第36章 ライバル校は予測できません
忘川レテは、未明学園の生徒だ。
青蘭高校の、宿命のライバル校。
そのことを、コトハたちは、しばらく忘れていた。
レテ自身も、忘れていた。
でも、思い出させる出来事が、やってくる。
朝のホームルームで、桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が、一枚のプリントを配った。
「来月、未明学園との、合同交流戦があります」
教室が、ざわついた。
凡田一は、プリントを見た。
『青蘭高校・未明学園 合同交流戦のお知らせ』
種目は、いくつかあった。
そのいちばん上に、こう書いてあった。
『第一種目・料理対決』
「料理対決?」
「はい」
桜庭先生は、うなずいた。
「両校から代表を出して、同じお題で、料理を作ります。審査員が、味を比べます」
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)が、机を叩く。
「燃える! あたし、出る!」
白金歌音が、冷静に言う。
「星宮さん、あなた、前にキッチンを爆発させかけましたよね」
「あれは、火力が足りなかったから!」
「足りなさすぎて爆発する人、いません」
凡田は、ため息をついた。
そして、ふと、思い出した。
未明学園。
その名前を、最近、どこかで。
「……あれ」
凡田は、後ろを振り返った。
いつもの、窓際のいちばん後ろ。
忘川レテ(わすれがわ・れて)が、頬杖をついて、寝ていた。
「忘川って」
凡田は、つぶやいた。
「未明学園の、生徒だよな」
明石コトハ(あかし・ことは)が、振り返った。
「はい」
「ってことは」
凡田の頭の中で、点と点が、つながっていく。
「交流戦って、青蘭 対 未明、だよな」
「はい」
「忘川は、未明、だよな」
「はい」
「じゃあ、あいつ……敵?」
教室が、しん、とした。
その音で、レテが、目を覚ました。
ふあ、とあくびをして、こっちを見る。
「ん? なに?」
コトハが、レテのところへ行った。
そして、プリントを見せた。
「忘川さん。来月、君の学校と、交流戦があります」
レテは、プリントを、ぼんやり見た。
「みめいがくえん」
自分の手のひらを見る。
そこに、にじんだ字で、『みめいがくえん2年』と書いてある。
「……あ。私、ここの生徒だ」
「忘れていましたか」
「うん、忘れてた」
レテは、ぱちぱち、とまばたきをした。
それから、プリントの、料理対決の文字を見た。
「料理対決」
「はい」
「私、出ようかな」
凡田が、思わず言う。
「お前、未明側で、だろ」
「うん。未明だから。コトハの、敵?」
レテは、首をかしげた。
「敵かあ」
その言葉を、何度か、口の中で転がす。
それから、にこっと笑った。
「楽しそう」
「楽しそうって言うな」
凡田は、頭を抱えた。
でも、コトハは、レテを、じっと見ていた。
不思議そうに。
「忘川さん」
「ん?」
「君は、料理を、作れるのですか。レシピを、覚えていられないのに」
レテは、ちょっと考えた。
空を見る癖。天井しかないので、天井を見た。
「レシピは、覚えてない」
「では、どうやって」
「でも、おいしかった、っていう、感じは、残ってる」
レテは、自分の手のひらを、ひらひら、と振ってみせた。
「だから、その、おいしかった感じを、たどって、作る。分量とかは、忘れたけど。なんとなく、これくらい、って、手が覚えてる」
コトハは、その言葉に、はっとした。
レシピを覚えている自分なら、完璧に、再現できる。
でも、レテは、レシピを忘れて、味の記憶だけで、作る。
記録で作る料理と。
手触りで作る料理。
どっちが、おいしいのだろう。
コトハには、わからなかった。
そして、わからない、ということに、コトハは、少しだけ、わくわくした。
「忘川さん」
コトハは、言った。
「わたしも、料理対決に、出ます」
教室が、どよめいた。
「青蘭の代表として。君と、勝負します」
レテは、コトハを見た。
それから、ふにゃ、と笑った。
「コトハと、勝負」
「はい」
「いいね、それ」
「わたしは、レシピを完璧に再現します。君は、味の記憶だけで作ります」
「うん」
「どっちが、おいしいか」
コトハの目が、いつもより、少しだけ、明るかった。
「わたしには、結果が、読めません」
その言葉を、コトハは、初めて、嬉しそうに言った。
「読めない勝負は、初めてです。だから、やりたいです」
凡田は、その横顔を見て、少し、驚いた。
全知だったころのコトハは、勝負の結果を、すべて知っていた。
だから、勝負を、楽しめなかった。
知っていることは、おもしろくない。
でも、いまのコトハは。
結果がわからないから、わくわくしている。
知らないから、楽しい。
それは、第二部に入って、コトハが、初めて手にした感覚だった。
「お前さ」
凡田は、コトハに言った。
「ちょっと、変わったな」
「そうですか」
「うん。前は、勝負とか、興味なさそうだった」
「だって」
コトハは、レテを見た。
レテは、また、頬杖をついて、半分、寝かけていた。
「結果が、わからないんです。生まれて、初めて」
コトハは、小さく、笑った。
「わからないことが、こんなに、たのしいなんて。知りませんでした」
そのとき、教室の後ろの扉が、すっと開いた。
桜庭先生が、廊下を見て、ほんの一瞬、表情を、固くした。
そこには、誰も、いなかった。
ただ、廊下の空気が、すこし、薄くなっていた。
桜庭先生は、小さく、つぶやいた。
「……忘却部門。やはり、来ていたのね」
その声は、誰にも、聞こえなかった。
先生は、何事もなかったように、扉を閉めた。
そして、教室を、見回した。
笑っている、生徒たち。
その真ん中で、記録する子と、忘れる子が、並んで座っている。
桜庭先生は、ほんの少しだけ、目を細めた。
それから、いつもの声で、言った。
「では、交流戦の代表を、決めましょう」
不死川勇気が、勢いよく手を挙げる。
「はい! 俺、なんでも出る!」
「あなたは、まず、料理ができますか」
「気合いで!」
「気合いで料理はできません」
教室が、わっと、笑った。
レテも、寝ぼけたまま、ふにゃ、と笑っていた。
コトハは、その笑い声の真ん中で、不明事項記録帳を、開いた。
そして、書いた。
「料理対決。勝敗、不明。」
少し考えて、足した。
「わからないから、たのしい。」
ペンを置いて、コトハは、窓の外を見た。
来月の交流戦の結果は、まだ、何も見えなかった。
知らない明日が、また、ひとつ、増えていた。
第31章から始まった、レテとの出会いの話は、ここで、ひと区切りです。
雨宿りで出会って、毎日忘れられて、教室に居着いて、力を見せて、初めて怒って。
そして、ライバルとして、向き合う。
全知を失ったコトハが、初めて「結果がわからない勝負」に、わくわくしています。
知っていることは、おもしろくない。
知らないから、たのしい。
これは、第二部のテーマそのものです。
次回からは、いよいよ、料理対決──「記録で作る料理」と「手触りで作る料理」の勝負が始まります。
そして、桜庭先生が口にした「忘却部門」という言葉。
レテの正体に、すこしずつ、近づいていきます。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。




