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始まりの一歩と進路の悩み

 大学生になって、三度目の春が来た。私は三回生になり、彼は院へ進んだ。

 晴れてゼミも決まったので、二人で自習室と研究室に入り浸っている。



 三月には彼の卒業式があったのだが、なんと彼は卒業式後の謝恩会をすっぽかした。

 どうせまだ院生で卒業は形だけだから、とのことだったが、それなりに付き合いが長くなってきた今ならわかる。あれは面倒くさいと思ってる顔だった。

 本当は諫めないといけないんだろうけど、式の後さっさとホールから出てきた彼の顔を見ると、なんだかおかしくなってしまい、そのまま二人で大学を後にした。

 彼の卒業祝いにと二人で食べたランチは、とても美味しかった。




 三回生にもなると必修の講義はほぼ無くなり、周囲もサークルかゼミ、あるいは就活で忙しい。

 そう、次なる課題として、私は就活の壁にぶつかっていた。


「大学生って、たいへんだね……」

 合同説明会の案内を見ながら、私は自習室のデスクに突っ伏した。

「まぁ真面目に全部やろうと思うと、忙しいかもね」

 そんな私の様子を見て、彼は困ったように笑うと読んでいた本を閉じた。今日も何やら難しそうな本を読んでる……私にはさっぱりわからない。


「進路を決めるのって、すごく迷うし、ついこの前ゼミを決めたばかりなのに、もう次の壁が……」

「ユイちゃんは本当に偉いよ。僕なんか、研究してたら先延ばしにできるからって院生になったようなものだし」

「タカトさんは、できる研究があるから良いの。私はゼミこそ決められたけど、本当にずっとこの研究を続けるかって言われたら悩んじゃうし、じゃあ就職するのかってなると、それもまた悩んじゃう……優柔不断」

「それだけ真剣に将来を考えてるってことだよ」

 彼は本当に、私に対する評価が激甘すぎる思う。




 彼との共同研究は、ひたすら学生のデータを集めるところからスタートした。

 教授にも頼んで学生課へ協力を仰ぎ、学生のデータと顔を紐づける作業を続けた。地道な作業だが、このデータ入力無しには何もできないらしい。

 人工知能は勝手に学習するが、そのためにはデータが必要不可欠なんだと彼が言っていた。素人の私にはさっぱりだけど、彼が言うならそうなんだろう。


 データ入力の後はテストとして、学生課に来る学生の顔を正しく認識できるか実験した。

 結果として、入力した写真と同じ角度でなければ、正しく認識することは難しいとわかった。誤認したデータについては、私が画像を見ながら名前を修整することにより、蓄積データを増やすことで正しく認識されることが証明された。

 つまり、これを繰り返していけばカメラに顔を写すだけで本人確認ができるようになるのだ。手間と時間は、かかるのだが。


「やっぱり実験してみないとわからないものだね。私、もっとすんなり人物認識できると思ってた」

「人工知能も万能じゃないからね。入力したデータが不足していると、結果を出せないんだ」

「思ってたより複雑なんだね。もっとこう、最初からドーンとすごい結果が出るイメージだった」

「たしかに、有能ではあるけどね。データをたくさん詰め込めば、その分賢くなっていくから、結果が出たときの達成感はすごいよ」

 専門で研究してた人の言葉は、重みが違う。私もその達成感のために、もっと頑張ろうと意欲が湧いた。


「人工知能については憧れる人も多いけど、もっとはっきりとしたすごい結果が出るはずだって思い込んで、でも実際には結果が出るまでに途方も無い手間と時間がかかったりして、挫折してしまう人が居るんだ。どんな研究だって、手間と時間がかかるのは同じはずなんだけどね」

 少しだけ遠い目をする彼を見ながら、ゼミの募集要項にあった【最後まで足掻くことのできる者のみ、我が研究室のドアを叩くように】という一文を思い出した。

 なるほど、途中で挫折して研究室を去る人も居るのか。まぁどのゼミでも同じだろうけど。


「たしかに時間と手間はかかるけど、きちんと認識できるって結果が出ると嬉しいし、楽しいよ! タカトさん、研究に誘ってくれてありがとう」

「僕もすごく楽しいよ。ユイちゃんがうちの研究室を選んでくれて、良かった」

 ゼミの入室試験、合格できて本当に良かった。




「ユイちゃん、タカトと同じゼミに入ったんだって? どうだい? タカトは役に立ってるかい?」

 それはバイト先のカフェで、おじいちゃんにコーヒーをサーブしたときのこと。

「はい。タカトさんは先輩として、共同研究者として、しっかり指導してくれます」

 おじいちゃんの顔をしっかりと見て答える。優しくて柔らかい文字は、おじいちゃんの穏やかそうな性格が表れてると思う。

「そうか、それは良かった。何か困ったことは無いかい? そろそろ就活の時期だろう?」

「えっと……」

 何と答えたものか、悩んでしまう。困ってると言えば困ってるが、それを相談してしまって良いのだろうか。


「じいさん、自分が暇だからってあんまりユイちゃんにちょっかい出すなよ」

「ちょっかいとはなんだ。ユイちゃんは実質もう孫なんだから、困ってることがあれば助けたいと思うのは道理だろう」

「ユイちゃんは困ってたらハッキリ言うよ」

「本当は、困る前に助けたいんだよ」

「それは僕の仕事だよ、領分を超えてくるな」

 彼とおじいちゃんのやりとりに、思わず笑みが溢れる。

 おじいちゃんの表情は柔和だけど、彼はなんだかウンザリしたような顔をしている。でも、なんだかんだ言い合いするってことは、おじいちゃんのこと好きなんだろうなって、今ならわかる。


「おじいちゃん、ありがとう。たしかに今、就活で少し悩んでるけど、まだ自分でもどうしたいかわかってない状態だから、決まったらまた相談に乗ってくれますか?」

「あぁ、もちろんだとも。いつでも相談しておくれ」

 柔らかくて穏やかな文字は、優しく笑ってくれてるのだろう。あぁ、私は本当に、人の縁に恵まれてる。




「お姉ちゃんは、どうやって進路決めたの?」

「うーん。私はゼミには入らずサークルも気晴らし程度、あとはずっとバイトしてたからなぁ。でもそのおかげで就活はサクッと終わったよ。アパレルでのバイト経験があったから、強みになったんじゃないかな」

「バイト経験かぁ。アパレルでバイトしながら、人のコーディネート考えるのが好きになったんだっけ?」

「そうそう。いろんな人と話すのも好きだし、その人に似合う服とか考えるのも楽しいし、そしたらアパレル店員って天職では? って思ったんだよね」

 丸みを帯びた文字は、楽しくて仕方ないって顔を示しているんだろう。自分の仕事について話すお姉ちゃんは、すごくかっこよかった。


「ま、ユイは急がなくても、研究を続けて院生になる道もあるし、やりたい仕事があれば就活すれば良いし、あとは最終手段があるよ」

「最終手段?」

「決まってるじゃん」

 踊るような文字は、ニマニマした顔だ。ピッと人差し指を立てて、お姉ちゃんが胸を張る。

「タカトくんと結婚して、永久就職」

「っ?!」

 私は味噌汁が気管に入って思いっきり噎せてしまった。そんな私を見たお姉ちゃんは、笑いながらも優しく背中を(さす)ってくれた。

 優しい……いや、そもそもお姉ちゃんのせいだった。でも背中を擦ってくれるのは有り難いので、感謝しておいた。




 企業の合同説明会に参加すべく、気が進まないながらもスーツで会場へ向かう。

 当たり前だが、人でごった返す様子を見ながら、この人数を捌くのは企業側からしても骨が折れるだろうなぁと他人事なことを考えた。


 もしもの話、この時点から、ここへ足を向けた人を人工知能が認識できたとすれば、これからの就職活動において、選考する側も楽なのでは? と思考する。

 ブース入口にカメラを設置しておき、それによって人の顔を認知。ブース内で記入された用紙の内容をデータに紐づけて入力。採用試験の際はそのデータを用いれば、人違いを防ぐことにも繋がるのではないだろうか。

 もちろん試験が終わり次第、使用したデータは抹消する。そうすれば個人情報保護の観点から見ても問題無い……はず。


 テンプレートのように皆似たような髪型、化粧、身なり。マナーとして決まっていることとは言えど、これでは選考する側から見ても見分けがつかないのではないか?

 いや、普通の人には当たり前のように見分けることができるのだろうか。でも、それが苦手な人も居ると聞いた。それを人工知能が識別してくれるなら、助かるのでは……。


 などと取り留めも無いことを考えながら、いくつかの企業ブースをハシゴする。完全に冷やかしみたいで申し訳ない気持ちになりつつ、ブースによって学生への対応が違うのを肌で感じる。

 学生なんてどれも同じと思ってる企業は、これもまたテンプレートのような対応しかされない。表面上は柔和な文字でにこやかに対応されてるんだろうけども、どこか薄皮一枚隔てたような感覚だった。

 逆に、学生を欲している企業は、ぼかしながらも職務内容について説明し、長く続けてくれる社員を求めている様子だった。やや震えながらもはっきりしっかりした文字は、真摯に学生に向き合っている印象を受けた。

 これは大企業だからとか中小企業だからとかは、無関係だったように思う。大企業はたしかに学生がいくらでも門を叩くだろうけど、その中でも学生を大切にしようとする企業も少なからずあったし、逆に中小企業でも、学生をぞんざいに扱う企業もあった。

 これは説明会だから、本当はどうなのかはわからない。けれど、企業の顔になると言っても過言ではない説明会でこう(・・)であるなら、普段からそう(・・)である可能性が高いだろう。


 私は在籍している学部と所属しているゼミの乖離に興味を持たれたらしく、いくつかのブース受付で声をかけられた。

 やはり文学部から理工学部のゼミへ行くのは珍しいらしく、また、私の入った研究室は本当に有名なようだった。

 入室できただけでも成績上位者だと認識してもらえるのは光栄だが、実際は試験でなんとか入れただけなので、非常に申し訳ない気持ちになる。


 当たり障りのない返答をしながら、実際に採用試験を受けに行くか微妙で申し訳ないなぁと考えつつ、最後のブースに足を向けた。

 そこは大手総合商社で、ブース内の椅子はほぼ満席だった。ここはどんな説明をするんだろう、と用紙への記入をしつつ壇上へチラリと目を向けた、瞬間。

 ブース内の空気がざわめいた。

 私も、椅子に座りながら息を呑んだ。そこには眉目秀麗としか表現できない、あの美しい文字(かお)があった。

 ……ここ、もしかしなくてもお兄さんの居る会社だったの?

 知らなかった私は内心パニックだし、周囲はあまりに整った顔に魅了されている様子だった。


 知り合いの居る企業の説明会とは居心地があまり良くないんだなと新しい発見に戸惑いつつ、俯いてばかり居るのも印象が悪いかと顔を上げる度にバッチリと目が合ってしまい、ますます落ち着かない気持ちになる。

 なんでこっち見てるの? 気のせい? 私の後ろのスタッフさんにアイコンタクトしてるの?


 整った文字なのはわかるけど、ここまで来るともう表情がどうとか読みづらいのだ。流麗な文字、以外の認識ができない。識別能力の低すぎる私を許して……。



 説明を聞いてる間中、目が合う度に口端を持ち上げなんとか笑みを作っていたから酷く疲れた。

 気づけば説明は終わったらしく、参加していた学生が解散していく。私は慌てて用紙記入を済ませ、ブースを出ようとしたところで、お兄さんに声をかけられた。


「こんにちは、ユ……三島さん」

「こ、こんにちは」

 顔が引き攣るのを堪えつつ、なんとか返事する。良かった、ここで名前呼びされた日には、縁故が確定してしまう。

「じいさまから説明会のことを聞いてね、担当者に頼み込んで捩じ込んでもらったんだ」

 周りのスタッフさんの態度を見るに恐らく、お兄さんはこんな仕事をする人ではないんだろうなと感じる。察するに、偉い人にやりたいと言われたら断りきれなかったんだろう。

 ミスコンに女装までして参加してくるお兄さんであることを思えば、説明会に私が来るとわかっていたなら説明会の担当者になることは想像に(かた)くない。

 面白い人だと思う。彼のお兄さんだし、良い人なんだろうとも。

 ただ、彼がお兄さんと接点を持ってほしくなさそうだったのがどうしてもひっかかる。

 彼の居ないところでこんなふうに話して大丈夫だろうか? もちろん彼に会ったらすぐに報告するが、そのときに彼が嫌な気持ちになるなら、可及的速やかに会話を切り上げて退散したいところである。なんなら会話した事実を残さないためにも挨拶のみで退散したいレベル。


「実は新部門を立ち上げようと思っていて、タカトにも声をかけたんだけどスルーされてしまってね。良かったらユ……三島さんからも話してもらえないかな?」

「は、はぁ……」

 何やら小冊子のようなものを手渡され、反射で受け取ってしまう。

 それよりも彼がスルーしたってどういうこと? あと名前を呼びかけて訂正するの、何回もされると逆に親しさを強調されるからやめてください。


 手元の資料へ目線を落とすと、ロビーに受付ロボットを設置する計画について記されていた。これはつまり……?

「私たちの研究結果を、採用いただけるということですか?」

 パラパラと資料を読み進め、受付ロボットを開発・研究する部門を設立する予定であること、そのための研究者を求めていることが記載されている。

「ぜひ使いたいと思ってるんだけど、タカトに言っても暖簾に腕押しでね。個人研究ではなく共同研究だからの一点張りでどうしようもないから、じゃあ共同研究者の意見を聞きたいと思って」

 この恐ろしいまでのポジティブ思考と行動力はどこから来ているんだろう。

 彼がネガティブだとは言わないが、こんなにも違うと本当に兄弟なのかと驚きを隠せない。


「悪くない話だと思うんだけど、こればかりは研究してる本人の気持ちを優先すべきかと考えてるんだ。だから、この資料だけでも持ち帰って、タカトと話し合ってもらえないかな」

 流麗な線で、はっきりしっかりした文字が浮かぶ顔は、真剣な顔をしているだろうことを伝えてくるし、その声は真摯さの籠もったものだ。

 お兄さんが真剣にこの提案をしてくれているのだと、ひしひしと感じる。

「……わかり、ました」

 私がこくりと頷くと、お兄さんはほっとしたように少し緩んだ文字になった。やはり提案する側としても、緊張するものなんだろう。


「良かった! じいさまに相談して正解だったよ。きっとユイちゃんなら無碍にはしないって言われて、その通りだった」

「あの、一応、話はしますけど、お受けするかどうかは、わかりません……」

「構わないよ! タカトにはそもそも話を聞いてもらえた感触すら無かったからね! その資料を見せてもらうだけでも御の字さ」

 柔和な文字がにこにこと笑っているだろうことを伝えてくるけど、私はそれどころじゃなかった。


 ……もしかして彼は、お兄さんのことはあまり好きじゃないのかも?


 なのに私が彼の拒否したお兄さんから資料を受け取って、しかもそれを彼に渡そうとしてるなんて、彼からすれば嫌な気持ちになる出来事なのでは……。

 え、き、嫌われたりとか……ど、どうしよう?!


 あとお兄さんはシレッと私の名前呼んでて、もはや縁故確定待ったなしで気まずいです。

 近くに居るスタッフの人、私のことはすぐに忘れてください!

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