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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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第59章 消える側の事情

「私が、いなくなれば、いい」


レテは、そう言った。あんまり、あっさりと。


なぜ、あの子が、そこまで思いつめるのか。


その本当の事情を――監査官アルシヴが、相変わらずの平坦な声で、読み上げる。


「忘却部門・レーテの、記録を、読み上げます」


監査官アルシヴが、端末を開いた。


ところが、その画面は、ほとんど、まっしろだった。書いてあるはずの場所に、何もない。空欄が、ただ続いている。


「……ほぼ、全部、消えています」


「なぜですか」


明石コトハ(あかし・ことは)が聞く。


「本人が、消したからです」


アルシヴは、静かに言った。


「レーテ・ヴォイドは、宇宙の不要な記録を、消す存在でした。何億年も。何兆もの、いらない記録を、消し続けた」


そして、わずかに残った記録の、切れ端を読む。


「ある日、彼女は、消しすぎました。──自分の、記録まで」


コトハは、レテを見た。


レテは、ぼんやり聞いていた。まるで、隣の家の事件を、塀ごしに聞いているみたいな顔で。自分のことなのに。


「自分が何者かを消した、忘却部門。管理局は、彼女を、危険な逸脱個体として、廃棄処分にしました。記録から、抹消した。──つまり、最初から、いなかったことに、した」


「だから」


コトハの口から、勝手に言葉がこぼれた。


「だから、記録に載らない。だから、わたしにも読めなかった」


「そうです」


アルシヴは、うなずく。


「記録にない者は、誰にも追えない。管理局すら。だから、彼女は、ずっと地球で、見つからずに、いた」


レテは、自分の手のひらを、見ていた。何も書いていない手のひらを、答えでもそこにあるみたいに。


「……私、消す係だったんだ」


ぽつりと言った。


「で、自分まで、消しちゃった。おばかさん」


「忘川さん」


「いいんだよ、コトハ」


レテは、笑った。けれど、それは、いつものにこにこじゃなかった。風が吹いたら消えそうな、薄い、さびしい笑い方だった。


「私、たぶん、もともと、消える側の存在なんだ。記録する係の、コトハとは、逆。――消して、消して、最後に、自分も消える。それが、私の役目」


「ちがいます」


「ちがわないよ」


レテは、アルシヴのほうを見た。


「ねえ。私を、回収したら。みんなの記憶、戻る?」


アルシヴは、端末を確認した。


「……はい。逸脱個体を回収すれば。漏れ出した忘却は、止まります。消えた記録も、復元される、見込みです」


「私が、いなくなれば。みんな、元に、戻るんだ」


レテは、うなずいた。むしろ、ほっとしたような、すっきりした顔で。だからこそ、見ていられなかった。


「じゃあ、私、回収されるよ」


「忘川さん!」


叫んでいた。気づいたら。


「だって」


レテは、コトハを見た。涙をいっぱいためて、それでも、笑って。


「このままだと、私、みんなの大事なもの、ぜんぶ消しちゃう。コトハの大事なものも。メロンパンも、昼休みも、ぼんだのことも。――そんなの、いやだよ」


「……」


「私が、ひとり消えれば。みんなの大事なものは、残る。それが、いちばんいいでしょ?」


そう言って、レテは、アルシヴのほうへ、一歩、踏み出した。


「私、忘れるの、得意だから。自分が消えることも。きっと、すぐ忘れる。だから、こわくない」


その言葉が、コトハの胸の、いちばん柔らかいところを、ぐさりと刺した。


こわくない、とレテは言った。


でも――その足は、震えていた。本人が気づいていないところで、つま先が、小刻みに。嘘つき、とコトハは思った。こんなに、こわがっているくせに。


「待ってください」


コトハは、レテの腕を、つかんだ。離すものか、と思いながら。


「だめです。行かせません」


「コトハ」


「君が消えたら。みんなの記憶は、戻るかもしれません。でも」


声が、震えた。情けないくらい。


「君のいない、戻り方なんて。わたしは、いりません」


レテは、コトハを見た。


「でも、私がいると、みんな──」


「方法を、探します」


腕を、離さなかった。


「君も消えなくて。みんなの記憶も消えない。そんな方法を、わたしが探します」


「そんなの、ないよ」


「あります」


言い切った。根拠なんて、ひとつもなかった。それでも、言い切った。言い切らないと、この子が、指のあいだから、こぼれていく気がして。


「だって、わたしと君は、対です。記録と、忘却。表と、裏。──だったら、きっと、答えも、対になっています」


言いながら、コトハの頭の中で、ばらばらだった点が、線になりかけていた。


レテが暴走するのは、自分の記録がないから。支えになる、核がないから。だったら――。


「アルシヴ」


振り返る。


「ひとつ、聞かせてください」


「なんですか」


「レテが暴走しているのは。自分の記録を失って、よりどころが、なくなったから。──そうですね?」


アルシヴは、すこし考えた。


「……理論上は、そうです。忘却部門は、本来、自分の記録を、軸にして制御されます。その軸を失えば、無差別に消し始める」


「では」


コトハの目に、光がともった。


「彼女に、新しい軸を、与えれば。──止まりますか」


「新しい、軸」


「彼女のことを、誰かが、ぜんぶ覚えていれば。それが、軸の代わりに、なりませんか」


アルシヴは、しばらく黙った。それから、ゆっくりと、言葉を選ぶように言った。


「……理論上は。あり得ます。ただし、必要なのは、彼女の、消えた過去の、全記録では、ありません」


「ちがうのですか」


「彼女の、宇宙時代の過去は、本人すら、消しました。もう、誰にも、復元できない。それは、軸には、できません」


アルシヴは、端末を見た。


「軸になるのは。──出会ってから、二人が、いっしょに積み重ねた、記憶。そして、今の彼女を、形づくっている、感情の手触り。その二つで、足ります。彼女の、すべてを、知る必要は、ありません」


「二人で、積み重ねた、記憶」


「はい。レテと、いちばん多くの時間を、分かち合って。二人で過ごした日々を、ひとつ残らず、覚えている。──そういう存在が、要ります」


アルシヴは、コトハを見た。


「そんな相手は、彼女には、ひとり、しか、いません」


コトハは、うなずいた。


「はい」


胸に、手を当てる。心臓が、いやというほど、鳴っていた。


「アカシックレコード。──わたしです」


レテが、目を見開いた。


「コトハ……?」


「正直に、言います」


コトハは、まっすぐ、レテを見た。見栄も、はったりも、抜きで。


「わたしには、君の、宇宙の過去は、読めません。君の、心の、いちばん奥も、たぶん、ぜんぶは、わかりません」


「うん」


「でも」


声に、力がこもった。


「雨の昇降口で、出会ってから。君と、二人で過ごした、時間なら。ひとつ残らず、覚えています。傘を半分こした日も、メロンパンで泣いた日も、ぜんぶ。──それで、足ります」


そして、レテに、向き直って、言った。


「忘川さん。わたしが、君の、記録に、なります」


レテの、本当の事情が、明かされました。


消す係だった彼女が、消しすぎて、自分まで、消してしまった。


だから、記録に載らず、誰にも追えず、コトハにも読めなかった。


そして、レテは、みんなのために、自分から、消えようとします。


「私、忘れるの、得意だから」。


このセリフ、書いていて、いちばん、つらかったです。


でも、コトハは、止めました。


記録と、忘却は、対。


だったら、答えも、対のはず。


「わたしが、君の、記録に、なります」。


次回、忘却部門編の、クライマックスです。


学園は、ハチャメチャ。記憶も、ハチャメチャ。


記録する者と、忘れる者。二人の答えを、見届けてください。

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