二人の新生活
大学を卒業後、二人暮らしがスタートした。
おじいちゃんの用意してくれたマンションは、私たちが仮押さえした物件よりも断然良い条件の、すごいものだったことは言うまでもない。
駅近、新築、駅からの帰り道にスーパーとドラッグストア、少し歩けば百均もある。ファミリータイプで広々とした部屋はたっぷりと日差しの入るリビングと、ミストサウナ付きの浴室乾燥完備、オートロックはもちろんのこと、宅配ボックスまで完備された、文句の付け所が無い物件だ。
おじいちゃん、絶対に余らせてたんじゃなくて、最初から私たちのために用意したよね……?
今にして思うと、物件探しではなく、私の好みを探るのが目的だったのでは……? と思い至る。仮押さえまでしたのに、完全に冷やかし案件じゃん。不動産屋さん、ごめんね。
マンションはおじいちゃんからだけど、家財道具なんかは、お義父さんやお義母さんからのプレゼントもあるらしい。恐縮です。
彼もそうだけど、一族揃って私への甘やかしがすごい。こんなに甘やかされて大丈夫なんだろうか。私は駄目人間になってしまいそうで不安だ。
彼に正直に訴えると、嬉しそうな笑顔で「みんなユイちゃんが大好きだからね」と言われてしまって、それ以上は口を噤むことしかできなかった。答えになってないけど、これ以上聞くのは藪蛇になる予感があった。
みんなからプレゼントを受け取ったけれど、お義兄さんからは断ったと話す彼のひんやりした笑顔に、これは本当に嫌なときの顔だな、なんてぼんやり思った。
「お義父さんやお義母さんは良くて、どうしてお義兄さんはだめなの?」
「……両親や爺さんは、まだ我慢できるけど。僕以外の男が選んだものを、ユイちゃんとの家に置きたくない」
そう言って珍しくムッとした顔でそっぽを向く彼に、場違いかもしれないがその横顔の線に見惚れてしまう。あぁ、かっこいい。
「ひゃ、ひゃい……」
私は嬉しいやら恥ずかしいやら、真っ赤な顔で何度もコクコクと頷いた。
横顔の線を、Eラインというらしい。彼のEラインはとても美しいと思う。いつまでも見つめていたいと思いながら眺めていると、ふっと口元を緩めた彼がこちらを向いた。あぁ、あの美しい凹凸が見られないのは残念。だけど、こちらを見る彼の顔も、すごく好き。全部好き。
二人暮らしに慣れた頃、四月に入り、私たちは揃って社会人になった。
入社式はスーツだったが、普段はオフィスカジュアルで良いと言われたので、私も彼も、研究室に居た頃とあまり変わらない服装で過ごしている。
考えてみれば開発部門は外部との接触は皆無だし、なんなら外部の人が入ってくるのは絶対NGだ。スーツで研究なんて肩が凝るし究極に無駄だから、理解ある会社で良かった。
同期はそれなりに居たように思うが、スーツとそうでない人が半分ずつくらいだった。外部との接点がある部署はスーツだというのはわかるが、思ってたよりスーツじゃない人が居て驚いたものだ。社会人イコール、スーツのイメージが強すぎた。
開発部門だからか、白衣を支給されたので私服の上に羽織って仕事をしている。それは研究室に居た頃と全く同じで、なんだか懐かしくなってしまった。
あの頃と変わったのは、大学時代よりきれいめの服装になったことと、私の髪が伸びたこと、あとは私たちが結婚したことだろうか。
入社式の後、歓迎会があったのだが、私たちの部署は新しく立ち上げられたものだから、実質顔合わせ会のようなものだった。
そこで私たちの名字が同じことについて気にした同僚たちが何故と疑問を投げかけたので、隠すことでもないかと正直に話した。
同じ大学の研究室から来たことも伝えると、すんなりと納得してもらえたのはたぶん、教授が有名人であるおかげかも知れない。
私たちは周囲から、二人揃っているときは須藤夫妻と呼ばれ、揃っていないときの彼は須藤、私は須藤嫁と呼ばれることとなった。
まぁ、須藤と呼びかけられて二人して反応してしまったことにより、ややこしいと周囲を困らせた結果であるから、大人しく受け入れた。少しだけ、気恥ずかしいけれど。
研究については日進月歩であるから、劇的な変化はほぼ訪れない。データ入力と修正、プログラム構築により少しずつ人工知能に学習させている。
所属する部署は五名ほどの少数精鋭チームで、私たち以外のメンバーも選りすぐりの人工知能研究者らしかった。私以外は皆男性で、こんなところもほぼ女性の居なかった研究室時代を思い出してしまい、やっぱり少し懐かしい気持ちになった。
新設部署だから全員が同期のような関係で、気楽で良かったと思ったのは私だけではなかったはず。
責任者は専務の名前が書いてあるものの、研究者だけであれこれ没頭できる環境なのも良かった。上下関係の軋轢を気にすることなく研究に打ち込めるというのは、本当に貴重な環境なんだそうだ。
そんなふうに、私たちの社会人生活はスムーズに滑り出した。
「お疲れ様ー!」
かんぱーい、と楽しそうな声と、カチンとグラスのぶつかる音があちこちで響く。
今日は忘年会。他を知らないから何とも言えないが、弊社、なんと部署の忘年会とは別に、会社全体の忘年会があった。
部署の忘年会は無しで良いよねと流れたものの、会社全体の忘年会を欠席する勇気は無かった。自由参加と言われても、初年度は参加するものだよね、たぶん……。新人は慣習とかわからないので、とりあえず参加しておいた。
早いもので働き初めて半年以上が経ち、暦は師走の半ばに入っていた。穏やかに、けれど充実した日々を過ごしながら、私は彼との生活にすっかり適応していた。
「須藤さん」
ガヤガヤとした中、女性の声が聞こえた。なんとなく聞いたことのある声だ。
私が振り向くのと同時に、隣で彼も振り向いていた。
「あ、ごめんなさい、ユイさんの方です」
「はい、なんでしょうか」
私はなんとなく自分だろうなって思ってたけど、彼はきっと半分くらい面白がってやっている。こっそりと肘で突いて、窘めておく。
こうして周囲が戸惑うほどに、私たちが結婚しているという事実が広まるので、嬉しいらしい。まぁ、気持ちはわかるんだけども、気恥ずかしいのは変わらない。
「先日は、助けてくれてありがとうございました」
そう言ってぺこりと頭を下げる彼女は、受付に配属された同期だ。さすが受付に配属されるだけあって、整った文字をしている。例えるなら、女子アナと同じくらいの整った文字。
この間、お昼休憩の帰りに通りかかった受付で、困っていた彼女を助けたことについてのお礼らしかった。
「いえいえ、お気になさらず。たいしたことじゃないです」
そう、本当にたいしたことじゃない。名乗らない相手の名前を言い当てただけ。
「まさか! すごいことです! 私、本当に困っていたので、とても助かりました」
両手を組み、まるで祈るように私を讃える様子は、ちょっと大袈裟だと思う。でも、それだけ困ってたってことかな……。
「お役に立てて何よりです。本当に気にしないでください」
「私、もっと頑張って、須藤さんのように相手の名前がすぐわかるように、勉強します!」
「あはは……」
それは無理じゃないかなぁ、とは、口が裂けても言えなかった。
何度も頭を下げながら去っていく彼女を見送り、座り直すと同期の男性陣に囲まれた。
「須藤嫁、白瀬さんと仲良いのか?」
「え、普通です。同期だけど、仲良いってほどでは……」
「でも今の様子は、白瀬さんかなり須藤嫁のこと慕ってる様子だったぞ?」
「それはたぶん、この間ちょっと仕事で手助けしたから」
「は? 前世でどんな善行積んだら白瀬さんを業務で助けられるの?」
「いや、普通にちょっと手助けしただけだよ」
「そのチャンスすら巡ってこないが?」
「うーん。タイミング?」
「あぁ無情!!!」
あちこちでガックリと肩を落とす同期たちを眺めて、彼女狙いの男性が多いことを知る。
どうやらさっきの彼女、白瀬さんは、同期男性陣の中で、かなり人気があるようだ。たしかに整った顔をしていたし、人柄も穏やかな感じだったし、人気があるのもわかる。華の受付嬢だし。
受付嬢が困る状況って、わりとあるっぽいんだよね。助けたときも、よくあることだって笑ってた。よくあるってヤバくない? それは怒っても許されるのでは?
やっぱり受付ロボット、あったら便利だろうなぁ。
困らせてやろうなんて輩は少数だろうけど、それでも意地悪されたら、受付の人だって困るし、傷つく。あとは滅多にないけど、同姓同名の人のアポイントを取り違えたりとかも、無くもないらしい。
なんとか、少しずつでも手助けできるシステムが用意できたら良いんだけど……。
「ユイちゃん」
あれこれと思案していると、右手が大きな手で包まれた。思考に沈んでいた意識が、急速に引っ張り上げられる。
「一人で悩まないでね」
大好きな色素の薄い瞳が、真っ直ぐに私を見ている。あぁ、彼には全部お見通しなんだろう。
「うん……。タカトさん、ありがとう」
私は本当に恵まれている。
それから、受付ロボットの作成を目指し、まずは顔認識とスケジュールシステムに絞って着手した。
特許を取ったシステムを利用し、受付のカメラに写った顔を見ながら、ひたすら表示された名前を入力した。これは私の役割。
顔認識の下地に、スケジュールシステムを結びつけ、カメラに写った顔からその人物を特定し、アポイントを提示するようなものを目指した。こっちは彼や他のメンバーに任せた。
これができるだけでも、かなり受付業務は楽になるはずだ。少しでも嫌な思いをする人を減らしたい一心で頑張った。
顔を見てひたすら名前入力するのは、たしかに手間ではあるんだけど、私にとっては見たままを入力するだけなので、そこまでたいへんだとは思わなかった。
実際に相手と対面する必要もなく、ただ画面に写る文字を転写するような……淡々とした作業だが、対面しないだけでかなり気が楽だ。
それに、だいたいの人は受付で名乗ってくれるし、読み仮名を確かめる手間も無かった。一種のタイピングゲームのようなものだ。仕事だが。
私がひたすら一人で名前入力する傍らで、彼や他のメンバーも、システム構築を頑張っていた。
単調作業しかできなくて申し訳ないと思って素直に伝えると、むしろ私の作業こそ、手伝えなくて申し訳ないと言われてしまった。どうやらシステムで一番肝心なのは、顔認識の方だったらしい。言われてみればそうか、と納得した。
彼や他のメンバーが差し入れをくれたり、適宜休憩を取るよう誘導してくれるので、そこまで辛い作業にはならなかった。
メンバー皆で和気藹々と目標に向かって作業するのは、学生時代のようで、だけど社会人でもこんなに楽しんで研究することができるのかと感動した。
全ては、彼が環境を整えてくれたおかげなんだけど。
……やっぱり私の旦那様、すごすぎる。
皆で頑張った甲斐あって、プロトタイプが完成した。早速、専務に相談してから受付に導入してもらう。
システムが完成した打ち上げは、もちろん、やらない。
まぁ毎日差し入れ食べたり飲んだりしながら作業して、適度に息抜きもしたり、打ち上げをやるほどの疲労は溜まっていなかった。
それに、全員が同性なり、半数ずつならまだしも、私は部署の紅一点で、なおかつ、彼と夫婦だ。私たち以外は皆未婚だから、見せつけてくれるなとのことだった。
申し訳ないやら、気恥ずかしいやら、私が小さくなる隣で、彼は嬉しそうに笑っていた。どうやら彼は、私と夫婦であることを指摘されることが、とても嬉しいようだ。少しで良いので、申し訳なさそうなスタンスだけでも見せてほしい。
そんな私と彼の対比を見て、やれやれと他のメンバーが溜息を吐くまでが一連の流れになっていて、これはこれで、仲良しなのかな? と思っている。
受付ロボットと言いつつ、まだカメラであるから、目標のロボット作成に向け、少しずつ準備することになった。
まずは見た目を決めるところから、ということで実際に置くことになる受付で、どんなロボットなら一緒に並んでも良いと思うかを聞いた。
結果として、邪魔にならないサイズが嬉しいと返答がきた。これは、受付ブースはそこまで広いわけではないから、ロボットを設置することで人間の座るスペースが狭くなると辛いとのことだった。
ゴリゴリに人型で作ろうとしていたので、やはり事前に聞いてよかったと、部署メンバー揃って胸を撫で下ろした。
邪魔にならないサイズについて追求すると、カウンターに乗るサイズがベストだと言われ、メンバー揃って竦み上がった。小さい、小さすぎる。それロボットか? と皆が心で思ったに違いない。
そこでメンバーで話し合い、最終的にタブレットの中に住む人口知能が受付ロボットという設定で対応するのはどうか? ということに落ち着いた。
もはや皆、小さいロボットのアイデアに疲れていた。もう設定に丸投げである。
だが、これならそこまで時間をかけずに完成するのではないか、という希望も見えた。
顔認識へのデータ入力とシステム構築と結びつけさえしてしまえば、あとはそれをタブレットにプログラムすれば完成する。まぁ、多少は人口知能の見目設定をする必要はあるが。
しかしこれなら販売も可能で、人型のロボットに比べると販売のハードルも低いし、販売後も保守契約を結んでデータ更新やメンテナンスをすることで、継続的に利益を出すことが可能である。
ということを専務に報告すると、何の躊躇いもなくゴーサインが出た。頼りになる上司である。
自分の考えたものが形になり、それが人を助けることは、とてもやりがいがある。
毎日忙しくないと言えば嘘になるが、だけども彼と、部署メンバーと一丸となって頑張るのは、とても楽しい。
「ユイちゃん、ご機嫌だね」
「うん! タカトさんと同じ目標に向かって頑張るの、すごくやりがいがあるし、とっても楽しい! ずっと一緒に居られるし、就活頑張って良かった!」
仕事終わりは二人で食事の支度をして、二人で食べる。キッチンに並んで料理をするのは、結婚したんだと実感できる、好きな時間だ。
結婚して一緒に暮らし始めて、早いもので一年が経つ。
最初の頃は緊張することもあったが、もうすっかり彼の存在に慣れたし、居ないと落ち着かなくなってしまった。
共同生活は相手の色んな面を見ることになるが、お互いに気になる部分は伝えるようにしたら、大きな喧嘩はしたことがない。
そりゃ、意見の食い違いのような、小さい喧嘩は無いこともない。でも、それを引きずらないように、絶対にその日中に仲直りした。
ずっと一緒に居る相手だからこそ、気まずくなるような要素は排除しておきたいから。
二人でお互いに怒りながらもごめんって言い合っていると、なんだかおかしくなって、怒りを継続することができなくなるのだ。
二人で料理して、二人で片付ける。掃除は分担を決めて、できないときは正直に謝る。買い出しは二人で、足りないものはジャンケンして勝った方が買いに行く。
基本的なルールは最初に決めたけど、これができなくても、責めないこともルールだ。不満に思ったらすぐその場で言うこと。我慢せずに溜め込まないこと。
喧嘩しても絶対に次の日に持ち越さないこと。
気づいたことがあればルールに加えるし、これは必要ないと思ったらさっさとルールから外した。
そんなゆるっとしたルールに則った毎日は、穏やかで幸せに過ごせている。
「僕、ユイちゃんと結婚できて良かった」
「え……、私こそ、タカトさんと結婚できて良かったよ」
「僕のお嫁さんが最高に可愛い……」
「わ、私の旦那様も、すごくかっこいいよ!」
「……もう一回言って」
「え?」
「もう一回、言って」
「すごくかっこいいよ?」
「違う、いや違わないんだけど、今は旦那様って言って」
彼の真剣な顔にやや気圧されながら、彼を真っ直ぐ見つめて言葉を紡ぐ。
「私の、大好きな旦那様」
気持ちを表現するように笑いかけると、幸せそうに笑う彼に抱きしめられた。
「はぁ……僕の大好きなお嫁さん、最高」




