第33章 転校生は出席を取れません
問題が起きたのは、翌朝のホームルームだった。
桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が、出席簿を開いた。
「では、出席を取ります」
いつもの朝だった。
桜庭先生が、名前を読む。
生徒が、はい、と答える。
それだけのことだった。
ところが。
教室のいちばん後ろ、窓際の空いていた机に、忘川レテ(わすれがわ・れて)が座っていた。
ふつうに。
まるで、ずっとそこにいたみたいに。
凡田一が、最初に気づいた。
「……おい」
小声で、隣のコトハに言う。
「いつのまに座ってんだ、あいつ」
明石コトハ(あかし・ことは)は、振り返った。
レテは、机に頬杖をついて、半分眠っていた。
「わかりません」
「お前が気づかないのかよ」
「読めないので」
桜庭先生は、出席簿を読み進めていた。
そして、いちばん下まで来て、ペンを止めた。
「……以上、全員出席ですね」
凡田は、思わず手を挙げた。
「先生」
「何ですか、凡田くん」
「あの、後ろ」
凡田は、レテのほうを指した。
「あいつ、うちの生徒じゃ──」
言いかけて。
凡田は、止まった。
あれ。
あいつ、誰だっけ。
たしか、昨日、コトハが「友達」って言ってた子だ。
名前は。
名前は──。
出てこない。
「凡田くん?」
桜庭先生が、首をかしげる。
凡田は、レテを見た。
レテは、頬杖をついたまま、こっちを見ていた。
眠そうな目で。
その瞬間、凡田の頭から、すうっと、何かが抜けた。
「……いや」
凡田は、手を下ろした。
「なんでもないです」
桜庭先生は、出席簿を閉じた。
「では、ホームルームを始めます」
ホームルームが、ふつうに始まった。
凡田は、自分の机を、じっと見ていた。
おかしい。
たしかに、いま、何か言おうとした。
後ろの席の、誰かのことを。
でも、何を言おうとしたのか、思い出せない。
そっと、後ろを振り返る。
知らない制服の女の子が、寝ていた。
(……誰だ、あいつ)
そう思った瞬間、コトハが、凡田の机を、こつ、と指でつついた。
「忘川さんです」
「え?」
「忘川レテさん。昨日、紹介しました」
「……ああ」
言われて、急に、思い出した。
そうだ。忘川だ。
忘れていた。
完全に。
「なんで俺、忘れてたんだ」
「彼女が、忘れさせたからです」
コトハは、静かに言った。
「彼女のことを覚えようとすると、すこし、抜けていきます。記録に残らない人だから」
「……記録に残らない?」
「はい」
コトハは、レテのほうを見た。
「彼女は、どこにも記録されていません。出席簿にも、たぶん、名簿にも、載りません」
「だから、出席を取られなかったのか」
「取れないのです。いない人の名前は、読めませんから」
凡田は、ぞっとした。
それから、もう一度、レテを見た。
レテは、よだれを垂らしかけて、寝ていた。
ぜんぜん、こわくなかった。
むしろ、ちょっと、まぬけだった。
「……なあ」
凡田は、小声で聞いた。
「あいつ、ここにいて、いいのか」
「だめだと言える人が、いません」
「いないって」
「いてはいけない、と決めるには、まず、いることを記録しないといけません」
コトハは、少しだけ、笑った。
「でも、彼女は、記録できません。だから、いてはいけない、とも、決められないのです」
凡田は、頭を抱えた。
「ややこしすぎる」
「はい。とても、ややこしいです」
昼休みになった。
凡田は、思い切って、レテの席へ行った。
「おい」
レテは、目を覚ました。
ぼんやり、凡田を見上げる。
「……だれ?」
「凡田。昨日も会ってる」
「ふうん」
「お前、なんでうちの教室にいるんだ」
レテは、首をかしげた。
「えーと」
考えるとき、空を見る。
天井しかないので、天井を見ていた。
「忘れた」
「だろうな」
「でも」
レテは、教室を見回した。
ミーナが弁当を広げている。
白金がノートを整理している。
不死川勇気が、なぜか窓を全開にして、外に向かって叫んでいる。
「ここ、なんか、にぎやかで、いい感じ」
「いい感じ、で来るな」
「来ちゃうんだもん」
レテは、ふにゃ、と笑った。
「気づいたら、足が、ここに来てるの」
「足が」
「うん。なんでかは、忘れた。でも、来ると、楽しい感じがする。だから、来る」
凡田は、何か言い返そうとして、やめた。
理由は忘れているのに、楽しかった感じだけで、毎日ここに来てしまう。
それは、なんというか。
ちょっと、切ない話だった。
そのとき、白金歌音が、ノートを持ってやってきた。
「忘川さん、お弁当は?」
レテは、自分の鞄を見た。
「……持ってきたかな」
「覚えてない、ですか」
「覚えてない」
白金は、少し考えてから、自分のお弁当箱を、半分、差し出した。
「よかったら。卵焼き、多めに作っちゃって」
レテは、それを、じっと見た。
それから、受け取って、ひとくち食べた。
もぐもぐ、と、ゆっくり噛む。
そして、言った。
「……おいしい」
「よかった」
「これ、たぶん、忘れる」
「いいんですよ」
白金は、笑った。
「忘れても、いまおいしかったなら、それで」
レテは、しばらく、白金を見ていた。
それから、もう一口、卵焼きを食べた。
──そして、昼休みの平和は、ここまでだった。
きっかけは、やっぱり、不死川だった。
不死川勇気が、急に立ち上がった。
「そうだ! 忘川、学校案内してやる!」
「あんない?」
「ここがどういう学校か、体で覚えさせてやる!」
「体で?」
凡田一が止める間も、なかった。
不死川は、レテの手を取って、走り出した。
廊下へ。
「待て、走るな!」
凡田の声は、届かない。
不死川は、廊下を、全力で走った。
レテも、引っぱられて、走る。
意外と、楽しそうに。
「はやい! はやいよ!」
「これが、青蘭のスピードだ!」
問題は、ここからだった。
走りながら、レテが、廊下の壁を、ぼんやり見た。
そこには、掲示物が、ずらりと貼ってあった。
行事予定。保健だより。生徒会のポスター。
レテは、走りながら、なんとなく、手を振った。
追い払うみたいに。
「じゃまー」
すうっ。
掲示物の、文字と絵だけが、抜けた。
紙は、残っている。画びょうも、刺さったまま。
ただ、刷ってあったはずの中身が、ぜんぶ、まっさらな白紙に、なっていた。
ちょうど通りかかった白金歌音が、悲鳴をあげる。
「わたしが、徹夜で作った、文化祭の告知が──!」
「消えました」
追いかけてきたコトハが、言う。
「見ればわかります、それは!」
そこへ。
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)が、自分のライブ告知ポスターも消えたことに、気づいた。
ぴき、と、こめかみに、青すじが立つ。
「……あたしの、ライブ告知が」
「あ」
凡田は、まずい、と思った。
ミーナは、怒ると、ろくなことをしない。
「消えたのおおおおっ!?」
ミーナが、どこからか、バズーカ砲を取り出した。
「だから、なんで持ってんだよ!」
「うるさい! 撃つ!」
ミーナが、ぶっ放した。
不死川めがけて。
不死川は、走りながら、それを、ぎりぎりでよけた。
砲弾は、まっすぐ飛んで。
教室の壁を、ぶち抜いた。
どがしゃーん、と。
土ぼこりが、舞う。
「校舎があああ!」
凡田が、叫ぶ。
「だいじょうぶ! どうせ直る!」
「直らねえよ、ふつう!」
不死川は、勢いあまって、今度は、自分から壁に突っこんだ。
ずどん。
壁を、突き抜ける。
隣の、一年生の教室へ。
「ちわーっす!」
「出てけ!」
一年生に追い返されて、また、走る。
レテは、そのあいだも、引っぱられたまま、げらげら笑っていた。
「たのしー!」
「お前は、笑うな!」
廊下を、団子になって、走る。
不死川、レテ、それを追うミーナ、さらに追う凡田とコトハ。
曲がり角で、用務員の鬼塚源蔵と、ぶつかりそうになる。
鬼塚は、ひょい、と、植木鉢を持ち上げて、よけた。
長年の、勘だった。
「廊下は、走るんじゃねえ」
低い声で、それだけ言う。
団子は、「すいませーん!」と叫びながら、横をすり抜けていった。
鬼塚は、ふう、と息を吐いて、割れた窓ガラスを見た。
「……また、直すか」
そう言って、なぜか、ちょっとだけ、嬉しそうだった。
騒ぎは、校庭まで、続いた。
ミーナの二発目が、不死川を、かすめて。
不死川が、また、壁を、突き抜けて。
最後は、団子のまま、昇降口のガラス戸を、ぜんぶ吹き飛ばして。
全員そろって、校庭に、転がり出た。
土ぼこりが、もうもうと、舞う。
そして、煙が晴れると。
全員、無傷だった。
服が、粉まみれな、だけ。
不死川が、けらけら笑いながら、立ち上がる。
「な? いい学校だろ!」
レテが、しりもちをついたまま、ぱちぱち、と手を叩いた。
「すごい。こわれた」
「こわしたんだよ! お前らが!」
凡田が、頭を抱えて、叫ぶ。
ミーナは、バズーカを、どこかへしまいながら、すっきりした顔をしていた。
「あー、すっきりした」
「すっきりするな! 弁償だぞ!」
白金は、消えた告知を思い出して、がっくり、肩を落としていた。
「……また、徹夜だわ」
そのとき。
校舎の窓から、桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が、顔を出した。
にっこり、笑っている。
笑っているのに、こわい。
「みなさーん。放課後、全員、残ってくださいねー」
走り回った全員が、いっせいに、ひっ、と固まった。
レテだけ、きょとんと、していた。
「なに、いまの」
「お前の、せいでも、あるんだよ!」
凡田が、つっこんだ。
騒ぎが収まったころには、昼休み終了のチャイムが、鳴っていた。
コトハは、ぼこぼこになった廊下と教室を、ぐるりと見渡した。
壁に、穴が空いている。
掲示物が、消えている。
それなのに、誰も、けがをしていない。
青蘭高校では、これが、日常だった。
不明事項記録帳を開く。
「忘川レテ。本日も来校。理由、本人不明。」
そう書いて、少し考えてから、足した。
「いてはいけない、と誰も言えない。だから、いる。」
ペンを止めて、コトハは、つぶやいた。
「記録に残らないから、どこにでも、いられる」
それは。
すべてを記録されすぎて、宇宙に帰されかけた、自分の。
ちょうど、裏返しだった。
レテが教室に居着く理由、それは「記録に残らないから」です。
いない人は、出席も取れないし、追い出すこともできない。
だから、なんとなく、いる。
そして、いるのが当たり前になっていく。
記録されすぎて帰されかけたコトハと、記録されないからどこにでもいられるレテ。
同じ「記録」というテーマの、正反対の姿です。
……そして、後半は、ただのドタバタになりました。
壁を突き抜けても、誰も大けがをしない。青蘭高校は、そういう学校です。
次回、レテのその力を、今度は桜庭先生が見咎めます。
黒板の字が、消えます。そして、彼女の正体に、すこしだけ近づきます。




