5.会敵
翌朝、冒険者ギルドは妙に騒がしかった。
北の鉱山で隊長級が確認されたという噂は、一晩で街中に広がっていたらしい。
掲示板の前には人だかりができ、銀級以上であろう、手練れの冒険者たちが難しい顔で依頼書を眺めている。
アニマがその前に立つと、背後から慌てた声が飛んだ。
「兄貴、本気で行くつもりですか!?」
ガルドだった。
ミックとロイも一緒で、三人とも朝から妙に顔色が悪い。
「様子を見るだけだ」
「隊長級の様子見しようとする奴、初めて見ましたよ」
ミックが頭を抱える。
「昨日も言ったが、銀級でも死人が出る相手だぞ」
ロイが真面目な声で続けた。
「兄貴と姉御なら、もしかしたら……いや!」
ガルドは途中で首をぶんぶん振る。
「やっぱり不安だ。俺たちもついて行きやす」
ハルカが吹き出した。
「結局来るんだ」
「止めるためですよ! 兄貴、絶対単独で突っ込む顔してますもん」
アニマは否定しなかった。
その沈黙を見て、三人はそろって深いため息をつく。
*****
依頼を受け、出発準備の間、ガルドたちは新人教育とばかりに様々なことを教えてくれた。
「そもそも隊長級の討伐依頼ともなると、銀級以上にならないと受けられない」
「俺たちは最近銀級に上がったから行けやすけど、兄貴たちは鉄級だから荷物持ちの体で付いてきてもらうことになりやす」
「じゃあ止めるとかってのは何だったんだ」
「依頼として受けられなくても突撃しそうなんすよ!」
どうやらガルド達は中々腕の立つ方らしい。都合の良い奴らと知り合えたものだ。
「まず冒険者の基本だ。魔物を倒したら、勝手に近づくな」
物資の買い出しに街へ繰り出し、歩きながらガルドが説明する。
「死んだふりをする奴がいる。特に蜘蛛型と蛇型は危ねぇ」
「それから魔石」
ロイがポーチから小さな灰色の石を取り出した。
「……魔力核か」
「兄貴はご存じで? こいつは魔物の心臓みたいなもんで、持ち帰らないと討伐証明にならねぇ。結晶化した魔力だな」
ハルカが興味深そうに覗き込む。
「綺麗……」
「物によっては具合が悪くなったりすることもあるんで、あんま近づきすぎない方がいいですぜ」
「えっ」
慌てて距離を取るハルカに、ミックとロイが笑う。
「ま、余程の魔物の魔石でもなければ大丈夫だと思うがな」
「あと、道中は基本静かに。音で寄ってくる奴がいる」
アニマは暫く黙って聞いていた。
通貨の単位や冒険道具の基礎知識などを一通り説明してもらってから、少し考え込む。
ヴェイド王国との常識のズレが多い。少し身の振り方を考えなければいけないかもしれない。
「兄貴、本当にどんな田舎で育ったんです?」
ガルドが不思議そうに首を傾げる。
「ヴェイド王国には、冒険者というもの自体存在しなかった」
その名を聞いた瞬間、三人の表情が微かに強張った。
「……あの侵略国家か」
「あの国出身って人、初めて見やした」
アニマはそれ以上何も言わなかった。
あまり出身については口にしないほうが良いかもしれない。
*****
討伐隊の集合は翌朝だった。
ギルド前には、思ったより少ない人数しか集まっていない。
「これだけか」
アニマが呟く。
銀級パーティーが三組。
盾役を中心にした重装四人パーティー。
弓使いと斥候に特化した軽装五人パーティー。
そして、俺たち。
報酬は通常の依頼の数倍だった。
それでも集まったのは三パーティーだけだった。
隊長級討伐でざわついていた割には、あまりにも少ない。
ガルドが苦笑する。
「兄貴の感覚が狂ってるんです。普通、隊長級なんて街に一体出ただけで大騒ぎですよ」
ヴェイド王国では、隊長級は前線で日常的に現れていた。
それを掃討するのが、アニマたち英雄の役目だった。
だが、ここでは違う。
一体の隊長級が、街の冒険者たちを震え上がらせる。
その事実が、逆にアニマには新鮮だった。
「よう、ガルド。やっと銀級に上がったか」
「待たせたな、シェル。今回は頼りにしてるぜ」
軽装パーティーは何やら近寄りがたい空気だったが、重装パーティーの長らしき人間が挨拶に来た。
知り合いのようだ。
少し談笑した後、ガルドがこちらに視線を向けてきた。
「今回は強力な助っ人も連れてきてる。期待してくれよ」
「彼が? 鉄級の荷物持ちではないのか?」
「紹介するぜ。アニマの兄貴だ」
重装パーティーの長の大男――シェルがこちらに握手を求めに来た。分厚い甲冑を纏っているが、歩みは軽やかだ。
「はじめまして、シェルだ。ガルドとは腐れ縁で、たまにパーティーを組ませてもらったりしている」
「アニマだ。鉄級では受けられないとのことで、ガルドに同行している」
怪訝そうな目で見てくる。
「ガルドに騙されてるわけじゃねえよなあ。まあ、怪我しないように気をつけてな」
「ああ。よろしく頼む」
それだけ言うと、シェルは自分の仲間たちの方へ戻っていった。
怪しまれるのも無理はない。というか、怪しまれないとおかしいくらい場違いなのは分かっている。
鉄級の新人二人。 そのうち一人は顔を布で隠し、もう一人は治癒魔法士。
そしてこれから向かうのは、隊長級が出た鉱山だ。
「兄貴、なんか言われてましたけど、気にしないでくださいよ」
ガルドが声をかける。
「気にしていない」
「ならいいんですけどね」
そしてそれぞれの馬車に乗り込み、街を出た。
*****
北の鉱山へ向かう道は、途中までは整備された街道だった。
荷馬車が行き交い、商人たちの姿も見える。
しかし半日も進むと、道は徐々に荒れ始めた。
木々が深くなり、空気が湿っていく。
「静かだな」
アニマが呟く。
ガルドが周囲を見回した。
「確かに……鳥の声が少ねぇ」
森の奥は、不自然なほど静まり返っていた。
ハルカが腕をさする。
「なんか、空気が重い」
アニマにも分かる。
鼻を鳴らして周囲を探る。魔力が濃い。
肌にまとわりつくような圧迫感。
戦場で感じるものに似ている。
「兄貴、鼻でも利くんです?」
ミックが冗談めかして言う。
ハルカが真顔で答えた。
「たぶん本当に利くと思う」
「えっ」
アニマは無言で前を向いた。
*****
日が沈む頃、一行は鉱山手前の小さな開けた場所で野営することになった。
他の二つのパーティーも少し離れた場所で焚き火を起こしている。
簡単な夕食を終えると、ガルドたちは早々に毛布へ潜り込んだ。
「月が降り始めたら起こしてくれ……」
「おやすみ兄貴……姉御……」
数分後には、三人とも寝息を立て始めていた。
残ったのは、焚き火の番をするアニマとハルカだけだった。
夜の森は暗い。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音だけが、静寂を揺らしている。
ハルカは火を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「さっき、年齢聞いて驚いた」
「何がだ」
「十七歳って」
アニマは眉をひそめる。
「てっきりもっと年下かと思ってた」
「……子供に見えるか」
「うん。結構童顔」
焚き火の向こうで、ハルカがくすくす笑う。
「特に黙ってると、十三、四歳くらいに見える時あるよ」
「嘘だろ」
「本当。兄貴って呼ばれてるの、ちょっと面白いなって思ってた」
アニマは顔をしかめた。
若く見られるということは、それだけ侮られるということ。
面白い話ではない。
「ハルカの方こそ、もっと若いと思っていた」
「え?」
「十八歳と聞いて驚いた」
今度はハルカが目を丸くする。
「私?」
「ああ。年下だと思ってた。十六歳くらいかと」
意趣返しのつもりだったが。
少しの沈黙の後、ハルカが吹き出した。
「なんか嬉しいな、それ」
焚き火の火が揺れる。
笑い声が消えると、再び静けさが戻った。
しばらくして、ハルカが小さく息を吐く。
「私ね、十歳の時にこの世界に来たんだ」
アニマはわずかに眉を動かした。
「来た」という言い方が引っかかった。
だが、今は聞かなかった。
火を見つめる横顔は、いつもの明るい彼女とは少し違って見える。
「気づいたら知らない森にいて、怖かった。毎日泣いてたよ。お腹は空くし、帰り方も分からないし」
ハルカは膝を抱えた。
「その時に拾ってくれたのが、じいちゃんだった」
老治癒魔法士の顔が脳裏に浮かぶ。
「最初は言葉も通じなくて大変だったけど、薬草の名前とか、魔法の使い方とか、少しずつ教えてくれた」
焚き火の火が、彼女の黒髪を赤く染める。
「だから島から出るの、実はすごく怖かったんだ」
その告白は、意外だった。
いつも明るく振る舞っていたから、もっと平気なのかと思っていた。
「魔物も怖いし、知らない街も怖いし、変な人もいっぱいいるし」
ハルカは苦笑する。
「じゃあ、なぜ来た」
アニマが静かに尋ねる。
ハルカはすぐには答えなかった。
ぱち、と薪が爆ぜる。
「最初はね、放っておけなかっただけなんだと思う」
彼女は自分の感情を探すように続けた。
「でも、それだけじゃなかった」
視線がアニマに向く。
「君、ずっと一人で全部背負おうとしてるから」
アニマは言葉を失った。
「十歳の頃の私は、本当に一人だった」
ハルカの声は静かだった。
「だから今度は、誰かを一人にしたくないって思ったんだと思う」
夜風が吹き、火が揺れる。
アニマはしばらく黙っていた。
何か返そうとしても、うまく言葉にならない。
結局、口から出たのは短い一言だけだった。
「……ありがとう」
ハルカは少し笑う。
「まだ感謝されるには早いかな」
「それでも、ありがとう」
「……どういたしまして」
それ以上の言葉は必要なかった。
二人は並んで焚き火を見つめ続けた。
*****
どれくらい時間が経っただろうか。
不意に、アニマの目が見開かれる。
風向きが変わった。
湿った土の匂い。
その奥に混じる、鉄錆に似た血の臭い。
そして――獣臭。
アニマはゆっくり立ち上がった。
「起きろ」
低い声。
ガルドたちが飛び起きる。
「な、なんだ!?」
「来る」
森の奥から、重い音が聞こえた。
ずる、ずる、と何かを引きずるような音。
他のパーティーでも警戒の声が上がり、弓が構えられる。
木々の間に、巨大な影が見えた。
複数の赤い光点。
湿った甲殻が月明かりを鈍く反射する。
人の胴ほどもある脚が、地面を軋ませながら姿を現した。
「大蜘蛛……!」
誰かが息を呑む。
大蜘蛛の後方には、鉱山へ続く古びた坑道の入口が口を開けていた。
そこから這い出てきたのだ。
木々を押し分けるように、巨大な魔物がゆっくりと姿を現した。




