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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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第37章 思い出の味は再現できますか

未明学園との、交流戦。


第一種目は、料理対決。


コトハは、青蘭の代表。


レテは、未明の代表。


レシピを完璧に覚えている子と、レシピをすぐ忘れる子。


お題が、発表される。


それは、ちょっと、意地悪なお題だった。


料理対決のお題は、一週間前に発表された。


両校の代表が、調理室に集められて、封筒を渡された。


封筒の中の、カードには、こう書いてあった。


『忘れられない味』


明石コトハ(あかし・ことは)は、そのカードを、じっと見た。


「忘れられない、味」


隣で、忘川レテ(わすれがわ・れて)も、カードを覗き込んだ。


そして、首をかしげた。


「……私、ぜんぶ、忘れるけど」


凡田一ぼんだ・はじめが、思わず噴き出した。


「お題、最悪の相性だな」


「相性、悪いです」


コトハが、まじめにうなずく。


「忘れる人に、忘れられない味を作らせる。これは、ほとんど、いじわるです」


レテは、カードを、ぺらぺら、と裏返した。


裏には、何も書いていない。


「ねえ、これ、どういう意味?」


「自分にとって、忘れられないくらい、大切な味。それを、料理にする、ということだと思います」


「大切な、味」


レテは、空を見た。


調理室の天井を。


「……思い出せない」


ぽつ、と言った。


「私の、大切な味。なんだろう。思い出せない」


その声が、すこし、さびしそうだった。


コトハは、それを、横で聞いていた。


何か言いたかったけれど、うまく、言葉にならなかった。


──


その日から、特訓が始まった。


コトハの作戦は、はっきりしていた。


彼女には、全人類分の、料理のレシピがある。


百三十八億年分の、味のデータがある。


未来は読めなくなったけれど、レシピの記録だけは、まだ、頭の中にあった。


「わたしは、完璧に再現します」


コトハは、白金歌音しろがね・かのんに、宣言した。


「最高のレシピを、一グラムの狂いもなく、再現します」


「いいですね」


白金は、エプロンを締めながら、うなずいた。


委員長は、料理も得意だった。


「で、何を作るんですか?」


「メロンパンです」


コトハは、迷いなく、言った。


「わたしの、忘れられない味は、メロンパンです」


凡田は、ああ、と思った。


転校してきた、あの初日。


コトハが、生まれて初めて、泣いた味だ。


それは、たしかに、彼女の原点だった。


「いいじゃん」


「はい。レシピは、完璧に、頭にあります」


コトハは、自信たっぷりに、ボウルを取った。


小麦粉を、量る。


砂糖を、量る。


バターを、量る。


すべて、一グラムの狂いもなく。


「待て」


凡田が、口をはさんだ。


「いま、何回、量り直した」


「四回です。〇・〇一グラムまで、合わせました」


「メロンパンに、そんな精度、いらねえよ」


「宇宙のレシピは、有効数字が、多いんです」


「地球のパンは、だいたいで、ふくらむ」


「……だいたい」


コトハは、その言葉を、こわいものでも見るみたいに、繰り返した。


「だいたい、が、いちばん、むずかしいです」


そして、こねる。


こね始めて、五秒で。


生地が、手に、べったり、貼りついた。


「……取れません」


「は?」


「手から、生地が、取れません」


コトハは、両手を、生地まみれにして、固まっていた。


凡田は、頭を抱えた。


「お前、レシピは知ってるのに」


「はい」


「やったことは、ないのか」


「ありません」


コトハは、真顔で言った。


「知っていることと、できることは、違いました」


それは。


この物語の、いちばん最初の、テーマだった。


メロンパンの味を「知っている」ことと、「食べたことがある」ことは、違う。


そして今、コトハは、もうひとつ知った。


レシピを「知っている」ことと、料理が「できる」ことも、違う。


「……知ってるだけじゃ、だめなんだな」


凡田が、ぽつりと言うと、コトハは、生地まみれの手で、うなずいた。


「はい。とても、だめです」


白金が、笑いながら、手を貸した。


「大丈夫。手は、覚えていきますから。何回もやれば」


「何回も」


「はい。失敗しながら」


コトハは、その言葉を、噛みしめた。


失敗しながら、手が覚えていく。


それは、レシピには、書いていないことだった。


──


一方、調理室の、反対側。


レテの特訓は、まったく、ちがう様子だった。


彼女は、レシピを、見なかった。


メモも、取らなかった。


取っても、忘れるからだ。


ただ、目を閉じて、フライパンの前に立っていた。


「忘川さん、何を作るんですか?」


コトハが聞くと、レテは、目を閉じたまま、答えた。


「わかんない」


「わからない?」


「うん。でも、手が、なんか、覚えてる」


レテは、目を閉じたまま、卵を割った。


片手で。


危なげなく。


「私、レシピは忘れるけど」


ぱっ、と、フライパンに油をひく。


「おいしかった、っていう、感じだけ、残ってるの」


じゅう、と、いい音がした。


「だから、その、おいしかった感じを、たどって、手を動かす」


レテの手は、迷わなかった。


分量も、量らない。


時間も、計らない。


ただ、手が、覚えている、味のほうへ、動いていく。


コトハは、それを、じっと見ていた。


照合をかけても、レテのことは、読めない。


何を作っているのかも、わからない。


でも。


その手つきは、たしかに、何かを、覚えていた。


頭は忘れても、手が覚えている。


コトハには、ない感覚だった。


頭で覚えているのに、手が動かないコトハ。


頭は忘れたのに、手が動くレテ。


正反対だ、と、コトハは思った。


「忘川さん」


「ん?」


「君は、何を、作っているのですか」


レテは、フライパンの中を見た。


そこには、薄い、黄色の、何かが、焼けていた。


「わかんない」


レテは、それを、ひっくり返した。


「でも、たぶん、これ、私の、忘れられない味」


「覚えていないのに?」


「覚えてないけど」


レテは、にこっと笑った。


「手が、覚えてる。だから、これが、たぶん、そう」


コトハは、その焼けたものを、見た。


それが、何なのかは、わからなかった。


でも、調理室に、ふわっと、いい匂いが、広がっていた。


なんだか、懐かしいような、匂いだった。


コトハには、思い出せる過去なんて、ないはずなのに。


なぜか、胸が、すこし、あたたかくなった。


「忘川さん」


「ん?」


「わたし、勝てる気が、しません」


コトハは、正直に、言った。


レテは、きょとんとした。


それから、ふにゃ、と笑った。


「いいじゃん。勝ち負け、忘れるし」


「忘れないでください。一応、勝負です」


「えー」


調理室の窓の外で、夕日が、傾いていた。


特訓は、まだ、始まったばかりだった。


コトハの手には、まだ、生地が、貼りついたままだった。


お題は「忘れられない味」。


忘れる子に、いちばん意地悪なお題です。


コトハは、レシピを完璧に知っているのに、手が動かない。


レテは、レシピを忘れているのに、手が動く。


「知っていること」と「できること」は、違う。


これは、第一話からずっと続く、この物語のテーマです。


コトハは今、それを、自分の手で、思い知っています。


次回、いよいよ、料理対決の本番です。


厨房が、ちょっと、戦場になります。

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