新システムと予期せぬ出来事
社会人になって二度目の春。
私たちは変わらず開発部門で働いていた。今年の新入社員は私たちの部署に配属された人は居らず、残念ながら後輩はできなかった。
専務からの指示により、受付システムの開発は一旦休止して、顔識別によるセキュリティシステム作成に取り掛かった。
こちらは既存の顔認識システムを流用し、登録した人しか入室できないシステムなので、そこまで難易度は高くない。
入室可能人物のあらゆる角度の画像を登録し、その顔に表示された名前を入力するというもので、私の仕事は変わらない。ひたすら名前入力をするだけだ。むしろ、私以外のシステム構築するメンバーの方がたいへんそうだった。
「これできたら便利だよなー」
「わかる。正直カードをタッチするの手間だもんな」
「ぶっちゃけ入社ゲートも全部このシステムにしてほしい」
「それなー」
みんなでパソコンに向かいながら、メンバーで軽口を叩きあう。働き初めて一年と少しだけど、初期から考えると随分と仲良くなったと思う。良いことだよね。
まぁ私はどのタイミングで会話に加わるべきか読めないので、一切口を挟めないわけですが。なにぶん、男子の会話にどう乗っかれば良いのかわからないので……。思わず眉が下がってしまう。
「気持ちはわかるけど、全社員のあらゆる角度からの画像を登録する手間と、その全ての名前を入力する人間のこと考えてる?」
私の少し下がった眉をどう思ったのか、彼が呆れたように会話に割り込んだ。こんな気安い態度も、彼が随分とメンバーに馴染んだ証拠だと思う。
「やめろよ須藤、現実を突きつけるな!」
「そうだぞ、ちょっと夢を見るくらい許せ」
「少人数だからできるシステムなのもわかってるよ」
「全社員分のデータ登録なんて……考えたくもない!!」
「正直、今回の登録もかなり面倒だったのに」
「それに須藤嫁も、さすがにパンクするよな。無理なのはわかってるよ」
「……わかってるなら、良いんだ」
皆が青い顔をして全社員分のデータ登録作業なんて絶対に嫌だと首を振る様子を見て、彼は納得したように頷いた。本当に、仲良くなったなぁ。知らず、口元が緩んでしまう。
「私は、時間さえもらえたら、入力するの嫌じゃないよ」
さすがに短期間でやれと言われたら無理だが、常識的な納期が設けられるのであれば、取り組むのも吝かではない。と思ったままに発言すると、彼も含め全員がぎょっとしたようにこちらを振り向いた。
「おいおいおいおい正気か?」
「落ち着け、須藤嫁。生き急ぐのは止めろ」
「そうだぞ止めとけ……ついでに俺たちを巻き込むな」
あたふたと手をばたばたさせる皆は、本当に嫌そうだ。私は名前を入力するだけでも、皆はそれ以外の膨大な作業をしているから、たいへんなのかも知れない。
「ご、ごめんなさい。できなくもないなって思って、つい……」
「いや、謝ることない、全然」
「そうそう、俺たちの話にノッてくれたんだろ?」
「須藤嫁はジョークのセンスあるよ」
あはは、と、やや引き攣りながらも笑いで会話を締めくくってくれる皆は、本当に良い人たちだと思う。胸がじーんとした。
「とりあえず、今は依頼された作業に集中しようか」
パン! と一つ手を叩いた彼の一言により、それまでの空気がガラリと切り替わり、皆で作業に集中した。やっぱり私の旦那様、すごい。
皆で頑張った甲斐あって、盛夏を迎える頃にはセキュリティシステムが完成した。もともと機密部門に所属する少人数に絞って構築したシステムだから、入力するデータもそこまで多くなかったことが大きい。
完成した打ち上げは、もちろん、やらない。
その代わり、専務からは行列のできるパティスリーのお菓子が差し入れされた。良い上司である。
皆でお茶をしながらお菓子を食べて、ゆるっと過ごす時間も、見ようによっては打ち上げになるのでは? と思っている。
うちの部署メンバーは皆そこまでお酒が好きでもないし、こうしてお茶するのが丁度いいのだ。気楽だし。
上司とはほぼ顔を合わせることは無いが、こうして差し入れをしてくれたり、何かあれば責任者になってくれるし、提案して問題なければゴーサインを出してくれるし、もしかしなくても、理想の上司なのかも知れない。お義兄さん、ありがとう。
それは彼が専務に呼ばれて、席を外しているときのこと。
「すみません、認識システム開発室はこちらですか?」
部屋の外と繋がったインターホンが、来訪者を知らせた。画面には、なんとなく見覚えのある文字が写っている。
たしか、品質基準検査室の人。つい先日までセキュリティシステムに名前を入力し続けたから、ぼんやりとだが覚えていた。少し神経質そうな文字は、きっと細かい作業が得意そうな顔をしているんだろう。品質基準検査室なんて、天職では?
知らない顔ではないので、ピンときていない他のメンバーには目配せしてから、対応する。
「どうかしましたか?」
「実は、認証システムに認識してもらえなくて、部署に入室できず困っています」
インターホン越しに訴えを聞き、何を言われてるか一瞬わからず、戸惑う。こんなにもはっきりと名前が表示されていて、私たちの作ったシステムが認識しないことなんて、ありえるのだろうか?
私の戸惑いを察知したらしいメンバーが、小さな声で嘆息した。
「そりゃあ、そんなにデカデカと顔半分を覆うようにガーゼを貼ってたら、カメラの認証に差し障りが出るだろうよ」
私は一人でひっそりと息を呑んだ。なるほど、ガーゼで顔半分が覆われていて、認識できなかったのか。それならば納得できた。私にはガーゼがあってもなくても、そのままの名前が見えているから、理由に思い至らなかった。
「須藤嫁、おれが行こうか?」
「ありがとう、大丈夫」
インターホンの向こうへ聞こえないよう小さな声でやり取りしてから、インターホンに向き直る。
「すぐに対応しますので、そのままお待ち下さい」
インターホンを切ってから、社内用端末を掴んで立ち上がる。
「ちょっと行ってきますね」
「大丈夫か?」
メンバーが心配してくれる。私が知らない男性と離すのが苦手だというのを知ってるからこその気遣いだろう。優しい。
「平気ですよ。ちょっと入力して、すぐ帰ってきます」
「頼むぞ、須藤が戻るまでに帰ってきてくれ」
なぜか深刻な顔をして早く戻るよう念を押されてしまい、やや首を傾げつつも頷いて返す。私、そんなに頼りないんだろうか。
「お待たせしました」
ドアを開けると、インターホンの前で立っていた人は、私を見て目を見開いた。そんなに意外だという顔をされると、少し切ない。これでも、有名な研究室に居てそこそこ貢献した人物なんですけど。
「……いえ、お手間かけてすみません」
「とりあえず向こうでシステム修正しますね」
私が先導して、品質基準検査室へ向かう。システムに引っかかった人を先導させるのはさすがに、罰ゲーム感があるので。
「あの、本当にすみません。こんなことで手間を取らせてしまって」
「いえいえ。手間じゃないですよ」
「優しいんですね……」
いいえ、仕事です。って、はっきり言えたら良いんだけどな。なんか落ち込んでるっぽいこの人が可哀想で、なんとなく笑ってお茶を濁す。
あんまり会話されるのも億劫で、気持ち早歩きしたからそう時間もかからず品質基準検査室に到着した。入口に備え付けられたセキュリティシステムと社内用端末を同期して、エラー表示の出るシステムを書き換える。
さっき言われた通り、ガーゼで顔の約半分を覆われていて、認識できなかったようだ。なるほどな。まぁ機械も万能じゃないし、仕方ない。
カメラに写った顔を、入力したデータと結びつけ、エラーを書き換える。無事にエラーは解除され、入室できるようになった。
「これで大丈夫ですよ」
振り向くと、その人はじっと私を見ていたようだ。思ったより近くに立っていて驚く。私はなるべく目線が合わないよう、つるりとした輪郭を見ておく。
「本当にありがとうございます。お名前を教えてもらえますか? ぜひ何かお礼がしたい」
「いいえ、これが私の仕事ですから」
引き攣りそうなのを堪え、ほんの気持ち口端を上げて小さく笑みを作った。早く部署に戻ったほうが良い。そんな予感がする。
「お願いです、どうか名前だけでも」
はっきりしっかりした文字が、真剣な顔をしているだろうことを示していた。あまりここに留まるのは良くないと直感し、名乗るくらい良いかと思い直す。
「……須藤です。私は仕事をしただけなので、本当に、お気になさらず」
「須藤さん。本当にありがとうございました」
「いえ、それでは」
柔和な文字はきっと笑顔になっているんだろうけど、直視しないよう輪郭ばかり見ていたから、細かい部分はよくわからない。やっぱり、他のメンバーに頼めば良かったかも。
背中に纏わりつく視線を振り切るように、品質基準検査室を後にした。
私は来たときより早歩きで部署に戻り、ドアの前に彼の姿を見つけて、すごくほっとした。
「タカトさん……」
「あれ? どうしたの? 飲み物でも買いに行った?」
「ん……違うけど、そんな感じ」
一気に気が抜けて、ここが会社であることも忘れて彼の胸に頭をすりつける。あぁ、安心する匂い。好き。
「疲れたの? ちょっと休憩する?」
「……そうしようかな」
飲み物を買いに行ってたら休憩してたようなものなのに、こうして私を甘やかしてくれる。大好き。
彼に手を引かれて自分の席に座り、差し入れのお菓子を食べながら皆で休憩した。お菓子は美味しかった。
それからしばらくは大きな問題もなく、平和に過ごした。
セキュリティシステムも社内での試運転が終わり次第、販売に向けて調整する運びとなっていた。こちらの方がシステム自体は難しくないため、受付システムより早く販売できそうだと予想している。
それは部署メンバー全員で食堂へ行ったときのこと。
いい大人なので、コンビニへ行ったり、どこかのお店へ行ったり、私と彼はお弁当だったりと、普段はバラバラなんだけど、この日は本当にたまたま、皆が食堂へ行く流れになった。
他愛もない話をしながらランチしていたとき、なんとなく見覚えのある文字たちが視界の隅を横切った。ふと視線で追うと、品質基準検査室の人たちだった。
一人を除いて。
私は思わず立ち上がり、声をかけた。
「すみません、システムエラーの元となりますので、登録し直してもらえますか?」
品質基準検査室の人たちは、驚いた様子で立ち止まった。
「えっと。なんのことでしょうか?」
恐らく室長と思われる人物が答える。どうやら心当たりが無い様子だ。この人は、知らないのかも。
「……また、お怪我をされたんですか?」
私は先日システムを書き換える原因となった人物へ問いかけた。今日も顔半分を覆うガーゼで、大きく顔が隠れている。
「はい、そそっかしくて、恥ずかしい限りです」
周りの人が何の疑問も持ってない。つまり、この人とこの間の人は、よく似てる。しかも顔が大きく隠れている。判別するのは難しいのかも知れない。
だけど、その顔に浮かぶ文字は、全く違う名前だ。
「ご兄弟揃って同じ怪我なんて、たいへんですね」
周囲が息を呑む気配がする。空気がピンと張り詰めた。緊張感が走る。もう、皆も気づいただろうか?
「室長、彼にはご兄弟がいらっしゃるのでは?」
私を庇うように前に出た彼が、品質基準検査室の室長へ問いかける。
「そ、それを、どうして」
強張った文字が浮かぶ顔は、きっとぎょっとしているんだろう。気味悪がられてる。仕方ないか。
「彼女は、認識システムの要となる、識別のプロです。全てのシステムで、顔識別を担っています」
まさか顔に書いてある名前が読めます、なんて言えないので、彼がそれっぽいことをそれらしく言ってくれる。でも全システムで識別を担当してるのは本当なので、嘘は吐いてない。
「その様子だと双子ですか? 彼女の言った通り、システムエラーの元になりますから、いくらよく似てると言っても、そのまま通るのは辞めていただきたい」
彼の指摘に、ガーゼを貼った人がぶるぶる震えだした。悪いことをしてる自覚はあったんだ。
それを品質基準検査室の人たちが薄くて強張った文字を顔に浮かべて見ている。これば茫然としている顔。
「ど、どうして。なぜ違うと思ったんですか」
震えながらも硬い声が私に問いかける。案外冷静なのかも。
「見ればわかります」
私は見たままを答えた。ただそれだけ。
その後ガーゼの人は面談を受け、双子でセキュリティシステムを試そうとした、と供述したらしい。兄だか弟だか知らないが、いい歳した大人がセキュリティシステムで遊ぶな。
もちろん機密データ流出の恐れもあったため、事態は重く受け止められ、ガーゼの人は減給及び部署異動措置が取られた。こんなことで天職を手放すなんて、びっくりするくらい浅はかだとしか言えない。同情もできない。
ただ、今回のことでセキュリティシステムにおいての双子の識別機能を確認できたのは良かった。
念の為、双子の顔写真で通過できるか実験すると、あっさりと通過できた。思ったよりガバガバシステムで驚いてしまった。
仕方ないのでシステムを修正した。よく似た顔でも別人だというのは、人工知能には難しかったようだ。しかしあらゆる角度での顔データを入力して名前情報を入力すると、なんとか双子は別人として学習してくれた。
こうして学習してくれると、とても嬉しくなる。データ入力を頑張って良かったと思えるのだ。
「ユイちゃん、昇格だよ。これ辞令ね」
「え?」
「認識システム開発室室長代理補佐だって」
「えっ??」
「つまり、僕の補佐だよ」
「えぇ???」
他のメンバーは、と周りを見回すと、さっと顔を逸らされた。なぜ……。
「今回の件、どう考えても須藤嫁の手柄だよ」
「そうだぞ須藤嫁、遠慮するな」
「補佐なんてやりたくない」
絶対最後のが本音でしょ……この全力で肩書を避けていくスタイル、研究者あるあるすぎて頭を抱えてしまう。私も別に、いらないんだけどな。
「まぁ、環境が変わるわけでもないから、そんなに気にしないで。昇給したから、たぶん給料が上がってるはずだよ」
それは純粋に嬉しいかも。
「須藤さん」
受付でシステム修正した帰り道、聞き覚えのある声が私を呼ばう。振り返ると、いつかのガーゼの人が居た。
「なんですか?」
一人のときはなるべく会いたくなかった。なんとなく、後ずさってしまう。ここ、あんまり人通らないから、不安。
「先日は迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。これまでもよく入れ替わってたから、今回もバレないと思ったんですが。どうしてわかったんですか?」
声にはあまり感情が乗っていなくて、淡々としているけど、なんとなく、こわい。つるりとした輪郭を眺めつつ、視界に写る踊るような文字に、言いしれぬ恐怖が湧いてくる。楽しい? なんで? 何が面白いんだろう。
「双子を見分けられるなんて、そんなに見ていてくれたんですね……」
話す声が、うっとりとしたものになった。こわい。見分けてません。書いてあるのを読んだだけ。
「今度、食事でもどうですか。ぜひお礼させてください」
喉が引き攣って、声が出ない。とりあえず首を振っておく。いらない、お礼なんて必要ない。
「ほんの気持ちです。遠慮しないで」
じわじわ後退する私を追うように、じわじわ距離を詰めてくる。やめて。普通にこわい。
「きっと運命です。怖がらないで」
ガーゼの人が手を伸ばし、私が体を竦める。あと少しで腕を掴まれる……!
「怖がらせてる本人の言葉じゃないね」
私の体を、大きな体が横から攫う。ほっとして思わず抱きついた。
「誰ですか? 関係ない人はお呼びじゃありません」
「自己紹介か? 関係ないのは自分だろ」
「何を……!」
「僕は彼女の夫だ」
「は?」
「だから、夫だ」
「そんなわけ……」
今しかないと思い、彼の腕の中から左手を掲げる。
「ほ、本当です! 私は、彼の妻です!」
「須藤さん……?」
「だから、僕が須藤だって」
「私は彼と結婚して、須藤になったんです!」
彼の左手と揃えて掲げると、揃いの結婚指輪がキラリと光った。それを見たガーゼの人の顔に浮かぶ文字が、間延びしていく。きっと、とても驚いている。
「私はたくさんの顔を見てきました、だから人より識別するのが得意なのかも知れません。よく見なくても、見ればわかるからです。何も特別なことじゃありません」
震えそうになる声を、お腹に力を入れて堪える。つるりとした輪郭を見ていたけど、ぐっと視線を上げて、目があるだろう辺りを見る。
三秒が限界かも……と思っていたら、彼が私を抱き寄せて隠してくれた。
「何を期待したのか知らないけど、彼女にとって人を見分けるのは特別なことじゃない。仕事の一環だよ。わかったら用事も無いのに声をかけるのはやめたほうがいい。異動で済んで良かったな。まだ、職を失いたくはないだろう?」
「……っ、わかり、ました」
ガーゼの人が立ち去る気配を感じながら、彼に抱きしめられたままじっとしていた。
彼の匂い、体温。ほっとする……。
「ユイちゃんは、目を離すとすぐ変なやつに絡まれるね」
「ふ、不可抗力だよ……」
「可愛いから、仕方ないかぁ」
「うぅ……ごめんなさい」
実際に変な人に絡まれて、彼に助けてもらってるので、反論できない。
「タカトさん、いつも助けてくれてありがとう」
「当然だよ。ユイちゃんは僕のお嫁さんだからね」
どこか誇らしげに笑う彼は、優しく私を抱きしめてくれた。




