獣道の数
「育也」
一瞬、惣一の表情が明るくなった気がしたが、すぐに頭が痛そうな表情に変ってしまった。
「あのなあ、何でそんなに髪を短くしたんだよ」
同時に、特大の溜息を吐いている。
「帰った途端にそれか、お帰りくらい言えよ」
惣一の言葉を聞いた途端に、育也が言葉を返している。先程の、緊張したような雰囲気は既に残っていない。
「はいはい、お帰り、お帰り」
適当に言っているが、惣一の表情は何処となく嬉しそうだ。
「あ、何だその適当な言い方、もう少し良いようがあるだろ」
口を尖らせて言っている育也も、同じなようで安堵した表情が窺える。
「あのな、そんなこと言うならその髪何とかしろよ」
「嫌だね、髪長かったら邪魔なんだよ」
しかし、この親子は良く似ていると思う。久し振りの、特に惣一にとってはもう死んでいるかもしれないと、諦めていたかもしれない娘との再会の筈だが、照れてしまっているのか、心にもないことを言って嬉しさを隠している。育也は育也で、自分の家に戻れた安堵感があるにも関わらず、憎まれ口を叩く始末だ。まあ、険悪な雰囲気でない分良しとするか。二人の会話を聞きつつも、服を掴んだままの賢治を抱き上げた。
「しょーいちは、お兄ちゃんと喧嘩してましゅか?」
「いいえ、惣一さんは育也と会えて嬉しいのですよ」
抱き上げられた賢治が、惣一と育也を見ながら聞いてきたので、首を横に振って答えた。
「でも、賢治。育也はお兄ちゃんではなくて、お姉ちゃんですよ。お兄ちゃんというと、後で怒られてしまいますから、気を付けてくださいね」
育也の言葉遣いや態度は、十代の頃に周りの大人達に反抗していた為だろうと思っている。町長に見せた仕草は、反抗していなければごく普通の娘になっていると物語っていた。
「はい」
元気良く返事をして、賢治が大きく頷くの見た後、視線を惣一と育也に移す。いつの間にか、脇に置いてあった椅子に座り込んだ育也が、惣一と未だ言い合っている。この二人はいつまで意地を張るつもりなのだろうか。仕方がないと思いながら、育也の横へ移動する。
「だーかーら、何でそうやって反抗したがるんだよ」
「自分がやりたいこと、やってるだけだろ。人の行動に口挟むなよ」
「やるなとは言ってない。ただ、髪だけは何とかしろって言ってんだよ」
どうもこの二人の会話は、育也の髪の長さに向いている。まあ、確かに育也の髪は短すぎて、今の服装と態度なら男と間違われても仕方ない気もするが、髪の話を終わらせないといけない。今のままでは、盗賊の話が何時始まるか、全く見当がつかない為、弥素次は口を挟むことにする。
「私は、どちらでも構わないと思うのですが、髪の長い育也も見てみたいですね」
それ見ろと惣一が勝ち誇ったように言っている向いで、育也が驚いてこちらを見上げた。すぐに何とも言えない表情で、顔を背けてしまう。
「賢治も見たいでしゅ。お姉ちゃんは髪の毛が短かったら、お兄ちゃんになりましゅよ」
くるりと育也が振り返った。両手を賢治の頬に持っていくと、遠慮なく引っ張る。
「誰がお兄ちゃんだ、こら」
「いらいれふう」
言うなと言っておいたが、無駄だったらしい。賢治の目に涙が溜まりだしたのを見て、育也が手を離した。
「やしょじ、痛いでしゅ」
賢治が、両手で自分の頬を擦っている。左手は乾燥した薬草を握ったまま擦っているので、葉が擦る度に落ちてしまう。
「育也。間違われたくないから名前で呼べよ、小さいの」
「賢治は、小しゃいのじゃないでしゅ。賢治は、賢治って言うんでしゅよ」
育也の言葉に、賢治が負けじと言い返す。この二人は、ある意味似ているかもしれないと思いつつも、惣一と育也を見た。
「惣一さん、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか」
惣一の視線が、不思議そうに向けられた。
「詰所で盗賊が出没した場所の地図を見たのですが、道のない部分にも印がついていたのです。育也が獣道ではないかと言っていたのですが、何処に通っているか正確な位置が分からなくて。後に行った役場で、町長から森に一番詳しいのは惣一さんだと聞いたので、教えていただけないかと」
「獣道くらいなら分かるけど、一番詳しいは余計だよな。地図はあるかい?」
惣一が少々照れ臭そうに鼻の頭を掻きながら聞き返したので、詰所で印を書き写した地図を台の上に広げた。
「かなり多いな」
呟きながら書く為の棒と墨汁の入った瓶を取り出し、棒に墨汁を浸けると丁寧に獣道を描き始めた。まず、一番長い獣道を横に描いていく。描き終えると再び棒を墨汁に浸け、今度は描いた獣道から上へ短い獣道を描いていく。描き終えると今度は下の獣道を描く。
「なあ、獣道ってさ、かなり多くないか?」
惣一が描く線を見ながら、育也が驚いたように聞いている。地図上の森は篠木の町から見て北側で東の国から、柳を通るようにして西側の国へ続いている。森の更に北側には連なるように山があり、山から国を三分割するように川が流れており、その一つは篠木の町の右側、指三本分くらいの処に描かれている。森から抜ける道は三本、東の国から篠木の町に出る道、最北端の北樹の町から柳秦へ抜ける道と最西端の西原の町へ抜ける道。
「獣道はさ、地元の者が使うことが多いから、地図には描かれないけど、結構な数があるんだ。ついでに言うと、その日に帰れない時もあるから寝泊まり出来るとこも山側にはいくつかある」
言いながら、惣一は更に描いていく。
「惣一さん、寝泊まり出来る場所も、書き入れていただけますか」
描き終えた頃合を見計らって言うと、良いよ、と惣一は快く返事をして、再び描き入れていく。棒を置き、描き終えたときには、地図はかなりの数の獣道と、寝泊まり出来る場所が描き込まれていた。




