第45章 忘れても歌えました
合唱コンクール、本番。
コトハが、記憶を。
レテが、声を。
二人で、一人の歌い手になる、はずだった。
でも、本番の舞台に、コトハは、立てない。
だって、二人は、別の学校なのだから。
合唱コンクールの本番は、市民ホールで、行われた。
ステージは、ひとつ。
客席は、両校の生徒で、埋まっていた。
先攻は、青蘭高校、二年三組。
明石コトハ(あかし・ことは)が、いちばん前の、列に立つ。
指揮ではなく、歌い手として。
でも、誰の目にも、彼女が、支柱だと、わかった。
前奏が、流れる。
そして、二年三組が、歌い出した。
音程が、そろっている。
入りが、そろっている。
息が、そろっている。
コトハの記憶が、クラス全体の、背骨になっていた。
白金歌音の、澄んだソプラノ。
不死川勇気の、まっすぐな声。
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)の、ステージ慣れした響き。
ばらばらだった声が、ひとつの、大きな声に、なっていく。
歌い終わったとき、客席から、大きな拍手が、起きた。
桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生も、満足そうに、うなずいていた。
完璧だった。
青蘭の勝ちは、もう、ほとんど、決まったようなものだった。
そして、後攻。
未明学園、二年。
ステージに、未明の生徒たちが、並ぶ。
その中に、忘川レテ(わすれがわ・れて)も、いた。
ガチガチに、緊張していた。
宵島カケル(よいじま・かける)が、レテの背中を、ぽん、と叩く。
「いけ、忘川。俺たちが、ついてる」
白河ナギ(しらかわ・なぎ)も、小声で言う。
「忘れても、いいから。声だけ、出して」
前奏が、流れた。
未明の合唱が、始まる。
案の定、ばらばらだった。
カケルの声が、でかすぎる。
入りが、てんでんばらばら。
予定を立てない学校の歌は、やっぱり、まとまらなかった。
それでも、必死に、歌っていた。
そして。
二番に入る、すこし前。
レテが、止まった。
歌詞が、出てこなくなった。
口を、開けたまま。
次の言葉が、ぜんぶ、こぼれて、消えていた。
レテの目が、客席を、さまよう。
ここに、コトハは、いない。
次の歌詞を、渡してくれる人が、いない。
レテの体が、固まった。
歌が、止まる。
未明の合唱が、レテのところで、ぽっかり、穴が、あいた。
「……ごめん」
レテの口が、声にならない声で、動いた。
「ごめん。わすれ、ちゃった」
その目に、涙が、ふくらんでいく。
ステージの上で、ひとり、置いていかれたみたいに。
レテは、立ち尽くしていた。
そのときだった。
未明の歌が、ぐずぐずと、崩れ始めた。
レテが、止まったことで。
ただでさえ、ばらばらだった合唱が、完全に、ほどけた。
カケルが、必死に、声を張る。
「歌え! まだ、終わってねえ!」
でも、もう、立て直せなかった。
未明の合唱は、最後まで、たどりつけずに、しぼんでいった。
レテは、ステージの上で、うつむいたまま、動けなかった。
幕が、降りる。
重い、沈黙が、ホールに、残った。
──
審査結果が、告げられた。
合唱の部、勝者は、青蘭高校、二年三組。
まとまりも、完成度も、青蘭が、上だった。
覚えること。ずれないこと。合わせること。
その全部で、コトハは、初めから終わりまで、強かった。
交流戦で、青蘭が、種目を取ったのは、これが、初めてだった。
でも、コトハは、舞台の袖を、見ていた。
そこで、レテが、ひとり、しゃがみこんでいた。
勝ったのに、ちっとも、すっきり、しない。
そのとき。
審査員席から、桜庭先生が、立ち上がった。
「審査は、終わりました」
マイクを取って、続ける。
「ここからは、点数には、なりません。──課題曲は、両校、同じ一曲です。せっかくですから」
そして、にっこり、笑った。
「最後に、一回だけ。みんなで、歌いませんか」
ざわ、と、ホールが、揺れた。
ルールには、ない提案だった。
でも、誰も、反対しなかった。
未明の引率、黒鳥先生が、のんびり、うなずく。
「まあ、なんとかなるでしょう」
「先生のそれ、初めて、役に立ちましたね」
ナギが、すかさず、つっこんだ。
両校の生徒が、ぞろぞろと、ステージに、上がっていく。
青蘭も、未明も、ごちゃまぜに、並んだ。
コトハは、まっすぐ、袖のレテのところへ、行った。
しゃがんだままの、レテの前に。
手を、差し出す。
「忘川さん」
レテが、顔を、上げる。
「……コトハ」
「歌いましょう。もう、点数は、関係ありません」
「でも、私、また、忘れる」
「忘れたら、渡します。となりに、います」
レテは、その手を、見た。
それから、ぎゅっと、握って、立ち上がった。
前奏が、流れる。
さっきと、同じ曲。
でも、今度は。
ステージの上に、両校、全員が、並んでいた。
コトハが、レテの、半歩、前に立つ。
歌が始まる、ほんの少し前に。
次の歌詞を、小さな声で、渡す。
「『風が』」
「……『風が』」
「『教室の窓を』」
「……『教室の窓を』」
忘れる前に、コトハが、渡す。
レテが、追って、歌う。
そのとなりで、カケルは、相変わらず、声を、張りすぎていた。
でも、今日は、誰も、それを、注意しなかった。
白金が。
不死川が。
ミーナが。
青蘭も、未明も、声を、重ねていく。
ホール全体が、ひとつの、歌になった。
レテは、泣きながら、歌っていた。
そして、最後の、ワンフレーズ。
コトハが、渡すより、先に。
レテの口から、自然に、こぼれ落ちた。
「『また、明日』」
それは、覚えていた言葉じゃ、なかった。
その場の、気持ちが、ちゃんと、声に、なっただけだった。
歌が、終わる。
ホールが、しん、として。
それから、割れんばかりの、拍手に、包まれた。
──
歌い終わったレテが、どん、と、コトハに、抱きついた。
「コトハ! 歌えた! 最後! ひとりで、歌えた!」
「はい。聞こえました」
「私、たぶん、この歌、明日には、忘れる」
レテは、コトハの胸で、ぐすぐす、言った。
「でも、うれしかった感じは、残る。ぜったい、残る」
コトハは、その頭に、そっと、手を、置いた。
「はい。忘れたら、また、渡します」
カケルが、肩を、すくめながら、来た。
「……完敗だわ」
「はい。勝ちました」
「歌じゃねえよ。お前らに、だよ」
カケルは、にっと、笑った。
「次の種目は、ぜってえ、勝つ」
「はい。受けて、立ちます」
──
その、帰り道。
レテは、まだ、さっきの歌を、口ずさんでいた。
もう、半分、まちがえていた。
「『風が』……『黒板を』……」
「窓です」
「『風が』……『廊下を』……」
「窓です。忘川さん」
「『風が』……えーと……」
「窓」
「……ねえ、コトハ」
「はい」
「これ、私が忘れるたびに、ずっと、横で、言ってくれるの?」
「はい」
「一生?」
コトハは、すこし、考えた。
それから、まじめな顔で、答えた。
「一生分の歌詞は、まだ、記録していません。これから、覚えます」
「うわ、重い」
凡田一が、後ろから、つっこんだ。
「お前ら、それ、ほぼ、プロポーズだぞ」
コトハが、きょとんとする。
「プロポーズ?」
「……いや、なんでもない。忘れろ」
「わたしは、忘れません」
「そこは、忘れろよ!」
レテが、げらげら、笑った。
「コトハ、まっか」
「赤く、ありません。記録上、平熱です」
「うそだ。耳まで、赤い」
「…………観測誤差です」
夕焼けの道を、三人は、並んで、歩いた。
レテの、まちがいだらけの歌が。
いつまでも、続いていた。
合唱編、これで、おしまいです。
今回は、勝負の向きを、反対にしました。
これまで天才だったレテが、初めて、苦戦する。
記録するだけだったコトハが、初めて、誰かの記憶を、預かる側になる。
そして、青蘭が、初めて、種目を、勝ちました。
でも、いちばん大事だったのは、勝敗じゃなくて。
忘れる子が、忘れたまま、最後まで、歌えたこと。
歌詞は、コトハが覚えていてくれました。
でも、最後のひとことだけは、レテ自身の、気持ちから、出てきました。
ここまで読んでくださって、本当に、ありがとうございます。
交流戦も、あと、すこし。
次は、未明学園が、リベンジを、しかけてきます。




