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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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第34章 黒板の文字は残りません

忘川レテは、忘れる子だ。


でも、忘れるのは、自分の頭の中だけじゃない。


ときどき、まわりのものまで、忘れさせる。


その日、最初に消えたのは、黒板の落書きだった。


事件は、数学の時間の前に起きた。


休み時間。


不死川勇気ふじかわ・ゆうきが、黒板に、でかでかと落書きをしていた。


『不死川、参上!』


字が、無駄に力強い。


「消せよ」


凡田一ぼんだ・はじめが言う。


「いやだね! これは、俺の生きた証だ!」


「次の時間、数学だぞ」


「数学なんかに、消させるか!」


そのとき。


忘川レテ(わすれがわ・れて)が、黒板を、ぼんやり見ていた。


眠そうな目で。


「うるさいなあ」


ぽつ、と言った。


そして、なんとなく、黒板に向かって、手をひらりと振った。


追い払うみたいに。


次の瞬間。


『不死川、参上!』の字が、形を、忘れた。


チョークの粉は、残っている。


でも、文字の並びだけが、ふっと、抜けて。


さらさらと、ただの白い粉になって、黒板の下の受けに、こぼれ落ちた。


黒板が、まっさらになった。


教室が、しん、とした。


不死川が、固まる。


「……俺の、生きた証が」


「消えました」


明石コトハ(あかし・ことは)が、静かに言った。


不死川は、くわっと、目を見開いた。


「もう一回、書く!」


チョークをつかんで、また書く。


『不死川、参上!!』


びっくりマークが、ひとつ、増えていた。


レテが、ぼんやり、それを見て、また手を振った。


すうっ。


消えた。


「もう一回!」


『不死川、参上!!!』


すうっ。


「もう一回ッ!」


『不死川、さ』


すうっ。


「書き終わる前に消すな!」


不死川が、半泣きで叫ぶ。


レテは、首をかしげた。


「書くから、消したくなるんだよ」


「じゃあ俺はどうすりゃいいんだ!」


「書かない」


「それは無理ッ!」


凡田は、黒板と、レテを、交互に見た。


そして、ようやく、聞いた。


「……お前、いま、何した」


レテは、自分の手を見ていた。


不思議そうに。


「えっと……消えろー、って思った」


「思っただけで消えるのか」


「うん。たまに、消える」


レテは、首をかしげた。


「字とか、線とか。なんか、書いてあるやつ。じっと見てると、消したくなって、消える」


コトハは、レテの手を、じっと見た。


照合は、相変わらず、空白を返す。


でも、いま起きたことは、わかった。


「彼女は、記録を消す力を持っています」


コトハは、みんなに言った。


「黒板の字も、記録のひとつです。だから、消えました」


白金歌音しろがね・かのんが、おそるおそる聞く。


「き、消えたものは、戻るんですか?」


「字は、書き直せます」


コトハは言った。


「でも、消されたもの自体は、戻りません。なかったことに、なります」


教室の空気が、すこし、ひやりとした。


そのとき。


レテが、ふあ、とあくびをした。


「でも、人は、消せないよ」


「え?」


「人は、消えない。安心して」


レテは、にこっと笑った。


「字とか、落書きとかは、消えるけど。人は、最後まで、消えないの」


「なぜですか」


コトハが聞くと、レテは、また空を見た。


「うーん」


しばらく考えて、レテは言った。


「消そうとすると、なんか、残っちゃうから」


「残る」


「うん。その人の、いい感じ、が。残っちゃう。だから、消しきれない」


コトハは、その言葉を、記録帳に書きとめようとした。


でも、書けなかった。


レテのことは、記録できない。


だから、頭の中だけに、しまった。


──消そうとすると、いい感じが、残ってしまう。


それは、すべてを覚えているコトハには、できないことだった。


そう思った瞬間、何かが、胸の奥で、ちいさく、動いた。


「……ずるいです」


思わず、口に出ていた。


レテが、きょとんとする。


「なにが?」


「いえ」


コトハは、首を振った。


「なんでもありません」


そこへ。


桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が、教室に入ってきた。


黒板を見て、ぴたりと止まる。


まっさらな黒板。


そして、その前に立つ、見慣れない制服の子。


桜庭先生の目が、すっと、細くなった。


「……忘川さん、でしたね」


「はい……だっけ?」


「あなた、いまの、見えていましたよ」


教室が、また、しん、とした。


桜庭先生は、かつて、魔法戦士だった。


教卓の亜空間に、いまも武器を隠している。


普通の人間には見えないものが、この人には、見える。


「記録を消す力。それは、宇宙情報管理局の──」


桜庭先生は、そこで、言葉を止めた。


少し、考えるように。


「いえ。今は、いいでしょう」


「先生?」


凡田が聞くと、桜庭先生は、軽く首を振った。


「なんでもありません。授業を始めます」


そして、チョークを取って、黒板に向かった。


数式を書く。


きれいな字で。


レテは、その字を、じっと見ていた。


消そうかな、という顔で。


コトハが、小さく、レテの袖を引いた。


「それは、消さないでください」


「なんで?」


「みんなが、覚えるための字です。消えると、困ります」


レテは、ちょっと、不満そうにした。


それから、ふにゃ、と笑った。


「わかった」


「ありがとうございます」


「コトハが言うなら、消さない」


その一言に、凡田は、ん、と引っかかった。


「お前、コトハの名前、覚えてんの?」


レテは、自分でも、はっとした顔をした。


「……あれ」


「昨日も、一昨日も、忘れてただろ」


「うん。忘れてた、はず」


レテは、コトハを見た。


それから、首をかしげた。


「でも、コトハだけ、なんか、消えないんだよね」


コトハの目が、わずかに、見開かれた。


「わたしの、名前が」


「うん。他のは、すぐ忘れるのに。コトハの名前だけ、残ってる」


レテは、不思議そうに、自分の頭を、こつ、と叩いた。


「なんでだろ」


凡田は、その様子を見て、なんとなく、わかった気がした。


たぶん、これも、あれだ。


楽しかった感じが、残るのと、同じやつだ。


レテにとって、コトハと過ごす時間は、よっぽど、いい感じなんだろう。


だから、名前まで、残ってしまう。


凡田は、それを、口には出さなかった。


なんとなく、二人のことだから。


コトハは、しばらく、レテを見ていた。


それから、ほんの少しだけ、口の端を上げた。


笑った、と言うには、小さすぎる動きだった。


でも、たしかに、笑っていた。


「忘川さん」


「ん?」


「わたしの名前を、覚えていてくれて、ありがとうございます」


レテは、ぱちぱち、とまばたきをした。


それから、照れたみたいに、目をそらした。


「……べつに」


ぼそっと、言った。


「覚えてようと、してるわけじゃ、ないし」


数学の授業は、ふつうに進んだ。


黒板の字は、その日は、最後まで、消えなかった。


レテの力は「記録を消す」こと。


黒板の字も、白線も、なんでも消せます。


でも、人だけは消せない。


消そうとすると、その人の「いい感じ」が残ってしまうから。


すべてを記録するコトハが持っていない「好き」を、ぜんぶ忘れるレテが、ちゃんと持っている。


このねじれが、二人の関係の、いちばんおもしろいところです。


そして、桜庭先生は、何かに気づいたようです。


次回。


レテが、初めて、本気で怒ります。

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