第3話 ゴブリン襲撃
城の外に出た瞬間、空気が変わっていた。
さっきまでの整然とした広間とは違う。ざらついた、現実の匂い。
遠くで怒号が飛ぶ。兵士たちが慌ただしく走り回り、門の方へと集まっていく。
「急げ! 防衛線を維持しろ!」
「数が多いぞ、押し込まれるな!」
壁上からは弓兵が矢を放っている。だが、完全には抑えきれていない。
(思ったより、本気でヤバいやつだな)
泰玄は軽く周囲を見渡した。
門の外。草地の先に、黒い塊のようなものがうごめいている。
ゴブリン。
小柄な体、歪な顔、鈍い光を宿した目。数は――ざっと見て数十。
「おい、勇者候補はこっちだ!」
兵士に呼ばれ、先ほどの召喚組が集められる。
顔ぶれは緊張していた。さっきまでの余裕は消えている。
「ここで実戦だ。前に出ろ!」
半ば強引に押し出される形で、前線へ。
地面を踏みしめた瞬間、空気がさらに重くなる。
距離が縮まる。
ゴブリンの叫び声が、はっきりと耳に届く。
「ギィィッ!」
一体が飛び出してきた。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
剣を構える者、呪文を唱え始める者。だが、その動きはどこか硬い。
――遅い。
(ああ、そうか)
泰玄は一歩だけ前に出た。
(この距離、この速度、この軌道)
視界に入るすべてが、妙に整理されて見える。
ゴブリンの振り下ろし。力の入り方。重心の流れ。
(避けなくてもいいな)
体が自然に動く。
ほんのわずかに軸をずらすだけで、棍棒は空を切る。
そのまま手を伸ばし、首元を掴む。
軽い。
想像していたより、ずっと。
(こんなもんか)
そのまま、力を込める。
――鈍い音。
ゴブリンの体が崩れ落ちた。
一瞬、静寂が落ちる。
「……は?」
誰かの間抜けな声。
だが、すぐに別の個体が突っ込んでくる。
二体、三体。
数で押すつもりらしい。
(まあ、そうなるよな)
泰玄は足を一歩引いた。
次の瞬間、踏み込む。
最短距離で間合いを詰める。
視界の端で、動きの遅い個体を優先的に選ぶ。
手刀。蹴り。肘。
技と呼ぶほどでもない動作が、正確に急所へ入る。
一撃。
また一撃。
倒れる。
崩れる。
動かなくなる。
流れが止まらない。
(考えるまでもないな)
気づけば、周囲のゴブリンは後退していた。
威嚇の声が、わずかに震えている。
人間を恐れているのではない。
理解できないものに対する反応だ。
背後で、ようやく仲間たちが動き出す。
「な、何だ今の……?」
「魔法、使ってないよな?」
「いや、でも……」
ざわめきが広がる。
泰玄は振り返らない。
視線はまだ前に向けたまま。
(まだ終わってない)
残りの個体が、距離を取って様子を見ている。
逃げるか、来るか。
判断を待っているようにも見える。
その時だった。
後方から声が飛ぶ。
「下がれ! 一度隊列を立て直す!」
兵士の指示。
弓兵の援護が再び強まる。
ゴブリンたちは散開し、そのまま森の方へと退いていった。
戦闘は、そこで一区切りとなった。
静寂が戻る。
だが、その静けさは、さっきまでとは違う。
「……お前。」
後ろから声をかけられる。
振り向くと、勇者候補の一人がこちらを見ていた。
顔には明確な困惑が浮かんでいる。
「今の、何やったんだ?」
「別に、普通に倒しただけだけど。」
泰玄は肩をすくめた。
「普通……?」
納得していない顔。
それも当然だろう。
周囲の視線が、一斉にこちらに集まっているのがわかる。
さっきまでの余り物を見る目ではない。
測り直そうとする視線。
(まあ、そうなるか)
泰玄は軽く息を吐いた。
自分でも、少しだけ違和感がある。
(なんで、こんなに簡単なんだ?)
強いという実感はない。
むしろ、基準がわからない。
ただ一つ確かなのは、
(さっきの分類とは、まったく関係ないな)
水晶の結果。無職判定。
それが、今の結果と噛み合っていない。
つまり――
(測れてないってことだろ)
視線の先で、兵士たちがゴブリンの死体を確認している。
その中で、何人かがこちらをちらちらと見ていた。
明らかに、警戒の色を帯びている。
(ああ、なるほど)
理解が一つ進む。
(役に立たない、じゃなくて)
(扱い方がわからない、か)
その時、ふと視線を感じた。
横を見る。
あの少女――さっき広間にいた、淡い髪の少女がこちらを見ていた。
視線が合う。
ほんの一瞬。
だが、その目にははっきりとした色があった。
驚きではない。
納得。
あるいは――確認。
(やっぱり、こいつも)
何かを理解している側。
そう確信した。
少女は軽く視線を外し、何事もなかったように後方へと下がる。
それ以上、関わってくる様子はない。
「……まあ、いいか。」
泰玄は小さく呟いた。
今はそれよりも、
(この世界の方が面白そうだ)
戦場の空気。動き。ルール。
すべてが、まだ把握しきれていない。
だが――
少なくとも一つ、はっきりしたことがある。
この世界は、思っていたより、単純ではない。
そして同時に、思っていたより――壊しやすい。
その予感だけが、静かに残った。




