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関係の変化

 友達ができて大学生活が普通っぽくなった私だけど、基本的な部分は何も変わらない。

 講義を受けて、研究室で彼とあーでもないこーでもないとトライアンドエラーを繰り返し、空いた時間には自習室でのんびり過ごした。


 何かに追われることのない学生生活とは、こんなにも自由で過ごしやすいんだなと感動した。

 ……いや、入学した頃は何にも追われていなかったはずだけど、目標を決めてからはずっと、いろんなものを気にしなければならない学生生活をしていたので。




 季節は巡り、卒業まであと半年を切った。


 四回生になってから私は研究と卒論に打ち込み、講義はほぼ無くなった。

 卒論を書きながら、悩む部分は彼や教授に教えを請い、自分なりに研究してきたことのまとめを作成した。これこそ共同研究の強みだと思う。

 意見を聞ける人が居ること、それを導いてくれる人が居るのは本当に心強い。


 彼は院生だから卒論ではなく修士論文というらしい。当然だが卒論よりも難易度が高そうだった。

 にも関わらず、私の論文完成とほぼ同時期に書き上がっていた。すごすぎる。

 ちらっと見えた彼の論文は、私よりも枚数が多くて添付資料も多かった。それはつまり、私の論文にアドバイスしながら自分の論文も書いてたってことで、同時並行で資料も集めてたってことだよね……?

 私の彼氏、かっこいいだけでなく頭が良すぎる。好き。




 二人揃って論文を提出し、合格判定を貰ってから。

 しばらく忙しくしていたのを(いたわ)る意味も込め、二人でのんびり過ごしていた。

 講義も無いし、研究も一休みして、慌ただしく過ごしていた穴埋めをするように、一緒にのんびりとした時間を過ごす。

 忙しくしていたときもほぼ一緒には居たけれど、やっぱりこうしてゆっくり過ごす時間は好き。


「どうかした?」

「え?」

「いや、なんだか嬉しそうだから……」

 どうやら私は指摘されるくらい顔が緩んでいたようだ。ちょっと恥ずかしい。

 でも、どうしたって口元が緩んでしまうのを止められない。きゅっと唇に力を入れても、すぐにふにゃりと口端が緩んでしまう。

「こうしてタカトさんとのんびりできるの、嬉しくて。なんだかんだずっと一緒には居たんだけど、私やっぱり、こうしてタカトさんと過ごすの、好きだから」

 へにゃりとゆるゆるな自覚のある顔で彼へ笑いかけると、彼も嬉しそうに笑い返してくれる。

「僕も嬉しいよ」

「これからもこうして一緒に過ごせるんだと思うと、もう、もう……嬉しくて、顔がゆるゆるになっちゃう」

 どうにか顔の緩みをなんとかしようと頬へ掌を添えてみるが、何の意味もなさない。ゆるゆるな顔を掌で感じるだけである。

 あぁ、なんて締まりのない顔……。

「僕だって、わかりにくいかも知れないけど、かなり浮かれてるんだよ」

 小さく笑った彼がその大きな手で、私の手を覆う。すっぽりと覆われた手はそのままに、いたずらな指が私の頬を撫でる。


「でもタカトさんは、私みたいにゆるゆるにはならないでしょ。普通にかっこいいもん」

「その顔も可愛いのに」

「ウソ! だってゆるゆるだよ?」

「僕のことを考えて、でしょ? こんなに嬉しいことはないよ」

 ふっと顔に影が差したと思ったら、目の前に彼の顔。びっくりして瞬きしてる間に、ちゅ、と可愛らしいリップ音。

 私がますます目を丸くしていると、彼はいたずらが成功した子どものような顔で笑った。

「ユイちゃんが可愛すぎて、我慢できなかった」

 私は真っ赤になりながらも、嫌ではないと示すため、そろりと瞼を下ろして僅かに顔を上げた。

 彼の小さく笑う気配の後、また唇が重なった。




「あのね、お姉ちゃん、」

「オッケー任せろ!」

 いつものように夕飯を食べながら話そうとした瞬間、私が最後まで言い切る前にお姉ちゃんがサムズアップした。

「お姉ちゃん、私まだ何も言えてないよ……」

「いやわかるよ。クリスマスデートのおしゃれでしょ?」

 私は目を丸くしながら何度も目を瞬いた。

「な、なんで?」

 まさかお姉ちゃんも私の心が読めるんだろうか。ドキッとして私が胸を押さえると、お姉ちゃんが堪えきれないように吹き出す。

「そりゃわかるよ。デートでおしゃれしたいと思うのは、彼氏の居る彼女がみんな考えることだからね」

 お姉ちゃんの顔に浮かぶのは、軽やかな柔和な文字。これはすごく優しい笑顔だ。


「ユイがこうして、誰かと外へ出て、おしゃれに興味持ってくれて、家族以外の世界を持ってくれたことが、すごく嬉しいの。それに私が協力できるなら、いくらでも手伝うよ」

 ドンと胸を叩くお姉ちゃんの声はすごく頼もしくて、もう何度もこうして私の背中を押してきてくれたことを思い出す。

 込み上げるいろんな感情に、胸が熱くなる。いろんな気持ちがごちゃまぜになりながらも、その中で一番強い気持ちをお姉ちゃんに告げた。

「いつもありがとう」

 お姉ちゃんはやっぱり、いつものようにサムズアップした。




 待ちあわせ時間の十分前に着くよう家を出た。いつもより早足で歩いたから、結果として十五分前に着いた。……はずなのに。

 どうして彼は、もうそこに立っているんだろう。ほんと、何分前に来てるんだろ?

「タカトさん」

 私の声にこちらを見る彼。周囲より飛び抜けて長身だから、すぐに彼だとわかる。何より、かっこいい。

「ユイちゃん」

 私を見て綻ぶ表情に、嬉しさが半分と、照れが半分。

 人混みの中でもすぐに私を見つけてくれるのも、柔らかな表情で笑いかけてくれるのも嬉しい。だけどやっぱり、大好きな人に笑いかけてもらうのは、何年経っても照れてしまうのだ。かっこいいから、余計に。


「すごく可愛くて、心臓が止まるかと思った」

「そ、そんな、タカトさんこそかっこよくて、かっこよすぎて……私、口から心臓飛び出そう……」

「それは困ったな。飛び出しそうになったら、キスで塞いであげる」

 彼の本気とも冗談ともわからない言葉に、文字通り心臓が止まるかと思った。

 ハッと彼を見上げると、いたずらな笑みが浮かんでいる。これは、からかわれたのか……。

「もう!」

 一応、怒るポーズとして唇を引き結んでみるが、持続できない。唇がふにゃりと緩んで、結局二人して笑ってしまう。

 彼がこんなふうに冗談を言う人だなんて、数年前には考えられなかった。こうして冗談を言うくらいには、打ち解けてくれた……んだよね?

「はは! 行こうか」

「うん」

 二人笑い合って、彼と手を繋いで歩き出した。




「ごゆっくりお寛ぎください」

 一つお辞儀をして、給仕さんが出ていってしまうが、私は目の前に聳えるスタンドに意識が釘付けで、それどころではない。

 とりあえず会釈だけは返したが、いつもの私からは考えられないくらい適当な会釈だった。そのくらい、衝撃的な対面を果たしていた。


「わぁ……!」

 聳え立つ三段のティースタンドには、それぞれセイボリーやスコーン、プティガトーが行儀良く並べられている。そのすぐ傍には温かな湯気の立つティーカップ。

 塩気が恋しくなった時用なのか、ハッシュブラウンも添えられていて、飽きずに最後まで完食できそうだ。


 私の目はキラキラと輝いていることだろう。なにせ、こんな本格的なティーセットを見るのも初めてである。こんなに美しく盛り付けられたものを、手で、食べる?

 マナーについては軽く調べたものの、どれから食べようか、どう手を付けたものかと体が揺れる私に、隣に座った彼が笑う。

「ここには僕らしか居ないから、マナーなんて気にしないで、好きなように食べてね」

 言われてみれば、そのとおりだ。

 ここには私たち二人しか居なくて、多少マナー違反があったとしても、それを咎める人は居ないのだ。

「……タカトさん、ありがとう」

 ふにゃりと口端が緩むのを止められないまま、私はティーセットに手を伸ばした。



 きっかけはやっぱり、私の一言だったと思う。

「素敵……」

 ユミから借りた雑誌を読んでいたときのこと。それに載っていた【眺望を独占☆スイートルームで優雅なアフタヌーンティーを】という特集に目を惹かれ、ぽろりと感想が(まろ)び出た。


「本当だ。気兼ねなく過ごせそうで良いね」

 雑誌を覗き込んだ彼が言う。彼が動くと、ふわっと良い匂いがする……好き。

「私、こういう本格的なアフタヌーンティーしたことないから、憧れる」

「じゃあ決まり。僕もこういうの食べたことないんだ。これにしよう」

 いくつかホテルが掲載されていたのに、私が気になってたホテルを的確に言い当てる彼は、もしかしたら心が読めるのかも知れない。


「タカトさん、なんで私の見てたホテルわかったの?」

「これでもずっと一緒に居るからね。好みとか、なんとなくわかるよ」

「すごい……」

「ずっとユイちゃんだけを見てるから」

 さらっとすごいこと言われた気がする……やっぱり好き。


 こうしてホテルでアフタヌーンティーをすることが決まった。



 セイボリーは美しい見目を裏切らない美味しさで、食べ終えるのが勿体ないくらいだった……食べるけど。

 スコーンに添えられたクロテッドクリームも、甘すぎないジャムも、文句無しに美味しい。プレーンのスコーンも美味しかったが、くるみのスコーンが香ばしくてとても気に入った。

 プティガトーも可愛らしいだけでなく、どれも本当に美味しくて、食べてしまうのが勿体ないくらい……やっぱり食べるけど。

 添えられていたハッシュブラウンは甘い物の合間に挟むことで、味に飽きず食べ続けることができた。


 全部がとても美味しくて幸せで、美味しいものは彼と共有したくて、どれも必ず一口は食べてもらった。

 口元へ運んだスプーンに、嫌がらず口を開いてくれた彼は本当に優しい。そしてすごく恋人同士っぽいやりとりに一人で嬉しくなった。



「美味しかった……!」

「そうだね。ユイちゃんに食べさせてもらうから、すごく美味しく感じたよ」

「も、もう! からかわないで!」

 彼の冗談とも本気ともわかりかねる軽口に、唇を尖らせる。最近、彼はこういった軽口が増えた。私を内側に入れてくれたようで、嬉しい。

「あれ、本気なのに。伝わらなかった?」

 ふいに真剣な瞳が私を射貫く。途端に私は動けなくなってしまう。

「タカト、さん……」

「ユイちゃんが食べさせてくれるから、美味しかったんだよ。僕一人じゃ絶対こういうの食べないし、ユイちゃんのおかげでアフタヌーンティーを美味しく体験できたんだ」

 にこりと笑顔を浮かべ、優雅な所作で紅茶を飲む彼は、とても絵になっている。かっこいい。

 真剣な瞳から開放された私は、ドギマギしながら自分のカップに手を伸ばす。やっぱり、彼みたいに綺麗な所作にはならない。美しい所作とは、すぐに身につくものではないのだ。


「それでね」

 音もなくカップを戻した彼が口を開く。私が慌ててカップを戻すと、カチャリと音が出た。うぅ、美しい所作とは……?

「ユイちゃんに聞いてもらいたいことがあって」

 私を真っ直ぐに射貫く真剣な瞳に、こくこくと頷いて同意を示す。緊張しすぎて、うまく返事できない自信しかなかった。

 そんな私の様子を見た彼は小さく笑ってから、立ち上がった。あれ、私も立ち上がった方が良いの?

 とりあえず体を彼の方に向けた私の前へ、彼が跪く。目を白黒する私の両手を、大切なものを捧げ持つように彼が握る。


「初めて会った日から、ユイちゃんのことを考えない日は無いくらい、好きだ。愛しくて堪らない。これからも一緒に居る、その権利が欲しい」

 ふいに彼が私の手を離して、胸元から小さな何かを出した。小さくて四角いそれは、いつかも見たような気がする……。

 どこで見たんだっけ、とぼんやり眺めていると、それがパカリと開いた。小さな箱には、煌めく石の嵌った指輪が鎮座している。

 え、その石ってもしかしなくても、ダイヤモンド……ですか?


「三島 ユイさん、僕と結婚してください」


 驚きのあまり目を瞠る私を、真剣な彼が真っ直ぐ見つめている。じわりと視界が滲み、私の目に写る彼の顔が歪む。

 ぽろり、と一粒雫が落ちると、あとはもう、決壊するだけ。

 言葉も無く何度も頷いて涙を流す私を、彼は優しい瞳で見ている。

「……指輪を着けても?」

「、ひゃい!」

 噛んだ。どうして私はこう、大切な場面で噛むんだろう。恥ずかしい。


 彼が恭しく私の左手を取り、ペアリングに重ねるようにその指輪を着けた。

 見たことないくらいキラキラしい輝く石のついた指輪は、私の勘違いでなければ、恐らく、いや間違いなく、婚約指輪というやつなのでは……。

「デザイン、気に入らなかった?」

「まさか! 素敵すぎて、胸がいっぱい……」

「良かった。ユイちゃん派手なのは苦手かなって、なるべくシンプルなやつにしたんだ」


 これでシンプルなんですか? めちゃくちゃキラキラした石がこれでもかと自己主張してますけど? シンプル?


 照れたように笑う彼の顔を見ながら、私はシンプルの定義についてゲシュタルト崩壊しかけた。

 いや、考えてはいけない。アクセサリーについて疎い私にはわからない問題なんだろう。そもそもアクセサリーのシンプルとかそうじゃないの違いもわからないんだし、考えるのを止めた。


「実は、これだけじゃなくて……」

 彼の声に顔を上げると、またも彼が胸元から何かを取り出そうとしている。これだけ驚かされた後だ、今度は何が出ても驚かないぞ。

「ユイちゃんさえ嫌でなければ、サインをもらえないかな」

 ひらりと出てきた一枚の用紙に、私は先程と同じか、それ以上に度肝を抜かれた。


 それは私の氏名以外は記入された、婚姻届だった。


「……どうかな?」

「はいよろこんで!」

 居酒屋の掛け声みたいな返事になってしまった。恥ずかしい。

 でも私を混乱させ続ける彼が悪いと思う。



 彼に渡されたペンで、恐る恐る自分の氏名を記入する。それ以外の欄は埋めてあるのだから、もはや、記名である。

 あぁ、字が震えてる気がする。もっと綺麗な字で書きたかった。でもこればかりは何度書いたとしても震える字になった気もする。……いや、何度も書く機会なんて無いんだけど。


「……あの」

「どうかした?」

「タカトさんは、良かったの?」

 そっと彼の顔を見上げると、驚いた顔をしていた。どうして?

「ユイちゃんは、嫌じゃなかった?」

 少し不安そうな声が、質問に質問を返してくる。これは、本当に心細いときの声。

「全然!」

 だから私は、彼を安心させるように、心からの笑顔で答える。

「タカトさんのお嫁さんになるのは、私の夢だから」

 一瞬だけ目を瞠った彼は、すぐにゆるりと口端が上がる。

「ユイちゃんはいつも、僕を喜ばせることばかり言ってくれるね」

 出会った頃には想像もできなかったような、とろりと甘い笑顔。ハチミツを煮詰めたように甘い甘い声には、幸せがたっぷり染み込んでいる。

 あぁ、私、この人を好きになって良かった。


「タカトさん、大好き!」


 私が飛びつくのをいとも簡単に抱きとめ、彼は大切な宝物をなぞるように甘い声で、僕もだよと私の耳元で囁いた。

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