6.討伐
「出たぞ! 隊長級だ!」
シェルの怒号が森に響き渡った。
大蜘蛛が、ゆっくりと八本の脚を広げる。
人間の胴ほどもある脚が地面を踏みしめるたび、湿った土が沈み込む。
赤い複眼が、焚き火の向こうにいる人間たちを一つずつ捉えていく。
シェルは盾を構え、大蜘蛛の正面に立った。
「討伐は必須じゃない! 観察して情報をなるべく多く得ることを目的に、生存第一で動け!」
その声を聞いた瞬間、全員が動いた。
「散開!」
軽装のパーティーが左右へ駆ける。
弓を構えた一人が、間髪入れずに矢を放った。
矢は大蜘蛛の胴体へ吸い込まれ――
硬質な音を立てて弾かれた。
矢は地面へ突き刺さる。
「硬っ……!」
「怯むな!」
シェルが叫ぶ。
大蜘蛛が前脚を振り上げた。
「来るぞ!」
シェルが盾を構える。
次の瞬間。
大地が揺れた。
振り下ろされた脚が盾へ叩きつけられ、シェルの足が地面にめり込む。
「ぐっ……!」
「シェル!」
仲間の一人が叫ぶ。
だが、大蜘蛛は止まらない。
別の脚が横薙ぎに振るわれる。
「ウオオォォ!」
そこにガルドが割り込み、戦鎚で脚を迎え撃つ。
速度が弱まり攻撃を止めることに成功したものの、ガルドは衝撃を殺しきれずに体勢を崩した。
「ロイ!」
「了解!」
ロイが手を掲げた。
「――風よ!」
小さな風の塊が追撃せんとしていた大蜘蛛の脚へぶつかる。
威力は大したことがない。
だが、脚の軌道がほんのわずかに逸れる。
「今だ!」
体勢を立て直したガルドとシェルが飛び退く。
直後、地面を大蜘蛛の脚が抉った。
「……やるじゃねぇか!」
シェルが笑う。
ロイは汗を浮かべながら、次の術式を組み立てていた。
「まだ行きますぜ!」
火球。
突風。
氷塊。
どれも大蜘蛛へ致命傷を与えるほどの威力はない。
だが、視界を遮り、動きを乱し、仲間が攻撃する隙を作る。
ロイはそういう役割だった。
「なるほど」
アニマは少し離れた場所から戦場を眺めていた。
シェルとガルドが前衛。
軽装の二人が左右から牽制。
ロイが後方から撹乱。
他の面々も周囲の警戒を怠らず、いつでも介入できるようにしている。
優秀な部隊だ。
「兄貴!」
ガルドの声。
大蜘蛛の吐いた毒がこちらへ飛んでくる。
流れ弾だった。
アニマはハルカを抱え上げて数メートル離れた位置に移動する。
微かに到達した毒液の飛沫を首をひねって避けた。
背後の木が凄まじい勢いで煙を立てる。
「あ、ありがと」
「あまり集中が乱れると魔法に影響が出るだろう。俺を信じろ」
「う、うん」
こわばる顔を両手でピシャリと叩き、ハルカが少し怖い顔をする。
アニマは思わず笑いそうになるが、彼女も真剣なのだと、なんとか耐えた。
シェルの仲間が剣を抜き、ロイが作った隙へ飛び込む。
斬撃。
しかし――
「硬ぇ!」
刃が外皮を滑った。
慌てて飛び退く。
「脚なら恐らく関節! それ以外は切れんぞ!」
シェルの声。
ガルドは歯を食いしばりながら大蜘蛛の横へ回った。
「こっちだ化け物!」
大蜘蛛の複眼がガルドを捉える。
脚が振り下ろされた。
「うおっ!」
間一髪で避ける。
その間にシェルが盾を剣の柄で打ち鳴らし、注意を引く。
「こっちだ!」
大蜘蛛がシェルへ向き直った。
アニマは観察していた。
攻撃の速度。
脚の動き。
身体の硬さ。
魔力の濃度。
大きさ。
動きの癖。
ショートソードはまだ鞘に納められていた。
「アニマは行かなくていいの?」
ハルカは不思議そうにアニマを見る。
「……まだだ」
アニマは答えた。
「見ている」
隊長級。
自分たちの知る戦場では珍しくもなかった存在。
だが、この土地では違う。
自分たちが知っている隊長級と、ここの隊長級。
同じ階級でも、どれほど違うのか。
それを確かめる。
それがアニマの目的だった。
大蜘蛛がシェルへ突進する。
「来い!」
シェルが盾を構えた。
その瞬間だった。
「シェル!」
後方の仲間の一人が叫んだ。
大蜘蛛の脚が急に横へ逸れる。
大蜘蛛の注意は移っていた。シェルではない。
その仲間へ向かっている。
「――!」
避けきれない。
巨大な脚が迫る。
アニマの身体が動いた。
気づけば、その男の前に立っていた。
右手にショートソード。
大蜘蛛の脚が振り下ろされる。
一閃。
関節を、刃が断ち切った。
ボトリ、と巨大な脚が地面へ落ちる。
「……確かに関節は柔らかいな」
戦場が、一瞬静まり返った。
大蜘蛛が後退する。
赤い複眼がアニマを捉えた。
「今の動き……」
シェルが呆然と呟く。
アニマは大蜘蛛を見つめる。
力を測る必要は、もうなかった。
「……中位程度か」
アニマが呟く。
高く見積もっても、隊長級の中位。
そして前に立って確信する。
力はあるが、殺意が弱い。戦場産の魔物との決定的な違いだ。
明らかに人間をナメている。
剣を握り直す。
「少し離れてろ」
「兄貴?」
「俺も戦う」
大蜘蛛の口から毒液が滴り、威嚇するように何かが擦られる音がする。
アニマが地面を蹴り、一瞬で距離を詰める。
大蜘蛛が脚を振る。
避ける。
ショートソードを外皮の隙間へ突き立てる。
刃を深く食い込ませ、そのまま捻る。
もう一本脚が落ちる。
残り六本。
大蜘蛛が身を捩る。
横から脚が迫る。
アニマは身体を沈め、その下を潜り抜けざまに剣を振るう。
残り五本。
大蜘蛛が振り返る。
その瞬間、アニマが跳んだ。
大蜘蛛の頭部めがけて剣を構え、突き立てる。
刃が深く入り込んだ。
大蜘蛛が激しく暴れる。
「兄貴!」
「離れろ!」
アニマが叫ぶ。
大蜘蛛が最後の力を振り絞って脚を振り回す。
全員が距離を取った。
アニマはその場で急所と思わしき部位を貫き続けた。
大蜘蛛の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
森に静寂が戻った。
「……終わった?」
ハルカが恐る恐る尋ねる。
アニマは大蜘蛛から飛び降りる。
動かない。
魔力の流れも感じない。
「さすが兄貴だ! アニマの兄貴が討ち取ったぞ!」
ガルドのその言葉を聞き、全員が息を吐いた。
「よ、よかった……」
ハルカが胸を撫で下ろす。
シェルや軽装の弓兵たちも緊張を解いた。
「いやぁ……死ぬかと思った――」
その時だった。
大蜘蛛の身体が僅かに動いた。
「兄貴!」
ミックが叫ぶ。
大蜘蛛が跳ね起き、牙を剥く。
アニマの拳が振り抜かれる。
轟音。
巨体が吹き飛び、木へ叩きつけられる。
そして二度と動かなかった。
アニマは周囲を見回した。
「……蜘蛛型は死んだふりが得意、だったよな」
「そ、その通りでした」
アニマが呟き、今度こそ沈黙した大蜘蛛を一瞥した。
*****
幸いにも、死人は出なかった。
ただし負傷者は多かった。
シェルの仲間の一人は腕をへし折られ、ガルドも肩に傷を負っていた。
ハルカは休む間もなく治癒魔法を使い続けた。
「もう少し……じっとしてて」
「悪いな、姉御」
「いいから!」
震える手で魔力を集中させる。
治癒魔法の光が拡がる。
やがて血が止まり、新しい皮膚が傷口を覆う。見事なものだ。
「精々止血くらいだと思っていた。まさかここまでの治癒魔法が使えるとはな」
「……よし」
ハルカは大きく息を吐いた。
誰一人欠けることなく。
隊長級討伐は終わった。
*****
一晩明け、ポルトへの帰り道。
軽装パーティーの弓兵の男が、アニマの隣まで歩いてきた。
「……アニマといったか」
「何だ」
「アルクという。礼を言わせてくれ」
男は深く頭を下げた。
「感謝する。貴殿の力なしに討伐は不可能だっただろう」
「時間の問題だっただろう。犠牲は減らせたとは思うが」
「謙遜しないでくれ」
男は少し砕けた様子で苦笑する。
「正直、俺たちだけじゃどうにもならなかった」
アニマは何も言わなかった。
「助かったよ」
男が離れていく。
その時だった。
少し離れたところにいた軽装パーティーの少女と目が合った。
長い耳。
人間よりも僅かに尖った耳が、髪の隙間から覗いている。
少女はアニマをじっと見つめていた。
不思議な雰囲気の少女だった。
年齢はアニマとそう変わらないようにも見える。
だが、その目にはどこか大人びたものがあった。
少女は何も言わない。
アニマも何も言わない。
ただ一瞬、視線が交わった。
少女がふっと目を逸らした。
「……エルフ、か」
今はかなり数を減らした亜人種の一種。
ヴェイド王国は亜人を迫害していた。
*****
ポルトへ戻ると、ギルドで討伐報酬が支払われた。
隊長級討伐ということもあり、報酬はかなりの額だった。
ホクホク顔の冒険者たちと言葉を交わす。
「今回は助かったぜ、アニマの兄貴」
「シェル、見事な盾捌きだった」
「よせやい。またどこかで会えたらよろしくな。……あ、報酬はきっちり頂くからな」
養う家族がいるんだ、とシェルは手をあげて一足先に出ていった。
軽装パーティーは気づけばいなくなっていた。戦場でもギルドでも、身軽なものだ。
少し周りを伺っていると、ロイが察して話してくれた。
「エルフのお嬢さんなら、物憂げな顔でさっさと行っちまいやしたぜ。御一行も慌てて着いて行ってやした」
「そうか」
「え、エルフいたの!?」
ハルカは気づいてすらいなかったようだ。エルフに謎の憧れを持っているらしい。
「いやぁ、これならしばらくは食うに困らねぇな!」
ガルドが金貨を数えながら笑う。
「兄貴たちの取り分も結構ありますぜ」
「荷物持ちという体だ。少なめでいい」
結局、正式に参加した報酬として、アニマとハルカにも相応の金が渡された。
「そういうわけにもいかねぇでしょう」
「むしろ、もっと持って行ってくれ」
何なら、ガルドたちが取り分から一部分けてくれ、他の面々よりも二割増ほどの額だった。
これで当面の旅費には困らない。
そしてギルド前で解散した。
「じゃあな、兄貴!」
「姉御も元気で!」
「またどこかで会おう」
「またねー!」
ミックが手を振る。
ロイも笑った。
「また会えるといいですな」
「ああ」
アニマは頷いた。
出会いの印象こそ良くなかったが、終わってみれば気持ちのいい奴らだった。
「その時までに、もっと強くなっておきますぜ」
ガルドが拳を握る。
「期待している」
アニマも拳を握り、突き合わせた。
*****
次の日の朝。
街でアルクに呼び止められたアニマとハルカは、冒険者ギルドの受付で一枚の依頼書を受け取っていた。
「次の街までの護衛依頼です」
提示された金額を見て、ハルカが目を丸くする。
「これ、さっきの討伐依頼に匹敵しますよ」
「なんなら半額前払いしよう」
アニマが依頼書を見る。
目的地。西の都ウエスタン。
護衛対象。エルフ。
日程。要相談。
報酬。
正式にギルドを通されている。
怪しいところはない。
「どうする?」
ハルカが尋ねる。
アニマは少し考えた。
これから先、ヴェイド王国へ近づいていく。
地図で言うと、ヴェイド王国はこの大陸の北西端。険しい山脈に囲まれた、天然の要塞だ。
危険度や船代を考えると海路は現実的ではない。
大陸の南端に位置するポルトから陸路で向かうしかないが、そうなるとどれだけかかることか。
今回の依頼は西の都ウエスタン。一週間ほどで辿り着けるであろう、大陸中央西に位置するかなり栄えた都市。
ヴェイド王国に近づきつつ、戦力を上げる何かが見つかるかもしれない。
戦争を止める。
そのためには――
「……受けよう」
「じゃあ決まりだね」
ハルカが笑う。
そのためには、エルヴァイスに、誰にも負けない力を身に着けなければ。




