人付き合いと友達
就活という進路の問題が片付いた私は、彼と二人で研究に打ち込んでいる。
頭を悩ませる問題が無く、研究に専念できるのはとても良いことだ。
それもこれも、気が進まないながらも説明会へ行き、お兄さんの会社ブースに立ち寄ったことが大きい。
そして人工知能研究の分野で権威と呼ばれる教授のゼミに入れたことも、私の進路に大きく関わっているだろう。
人生、何がどう転ぶかわからないものだが、総合的に見て丸く収まっていればオールオッケーである。
「三島さん〜」
講義の後、研究室へ行く前に食堂で日替わりランチを食べていると、声をかけられた。
顔を上げると、たしか専攻が同じで、わりと顔を合わせたことがある女の子が立っていた。
「これ、三島さんのじゃない〜?」
差し出されたペンは、たしかに私の愛用しているペンだった。恐らく先程の講義でざっと荷物をまとめたとき、取りこぼしがあったんだろう。
「本当だ、ありがとう」
「このペン使いにくくない〜? キャラは可愛いけど、もっと使いやすいペンで作ってほしいよね〜」
そのペンは、私の好きなゆるキャラのグッズだった。マイナーなキャラだから、知ってる人が居たことに驚くし、しかもその使い心地までわかるなんて……!
「あの、もしかして、このキャラ知ってる……?」
「知ってるよ〜! 私も大好きなの〜。もしかして三島さんも好き〜? ここ座っても良い〜?」
「う、あ、はい」
大学生になって、彼以外からこんなにたくさん話かけられたのは初めてで、上手く返答できない。
やや間延びした話し方なのに、勢い? 圧? がすごい。
彼女はさっと私の向かいに腰を下ろし、今日のおすすめプレートをテーブルに置いた。
「改めまして〜。私は篠田 由美だよ〜。三島さんと同じ文学部の臨床心理学科で、実は一回生の頃からよく同じ講義を受けたりしてたんだ〜」
「あ、三島 ユイ、です。ごめんなさい、それは全然気づかなかった……」
「うんうん、気にしないで〜。そうだろうなぁと思ってたし〜。三島さん、すごく忙しそうで、本当に頑張ってるの伝わってきたから〜。ずっと話してみたかったけど、きっかけがなくてさ〜。ペン拾ったの、本当にラッキーだった〜。今日こうして一緒にランチできて、嬉しいよ〜」
プレートのサラダを頬張る彼女の顔は、ふんわりとした線で柔和な文字が浮かんでいる。きっと人の良さそうな顔でニコニコしているんだろう。
「それにしても、三島さんが忘れ物するなんて、意外だった〜」
「そんなことないよ。私そそっかしいから……結構あるんだ。資料とかも、よく取り忘れて貰いに行くし」
「そうなの〜? うちの学部から別学部のゼミに行っただけでもすごいのに、それがあの人工知能研究室ってことで、すごい話題になってたよ〜。私も三島さんのこと、完全超人みたいな人かと思ってた〜」
これは……ヤバいのでは?
私への評価、尾ヒレどころでなくハリボテで嵩増しされすぎてるのでは?
というか、なんでそんな有名になっちゃったの……?
「三島さんにゼミ勧誘断られた教授たちが、成績不振の学部生に激励のつもりで話してたから、文学部ならだいたいみんな知ってる話だよ〜」
「えっ」
私の顔に疑問が浮かんでいたのを読んだように彼女が言う。教授たちが? 勧誘を断った報復ってこと?
「他の人ならともかく、三島さんがすごく努力してるの、みんな知ってるからね〜。三島さんすごいって話でまとまってさ〜。学部の垣根を超えて人口知能の権威と呼ばれる研究室へ行ったすごい人だって、話題になったんだ〜」
三島さんあんまり人と話さないから余計に孤高の戦士っぽさ出てたよ〜と笑う彼女に、人付き合いを放棄してきたツケが回ってきたことを痛感する。
教授の嫌がらせかと思ったら、話を聞く限り完全に良かれと思って激励の例として挙げてるっぽいから、始末に負えない。
研究室でも会話が皆無なわけではないが、基本的に彼としか話さないし、講義で特定の人と仲良くすることもなかった。
自分がそんな話題になっていたことも知らなかったし、知るきっかけもなかった。
思いもよらないところからその事実を知ることになってしまい、私の心中は猛烈な羞恥に悶えていた。は、恥ずかしい。
……完璧超人って何? それ誰?
「理工学部の須藤先輩と二人で有名だよ〜。須藤先輩は入学した頃から研究室に招かれてた有名人で、三島さんは入学早々から須藤先輩の彼女だって有名人で〜。それだけじゃなくて二人で共同研究したりとか〜。しかも二人揃って就職も決まったんだよね〜? おめでとう〜」
「あ、……ありがとう」
もしかして私たちの就職について、みんな知ってるの? という不安が過る。
二人揃って同じところだから? それとも有名な研究室のゼミ生だから?
そんな有名人になったつもりはないのに、自分の知らないところで人の話題になっていたということがひたすら恥ずかしい。
なるべく目立たないよう過ごしてきてはずなのに、どうしてこうなった?
「須藤先輩、目立つから〜。人混みでも頭一つどころでなく飛び出てるし〜。三島さんと一緒に居ても全然表情変わらないし、本当に付き合ってるのかなって思ってたけど〜。一緒に居る三島さんはすごく幸せそうだし、須藤先輩のことすごく好きなんだろうな〜って思ったんだ〜」
彼女はもしや、人の心が読めるのでは……?
「やだ、私の専攻、忘れちゃった〜? 人の表情からはいろんなことを読み取れるんだよ〜?」
私は驚きのあまり目を瞬いた。
そういえば、そうだった。表情や視線の動き、その人を観察することでいろんなことを読み取るんだった。
最近は専らデータ入力とその修整、プログラムのことばかり考えていたから忘れていた。
まぁ私はそもそも、人の顔がわからないから、表情や視線の動きなんて読めないんだけども。
「私これでも臨床心理士志望だからさ〜。たぶん人より読み取るのが上手いはずなんだ〜。どう〜? 当たってる〜?」
「う、うん。すごいね。心が読めるのかと驚いちゃった」
「でしょ〜? これ特技だし仕事にも使えると思うんだよね〜。ていうか三島さん、思ったより普通に話しやすいね〜? これからも仲良くしてくれると嬉しいな〜」
丸みを帯びた柔和な文字で手を差し出す彼女に、私がぎこちなく笑って頷くと、差し伸べかけた手を掴まれ、ぶんぶんと握手を交わした。
やや間延びした話し方なのに、どうしてこんな勢い? 圧? があるんだろう。不思議な人だなぁ。
それからは、彼女と話すことが増えた。
もともと専攻が同じで講義が重なることも多く、さらに同じマイナーゆるキャラを好きだという共通点もあり、仲良くなるのは当然と言えば当然かもしれない。
人の表情や言動からいろんなことを読み取る彼女は、距離の取り方が程良かった。
「ユイ〜、この後カフェでも行かない〜?」
「あ、ユミごめん! この後は研究室なんだ」
「おっけ〜。謝ることないよ〜? 友達の応援するのは当然じゃん〜。研究頑張ってね〜」
お互いを名前で呼び合う友達なんて、小学生ぶりだった。
その小学生時代はもはや暗黒歴史と呼んで差し支えないレベルだから、実質初めての友達である。
さっぱりした性格の彼女と居るのは心地好くて、これが友達の素晴らしさってやつか……と感動した。
幼少期、友達だと思いたかった人たちは、やっぱり友達ではなかったんだなと、少しだけ寂しくなる。
あの頃は本当に人への認識がぼんやりしてたから、みんな同じように対応したつもりだけど、相手から見るとそう見えなかったんだろうなと今ならわかる。
人間という生き物は、自分の都合良くいろんなことを思い込むのだ。
孤立した人たちは、自分だけが特別だと思いたかったんだろう。そういう人たちにばかり声をかけた私にも、原因があるのかも知れない。
それにしたって、そんな人たちを私にばかり任せていた先生も、今にして思えばおかしな人だったなと考えられるようになった。
過ぎたことだから、どうでも良いけど。
彼女は彼女で、人のいろんなことを読み取れるからこそ、人付き合いに逡巡している節があった。
「特技は自慢ではあるんだけどさ〜。いろいろ読み取ってしまうから、やっぱり気味悪いと思う人も居るんだよね〜。だから広く浅くをモットーにしてるんだ〜。ユイはわかりやすくて、私がいろいろ読んでも気にしないから、一緒に居るの楽だよ〜」
やはり人それぞれ、苦労していることはあるのだと納得してしまった。
人が良さそうな顔に人懐っこい態度、人との距離感も絶妙な彼女だから、もっと友達が居てもおかしくないのに、と思ったけれど、友達が多くても少なくても、彼女が私の友達であることに違いないのだから関係なかった。
まぁ友達一人の私に心配されてもな……。
「ユイは深く狭くがモットーなんでしょ〜? 気にすることないよ〜」
やっぱり心、読めてるよね?
「ユイちゃん、最近すごく楽しそうだね」
「え、私ってそんなわかりやすい?」
久しぶりに研究室ではなく自習室で過ごしているとき、彼が小さく笑った。
「篠田さん、だっけ。良い友達ができたんだね」
「うん。今までこんなふうに過ごせる友達は居なかったから、すごく楽しいの」
彼には全部正直に、初めての友達ができたことを話していた。それがすごく嬉しかったことも。
「幼少期の友人関係に良いイメージが無いと、それを引きずりがちだからね。ユイちゃんはとくに、人の顔がわからない問題もあったし。素敵な友人ができて、本当に良かったね」
「ありがとう。大学、たいへんなこともいっぱいあるけど、楽しいこともいっぱいあるんだなぁって、最近よく思うようになったよ」
「それはユイちゃんが頑張り屋さんだからだよ」
柔らかく笑って私の頭を撫でる彼は、やっぱり私のことを甘やかしすぎではないかと思う。
「タカトさんと鈴木さんも、良い友達だよね。やっぱり大学生になると適度な距離感とかがわかるようになるから?」
「そうだね、それもあるかも。あとは学部や専攻が近いと考え方も近いことが多いし、気が合いやすいのかも知れないね」
「なるほど……」
「あとは鈴木は僕よりも年上で、社会人経験があるからね。人への心持ちが寛容なんだと思う」
「えっ?」
「あれ、言ってなかったかな? 鈴木は高卒で一旦就職して学費を貯めてから、大学に来たんだ」
「そ、そうなんだ」
衝撃の事実である。
いや、確かにすごく落ち着いてて頼りになる雰囲気はムンムンに出ていた。言われてみれば年上っぽさはあった、ような気もする。
だけど私には顔がわからないから、年齢を推測することはほぼ不可能なのだ。
「年齢って本当にわからないや。顔が見えたら推測できる?」
「いや、顔を見たからってわかるものでもないよ。僕も鈴木から年齢を聞いたときは驚いたし。やけに大人びてるなとは思ったけど、社会人経験があると聞いて納得した」
「パッと見てわかれば便利だけど、推測するには限界があるよね……。データ入力したものと紐付ければわかるけど、そのデータ入力が膨大すぎるし……」
「ユイちゃんもすっかり研究者っぽくなったよね。指導した人間として誇らしいな」
「タカトさんみたいになりたいからね!」
私がえへん、と胸を張ると、彼は照れたように笑った。




