそれを言葉にするより早く、紫苑が口を開いた。
「ん? じゃあさ、どーして今更、モノリスが魔族に狙われてんの……?」
「聡明ね。良い質問だわ」
華麗咲に褒められ、紫苑は嬉しそうに微笑む。
「一つは、結界が効力を失いつつあること。これは、ジギーベースに限った話じゃないわ。人間領の大方の国には、かつて退魔師の手によって結界が張られた。そのおかげで、魔族の被害は長いこと抑えられていたわ。けれど――――結界術も所詮は魔法の一種」
一度言葉を区切ると、華麗咲は薄く目を伏せる。
「時が経てば、綻びが生まれる。ここ数十年の間に、その効果は薄れてるとみていいでしょうね。そしてもう一つは、夜影壁を突破する手段を、魔族側が有したこと。それらの証拠として、ナイトネアの襲撃が挙げられるわ」
華麗咲はそう言って、鷺と大輝に視線を向けた。
ナイトネアで襲撃が起きたのも、元々あった結界の効果が無くなっていたからというわけか。
大輝は咄嗟にナイトネアでの出来事を思い出す。
忘れかけていたことだが、大輝はどこに居ようとネメシスや黯神紗亡に命を狙われるリスクがある。
ひょっとしたら、ジギーベースでも――――
「俺からも質問だ」
鷺の声が、大輝の思考を断ち切った。
組んでいた腕をほどき、鋭い視線で華麗咲を見つめている。
「魔族がモノリスを狙っているという情報はどこで得た……?」
大輝も引っかかっていた点だった。
夜影壁の影響で気軽に大陸を移動できない以上、仮に魔族がモノリスを狙ってたとして、その情報をこちら側が事前に入手する手段はないはずだ。
「それは、答え兼ねる……というより、私たちにも分からないわ」
華麗咲はため息交じりに言い、肩をすくめる。
「その情報を仕入れたのは、霜月なのです」
華麗咲に代わり、説明役を買って出たのは暝だった。
「彼によれば、近いうちに魔族がモノリスを狙いにやってくるとのことなのです。霜月は元々、第一支部の構成員だったので。こうして、暝たちに情報を流してきたというわけなのです」
情報の出処は分かった。
だが、それならどうして自分たちには何も伝えてくれなかったのだろうか。
それに――――
「霜月が、何故そんなことを知っている?」
大輝の喉元まで出かかっていた問いを先んじて口に出したのは、鷺だった。
矢継ぎ早に質問を投げているあたり、彼もまた、この一連の流れに不審感を抱いているのだろう。
「分からないのです。ただ、アレは随分と謎が多い男なのです……。暝たちもどれほど振り回されたことか」
暝は紅茶に口をつけ、うんざりしたように目を細める。
「厄介なのは、彼が誤った情報を持ってきたことが、今まで一度もないことね。まず間違いなく、魔族の襲撃はあるとみていいわ」
華麗咲の言葉には、誰も反論しなかった。
初対面の時から感じていたことだが、霜月は、何かを隠しているかのような、掴み切れない存在だ。
おまけにその顔すらも仮面で覆っているのだから、仮面を外した彼とどこかですれ違っても気づくはずはない。
何か、独自の情報筋でもあるのだろうか。それとも、彼には何か別の思惑があるのだろうか。
まあ、今は考えても仕方のないことだ。
「なるほどな……とりあえず、どうしてお前らと合流することになったかは分かった。それで、俺たちは何をすればいい?」
大輝は一度話をまとめ、華麗咲に向き直る。
「特段、何もしなくて構わないわ」
「は……?」
「ただ、いつその時が来てもいいように、備えておきなさい。奴らが現れ次第、全力で対処する。それだけよ」
てっきり、モノリス周辺を警戒するくらいのことはすると思っていただけに、拍子抜けしてしまった。
「いや、魔族はモノリスを狙ってるんだろ? だったら――――」
「その必要はないわ。モノリスを物理的な意味で奪うことは、不可能だもの」
華麗咲は大輝の言葉を遮り、簡潔に言ってのける。
「今まで何人もの魔法使いがモノリスに触れようと試みたけれど、全員、触れることすらできなかったのよ。――あの英傑ですら、ね」
英傑――――ナイトネアに剣聖と共に現れた存在。
今のところ彼女がどれほどの権威なのかは分からないが、あの理不尽な異能を持つネメシスすらも厄介な相手と評していたくらいだ。
相当な実力者なのは間違いない。
「当然、そのくらいのことは奴らも把握してるでしょうね。だから、『奪う』方向性を変えてくるはず。――例えば、王国の占拠とかね」
モノリスそのものが奪えないなら、モノリスのある国ごと奪おうというわけか。
随分と乱暴な発想だ。
つまり、大輝たちのするべきことは、モノリスを守ることではない。
国民を魔族の手から守ることなのだ。
大輝が腑に落ちた様子を見て取ると、華麗咲は懐から一枚のメモ用紙を取り出した。
「登録しておきなさい。私の連絡先よ」
そこには、丁寧な字面で電話番号が書かれていた。
ほのかに、花の蜜のような、甘い香りがする。
ベリーローゼンは、まだ華麗咲と話したいことがあるようで、何度か口を開きかけては閉じ、落ち着きのない様子だったが、結局その場はそれで解散となり、一行は宿に戻ることとなった。
梯子を上る間際も名残惜しそうに、華麗咲の横顔を見つめていたので、大輝は彼女に向かって呟いた。
「同じ仲間だろ。話す機会なら、これからもあるさ」
「……そうね」
その言葉に、ベリーの表情は少しだけ明るくなったように見えた。
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12:54
宿に戻った第六支部は、各々の部屋で待機することになった。
鷺と大輝だけでも王国内を巡回しようとしたが、『戦闘を考慮すると、無駄に体力は使わない方がいい』と、ベリーに止められた。
それから、大輝の提案で、海夏は魔法が使えず、氷も戦闘経験が浅いため、二人は戦闘には参加しないこととなった。
戦力確保のために第一支部と合流したにもかかわらず、自ら頭数を減らすような決断を下すことは本末転倒な気もしたが、国民の避難誘導も必要になるということで、話し合いの末、そう結論づけた。
その後、食糧調達と都市の導線の把握を兼ね、氷は海夏を連れて街に出て行った。
二人を見送り、自室に戻った大輝は、来たるべき戦いに備え、灾胡に借りた戦闘技術をまとめた書物でも読んでおくことにした。
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15:42
日差しが傾きはじめ、石畳に落ちる建物の影が、先ほどよりも長く伸びていた。
商店街の喧騒、露店に賑わう客の声を耳に、二人の少女は並んで歩いていた。
「海夏ちゃん重くない? 半分持つよ……?」
「だ、大丈夫……!」
明らかに大丈夫そうではない声で答えながら、海夏ははち切れんばかりに膨らんだビニール袋を両手で抱えている。
抱えているというより、圧し掛かっているような状態だ。
一歩踏み出すたびに袋が音を立て、そのたびに彼女の重心も傾いている。
氷はその様子を心配そうに見守りながら、海夏に歩幅を合わせて歩いていた。
どうしてこのようなことになっているのかというと、商店街へ向かう途中で、海夏が買い物リストを紛失してしまったためだった。
そのリストは氷お手製の、買う物と店の名前とが対応付けしてあるものだった。
来た道を引き返したりしたものの見つからず、結局は氷の記憶を頼りに何件も梯子する羽目になった。
その罪滅ぼしにと、海夏が帰りの荷物運びを自ら買って出たのだが――――氷にも負けず劣らず華奢な彼女である。
こうなることくらい、氷にも予想は出来ていた。
予想外だったことと言えば、海夏は赤子のように非力だったことだ。
今にも絶命しそうな声を漏らしながら震える腕で必死に荷物を運んでいる姿を見ると、胸が痛んだ。
何度も役を代わると申し出ているものの、そのたびに海夏は吹っ飛びそうなくらいに首を横に振って断った。
だが、このままでは宿に着く前に息絶えてしまうかもしれない。
次の角を曲がったら、無理やりにでも袋を奪い取ろう、そう決心した時――――。
ほんの数秒前には、道以外何もなかったはずだ。
だが、そこに、二人の行く手を阻むかのように、一人の女が現れた。
貴婦人のような恰好をした女だった。
女の目元は赤黒い薔薇の装飾をあしらった帽子で隠されていて、よく見えない。
まだ日没前にもかかわらず、彼女の周りに闇が集まっているかのような――――上から下まで漆黒で覆った彼女が醸し出す雰囲気は、言わずもがな、異質だった。
海夏もその異様な空気に異変を感じ取ったのか、あれほど手放そうとしなかったビニールを路上に置いた。
転がり出た林檎が、石畳を転がっていく。
次の瞬間にはパーカーの内側から取り出し、すぐさま銃を構えた。
先ほどまで震えていた腕が嘘かのように、しっかりと銃口は女の眉間に向き、微動だにしない。
氷もまた、両手で魔法陣を展開する。
そんな、警戒心をむき出しにした二人を前に、女は嗤った。
「――――私たちの欲する宝物を前に立ちはだかる可愛らしいお嬢さんが二人。一人は氷の御姫様。もう一人は銃戦士。いいわねぇ……いいキャラクター。いい俳優。いい舞台設定!」
女は芝居がかった仕草で両腕を大きく広げ、天を仰ぐような素振りを見せた。
まるでフィナーレを迎え、観客席から声援を浴びせられる役者のように。
「ああ、どうか見せてください! 貴方たちの……エゴイズム」
帽子のつばと、薄汚れた長髪の隙間から――――――血の塊のような眼が覗いた。




