Dieu de la mort
「しょーいち、一杯お絵描きしましたねえ。賢治もお絵描きして良いでしゅか」
地図の獣道も、賢治にとってはただの落書きにしか見えないらしい。苦笑して、弥素次は改めて地図を見た。
「こうして見ると、被害を被った人の大半が、獣道で盗賊と遭遇していますね」
「ああ。しかも一番多いとこから寝泊りできるとこは、そう遠くないな」
山の近くに記された場所を、育也が右手の人差し指で軽く叩いた。
「そこなら、着くまで軽く二日はかかるから、町の者も滅多に行かないよ」
惣一の言葉に、弥素次は育也と顔を見合わせる。町の者が滅多に行かない場所なら、根城にしてもおかしくない。おかしくはないが、他の寝泊まり出来る場所から行くことは出来ないだろうか
「惣一さん、他の場所ということはありませんか?」
「そうだなあ」
腕を組んで、惣一が地図を眺めている。向かいで育也と二人、惣一の言葉を待つ。一人話しに加わっていない賢治は、空いている右手を棒に伸ばし、手にすると満面の笑みを浮かべていた。
「寝泊りする場所ってなあ、一日歩く程度に離れてるんだ。育也が指してる場所からは行ける距離でも、他の場所からは最低でも丸一日歩いてでないと行けないよ」
では、それよりも離れた場所はどうなのだろうか。弥素次が惣一に聞いてみると、唸りながらゆっくりと口を開いた。
「まあ、離れた場所で出てるのは、別の場所に泊まって根城に帰る途中で遭遇したかもしれないな」
別の場所に泊まってなら確かに可能なのかもしれないが、何か引っ掛かるような気がする。もう一度、弥素次は地図を見てみる。自分達が盗賊と遭遇したのは何処だっただろう。確か、地図にある道の途中で、篠木の町までは、二刻程歩いた距離だった筈。
「惣一さん、私達が盗賊と遭遇した場所は、この辺ですよね」
二刻程度の距離なら、と思いながら篠木の町に近い位置を差した。
「ああ、そうだよ」
頷くのを見て、引っ掛かっていたことが当たったと思った。
「根城ではないかと思われる場所から、私達が盗賊と遭った場所はどれくらい離れていますか?」
賢治が薬草と棒を両手に、交互に見比べながら機嫌良くしていたが、手に届く場所に墨汁が置かれているのに気付き、握りしめたままの両手を伸ばしている。見えてはいたが、弥素次は気にせずに惣一の答えを待つ。
「二日だよ」
答えて、惣一は苦笑いを浮かべた。どうやら、弥素次が言いたいことことに気付いたらしい。
「根城が違うってことか、振り出しだな」
育也が呟いて、溜息を吐いた。
「邪魔する」
育也の溜息に重ねるように、連が店に戻って来た。三人して連を見る。
「かか、お帰りなしゃい」
賢治が満面の笑みを浮かべて、棒を持ったままの右手を振って見せた。分厚い硝子が落ちる音がして、賢治以外の全員が落ちた物を見た。
「あー! 賢治、何してんだよ」
真っ先に、育也が眉間に皺を寄せた。大声に、賢治が一瞬身体を硬くする。
「いいから早く拭けよ」
惣一は、慌てて地図の上に布巾を数枚載せ、落ちた拍子に零れた墨汁を拭きだす。
「中身が全て、出てしまいましたね」
苦笑いを浮かべて、弥素次は載せられたままの布巾で拭き始めた。布巾に吸い取らせようとして一度地図から離し、水溜りのようになっている墨汁の上に静に置く。吸い取れない墨汁は小さく波打って、布巾から逃れようと地図の上を少しだけ移動していく。
「賢治、随分派手にやったな」
涼しげに近寄ってきた連が、苦笑しながら弥素次の腕から賢治を抱き上げた。
「こら妖婆、手伝えよ」
腹立たしげな表情を浮かべて育也は、連を睨んでいる。
「手は十分足りているだろう」
連が賢治の額に自分の額を触れさせると、じっと賢治の瞳を覗き込んだ。
「賢治、墨汁を持って何をする気だったんだ?」
「賢治は、お絵描きしたかったんでしゅ」
間近で連に見詰められた賢治は、悪いと思っていないのか、真っ直ぐ連を見詰め返している。
「そうか。でもな、墨汁を落としてしまったから、地図が見えなくなってしまったんだ。分かるか?」
拭き終えていない地図を連は、賢治に分かるように指差す。賢治の視線が、地図に向かったのを確認して再び口を開いた。
「誰かに、墨汁を扱っても良いと言われたか?」
賢治の首が横に振られる。
「言われていないのに、扱ってはいけないと教えていた筈だぞ」
強い口調を使わずに、ゆっくりと賢治に理解させるように連は言葉を紡いでいく。次第に賢治の目から大粒の涙が零れだした。
「賢治は悪いことしたんでしゅね。悪いことをしたから、がいこちゅが来て首を切られちゃいましゅ」
賢治の言葉に、弥素次は思わず怪訝な顔してしまった。骸骨が、どうしたら首を切るというのだろうか。連が顔を埋めた賢治の頭を撫でながら、小さく済まないと呟いた。
「いえ、態とではないので構わないのですが、賢治の言っている意味が良く分からない」
弥素次の言葉を聞いた連が懐から袋を取り出し、台の上に放り投げた。育也が手を止めて袋の中身を出す。出て来たのは数十枚程度の札。一体何の札なのか。
「札?」
「tarot、遊戯用の札だ。中に賢治が言っているのもがある」
連に言われ、育也が札を一枚づつ確認していく。骸骨が描かれた札で手を止めた。
「何だ、この気味悪い骸骨は」
覗き込んだ惣一の表情が、嫌そうになっている。
「Dieu de la mort、死の神と言う」
連の表情が何処か不気味に感じるのは、気のせいだろうかと思いながら、札を眺める。
「こんな物、何処で手に入れたんだよ」
育也が呆れたような表情で、連を見上げた。
「異界だ。似てはいるが、こちらと違って多種多様の信仰と神が存在するし、こちらにはない珍しい物もある」
薄っすらと笑みを浮かべた連に、弥素次はこれ以上聞いてよいものかと疑問を抱く。札を出した時から、連の雰囲気は山の主以上の、畏怖するような感覚を覚えている。恐らく、弥素次の想像の範囲を超えてしまっていることを、連が受け流すように言っているせいだろう。
「こちらに存在している神は、生魂の女神、分境の女神、死魂の女神、霊獣の番人。それと悪心の神。しかし、あちらは、単一の神を崇拝する信仰もあれば、多種の神を崇める信仰もある。それと、ここには存在しない海もあるしな」
「海?」
聞いたことのない言葉、今一理解出来ないがこことは明らかに違うことだけは分かる。
「湖のでかい版で水は塩水。川から流れた水が海に出る。海に出た水は海水と呼ばれ、地平線の先まで海が続く。こちらは陸のみだが、あちらは海と陸と両方ある。恐らく、湖よりも底が深いだろうな」
ごめん、俺想像出来ねえ。育也が真っ先に根を上げた。惣一も言葉にしないが、想像出来ないようで既に頭を抱えている。弥素次も同じで、根を上げたいところだが、二人が先に根を上げてしまった為に、言葉にも表情にも出せない。
「さて、余談はこれくらいにして、何か分かったのか?」
連の雰囲気が変わった。何時もの飄々とした雰囲気が一瞬で表れる。育也が手短に、しかし正確に今までのことを話した。




