4.鉄級
港町は、朝から騒がしかった。
荷車の軋む音。
船員たちの怒鳴り声。
屋台からは魚を捌く包丁の音。
潮と香辛料の匂いが、狭い通りに混ざり合っている。
島の静けさに慣れかけていたアニマには、見ているだけで少し疲れる場所だった。
「すごいねぇ……」
ハルカは目を輝かせながら、きょろきょろと辺りを見回している。
楽しそうに見えたが、アニマの袖を掴む指先には、わずかに力が入っていた。
「あっち見て、見たことない色の香辛料! あの服も変わってる!」
「はぐれるな」
「子供扱いしないでよ」
そう言った直後、通りを横切った荷車にぶつかりそうになり、アニマが無言で襟を掴んで引き戻した。
「……ありがとう」
「だから言った」
少し歩き、港の近くの安宿で部屋を取り、荷物を置いた二人は、食堂で硬いパンと薄いスープを食べていた。
ハルカは財布の中身を確認し、真顔になる。
「結論から言います」
「なんだ」
「お金がない」
アニマは黙って残りのパンを口に押し込んだ。
「船賃でほとんど消えたし、宿代もかかるし、その他もろもろお金がいるし……」
「働けばいい」
「うん。だから冒険者ギルドに行こう」
その言葉に、アニマは顔を上げた。
「冒険者?」
「知らない?」
「傭兵みたいなものか」
「半分正解。魔物退治とか護衛とか、危ない仕事を請け負う人たち。全世界で共通の話かと思ってたけど」
王国には無かったものだ。王国は他国との交流を基本的に絶っているため、そういった万国共通の文化が伝わってこない。
傭兵のような、危険な仕事。
それなら自分には向いている。
「行くぞ」
*****
冒険者ギルドは、港から少し離れた石造りの大きな建物だった。
扉を開けた瞬間、酒と肉と汗の匂いが押し寄せてくる。
広いホールには、鎧姿の男たちやローブを纏った魔法使いらしき者たちが集まっていた。
壁一面に貼られた依頼書。
武器の手入れをする者。
酒を飲みながら笑い合う者。
そして、奥には受付カウンターがあった。
「いかにもって感じだね」
「騒がしい」
二人が受付へ向かうと、青色の髪をした受付嬢が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。登録ですか?」
「ああ」
受付嬢は慣れた手つきで羊皮紙を取り出す。
「名前と年齢、それから得意分野をお願いします」
アニマは一瞬だけ迷った。
本名を書いていいのか。
だが、偽名を考える余裕もない。
「アニマ。十七」
「ハルカ。十八歳」
受付嬢の視線がアニマの顔布に向く。
「お怪我でも?」
「……昔の傷だ」
「そうですか」
深くは追及されなかった。
「武器は?」
「剣」
「魔法は?」
「使えない」
完全な嘘ではない。
アニマの力は魔法というより、獣化に近い。
「ハルカさんは?」
「治癒魔法が使えます」
その瞬間、受付嬢の表情が少し変わった。
「治癒魔法士は貴重ですよ。変なのに絡まれたくなければ、あまり大きな声で言わないことをオススメします」
「どうも、そうさせてもらうよ」
金属製の小さな札が二枚、カウンターに置かれる。
「これは鉄の札?」
ハルカが尋ねると、受付嬢は頷いて掲示板を指差した。
「冒険者には等級があります。鉄級、銅級、銀級、金級。上に行くほど危険な依頼を受けられます」
そこで彼女は少し声を潜めた。
「ただし、それは冒険者の区分です。世界全体では別の階級が使われています」
カウンターの下から古びた冊子を取り出し、開いて見せる。
「兵卒級、隊長級、英雄級、それから宿神級。これは人間にも魔物にも使われる脅威階級です」
アニマの視線が僅かに止まった。
「兵卒級は一般兵や新人冒険者でも対処可能。隊長級になると、小隊や熟練冒険者が必要になります」
受付嬢はページをめくる。
「英雄級は、一国の英雄戦力が必要とされる存在。上位と下位の差も大きく、下位英雄級なら複数の隊長級で対抗できる場合もありますが、上位英雄級は街を一つ滅ぼすこともあります」
「宿神級は?」
ハルカが尋ねる。
受付嬢は苦笑した。
「ほぼ神話の世界ですね。記録に残るだけでも数えるほどです」
アニマは黙って冊子を見つめていた。
王国では、英雄級という言葉はもっと身近だった。
フロストもエルヴァイスも、間違いなく上位英雄級。
そして、自分も。
「……どうかしました?」
「いや」
アニマは視線を逸らした。
*****
登録を終え、依頼掲示板を眺めていると、背後から声が飛んだ。
「おい新人」
振り返ると、革鎧を着た三人組の男たちが立っていた。
酒の匂いが強い。
「顔隠してるとか怪しすぎるだろ」
「港の密輸屋か?」
「その嬢ちゃんは俺たちが面倒見てやるよ」
ハルカが露骨に嫌そうな顔をした。
「間に合ってます」
一番大柄な男が、アニマの肩に手を置く。
「新人はまず先輩に挨拶だろ?」
その瞬間。
アニマの体が反射的に動いた。
男の手首を掴み、軽く捻る。
「痛っ!?」
男の体が硬直し、床に膝をついた。
ホールが静まり返る。
「……すまん」
アニマは慌てて手を離した。
「いや今の謝るところか!?」
「謝るくらいならやるんじゃねー!」
仲間の二人が剣に手を掛ける。
だが、アニマが無言で視線を向けると、その動きが止まった。
微かに魔力を込め、獣の力を目に宿す。
までもなく。
「や、やめとけ」
床に膝をついた男が顔を引きつらせる。
「こいつ、鉄級の動きじゃねぇ……」
数分後。
「兄貴、酒飲みます?」
「だから兄貴じゃない。酒は飲まない」
三人組は急に媚びへつらってきた。
ハルカが囁く。
「都合の良い手下ができたね」
*****
その後、三人組――背と態度の大きい順にガルド、ミック、ロイと名乗った冒険者たちは、妙に親切に様々なことを教えてくれた。
「新人なら最初は薬草採取とか下水掃除だな」
「魔物退治は鉄級になってからが普通だ」
「隊長級なんて出たら銀級でも死にますぜ」
ガルドが酒を飲みながら指を折る。
「兵卒級ってのは、ゴブリンとか狼型魔物とか、その辺だ。隊長級になると、オーガや大蜘蛛みたいな化け物になる」
「英雄級は?」
ハルカが興味津々で尋ねる。
三人の表情が少し真面目になった。
「見たことねぇ」
「俺も噂だけだ」
「昔、隣国で英雄級の魔竜が暴れて、城塞都市が半分吹き飛んだって話は聞いたことがありやす」
アニマは黙ってスープを飲んでいた。
魚の出汁が利いているのだろうか。戦場で口にしたどんな保存食よりも、ずっとまともな味がした。
「そもそも魔物って、どこから湧くんだ?」
ハルカの質問に、ミックが肩をすくめる。
「魔力の濃い場所だよ。森とか洞窟とか、戦場跡とか」
ロイが続ける。
「人の感情も関係するってどっかの学者は言ってやしたね。憎しみとか恐怖とか、そういうのが溜まると魔物が生まれやすくなるって」
「だから戦争が長引くと増えるんだよ」
ガルドの何気ない一言に、アニマの指が止まった。
焼けた村。
悲鳴。
魔力と憎悪の渦。
戦場の光景が脳裏に蘇る。
あの地獄は、人間が魔物を生み続ける場所でもあったのかもしれない。
「アニマ?」
ハルカの声で我に返る。
「……なんでもない」
スープを飲む手が止まる。
*****
夕方。
ギルドの掲示板の前が妙に騒がしくなっていた。
「北の鉱山で隊長級が出たらしい」
「隊商が三つ潰されたってよ」
「銀級パーティを集めるそうだ」
新しく貼られた依頼書には、赤い印が押されている。
――緊急依頼。
アニマは足を止めた。
隊長級。
王国では珍しくもない脅威だった。
だが、この街の冒険者たちにとっては命を懸ける相手らしい。
「行くの?」
ハルカが小声で尋ねる。
アニマは依頼書を見つめたまま、静かに答えた。
「まずは、どの程度の相手か確かめる」
その言葉に、ガルドたちがぎょっとした顔をする。
「おいおい、新人が隊長級を見物しに行く気か?」
「いくら兄貴でも死ぬぞ」
アニマは何も答えなかった。
ただ、掲示板に貼られた依頼書を見つめる。
――北の鉱山にて銀級パーティー行方不明。暫定的に隊長級と認定し、情報収集、もしくは討伐を依頼する。
港町の喧騒の中で。
獣の英雄は、再び戦いの匂いを嗅ぎ取っていた。




