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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
7/25

7.密影

 翌日。

 アニマとハルカは、街中を歩いていた。


「……どこに向かっている」

「高級街エリアだ」


 アルクはそれだけ言うと、振り返って笑った。


 案内された先を見て、アニマは足を止める。

 建物の前には、身なりの整った使用人らしき者が立っていた。

 石造りの三階建て。磨かれた窓。入口には、金属製の装飾まで施されている。


「ここ、宿?」


 ハルカが見上げる。


「ポルト一の宿ですよ」

「……高そう」

「高いですよ」


 ハルカが一歩後ずさる。


「私たち、間違ってない?」

「合ってます。こっちです」


 アルクに促され、中へ入る。

 床には厚い絨毯が敷かれ、壁には見たこともないような絵画が飾られていた。


「エルフのお姫様か何か?」

「さあ。俺も知らない」


 アニマは落ち着かなかった。


 こういう場所は、どうにも苦手だ。

 ヴェイド王国で豪華な建物を見ることもあった。

 だが、それらはほとんど王や貴族のためのものだった。

 自分には縁がない。


「こちらです」


 アルクが一つの扉の前で立ち止まる。

 軽くノックした。


「リーフ様。お連れしました」

「入って」


 扉の向こうから、少女の声がした。

 アルクが扉を開ける。

 部屋へ足を踏み入れた瞬間、アニマはわずかに目を細めた。

 昨日の軽装パーティーの少女。

 リーフがいた。

 部屋の中央に置かれた長椅子に座っている。


 そして、その両隣。

 二人のエルフが、まるで護衛でもするように立っていた。


 片方は細身の青年。もう片方は、長い髪を後ろでまとめた女性。

 二人とも、リーフと同じように整いすぎた顔立ちをしている。

 そして、窓際。

 一人の女が椅子に座っていた。

 背には弓。

 こちらもエルフだ。

 頬杖をつき窓の外を眺めていた彼女は、アニマたちが入ってきてもほとんど表情を変えない。


 五人。

 そのうちアルク以外の四人がエルフ。

 全員が、不思議なくらい美しい。


 だが。

 誰も笑わない。

 アニマとハルカが部屋へ入ってからも、世話役らしい二人は無表情のままアニマを見ていた。


 警戒している。

 そのことだけは分かった。


「座って」


 リーフが言う。

 アニマとハルカは向かい側に腰を下ろした。

 しばらく沈黙が続く。


「……昨日はありがとう」


 最初に口を開いたのはリーフだった。


「隊長級。あれは、私たちだけで遭遇していたら危なかったわ」

「そうか」

「あなたがいなければ、誰か死んでいたかもしれない」


 リーフは真っ直ぐアニマを見た。


「だから、改めて礼を言わせて。ありがとう」


 そして、わずかに頭を下げる。

 その瞬間。

 両隣の二人のエルフが、ほんの少しだけ反応した。


 だが、何も言わない。

 アニマも深く考えずに頷いた。


「気にするな」

「私は気にするのよ」


 リーフは言った。


「助けられたんだから」


 なぜかハルカが、少し嬉しそうに笑う。

 その様子を、窓際の女弓兵が横目で見た。

 しかし、やはり表情は動かない。


「それで」


 アニマは尋ねた。


「護衛の話とは何だ」


 アルクが机の上に置かれていた依頼書を取る。


「西の都、ウエスタンまで同行してほしい」

「それだけか」

「ああ」


 アルクが答えた。


「十日間ほどかかる旅になる。道中の護衛を頼みたい」


 アニマは依頼書を見る。

 昨日ギルドで見たものと同じ内容だった。

 正式な依頼。

 依頼主も明記されている。

 特に問題はない。

 だが。


「……俺の力を必要とする理由が分からない」


 アニマが言う。

 リーフが僅かに首を傾げた。


「理由?」

「お前たちにも戦える者がいる」


 窓際の女。

 背中の弓。

 そしてアルクも、昨日の戦いでは相当な腕だった。

 他の二人も、少なくともただの世話役には見えない。


 それでも。

 大金を払ってまで、自分を雇う。

 それが引っかかった。


「昨日、見ただろう」


 リーフが言った。


「隊長級を」

「ああ」

「あれを見て、少し怖くなった」


 少女の声は静かだった。


「私たちだけだったら、全滅していたかもしれない」


 アニマは黙って聞く。


「だから、強い護衛が欲しいと思った」

「それだけで、あの報酬か」

「もう一つある」


 リーフは少し考えた。


「私は、武芸者の話を聞くのが好き」

「……何?」

「強い人の話を聞くのが好き」


 なるほど、金持ちの考えそうなことだ。


「昨日のあなたは強かった。だから興味がある」

「それだけか?」

「それだけ」


 即答。

 アニマは依頼書とリーフを見比べる。


 怪しい。

 だが、依頼自体は正式なものだ。

 しかも、相手は金を持っている。

 金持ちの考えることはどこの国でも分からないものだ。


 そういうことにしておこう。


「アニマ」


 ハルカが小声で尋ねる。


「どうする?」


 少し考える。

 ヴェイド王国へ向かう途中でもある。

 金も手に入る。

 悪い依頼ではない。


「変わらない。受ける」

「よかった」


 ハルカが笑った。

 リーフは表情を変えなかった。

 だが、どこか安心したように見えた。


「出発は三日後でいいか」

「分かった」


 アニマたちは立ち上がる。


「では、当日」

「ああ」


 部屋を出る。

 扉が閉まった。


 *****


 しばらく。

 部屋の中には沈黙が流れていた。


「……本当に、これでいいのですか」


 リーフの右側にいた青年が尋ねる。


「何が?」

「目的を伏せたまま依頼することです」

「今は、まだ言えないわ」


 リーフは窓の外を見る。


 ポルトの街。

 行き交う人々。

 平和そうな景色だった。


「私たちが何をしようとしているのか。知れば、彼らは受けないかもしれない」

「だからといって」

「分かってる」


 リーフの声が少しだけ低くなる。


「ずるいことをしている」


 窓際の女弓兵が、初めて口を開いた。


「なら、なぜ彼を選んだ」

「強いからよ」

「それだけか?」


 リーフは答えなかった。


 昨日。

 大蜘蛛を見た。

 あれほどの怪物を、アニマはまるで相手にならないものでも見るように観察していた。


 そして。

 危険に晒された者がいれば、迷わず助けた。

 強い。

 そして、優しい。

 だからこそ。


「……きっと、断れないと思った」


 リーフが呟く。

 部屋の中に、再び沈黙が落ちた。


 *****


「今日はどこに行くんだ」

「まずは市場!」


 宿を出た瞬間、ハルカが言った。


「市場」

「次に観光名所!」

「観光名所」

「それから美味しいお店!」

「……武器屋は」

「最後!」


 アニマは眉をひそめた。

 ポルトを出るまで、あと二日。

 旅の準備をするなら、武器や防具を見るべきだ。

 新しい道具も必要になる。


「せっかくなんだから、少しくらい街を見ようよ」


 ハルカが言う。


「俺たちは遊びに来たわけじゃない」

「分かってるけど」

「それに、やることがある」

「そっか」


 ハルカの声が少しだけ小さくなった。

 それだけだった。

 それだけなのに。

 アニマの胸に、妙な痛みが走る。


 ハルカはすぐに笑った。


「じゃあ武器屋行こう!」

「いや」

「え?」


 アニマは少し迷った。

 そして。


「市場からでいい」

「本当?」

「ああ」


 一瞬。

 ハルカの顔が明るくなる。


「やった!」


 それだけで、先ほどまでの空気が消えた。

 アニマは少し呆れる。

 だが。

 悪くないと思った。


 *****


 市場には多くの人がいた。

 魚。

 果物。

 見たことのない香辛料。

 大陸各地から集められた品々が並んでいる。


「これ美味しそう!」

「何だ、それは」

「分からない!」

「分からないものを食うのか」

「食べてから決める!」


 ハルカが屋台へ向かう。

 アニマはその後ろを歩いた。


 *****


 香辛料の効いた焼き魚の串は、初めて食べる味だった。脂がのっていて美味かった。

 ハルカは「カレーみたいな味がする」と大興奮だった。かれー、というのはハルカの故郷の料理らしい。


「アニマ!」


 息つく間もなく、ハルカが店の前から手を振った。


「ここどうかな?」

「服か」

「そう!」


 店先には、様々な服が並んでいた。


「旅用の服も欲しかったんだよね」

「まだ着られるだろう」

「そういう問題じゃないの!」


 アニマには分からない。

 ハルカは呆れたように笑いながら、アニマへ串を渡し、店の中へ入っていった。


「ちょっと待ってて!」

「ああ」


 アニマは店の外に残る。

 しばらく壁にもたれていたが、不意に顔を上げた。


「……少し、見てくる」

「え? どこに?」

「さっきの店だ。すぐ戻る」


 それだけ言い残し、アニマは近くの裏路地へ向かった。 


 *****


 薄暗い路地。

 人通りはない。

 アニマは数歩進み――立ち止まった。


 次の瞬間。

 アニマの姿が消えた。


「――っ!?」


 背後。

 男が息を呑む。

 気づいた時には、首筋に冷たい刃が触れていた。


「動くな」


 ショートソード。

 アニマの声は低い。


「質問に答えろ」


 男の身体が硬直した。


「誰の命令だ」

「……」

「何をしに来た」


 沈黙。

 アニマは剣をわずかに押し当てる。


「答えろ」


 男の口元が歪んだ。


「……裏切り者が」


 その言葉に。

 アニマの目が微かに見開かれる。


「お前、ヴェイドの――」


 男が奥歯を噛んだ。


「待――」


 遅かった。

 男の身体が激しく痙攣する。

 口から血が流れた。


「毒か」


 アニマは剣を離し、男の身体を支える。

 男は地面へ崩れ落ちた。

 数度。

 身体が震える。

 そして、動かなくなった。


 *****


 アニマは死体を見下ろした。


「……」


 ヴェイド王国。

 間違いない。

 自分が生きていることを知った者がいる。

 そして、自分はまだ本名のまま行動していた。


「……愚かだった」


 小さく呟く。

 戦場では、名を隠す必要などなかった。

 むしろ。

 アニマという名を知られることは、武器ですらあった。


 だが、今は違う。

 自分は追われる側だ。

 これから先は、目立つ行動も、本名を名乗ることも、考えなければならない。


 最初から気づいていた。

 街を歩き始めてからずっと。

 一定の距離を保ち、自分たちを追っていた気配に。


 気づかないふりをしていた。

 相手が誰なのか。

 何を目的にしているのか。

 知るために。


 だが、結局は何も聞き出せなかった。

 アニマは一度、深く息を吐く。

 そして、死体から離れた。


 *****


「遅い!」


 店へ戻ると、ハルカが頬を膨らませていた。


「どこ行ってたの?」

「少し周囲を見ていた」

「もう」


 ハルカはすぐに怒るのをやめた。


「見て!」


 くるりと回る。

 先ほどとは違う服を着ていた。


「どう?」


 アニマは少し黙った。


「……ヒラヒラしていて、動きにくそうだ」

「それだけ?」

「……似合ってる、と思う」


 ハルカが笑う。


「へへ。ありがとう」


 何も知らない。


 さっきまで。

 自分のすぐ近くに、ヴェイド王国の間者がいたことも。

 その男が死んだことも。

 そして。

 自分が今後、追われる可能性があることも。


 アニマはハルカを見る。

 もし、ヴェイド王国に追われることになったら。

 このまま一緒にいるわけにはいかない。

 ハルカを巻き込むわけにはいかない。

 それだけは、絶対に避けなければならない。


「……」


 それでも。

 今はまだ言わない。

 アニマは笑うハルカの横を歩いた。


 *****


 三日後。

 護衛依頼の当日。

 相変わらず、早朝から騒がしいポルトの街。

 西の都ウエスタンへ向かう荷馬車。

 その前には、リーフたちの姿があった。


 リーフ。

 アルク。

 そして護衛のエルフ。

 アニマとハルカが近づく。


「待たせた」

「さっき来た所よ」


 リーフが答える。

 

 全員。

 準備はできている。


「じゃあ」


 ハルカが言った。


「行こうか」


 アニマは、遠くを見る。

 西。

 そして、そのはるか先。

 ヴェイド王国。


 戦争を止める。

 そのために強くなる。


 だが。

 自分を追う者が、すでに現れ始めている。

 この旅は、思っていたよりも、長くなるかもしれなかった。


 アニマは何も言わず。

 西へ続く道へ、一歩を踏み出した。

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