第18話:逃げるは恥だが役に立つ
大きな衝撃と共に太い幹に叩きつけられたのは、匡欐だった。
彼女は、ベリーローゼンが初めに展開したリング状の魔法陣から現れた、幾重もの髪を絡めて構築された巨大な腕に殴り飛ばされた。それは、ミシアルで灾胡から課せられ、修行の末に習得した、『魔陣開口_一触即髪』__魔法陣から髪で構築された巨大な手や足を出現させて攻撃する魔術だった。
すでに、ホークニオに向けられていた魔法陣は消失しており、ベリーローゼンは大木の根本に寄りかかる匡欐を見下ろしている。
「ど、どうやって……」
彼女はそこまで言うと、力なく頭を傾けた。先ほどの衝撃で意識を持っていかれたのだろう。
『どうやって、権能から逃れたのか』彼女が気絶する直前に口にしようとした疑問。それと同じものを、ホークニオも抱いていた。
「……どうやって権能にかかるのを回避したんだ?」
「ああ……ウチの指示役の権能で、アタシの視界に映る景色を入れ替えたのよ」
まるで何を言っているかわからないといった様子で、ホークニオは横になった体勢のまま首を傾げた。
実際、ベリーローゼン自身も当人から言われるまで忘れていたのだが、誠の権能『監視投影』は契約者の視界を誠が監視できるだけでなく、誠の視界を契約者に共有することもできる。
つまりは、匡欐と視線を交わす直前で、ベリーローゼンに誠の視界を共有し、彼女の権能から逃れたというわけだった。
「それより、怪我は……大丈夫?」
ベリーローゼンは木から降りているツタで匡欐の身体をその幹へ縛り付けながら言う。
すでにホークニオの身体からは、貫通したような傷は消えていた。
「ああ、治癒魔法でなんとか。だがもうマナが底をついたみたいだ」
「えっ、アタシもこれ以上魔法は使えないわよ…!?この人たち、どうやってここから____」
すると、ベリーローゼンの視界に、よく知る人物の姿が飛び込んできた。
ぼさぼさの白髪に、青眼の少年___白銀 鷺だ。
「あ、アンタ!ちょうどいいところに!」
「ん……?!」
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「海夏ちゃん、戻ってこないけど大丈夫かな……」
氷は独り、木陰で息を殺して、海夏を待っていた。
何もない道でさえ躓いたりするような彼女のことだ。ひょっとすると、道中転んでしまって……と、その先を想像しそうになったところで、氷は頭を振って思考を止めた。
自分は、仲間を信じて待つこともできないのか……まあ、仲間と思ってくれているかは置いておいて。
自嘲気味に呟いた吐息は、風が木々を靡かせる音にかき消された。
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大輝とラプラスが叢匡と接触したのとほぼ同時刻。
島の南の海岸に上陸した海夏と氷は、木々の隙間から、ひっそりと立つ鳥居を発見した。
「じ、神社……?」
「あ、桜良ちゃんが言っていた神社じゃない!?ほら、灯籠にマナを灯すっていう……確か鬼の孤島にもあるって……」
「あ、じゃあ……冰谷さん、お願いしてもいい……?わ、私は……マナを貯められない体質だから……」
海夏に頼まれ、氷は鳥居のすぐ傍に立つ石造りの灯籠に近づく。
近くで見るとかなり年季が入っているようで、苔むした表面のあちこちが欠けていた。
彼女が雪のように白い右手を灯籠にかざし、魔力を込めようとした時だった。
「おい!何やってるんだっち!」
なんともまあ、威勢の良い声が響いた。
声の方を振り返ると、巫女装束のような着物を着た、黄緑色の短髪の娘が腰に両手を当てて立っていた。
その額には、小さな赤い角が生えている。
「あ、えっと……その……!」
海夏が弁明しようと口を開いたものの、すぐに言葉を詰まらせてしまった。
その頬は林檎のように赤く染まっている。
彼女は極度の人見知りなのだと、氷は再認識した。
ナイトネアで初めて会った時も、打ち解けるのにはかなりの時間がかかった。
持ち前の明るさで道行く誰とでも難なくコミュニケーションをとってきた彼女にとって、それは初めての体験だった。
一体どれほどの時間を共にしたら、紫苑のように海夏と親しくなれるのだろうか。
まともに言葉を吐けそうにない彼女の代わりに、氷は灯籠から手を離し、両手を少し挙げて釈明を試みた。
「そんなに警戒しないで。私たちは別に怪しい人じゃなくて__」
「あ!さてはお前ら……封印を奪いに来たんだな!?そうはさせないっち!!」
氷の説明を聞き終えないうちに、鬼の娘は両手を二人に向けた。
その行動が何を意味するのかは明白だった。
「に、逃げるよ!」
海夏に強く手を引かれ、神社の脇をすり抜けて走り出す。
そんな二人を追うように、背後から、二つの巨大な岩___正確には土の魔法弾が迫っていた。
通常、放たれた魔法弾は直線の軌道を変えることはなく、行く先に障害物があれば衝突する。
だが、この岩は木々の隙間を縫って、まるで意志を持っているかのように追跡してきた。
「はぁ、はぁ……いつまで追ってくるの!?」
「……食らえ!」
海夏は走りながら素早く振り返る。
その右手には、拳銃のような武器が握られていた。
そして、彼女が引き金を引くと、一発、黄緑色に輝く弾が放たれた。
続けてもう一発。正確無比に放たれた二発の弾丸は後方の岩に直撃し、粉砕した。
「一旦隠れよう」
海夏の指示に従い、二人は付近の密生した茂みに飛び込んだ。
先ほどまでの挙動不審な態度が嘘のように、海夏は落ち着いていた。
「それ……銃?」
「あ、うん。まあ……似たようなものかな。大気中のマナを集めて、魔法弾を撃つことができるの。私は自分で魔法が使えないから……その代わりに持ち歩いてるんだ」
自分の弱点を補おうと、彼女なりに考えた結果なのだろう。
氷は「へぇ……」と、感心したような返事をした。
「冰谷さんは、魔法ってどれくらい使えるの……?」
『どれくらい』というのは、使える魔法の練度なのか、多様さなのか、はたまた属性なのか、いくらでも答えはあったが、氷はとりあえず、最低限期待を裏切らないような答え方をすることにした。
「えーっと、氷の応用魔法がちょっと使えるくらいかな」
「それじゃあ……私が囮になってアイツを連れまわすから、タイミングを見計らって凍らせて」
「えっ……、海夏ちゃんは大丈夫なの……!?」
「大丈夫」
その視線は、彼女が普段人と話すときのように泳ぐことはなく、真っ直ぐに氷の瞳に向いていた。
海夏自身、体力に自信があるかと言えば、そういうわけではない。むしろインドアな人間なので凡人に比べても劣るといえよう。ここが荒野や草原であれば、間違いなくそんな判断はしなかった。
だが、遮蔽物の多い森とくれば話は別だ。
死角が多い分、比較的体力を温存でき、こちらが視認しずらいが故に魔法を乱射される可能性も低い。
「どこにいるんだっち!素直に出てきたら痛い思いはしないで済むかもしれないっちよ!」
二人が身を潜める茂みの前を、先ほどの鬼の娘が大きな足音を立てながら通りかかった。
氷は咄嗟に身を低くする。
「こっちだ!」
海夏は勢いよく茂みを飛び出し、鬼の娘を挑発すると、そのまま氷の潜む茂みとは真反対の方向へと駆けていった。その後ろを着物姿が追いかけていく。
氷はいつその瞬間が来てもいいように、右手に水色に輝く魔法陣を展開させた。
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地を駆ける二つの足音が聞こえてきた。
茂みから片目を覗かせると、揺れる金色のサイドテールが視界に入った。
海夏が、戻ってきたのだ。
氷は海夏が目の前を通り過ぎたのを確認すると、茂みから身を出し、後続する鬼に向かって詠唱した。
「『ブリザード』___っ!」
「うわっ……!?」
鬼の娘は意表を突かれ、成す術もなく足元から氷漬けにされてしまった。
下半身が氷の結晶に覆われたところで、氷は魔法陣を解いた。
「お前……逃げたんじゃなかったっちか!?」
「海夏ちゃんを置いて逃げるわけないでしょ……。っていうか人の話は最後まで聞いて」
「ふん!悪党の言い分など聞くに値しないっち!」
鬼の娘はなおも頑なに反抗的な姿勢を取り続ける。
だが、海夏の言葉でその様子は一変した。
「あの……わ、私たち、ファイナルレベルっていう組織のメンバーなんだけど……、」
「ふぁ、ファイナルレベル!?」
「う、うん……」
彼女が急に大きな声を出すので、海夏も驚いて肩を震わせてしまった。
鬼の娘は途端に青ざめ、念のためという風に確認をとってきた。
「あの、もしかして……神社に来たのは封印を奪うためではなく……?」
「封印を奪う……?」
海夏が質問し返すと、鬼の娘は勢いよく地面に正座し、何度も頭を擦り付けた。
いわゆる、土下座というやつだ。
「大変失礼したっち……!あたし、ファイナルレベル第四支部の『如月 魁千』あらため『小此鬼 礼』って言うっち!鬼ヶ島で『魂郷神社』の神主をしているっち……!」
「「……え?」」
彼女のあまりにも唐突な態度の変化と言動を前に、二人は思わず間抜けな声が出てしまった。
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「くっそ……面倒くせぇなぁ!さっさと姿見せろ!」
「し、紫苑さん……流石にクロア、もう体力が……!」
「それは紫苑もだって!」
北東部の海岸から乗り込んだクロアと紫苑は、島の一角を彷徨っていた。
二人が足を踏み入れた瞬間、待ち構えていたかのように辺りを闇が包んだ。
そして、二人は視界を奪われ、森の中に閉じ込められてしまった。
敵方は闇の中でも難なく二人を正確に狙い、魔法弾を撃ち込んできた。
幸い魔法陣が発光するおかげでどこから攻撃が飛んでくるのかは把握できたが、立ち並ぶ木々が障壁となる中で回避し続けるのは極度の集中が必要だった。加えて、闇が広がる前にはぐれまいと咄嗟に手をつないだことが機動力を奪うこととなり、余計に体力を削っていた。
当然、相手の魔法陣が居場所を教えてくれるため、魔法を放たれるタイミングに合わせてカウンターを狙ったりもしたが、一発も命中しなかった。
それは、地面に点々と発光する、無数の魔法陣のせいだった。
奴は転移魔法陣を幾つも設置しながら移動しており、回避と位置取りにおいて紫苑たちに比べて圧倒的に優位だった。
何か、攻撃の一手を投じなければ。
だが、転移魔法陣と闇を無効化し、攻撃を確実に命中させる方法などあるのだろうか。
「クロア、もっかい鮫になれないの?」
「いやぁ……『獄解』は魔力消費量がパナイんで……もう無理です。ちなみに魔法も打てません」
「きちーな……」
などと話している間にも、暗闇の中、攻撃は絶えず飛んでくる。
せめてクロアが戦力になればよかったのだが、上陸時に鮫に魔獣化したせいでマナが切れたようだ。
紫苑にも切り札があるにはあるのだが、魔核への負担が大きすぎるため、今後他の鬼と対峙し得ることを考えると、こんな序盤で切るわけにはいかない。
思考を巡らす中、ふとよぎった。そういえば、確かクロアの魔法属性は水だったか。
そして、自分は雷魔法が使える____閃きが走った。
ある。確実に、広範囲に攻撃を通す方法が。
「クロア!海岸まで逃げるよ!」
「えっ、ど、どうやってですか!?」
「任せとけって!」
紫苑はそう言うと、『レイブン!』と短く唱えた。
すると、どこからともなく烏が一匹飛んできて、紫苑の頭に止まった。
「紫苑たちを海岸まで案内して!」
烏はその言葉に応じるように翼を広げて飛び立ち、漆黒の闇の中を突っ切る。
二人は硬く手を繋いだままその影を追う。
闇もまた、彼女らを追うように海岸へと押し寄せて行った。




