第19話:シナジー
____月光に照らされた砂浜が、視界に飛び込んできた。
紫苑とクロアを先導していた烏は目的地へ到達したのを確認すると、一声高く鳴き、水平線の彼方へと飛び去って行った。
「さんきゅー、カラス!」
「ど、どうするつもりなんです……っ!?」
クロアは膝に手をつき、肩を大きく揺らしながら荒い息を吐きだす。
鮫の亜人だからか、島に上陸してから随分と疲れた様子で、海岸までの道もやっとの思いで足を前に出していた。
紫苑がその手を離せば、そのままに倒れてしまいそうであった。
「水魔法なら海水を操れるでしょ!?闇に向かって大量の水を流すの!」
「なるほど……?」
クロアはまだ紫苑の考えを完全には理解しきれていないようだった。
森で彼女たちを覆い、今もなお背後から侵食してくる暗雲の正体は、闇魔法『シャドウ』____詠唱者を中心に闇を生じる基礎魔法であり、紫苑も使うことができる魔法だった。
その闇が移動しているということは、その詠唱者もまたこちらを追って来ているはずなのだ。
わざわざ森で待ち伏せていたくらいだから慎重な相手だと踏んでいたが、本能のままに追跡してきたのは嬉しい誤算だった。
紫苑はクロアが入水したのを確認すると、闇が鼻先まで迫るギリギリまで待つ。
「今だ、クロア!」
「了解、ですっ!」
クロアは相槌を打って両手を深く沈めると、『ストリーム』と詠唱する。
それに呼応するように、彼女の両手首から同心円状に青い魔法陣が展開された。
彼女はまるで水そのものを掴むかのような仕草を見せ、目前に迫る闇に向かってそれを豪快に投げ飛ばすような動きをしてみせた。
その手の動きに従い、海水は大津波のように盛り上がり、激しい水音とともに勢いよく闇に雪崩れ込む。
「その面、拝ませてもらうぞっ!『エレクトロキュート』___!」
紫苑は凄まじい水流に向かって手を突き出して叫んだ。
放たれた紫に迸る電撃は海水を伝って、一瞬で闇全体へと網目のように伝線していく。
間もなくして、空間を震わせる放電音とともに、辺りを取り囲んでいた闇が消失した。
クロアの魔法によって島に新たに形成された河川の端には、黒いパーカーのような衣服に身を包んだ男が倒れていた。その額には二本の紫色の角が生えている。
「……はは、意外とイケメンじゃん」
紫苑は微笑みながら、『レジステア』と唱える。
すると、火花を散らす電撃の鎖が形成され、男の胴体に拘束が施された。
「さてと……この水、どうしよっか」
「うーん……これはこれでいいんじゃないですかね?島にも水があった方がいいでしょ!」
クロアは何も考えてなさそうに答えを返すと、大きなあくびを漏らした。
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島の北西部から乗り込んだ澪と雪吹は、黎明都市訪問後に消息を絶った同胞を捜索していた。
「憐、元気にしてるですかね……?」
「元気ではないだろうが……無事であることを祈るばかりだな」
島の北西部は木々が少なく、石材と木材で建てられた、鬼の住居群と思しき集落が広がっていた。
そんな家々が立ち並ぶ前を何度か通り過ぎたところで、開けた荒涼地に出た。
そこにポツンと、俯く一人の少女の後ろ姿が見えた。
頭から二本の白い角が生えているのを見れば、彼女が鬼であるのは明らかだった。
「あ、少しお尋ねしたいんですが!この島に狐族の子が連れてこられませんでしたか?」
「おい、何を馬鹿正直に聞いてんだ……!」
雪吹は足を止めると、ためらいもなく鬼の少女へと近づいて行った。
呆れた様子で澪もその後ろを着いていく。
長い白髪をなびかせた少女は静かに振り返り、顔を上げた。
「______連れ戻しに来たのかな」
赤い宝石のような瞳を持つ、整った顔立ちの娘だった。
それがどこから来る感情なのかまるで理解はできなかったが、彼女は、切ない表所で問い返してきた。
「そうです!」
雪吹が元気よく答えると、鬼の少女はより一層表情を曇らせた。
「_____それは、残念だな」
小さな呟きとともに、彼女は腰に携えていた鞘に手を滑らせ、刀を抜いた。
刀身が黒く、幾つもの細い、赤いストライプが入ったような刀だった。
さらに、空いた方の手を空中に掲げると、どこからともなくもう一振りの刀が現れ、彼女の左手に収まった。
こちらは刀身が血を塗りたくったみたいに真っ赤だった。
それを攻撃の意志と判断した雪吹と澪もまた、刀を抜く。
雪吹の刀は刀身が雪のような白。
一方、澪の刀は漆黒の刃に煌びやかな金色のグラデーションが施された、星空を思わせるようなデザインの逸品だ。
二人は一歩踏み出し、刀を構えると、
「『九火の狐、氷床の白狼』_____守白 雪吹」
「『九火の狐、三日月狩り』_____阜玄 澪」
誇り高く名乗りを上げた。
ゼハイン大和国に伝わる、決闘における作法であった。
己の名を告げることは、その魂を剣先に懸けるという誓いであり、たとえ命が尽きようと一切の悔いはないという覚悟を示す行為だった。
鬼の少女は二人の名を聞くと、小さな唇を開いた。
「『媛鬼』____『楚巍 百鬼』」
彼女の名乗りと共に、決戦の火蓋が切られた。
百鬼が赤い刀を二振りすると、まるで魔法陣から火の魔法弾が放たれるかのごとく、斬撃が放たれる。
雪吹と澪は地面を蹴って一息に距離を詰め、刃で斬撃を弾き飛ばす。
一足先に、澪の黒刀が百鬼の腕を捉え、白い二の腕を掠った。
間髪入れずに雪吹が追撃を仕掛けるが、百鬼はそれを交差した二刀で受け止めると、彼女を突き返す。
弾き飛ばされた雪吹は、空中で体勢を整え、綺麗に着地して即座に刀を構え直す。
自身の腕から滴り落ちる血を横目に、百鬼はおもむろに赤い刀を地に突き刺すと、空いた手に炎のように赤い魔法陣を展開した。
そこからピンクと、紫の丁度中間のような色味の炎が放たれ、彼女の足元に着弾した。
小さな火種はすぐさま等身大までに立ち上り、人型に形成される。その頭部に当たる部分には二本の角が生え、両手には刀を握っている。
「一対二は分が悪いと思ってな____これで対等だな」
百鬼は僅かに微笑むと、赤い刀を引き抜き、その柄を再び掌で包んだ。
「分身のほうは吹雪に任せてくださいですっ!」
澪は頷いて応えると、すぐに百鬼に向かって刃を振るった。
放たれた斬撃は、意思を持つかの如く回避した百鬼を追従する。
一方、雪吹は炎の分身へと切りかかる。
冷気を帯びた刀身が、その首を切り落とした。
しかし、体だけとなった分身が活動を停止することはなく、何事もなかったかのように雪吹の首目掛けて刀を振り下ろした。
紙一重で致命傷を避けた吹雪は、左頬に灼熱のような痛みを覚えた。流れる血が、それが切り傷であることを告げる。二本の刀を含め、分身自体は炎と同質のようだ。物理攻撃が効かないのも頷ける。
だが、だとすれば、普通の火と同様に、鎮火することが可能なのではないか。
閃いた雪吹は足元に二重の魔法陣を展開すると、
「魔陣開口_『粉吹雪』!」
詠唱と同時に、外側の魔法陣が地面一体に広がるように拡張した。
間もなくして、月明りを反射する結晶体が、嵐のように吹き荒れ始めた。
「おい、俺も居るのを忘れるなよ!」
澪が雪吹の居る魔法陣に駆け寄り、言い捨てる。
空間を埋め尽くす煌めく結晶の嵐は、分身のみならず百鬼の身体にも降り掛かり、彼女の肌を切り裂いていく。
その冷たい刃を肌で感じた百鬼は、結晶の正体に気づいたように顔を上げた。
「……氷の矢か。だが残念だったな。余の『鬼火』は、余以外に鎮めることはできないんだな」
そう言って、彼女は先ほどと同じ手順で、次々と鬼火の分身を生み出していく。
その数は、三、四、……と止まることを知らず、気づけば二桁を超える炎の兵が周囲を埋め尽くしていた。
分身の生産工程を敵ながら見守っていたのかと言われれば、消してそういうつもりではなかった。
可能であれば、すぐにでも阻止したかったのだが、『粉吹雪』の猛威のせいで、雪吹と澪は安全地帯である中心の小さな陣から動くことができず、澪の斬撃も、分身に阻まれてしまうのだった。自ら相手に時間を与える結果となってしまったのだ。
「対等に戦うんじゃなかったのか!?」
「対等ではあると思うけどな。……無数の氷の矢に対し、無数の炎の兵……目には目を、歯には歯を、数には数を、実に理に適っていると思わないかな?」
澪の指摘も空しく、どうやら百鬼にフェアプレーの精神はないようだった。
決闘の作法には応じても、和国人の武士道には応じないということだろうか。
「自分たちの首を絞めることになって申し訳ないです……」
雪吹は視線を百鬼に向けたまま言うと、魔法陣を閉じた。
「気にするな。お前の魔法のおかげでまだ勝機はある。こっちがくたばる前に百鬼を叩くぞ」
氷の矢の嵐を受けた百鬼の方が明らかに傷は多い。
向こうが先に尽きるか、二人が先に尽きるか。勝負は持久戦となった。
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「まだやるつもりなのかな……立っているのもやっとじゃないかな?」
「はぁ、はぁ……」
脚が鉛のように重い。
こんな感覚は久方ぶりだった。全身を大火傷したかのように、焼き尽くすかのような激痛と熱が全身を回駆け巡る。
血と汗に濡れた手で、澪は何とか刀を握りしめていた。
隣に立つ雪吹も呼吸を荒げ、今にも倒れそうな様子だ。
序盤は、二人が優勢であった。
だが、幾体もの分身に進路を阻まれる中、相手の太刀を何度か食らってしまったことで、異変が生じた。
分身の持つ黒刀の速度が徐々に上がっていったのだ。それは百鬼の持つ本体も同様であり、恐らくは、魔術的な仕掛けが刀にあったのだろう。
体力を削られる一方の二人がその速度上昇に対応できなくなるのは時間の問題で、瞬く間に優劣は大きく入れ替わった。
「澪……まだ魔力、残っていますですよね?」
「____!」
次で決める、と。できなければ、死だ、と。
雪吹が言わんとしていることは、容易に理解できた。
「……月が綺麗だな」
返事代わりにそんな気障な台詞を吐くと、澪は己の黒い刀身に指を触れ、空を見上げた。
丸い月が浮かんでいる。
これが例え最期に見る月だとしても、悪くはない。
だが、望ましくはない。どうせ最期に見るのなら、故郷の月がいい。
自分の死に場所くらいは、自分で選べるようでいたいものだ。
それに、ここで魂尽きれば、同胞の無事も確認できないではないか。
弱気になりかけた自分を奮い立たせると、澪は声を張り上げた。
「『上弦解放』!!」
それに呼応するように、雪吹は刀を低く構え、地面を蹴った。
澪もすぐさま刀を両手で握り、
「『下弦解放』」
雪吹の背について全速力で突撃した。
炎の分身たちが澪を阻まんと次々に刀を振り下ろすも、先導する雪吹によって次々に刃を両断され、百鬼と澪との距離は一瞬で縮まっていく。
百鬼は黒刀で吹雪を、赤刀で後続の澪を迎え撃つべく、鋭い目付きで標的を見定めた。
最悪、仕留めそこなっても問題ない。
受け止めさえすれば、刀が再生した分身たちが対処してくれるだろう。
そう、高を括っていた。
だから、百鬼は雪吹の予想外の行動に対応しきれなかった。
彼女は百鬼の剣閃が届くギリギリのところで踏みとどまると、その白い刀を鞘へ収めたのだ。
最高速度で振り下ろされた黒刀は肉ではなく空を裂き、百鬼は前方に体勢を大きく崩した。
さらに想定外だったのが、分身の刀の再生が間に合わなかったことだった。
雪吹が納刀した瞬間、折られた刀身の根元側から氷の結晶が吹き出し、再生を遅らせた。
鎮火しないとはいえ、鬼火の性質は普通の炎と同等である。氷があればその分、勢いも削がれてしまう。
度重なる想定外の連続に、百鬼は攻撃から転じ、防御を選択した。
そこへ、澪の黒刀が襲い掛かかる。赤と黒の刃が衝突し、金属音が響くはずだった。
百鬼の想定外は、まだ終わらなかった。
今まで受けたどの一撃よりも、それは重く、速かった。
赤い刀身はその勢いを殺すことはできず、両断された。
黒き剣閃は百鬼の左肩に食い込み、右腹部まで一直線に降ろされた。
噴き出た鮮血が夜空に舞い散る。
一瞬遅れて金属音がしたかと思えば、次の瞬間には彼女の肉体が、血で汚れた地面に倒れる音がした。
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「___どうして……殺さなかったのかな」
目を覚ますや否や、随分と物騒なことを聞くものだ。
「言っただろ。俺たちは同胞を連れ戻しに来ただけだって」
「それは聞いたけど……目を覚ました余が襲い掛かってくるかもしれない、とは思わなかったのかな」
「その時はその時ですよ。雪吹たちも出来ることなら争いを生むようなことはしたくないですしね」
雪吹の言葉を聞くと、百鬼は口を閉じ、ゆっくりと瞬きをした。
そして、これまたゆっくり、唇を開いた。
「___余も、本当は人間たちと仲良くしたいんだけどな」
彼女が見せた表情は、初めて二人と顔を合わせた時とよく似ていた。
その言葉が本心であるのは間違いがなかった。
黎明都市の神隠しも、何か理由あってのことなのだろう。澪は探りを入れることにした。
「……なんでお前たちは人攫いをしていたんだ?」
「命令されたんだ___『栬』にな」




