9.決断
西の都ウエスタン。
巨大な城壁をくぐった瞬間、アニマはわずかに目を細めた。
人が多い。
ポルトとは違う。
広い石畳の道。両側には何階建てなのか分からないほど高い建物が並び、その隙間を人々が絶え間なく行き交っている。
商人。
冒険者。
馬車。
鎧を着た兵士。
様々な人間がいた。
「すごい……」
ハルカが声を漏らす。
「ポルトも大きかったけど、ここはもっとすごいね」
物珍しそうに辺りを見回している。
アニマは、違うものを見ていた。
屋根の上。
路地。
二階の窓。
人混みの中。
視線。
武器。
不自然な動き。
自分たちを追う者がいないか、一つずつ確認する。
「……アニマ?」
ハルカが隣を見る。
「何だ」
「いや」
少しだけ首を傾げた。
「なんか、ピリピリしてない?」
「街を見ている」
「景色を見てるだけ?」
「ああ」
嘘だった。
ハルカは納得していないようだったが、それ以上は聞かなかった。
*****
ギルドで正式に依頼完了の手続きを終えた。
約束通りの報酬が、アニマとハルカへ渡される。
「これで依頼は終了です」
アルクが言った。
「ああ」
アニマは袋を受け取る。
討伐依頼の時と同じくらい重い。
「助かったわ」
リーフがアニマを見る。
「道中も、ありがとう」
「何もしていない」
「それでもよ」
リーフは僅かに笑った。
その横では、フレッサが相変わらず無表情だった。
「それで」
アニマが言った。
「答えだが」
リーフの表情が僅かに変わる。
アニマは少しだけ考えた。
答えは、まだ出ていない。
「今晩でいいか」
「……今晩?」
「ああ」
リーフは黙る。
「分かった」
そして、静かに頷いた。
「待っているわ」
「何の話?」
ハルカが不思議そうに尋ねる。
アニマはそちらを見る。
「少し話がある」
「何の?」
「まだ言えない」
ハルカが眉をひそめる。
当然だ。
だが、今回の悩みの種はハルカだった。
奴隷を助ける。
そのために目立つ行動をすれば、自分が追われる可能性がある。
ヴェイド王国の間者が、すでに自分を見つけている。
自分のせいで。
ハルカまで危険に巻き込まれるかもしれない。
それを、本人に相談することはできなかった。
「じゃあ、月が中天から降りる頃」
リーフが言った。
「街外れの噴水の近くで」
「分かった」
そこで、一度別れた。
*****
宿を取った後。
ハルカは部屋の窓から、街を眺めていた。
「大きい街だね」
「ああ」
「せっかくだから、明日は少し見て回ろうよ」
「……そうだな」
アニマの返事は短い。
ハルカが振り返る。
「やっぱり変」
「何がだ」
ハルカがゆっくりアニマを指差す。
「いつも変だけど、今日は特に」
アニマは答えない。
「何か悩んでる?」
「別に」
「嘘」
即答だった。
アニマは少し黙る。
自分でも分かっている。
ハルカに隠し事をすることが苦手なのだ。
しかし。
「……大丈夫だ」
それだけしか言えなかった。
*****
日が沈み、月が昇ってゆく。
アニマは宿を出た。
「どこ行くの?」
背後からハルカの声。
「少し用がある」
「こんな時間に、一人で?」
「ああ」
「……そっか」
ハルカはそれ以上、止めなかった。
アニマは街を歩く。
人の多い通りを抜ける。
そして。
街外れへ向かった。
*****
人気のない場所だった。
古い噴水。
水は流れているが、その周囲に人はいない。
雲一つなく、噴水は月明かりに照らされていた。
「待たせた」
アニマが言う。
「いいえ」
ベンチにリーフが座っていた。
その隣にはアルク。
「今来たところよ」
アニマは二人を見る。
そして。
少し離れた屋根の上へ視線を向けた。
「フレッサか」
「……さすがですね」
アルクが苦笑する。
気配を隠している。
だが、アニマには分かる。
「大分警戒している」
「彼女なりに、リーフ様を守っているんです」
「そうか」
アニマはそれ以上言わない。
リーフが立ち上がり一歩前へ出た。
「…昔はここが街の中心地だったそうよ。結構立派な噴水よね」
「……」
「城壁が破壊され、修復するときに街が広がり形が変わり、ここは中心地から外れることになった。おかげで人通りはほとんどないわ」
「……そうか」
大きな声で言えない話をするには、適している。
「今日の昼」
リーフが話し始めた。
「私は、奴隷を見た」
アニマは黙って聞く。
奴隷文化はどこの国にもあるもので、特に珍しいものでもない。
「エルフではなかったわ」
リーフの声は低い。
「人間だった」
噴水の水音が響く。
「首輪をつけられていた。服は汚れていて、身体には傷があった」
リーフは拳を握る。
「歩くのが遅いからと、殴られていた」
アニマは何も言わない。
「周りにいた人たちは、誰も止めなかった」
止められない。
それが現実だ。
奴隷商人。
金。権力。
背後には様々ある。
下手に関われば、身の安全は当然保証されない。
「私は」
リーフが続ける。
「どうしても、許せない」
声が震えていた。
「人を、物みたいに扱うなんて」
アニマも知っている。
ヴェイド王国の奴隷。
飢え。
暴力。
死。
人間として扱われない者たち。
戦場で死ぬ兵士とは、また違う。
逃げることすら許されない。
リーフが俯く。
「…仲良くしていた子がいた」
長い耳が、僅かに揺れる。
「ある日、攫われた。ウエスタンで有名な商人の紋章を付けている人達に」
リーフは顔を上げた。
「助けたい」
真っ直ぐだった。
「今この瞬間も、苦しんでいるでしょう」
「……」
「だから、助けたい。助けに行きたい」
そして。
「あなたの力を借りたい」
アニマは目を閉じた。
答えは。
もう出ている。
「断る」
リーフの表情が固まった。
アルクも黙る。
「……そう」
リーフは小さく言った。
「理由を聞いても?」
「奴隷を許せない気持ちは分かる」
アニマは言った。
「助けたいと思う気持ちも」
奴隷を哀れむ気持ちはある。
だからこそ。
余計に苦しかった。
「だが、今は目立てない」
ヴェイド王国。
間者。
自分を追う者。
「俺には事情がある」
リーフは黙っている。
「そして」
アニマは言葉を続けた。
「俺一人の問題じゃない」
ハルカ。
自分を信じて。
世界の果てからついてきた女の子。
そして。
あの島の老人にも、頼まれている。
ハルカを頼むと。
アニマは、あの言葉を忘れていなかった。
同年代の平均的な女性よりは動けるだろう。
治癒魔法も使える。
それでも。
戦うためについてきてくれたわけではない。
自分が戦争を止めるという目的を持つなら。
その旅に、自分を思ってついてきたハルカを。
自分の判断で危険に巻き込むわけにはいかなかった。
「俺が目立てば」
アニマは続ける。
「ハルカまで危険になる可能性がある」
「……」
「それだけは避けたい」
リーフが目を伏せた。
「分かったわ」
そう言った。
だが。
「ちょっと待って」
別の声。
全員が声の方に顔を向けた。
「……何の話?」
ハルカが立っていた。
アニマの目が見開かれる。
「ハルカ?」
「奴隷?」
断片的に聞いていた、のだろうか。
「私に危険?」
アニマを見る。
「何の話なの」
答えられない。
ハルカは。
いつから聞いていた。
「どうしてここにいる」
「アニマの様子がおかしかったから」
ハルカが言う。
「気になって、ついてきた」
「……」
アニマは愕然とした。
気づかなかった。
自分が尾行されていたことに。
あり得ない。
普段なら数十メートル後ろの気配でも察知する。
それなのに、まったく気づかなかった。
「……俺は」
思わず、自分の額を押さえる。
それほどまでに余裕がなかったのか。
知らず知らずのうちに、自分を追い詰めていたのか。
「私から話します」
リーフが言った。
「え?」
ハルカがリーフを見る。
アニマは止めなかった。
*****
リーフが全てを話した。
奴隷のこと。
攫われた同族のこと。
そして。
自分たちが助けようとしていること。
アニマが断ったことも。
話が終わる頃。
ハルカは俯いていた。
「……ひどい」
小さな声。
「そんなの」
そして。
目から涙が溢れ落ちた。
「助けてあげてよ」
アニマを見る。
「アニマ」
「……」
「助けられるんでしょ」
アニマは答えない。
「だったら」
「簡単に言うな」
思わず声が低くなる。
ハルカが驚く。
アニマは、すぐに目を逸らした。
「……悪い」
「私のこと?」
ハルカが尋ねる。
「私が危ないから?」
「ああ」
「大丈夫だよ」
ハルカは涙を拭う。
「自分の身くらい、自分で守る」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ何?」
アニマは言葉に詰まる。
自分を思ってついてきてくれた。
あの老人にも託された。
だから。
守る。
それは自分で決めた。
「俺のせいで危険になる」
アニマが言った。
「それが嫌なんだ」
ハルカは黙る。
奴隷商人を潰すことくらい、集中できれば難しい話ではない。
しかし。
今の自分には。
守るべき者がいる。
「アニマさんは」
リーフが静かに口を開いた。
「ハルカさんの安全が保証できれば、手伝ってくださるのですか?」
アニマはリーフを見る。
「……」
保証。
そんなもの、誰にもできない。
ヴェイド王国の間者が、この街にいる可能性もある。
自分が目立てば、刺客が現れるかもしれない。
その時。
自分以外に。
ハルカを守れる者がいるのか。
「……難しい」
アニマは苦い顔をした。
リーフは少し考える。
「昔、世話になった人がいます」
アニマが顔を上げた。
「このウエスタンの外れに」
「どんな奴だ」
「戦士です」
リーフが答える。
「かなり強い人」
アルクが表情を変えた。
「リーフ様」
「分かってる」
リーフは続ける。
「話を聞いてくれるかは分かりません」
「……」
「でも」
リーフはアニマを見る。
「その人なら」
――ハルカの安全を任せられるかもしれない。
「会わせてほしい」
アニマが言った。
ハルカが顔を上げる。
リーフは少し希望を抱いたような目でアニマを見る。
「まだ手伝うとは言っていない」
アニマは言う。
「だが、その戦士の話を聞きたい」
涙を拭ったハルカを見る。
真剣な顔をしたリーフたちを見る。
自分一人なら、すぐに答えを出せた。
だが。
今は違う。
「会わせてくれ」
リーフは、ゆっくりと頷いた。
「分かりました」
夜の噴水。
水音だけが響いている。
アニマはまだ、協力すると決めたわけではない。
しかし。
断るためにここまで来たわけでもなかった。
次に会う者。
その戦士が、アニマの決断を大きく変えることになるかもしれなかった。




