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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
9/25

9.決断

 西の都ウエスタン。


 巨大な城壁をくぐった瞬間、アニマはわずかに目を細めた。


 人が多い。


 ポルトとは違う。


 広い石畳の道。両側には何階建てなのか分からないほど高い建物が並び、その隙間を人々が絶え間なく行き交っている。


 商人。

 冒険者。

 馬車。

 鎧を着た兵士。


 様々な人間がいた。


「すごい……」


 ハルカが声を漏らす。


「ポルトも大きかったけど、ここはもっとすごいね」


 物珍しそうに辺りを見回している。


 アニマは、違うものを見ていた。


 屋根の上。

 路地。

 二階の窓。

 人混みの中。

 視線。

 武器。

 不自然な動き。


 自分たちを追う者がいないか、一つずつ確認する。


「……アニマ?」


 ハルカが隣を見る。


「何だ」

「いや」


 少しだけ首を傾げた。


「なんか、ピリピリしてない?」

「街を見ている」

「景色を見てるだけ?」

「ああ」


 嘘だった。


 ハルカは納得していないようだったが、それ以上は聞かなかった。


 *****


 ギルドで正式に依頼完了の手続きを終えた。


 約束通りの報酬が、アニマとハルカへ渡される。


「これで依頼は終了です」


 アルクが言った。


「ああ」


 アニマは袋を受け取る。

 討伐依頼の時と同じくらい重い。


「助かったわ」


 リーフがアニマを見る。


「道中も、ありがとう」

「何もしていない」

「それでもよ」


 リーフは僅かに笑った。


 その横では、フレッサが相変わらず無表情だった。


「それで」


 アニマが言った。


「答えだが」


 リーフの表情が僅かに変わる。


 アニマは少しだけ考えた。

 答えは、まだ出ていない。


「今晩でいいか」

「……今晩?」

「ああ」


 リーフは黙る。


「分かった」


 そして、静かに頷いた。


「待っているわ」

「何の話?」


 ハルカが不思議そうに尋ねる。

 アニマはそちらを見る。


「少し話がある」

「何の?」

「まだ言えない」


 ハルカが眉をひそめる。


 当然だ。

 だが、今回の悩みの種はハルカだった。


 奴隷を助ける。

 そのために目立つ行動をすれば、自分が追われる可能性がある。


 ヴェイド王国の間者が、すでに自分を見つけている。


 自分のせいで。

 ハルカまで危険に巻き込まれるかもしれない。

 それを、本人に相談することはできなかった。


「じゃあ、月が中天から降りる頃」


 リーフが言った。


「街外れの噴水の近くで」

「分かった」


 そこで、一度別れた。


 *****


 宿を取った後。

 ハルカは部屋の窓から、街を眺めていた。


「大きい街だね」

「ああ」

「せっかくだから、明日は少し見て回ろうよ」

「……そうだな」


 アニマの返事は短い。


 ハルカが振り返る。


「やっぱり変」

「何がだ」


 ハルカがゆっくりアニマを指差す。


「いつも変だけど、今日は特に」


 アニマは答えない。


「何か悩んでる?」

「別に」

「嘘」


 即答だった。


 アニマは少し黙る。

 自分でも分かっている。

 ハルカに隠し事をすることが苦手なのだ。


 しかし。


「……大丈夫だ」


 それだけしか言えなかった。


 *****


 日が沈み、月が昇ってゆく。


 アニマは宿を出た。


「どこ行くの?」


 背後からハルカの声。


「少し用がある」

「こんな時間に、一人で?」

「ああ」

「……そっか」


 ハルカはそれ以上、止めなかった。


 アニマは街を歩く。

 人の多い通りを抜ける。

 そして。

 街外れへ向かった。


 *****


 人気のない場所だった。


 古い噴水。

 水は流れているが、その周囲に人はいない。

 雲一つなく、噴水は月明かりに照らされていた。


「待たせた」


 アニマが言う。


「いいえ」


 ベンチにリーフが座っていた。

 その隣にはアルク。


「今来たところよ」


 アニマは二人を見る。

 そして。

 少し離れた屋根の上へ視線を向けた。


「フレッサか」

「……さすがですね」


 アルクが苦笑する。


 気配を隠している。

 だが、アニマには分かる。


「大分警戒している」

「彼女なりに、リーフ様を守っているんです」

「そうか」


 アニマはそれ以上言わない。


 リーフが立ち上がり一歩前へ出た。


「…昔はここが街の中心地だったそうよ。結構立派な噴水よね」

「……」 

「城壁が破壊され、修復するときに街が広がり形が変わり、ここは中心地から外れることになった。おかげで人通りはほとんどないわ」

「……そうか」


 大きな声で言えない話をするには、適している。


「今日の昼」


 リーフが話し始めた。


「私は、奴隷を見た」


 アニマは黙って聞く。

 奴隷文化はどこの国にもあるもので、特に珍しいものでもない。


「エルフではなかったわ」


 リーフの声は低い。


「人間だった」


 噴水の水音が響く。


「首輪をつけられていた。服は汚れていて、身体には傷があった」


 リーフは拳を握る。


「歩くのが遅いからと、殴られていた」


 アニマは何も言わない。


「周りにいた人たちは、誰も止めなかった」


 止められない。

 それが現実だ。


 奴隷商人。


 金。権力。

 背後には様々ある。


 下手に関われば、身の安全は当然保証されない。


「私は」


 リーフが続ける。


「どうしても、許せない」


 声が震えていた。


「人を、物みたいに扱うなんて」


 アニマも知っている。


 ヴェイド王国の奴隷。


 飢え。

 暴力。

 死。


 人間として扱われない者たち。

 戦場で死ぬ兵士とは、また違う。

 逃げることすら許されない。


 リーフが俯く。


「…仲良くしていた子がいた」


 長い耳が、僅かに揺れる。


「ある日、攫われた。ウエスタンで有名な商人の紋章を付けている人達に」


 リーフは顔を上げた。


「助けたい」


 真っ直ぐだった。


「今この瞬間も、苦しんでいるでしょう」

「……」

「だから、助けたい。助けに行きたい」


 そして。


「あなたの力を借りたい」


 アニマは目を閉じた。


 答えは。

 もう出ている。


「断る」


 リーフの表情が固まった。

 アルクも黙る。


「……そう」


 リーフは小さく言った。


「理由を聞いても?」

「奴隷を許せない気持ちは分かる」


 アニマは言った。


「助けたいと思う気持ちも」


 奴隷を哀れむ気持ちはある。


 だからこそ。

 余計に苦しかった。


「だが、今は目立てない」


 ヴェイド王国。

 間者。

 自分を追う者。


「俺には事情がある」


 リーフは黙っている。


「そして」


 アニマは言葉を続けた。


「俺一人の問題じゃない」


 ハルカ。


 自分を信じて。

 世界の果てからついてきた女の子。


 そして。

 あの島の老人にも、頼まれている。


 ハルカを頼むと。


 アニマは、あの言葉を忘れていなかった。


 同年代の平均的な女性よりは動けるだろう。

 治癒魔法も使える。


 それでも。


 戦うためについてきてくれたわけではない。


 自分が戦争を止めるという目的を持つなら。

 その旅に、自分を思ってついてきたハルカを。

 自分の判断で危険に巻き込むわけにはいかなかった。


「俺が目立てば」


 アニマは続ける。


「ハルカまで危険になる可能性がある」

「……」

「それだけは避けたい」


 リーフが目を伏せた。


「分かったわ」


 そう言った。


 だが。


「ちょっと待って」


 別の声。

 全員が声の方に顔を向けた。


「……何の話?」


 ハルカが立っていた。

 アニマの目が見開かれる。


「ハルカ?」

「奴隷?」


 断片的に聞いていた、のだろうか。


「私に危険?」


 アニマを見る。


「何の話なの」


 答えられない。


 ハルカは。

 いつから聞いていた。


「どうしてここにいる」

「アニマの様子がおかしかったから」


 ハルカが言う。


「気になって、ついてきた」

「……」


 アニマは愕然とした。

 気づかなかった。

 自分が尾行されていたことに。


 あり得ない。


 普段なら数十メートル後ろの気配でも察知する。


 それなのに、まったく気づかなかった。


「……俺は」


 思わず、自分の額を押さえる。


 それほどまでに余裕がなかったのか。

 知らず知らずのうちに、自分を追い詰めていたのか。


「私から話します」


 リーフが言った。


「え?」


 ハルカがリーフを見る。


 アニマは止めなかった。


 *****


 リーフが全てを話した。


 奴隷のこと。

 攫われた同族のこと。


 そして。


 自分たちが助けようとしていること。

 アニマが断ったことも。


 話が終わる頃。


 ハルカは俯いていた。


「……ひどい」


 小さな声。


「そんなの」


 そして。

 目から涙が溢れ落ちた。


「助けてあげてよ」


 アニマを見る。


「アニマ」

「……」

「助けられるんでしょ」


 アニマは答えない。


「だったら」

「簡単に言うな」


 思わず声が低くなる。


 ハルカが驚く。

 アニマは、すぐに目を逸らした。


「……悪い」

「私のこと?」


 ハルカが尋ねる。


「私が危ないから?」

「ああ」

「大丈夫だよ」


 ハルカは涙を拭う。


「自分の身くらい、自分で守る」

「そういう問題じゃない」

「じゃあ何?」


 アニマは言葉に詰まる。


 自分を思ってついてきてくれた。

 あの老人にも託された。


 だから。

 守る。

 それは自分で決めた。


「俺のせいで危険になる」


 アニマが言った。


「それが嫌なんだ」


 ハルカは黙る。


 奴隷商人を潰すことくらい、集中できれば難しい話ではない。


 しかし。

 今の自分には。

 守るべき者がいる。


「アニマさんは」


 リーフが静かに口を開いた。


「ハルカさんの安全が保証できれば、手伝ってくださるのですか?」


 アニマはリーフを見る。


「……」


 保証。

 そんなもの、誰にもできない。

 ヴェイド王国の間者が、この街にいる可能性もある。


 自分が目立てば、刺客が現れるかもしれない。


 その時。

 自分以外に。


 ハルカを守れる者がいるのか。


「……難しい」


 アニマは苦い顔をした。

 リーフは少し考える。


「昔、世話になった人がいます」


 アニマが顔を上げた。


「このウエスタンの外れに」

「どんな奴だ」

「戦士です」


 リーフが答える。


「かなり強い人」


 アルクが表情を変えた。


「リーフ様」

「分かってる」


 リーフは続ける。


「話を聞いてくれるかは分かりません」

「……」

「でも」


 リーフはアニマを見る。


「その人なら」


 ――ハルカの安全を任せられるかもしれない。


「会わせてほしい」


 アニマが言った。


 ハルカが顔を上げる。

 リーフは少し希望を抱いたような目でアニマを見る。


「まだ手伝うとは言っていない」


 アニマは言う。


「だが、その戦士の話を聞きたい」


 涙を拭ったハルカを見る。


 真剣な顔をしたリーフたちを見る。


 自分一人なら、すぐに答えを出せた。


 だが。

 今は違う。


「会わせてくれ」


 リーフは、ゆっくりと頷いた。


「分かりました」


 夜の噴水。


 水音だけが響いている。


 アニマはまだ、協力すると決めたわけではない。


 しかし。

 断るためにここまで来たわけでもなかった。


 次に会う者。

 その戦士が、アニマの決断を大きく変えることになるかもしれなかった。

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