第20章 いつもの放課後へ帰ります
騎馬戦本番。
空の観測窓が光り、古い宇宙記録は青蘭高校の体育祭を戦争として照合しようとした。
けれど、コトハは書いた。
『青蘭高校体育祭』
『同一ではありません』
『現地体験者として訂正します』
記録は、初めて迷った。
そして笛が鳴った。
白い光が校庭を包んだ。
凡田一は、騎馬の土台の真ん中で目を閉じた。
一瞬、足の裏から砂の感触が消える。
歓声も、笛の音も、遠くなる。
代わりに聞こえたのは、古い記録の声だった。
『照合矛盾』
『第七外縁戦役』
『青蘭高校体育祭』
『同一性、判定不能』
「判定不能じゃない」
凡田は目を開けた。
校庭は、まだ校庭だった。
不死川勇気は騎馬の上で鉢巻きを握っている。
相手の生徒も鉢巻きを握っている。
どちらが先に取ったのか、誰にもわからない。
空は白く光っている。
なのに、不死川は笑っていた。
「先生! 今の同時!?」
桜庭レイコ先生の笛がもう一度鳴る。
「危ないので、いったん停止!」
その声は、宇宙記録よりずっと強かった。
『停止命令を確認』
凡田は空へ向かって叫んだ。
「先生の笛に従うな! いや、従え! でも記録するな!」
明石コトハ(あかし・ことは)は校庭の端に立っていた。
不明事項記録帳は、まだ光っている。
『訂正権限、再照会』
コトハはページを押さえた。
「訂正権限は、ありません」
凡田は思わず振り向いた。
「おい」
コトハは続ける。
「でも、訂正理由はあります」
記録帳の光が揺れる。
「私は、ここで見ました」
赤組の生徒が息を切らしている。
白組の生徒が砂を払っている。
不死川がまだ勝った気でいる。
ミーナがマイクを握りしめている。
白金歌音が得点板の前で、判定を待っている。
桜庭先生が、全員の安全を確認している。
凡田が土台で、膝を笑わせながら立っている。
コトハは言った。
「ここには、敵がいません」
『敵対陣営を確認』
「赤組と白組です」
『敵対陣営では』
「明日、同じ教室に来ます」
記録帳の文字が止まった。
凡田は息を吸った。
「そうだよ」
空に向かって言う。
「体育祭は、勝っても負けても、明日同じ学校に来るんだよ」
『勝敗後の共存』
「それが普通だ」
『普通』
「また難しい単語を拾ったな」
コトハが一歩、校庭へ踏み出した。
「普通は、合理性だけでは成立しない集団行動です」
凡田は小さく笑った。
「第16章の復習だ」
「章とは何ですか」
「こっちの話」
白金が前に出た。
「判定をお願いします。競技としては、同時に見えました」
桜庭先生はうなずいた。
「同時判定。両者引き分けです」
不死川が叫んだ。
「引き分けって勝ちか!?」
「勝ちではない」
「負けでもない!?」
「そうです」
不死川は拳を上げた。
「じゃあすごい!」
「単純で助かる」
ミーナのマイクから声が響く。
「赤も白も、同じ校門から帰るよー」
応援席から笑いが起きた。
その笑い声が、空へ上がる。
『勝敗後共存』
『敵対不成立』
『照合中止』
校庭の光が、少しずつ薄くなった。
観測窓が閉じていく。
最後に、小さな文字が一つだけ浮かぶ。
『青蘭高校体育祭:独立記録として保存』
コトハは、それを見つめた。
「独立記録」
凡田は土台から崩れるように座り込んだ。
「やっと体育祭として保存された」
「はい」
「もう宇宙戦争じゃないな」
「はい」
コトハは不明事項記録帳を閉じた。
その瞬間、黒板も、購買の札も、応援旗の星図も、校庭の砂の光も消えた。
ただの体育祭の午後が戻ってきた。
閉会式。
校長先生の話は、いつも通り少し長かった。
誰も宇宙に登録されない。
黒板も反論しない。
購買の列も銀河標準時にならない。
凡田はそれだけで、かなりありがたかった。
体育祭が終わると、校庭には後片づけの時間が来た。
テントを畳む。
椅子を運ぶ。
得点板をしまう。
不死川は椅子を五脚まとめて持とうとして、白金に止められた。
ミーナは応援マイクを返しながら、まだ小さく歌っている。
桜庭先生は、何事もなかったように生徒の忘れ物を集めている。
凡田はコトハと一緒に、校庭の端の白線を消していた。
「凡田くん」
「何」
「白線は、消してよい記録ですか」
「明日には邪魔だからな」
「消える記録」
「体育祭の線は、だいたいそういうものだ」
コトハは少しだけしゃがみ、砂に残った線を指でなぞった。
「消えても、今日あったことはなくなりません」
凡田はスコップを持ったまま言った。
「そうだな」
「記録に残らなくても」
「うん」
「覚えている人がいます」
凡田はコトハを見た。
「それ、かなり人間っぽい」
「はい」
コトハは少しだけ笑った。
「現地体験者です」
放課後。
片づけが終わる頃には、空は夕方の色になっていた。
凡田とコトハは、校門へ向かって歩いていた。
校庭は静かだ。
さっきまで全宇宙に見られかけていた場所とは思えない。
「寄り道するか」
凡田が言うと、コトハが顔を上げた。
「購買は閉まっています」
「コンビニ」
「銀河標準時ではなく?」
「日本時間で」
「はい」
二人は校門を出た。
いつもの道。
いつもの夕方。
少し疲れた足。
コトハは言った。
「戻ってきました」
凡田は歩きながら答える。
「どこに」
「いつもの放課後へ」
凡田は少し笑った。
「最初からここにいただろ」
「いいえ」
コトハは首を横に振る。
「戻ってきたから、わかります」
いつもの放課後は、前より少しだけ静かで。
前より少しだけ、甘いものが食べたくなる時間だった。
読んでくださってありがとうございます。
体育祭と宇宙記録の誤接続は、いったんここで収束です。
戻ってきたのは、何も起きていない日常ではなく、少しだけ大切さが増した放課後でした。




