第44章 歌詞は覚えられません
レテは、歌いたい。
でも、歌詞が、覚えられない。
歌っても、歌っても、すぐに、こぼれていく。
そんなレテの、となりに。
明石コトハが、立った。
明石コトハ(あかし・ことは)は、忘川レテ(わすれがわ・れて)の、となりに立った。
体育館の、すみっこ。
未明学園の、練習場所。
「忘川さん」
レテは、うつむいたまま、顔を上げた。
「……コトハ」
「もう一度、歌ってみてください」
「無理だよ。すぐ、忘れる」
「忘れても、いいです」
コトハは、言った。
「忘れたところは、わたしが、覚えています」
レテが、まばたきを、した。
その言葉に、なぜか、聞き覚えが、あった。
どこで聞いたのかは、思い出せない。
でも、胸の、奥のほうが、ふわっと、あたたかくなった。
「……前にも、誰か、そんなこと、言ってくれた気がする」
「言いました」
コトハは、静かに、言った。
「わたしです」
レテは、きょとんとした。
それから、ふにゃ、と、すこし笑った。
「ずるいなあ、コトハは」
「歌います。いきますよ」
コトハは、レテの、半歩、前に立った。
そして、歌が始まる、ほんの少し前に。
次の歌詞を、小さな声で、レテに、渡した。
「『風が』」
「……『風が』」
レテが、続く。
「『教室の窓を』」
コトハが、先に。
「『教室の窓を』」
レテが、追って。
一行を、コトハが覚えていて。
その一行を、レテが、歌う。
忘れる前に。
コトハが、次を、渡す。
レテが、歌う。
まるで、二人で、一人の歌い手みたいだった。
コトハが、記憶を。
レテが、声を。
そうして、レテは。
生まれて初めて、一番を、最後まで、歌いきった。
歌い終わって。
レテは、ぽかんと、していた。
「……歌えた」
「はい」
「私、いま、最後まで、歌えた」
レテの目に、みるみる、涙が、たまった。
「歌えたよ、コトハ」
「はい。歌えました」
レテは、両手で、口を押さえて。
ぼろぼろ、泣いた。
うれしくて、泣いていた。
その様子を、すこし離れて、見ていた人たちが、いた。
白河ナギ(しらかわ・なぎ)が、目を、まるくしている。
「青蘭の、あの子……敵チームなのに、うちのレテに、歌、教えてる」
宵島カケル(よいじま・かける)も、めずらしく、静かだった。
「……あいつ、なんで、そんなことすんだ。負けるかもしれねえのに」
そこへ、凡田一が、来た。
カケルの、となりに立つ。
「あいつは、ああいうやつなんだよ」
「ああいうやつ?」
「勝ち負けより、先に、放っておけないんだ。昔から。──いや、昔は、ちがったか」
凡田は、すこし、考えた。
「昔は、なんでも、知ってるだけのやつだった。でも、今は、放っておけないやつに、なった」
カケルは、コトハとレテを、見た。
二人で、一つの歌を、つないでいる。
「……変なの。敵に、塩を、送ってやがる」
「うちの委員長も、たぶん、怒るぞ。これ」
凡田が、ちらっと、青蘭側を見ると。
白金歌音が、腕を組んで、立っていた。
「明石さん」
白金の声に、コトハが、振り返る。
「これ、相手チームですよ。教えたら、青蘭が、負けるかもしれません」
「はい」
コトハは、うなずいた。
「わかっています」
「わかっていて、やるんですか」
コトハは、レテのほうを、見た。
涙を、ぬぐいながら、まだ、すこし、笑っているレテを。
「忘川さんは、歌いたかったんです」
コトハは、言った。
「それを、知ってしまったので。放っておけませんでした」
白金は、しばらく、コトハを見ていた。
それから、ふう、と、息を吐いて。
腕を、ほどいた。
「……明石さんが、そう言うなら」
白金は、めずらしく、やわらかく、笑った。
「勝ち負けだけが、コンクールじゃ、ないですしね」
不死川勇気が、なぜか、拳を握って、走ってきた。
「俺も、教える! 声、でかくする方法なら、得意だ!」
「あなたは、黙っていてください。うるさくなります」
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)も、来た。
「あたしも! プロのステージ経験、生かして──」
「星宮さんは、たまに、兵器を出すので、危ないです」
「出さないよ!? 合唱で、出さないよ!?」
体育館が、わいわいと、にぎやかになる。
レテは、その真ん中で、まだ、ぐすぐす、していた。
でも、もう、うつむいては、いなかった。
「コトハ」
「はい」
「私、本番、歌えるかな」
コトハは、すこし、考えた。
正直に、答えた。
「わかりません」
「……」
「でも」
コトハは、レテの、となりに、また、半歩、前に立った。
「となりに、います。忘れたら、渡します。何回でも」
レテは、コトハを、見上げた。
そして、うなずいた。
「うん」
涙の跡の、残った顔で。
レテは、すこし、笑った。
「コトハがいれば、たぶん、歌える」
本番は、三日後だった。
第三十二章で、コトハは、レテに言いました。
「君が忘れても、わたしが覚えています」と。
あのときは、友達になるための、言葉でした。
今回は、それを、歌で、実行しています。
コトハが、記憶を。
レテが、声を。
二人で、一人の歌い手になる。
勝負の相手なのに、コトハは、レテに歌を教えました。
白金も、それを、止めませんでした。
次回、いよいよ、本番です。
レテは、忘れたまま、歌えるでしょうか。




