10.邂逅
ウエスタンの街外れ。
アニマたちは、街の中心から離れるように歩いていた。
石畳の道を抜ける。
建物が少なくなり、やがて人の姿もほとんど見えなくなっていく。
「この先なの?」
ハルカが尋ねる。
「ええ」
リーフが答えた。
「街の端に近い、小さな丘があります。その上です」
アニマは前を見る。
確かに、少し先に小高い丘が見えた。
その頂上に、一軒の家が建っている。
大きな家ではない。
ウエスタンの街中にある建物と比べれば質素な造りだった。
「本当にここにいるの?」
「いるはずです」
リーフが答える。
その隣を歩いていたアルクが、懐かしそうに丘を見上げた。
「変わってませんね」
「知っているのか」
アニマが尋ねる。
「ええ」
アルクは少し笑った。
「ここは、俺が昔修行していた場所です」
「修行?」
「今回お願いをしに来たのは俺の師匠であるベアという戦士なんですよ」
アニマはアルクを見る。
「アルクの師匠なのか」
「そうです」
アルクは前を向いたまま答えた。
「俺は昔、武者修行のためにウエスタンへ来たんです」
「一人で?」
「はい。とにかく強くなりたかったんです」
アルクは笑う。
「あの頃は若かった」
「いくつだったんだ」
「十六です」
「……若いな」
「アニマ殿に言われたくないですよ」
しばらく歩く。
アルクは丘の上の家を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「それで、ウエスタンで師匠を探して修行していたんです」
「ベアを?」
「ええ。師匠はこの辺りじゃ有名な戦士でしたから」
アルクは少し懐かしそうに笑う。
「とにかく強かった。俺なんて、何度挑んでもまともに一本も取れなかった」
「今ならどうだ?」
「無理、でしょうね」
アルクが苦笑した。
「それである日、街でリーフ様を見かけたんです」
リーフが少しだけ気まずそうな顔をした。
「その話はしなくても」
「いやいや。もう話してしまった方がいいでしょう」
アルクが笑う。
「当時のリーフ様は、今よりずっと無茶をする人でした」
「今も無茶されます」
フレッサが淡々と言った。
「フレッサ」
リーフが少し睨む。
「事実です」
フレッサはそれだけ答えた。
アルクは笑いながら続ける。
「街で、奴隷の女の子がいたんです」
アニマの表情が変わる。
「その子を見て、リーフ様が助けようとしていた」
「助けようとしたというより……」
リーフが小さく呟く。
「放っておけなかったの」
「同じことですよ」
アルクが肩をすくめる。
「奴隷商人と揉めていました」
「揉めていた?」
「ええ。すごい剣幕でした」
アルクは当時を思い出すように目を細める。
「リーフ様は、奴隷商人にその子を渡せと言った」
「それで?」
「当然、向こうも簡単には応じない」
アルクは苦笑した。
「言い争いになって、周囲の人間まで集まってきた。リーフ様は引く気がない。相手も引かない」
「……」
「そのままだと、ただの口論では済まなくなると思った」
アルクは続ける。
「だから、俺が間に入りました」
「それが出会いか」
「そうです」
アニマはリーフを見る。
リーフは少し恥ずかしそうに目を逸らしていた。
「それで?」
「それで……」
アルクが少しだけ頬を掻く。
「一目惚れしました」
「……」
アニマが黙る。
ハルカが目を丸くした。
「え?」
「一目惚れです」
アルクはあっさり言った。
「その場で、この人についていきたいと思いました」
「随分と展開が早いな」
「自分でもそう思います」
アルクは笑う。
「でも、そこですぐ連れて行ってもらえるわけじゃありませんでした」
「どういうこと?」
ハルカが尋ねる。
「リーフ様の近くにいるには、それなりの力が必要だったんです」
アルクの表情が少し真剣になる。
「だから俺は、リーフ様に自分の強さを見せた」
「どんな風に?」
「街の外で魔物を倒したり、他の冒険者と手合わせしたり」
アルクは肩をすくめる。
「俺がどれくらい戦えるのかを見てもらった」
「それで、リーフが認めた?」
「ええ」
リーフが口を開いた。
「強かったから」
「ありがとうございます」
アルクが頭を下げる。
「それから、私はベアさんのところへ行ったの」
リーフが続ける。
「アルクを連れていきたいって」
「師匠は怒りました」
アルクが苦笑する。
「そりゃもう、ものすごく」
「当たり前です。弟子が突然、修行を放り出して貴族についていくと言い出したのですから」
「放り出してはいませんよ」
「似たようなものです」
「……否定できません」
アルクが困ったように笑う。
「結局、師匠にはかなり怒られました」
「それで?」
「半分、勘当みたいな形になりました」
リーフが少し申し訳なさそうにする。
助力が確実に期待できない理由に納得した。円満な別れではなかったらしい。
「私のせいでもあります」
「違いますよ」
アルクは笑った。
「俺が自分で選んだことです」
アニマは二人を見る。
なるほど。
ただ雇われているだけではない。
アルクは、自分の意思でリーフについている。
そしてリーフもまた、アルクを一人の人間として認めている。
その関係が少し分かった気がした。
歩いている途中。
アニマはふと、ハルカを見る。
ハルカは黙って歩いていた。
「……」
少し、気まずそうだった。
アニマはその理由を知っている。
今回、ベアに会いに行く理由。
ハルカを守るためだ。
奴隷を助けるために、自分が危険へ踏み込む。
その時、ハルカを守れる人間が必要になる。
つまり。
自分が奴隷を助けるために動けるかどうかは、ハルカ自身の安全にかかっている。
ハルカは、それを分かっているのだろう。
アニマは何も言わなかった。
*****
やがて。
丘の頂上へ辿り着いた。
一軒の家。
木製の扉。
その前でリーフが足を止めた。
「ここです」
「……」
アニマは家を見る。
周囲には何もない。
風が吹き、草が揺れている。
「師匠」
アルクが扉を見る。
「いるでしょうか」
「叩いてみればいい」
アニマが言った。
アルクが扉を叩く。
「師匠。俺です」
返事はない。
「ベア師匠」
やはり返事はない。
「留守なのかしら」
リーフが言った。
「いや」
アニマが呟く。
「……来る」
「え?」
アニマが遠くに感じていた圧倒的な気配が、一気に強まった。
「――ッ!」
アニマは振り返る。
手が剣へ伸びる。
殺気ではない。
敵意でもない。
ただ。
純粋な力。
そこにいるだけで、身体が戦闘態勢へ移行してしまうほどの力だった。
アニマは目を細める。
この感覚。
ヴェイド王国にいた頃でも、これほどの力を持つ者は数えるほどしかいなかった。
「……想像以上だ」
アニマが呟く。
数瞬遅れてアルクが振り返った。
「……」
その頬を、冷や汗が伝う。
「この気配……」
アルクは目を細めた。
「懐かしい気配です」
丘の下。
一人の男が歩いてくる。
一歩。
また一歩。
徐々に、その姿が見えてくる。
巨大な身体。
茶色の髪が頭部を覆っている。
太い腕。大きな肩。熊を思わせるような巨体。
肩には巨大な斧を担いでいた。
男は何も言わない。
ただ、こちらを睨みながら歩いてくる。
「……あれが」
ハルカが小さく呟いた。
「師匠です」
アルクが答える。
やがて。
ベアはアニマたちから少し離れた場所で立ち止まった。
その視線がアルクへ向く。
次に。
アニマへ向いた。
――瞬間。
アニマは身体を動かした。
「――!」
斧が振り下ろされる。
速い。
反応できているのはアニマだけだった。
アニマは一歩前へ出た。
斧と剣が交差する。
凄まじい衝撃にアニマの足が地面に沈む。
力が伝わってくる。
「アニマ!」
「師匠! やめてください!」
「……」
アニマは目を細める。
ベアは斧を押し込む。
「全身から殺気が溢れてやがるぞ」
低い声。
「仲良くお話でもしに来たのか?」
アニマは答えなかった。
自分でも分かっている。
あまりにも強い気配だった。
身体が勝手に反応した。
戦場で染みついた癖。
強者を前にすれば、まず身構える。
それが自分の生き方だった。
意識して殺気を抑え込む。
「……すまなかった」
アニマが言う。
「力に、つい反応した」
ベアが斧を引く。
アニマも剣を下ろした。
「アルクに貴方のことを聞いた」
アニマは続ける。
「強き者だと」
ベアがアルクを見る。
「あの馬鹿野郎から?」
「……」
アルクが苦笑する。
「お久しぶりです、師匠」
「久しぶりだな」
ベアは斧を肩に担ぎ直した。
アニマはベアを見る。
今の一撃。
力、速さ、技量。
どれを取っても申し分ない。
確信する。
――この男になら。
ハルカを任せられる。
「リーフさんか」
ベアがリーフを見る。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです」
リーフが頭を下げる。
フレッサも一礼する。
ハルカも少し緊張しながら頭を下げた。
「……随分大所帯で」
ベアは全員を見回す。
「わざわざ俺のところまで来たんだ」
低い声。
「何か話があるんだろ」
リーフがアニマを見る。
アニマは頷いた。
そして。
奴隷解放についての話が、始まるのであった。




