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獣の英雄  作者: 四茶
第二章『力を求める者たち』
24/25

21.闖入者

 大剣の柄へ、指が触れた。


 白い顔の男は、それを見ても笑みを崩さなかった。


 足は動かない。

 両手も、こちらから見える場所にある。


 だが、名前も顔も知らない相手だった。


「……ピエロ?」


 ハルカが呟いた。


 アニマは男から目を離さず、尋ねる。


「知っているのか?」

「ううん。ああいう格好の人を、見たことがあるだけ」


 男の眉が上がった。

 黒く描かれた線が、額の皺に沿って曲がる。


「おや。私はピエロという名ではありませんが、どうやらハルカ様は私の格好に見覚えがあるようですね」


 ハルカの手が、アニマの袖へ触れた。


 まだ、名乗っていない。


「どこで知った」


 アニマが言うと、男は胸へ手を添えた。


「失礼。名乗るのが遅れました。私、ロジェと申します」

「そういう話ではない」

「ええ。ですが、それも含めて、主人からお話しさせていただければと」


 通りを、荷車が通り過ぎた。


 ロジェは僅かに身を寄せ、その道を空ける。

 アニマとの距離は、詰めてこなかった。


「主人が、アニマ様とハルカ様に頼み事があるとのことです」

「断ったら?」

「本日はお引き取りいたします」


 本日は。


 アニマは柄から手を離さなかった。


 ロジェが、こちらの左手へ目を向ける。


 握ったままの紙。


「報酬は、望みのままに」

「随分と簡単に言う」

「もちろん、主人にも限度はございます。ですが、例えば……」


 赤い口元が、少しだけ横へ伸びた。


「珍しい鉱石なども、頼めば手に入るかもしれませんね」


 紙の端が、指の中で折れた。


 工房を出たばかりだった。


 どこから聞いていた。

 それとも、店へ入る前から見ていたのか。


「俺たちを見張っていたのか」

「お探ししておりました。ようやく、お会いできたのです」


 答えになっているようで、なっていない。


 アニマは周囲へ目を走らせた。


 買い物をする者。

 店先で話し込む者。


 誰がこの男の仲間なのか、分からなかった。


「アニマ」


 ハルカの声がした。


 顔を向ける。

 彼女も、眉を寄せていた。


「話だけ、聞いてみる?」


 鉱石のことだけではないのだろう。


 名前を知られている。

 ウエスタンで何をしたかも。


 断って歩き出したところで、知られたことが消えるわけではなかった。


 アニマはロジェへ向き直る。


「どこへ行く」

「中央区にある、主人の屋敷へ」

「二人で行く。剣も預けない」

「承知いたしました」


 返事は早かった。


 アニマは、ようやく柄から手を離した。


 ロジェが身体をずらす。

 通りの先へ、白い手袋を向けた。


「では、ご案内いたします」


*****


 水路を二つ越えた。


 槌の音は遠ざかり、道には白い石が敷かれるようになった。


 建物と建物の間が広い。

 塀の奥に庭があり、その向こうへ屋敷が見える。


 店先の品物を眺めている者よりも、荷物を抱えて足早に通り過ぎる者が多かった。


 アニマは曲がった角を覚えながら歩いた。


 右。

 橋を渡って、左。


 ハルカは、すぐ隣にいる。


 前を行くロジェへ、通りがかりの男が手を上げた。


 黄色と青に分かれた上着を着ている。

 頬には、赤い丸が二つ。


「ロジェ。今日は客か」

「大切なお客様です。門を開けておいてください」

「分かった」


 男が駆けていった。


 その先にも、似たような格好の者がいた。


 左右で長さの違う裾。

 いくつも重ねた首飾り。

 目の周りを、青く塗った女。


 派手な布を着た者が増えていく。


 アニマがそちらを見ていると、ロジェが振り返った。


「驚きましたか?」

「同じ格好をする決まりなのか」

「いいえ。主人は、好きなものを着ろと仰いますので」


 少し先で、灰色の服を着た老人が庭を掃いていた。


 顔にも、何も塗っていない。


 ロジェが挨拶すると、老人は箒を止めずに片手を上げた。


「我が主は変わり者ですが、求心力はセントラル随一なのです」


 本当かどうかは、分からない。


 ただ、道を歩くだけで何度も声がかかるのは確かだった。


 開かれた門を通る。


 庭は広かった。

 中央に噴水があり、その周りには低い花が植えられている。


 奥の建物は、三階まで窓が並んでいた。


 門番がこちらを見る。

 背中の大剣にも目を向けたが、止められることはなかった。


 扉が開く。


 石の床。

 壁に掛けられた大きな布。

 知らない土地を描いたらしい絵。


 廊下を曲がる前に、アニマは一度、玄関を振り返った。


 外の光は、まだ見えていた。


「こちらです」


 ロジェが扉を叩いた。


「お連れいたしました」

「入ってちょうだい」


 声が返る。


 男の声だった。

 だが、語尾の運びは女のようだった。


 扉の向こうは、執務室だった。


 壁際には本棚。

 机の上には、積み重なった書類。


 その向こうから、一人の男が立ち上がった。


 背は高い。


 肩まで流した髪に、細い紐が編み込まれている。

 瞼には青い色。

 唇は濃い赤。


 ロジェの顔よりも肌の色が残っていたが、こちらも随分と変わった化粧だった。


 耳元の大きな飾りが揺れる。


「いらっしゃい。来てくれて嬉しいわ」


 男が机を回り込んだ。


「アタシはヴァレリオ。この屋敷の主で、奴隷商人をやってるわ」


 差し出された手には、指輪が三つあった。


 アニマはその手を見る。

 奴隷商人。


 握らずにいると、ヴァレリオは肩を竦めた。


「まあ、そうなるわね。ロジェ、また変な誘い方をしたんじゃないでしょうね」

「お話を聞いていただきたいと、お伝えしました」

「それだけで、その顔にはならないと思うけれど」


 ま、この服装じゃあねぇ、と大げさに肩を竦める。


 ハルカがアニマの隣へ並ぶ。


 ヴァレリオは二人を見てから、長椅子を示した。


「座って。立ったまま疑うより、ね?」


*****


 出された茶は、飲む気にならなかった。


 アニマは横に大剣を立てかけ、ヴァレリオを見ていた。


 隣にはハルカ。

 ロジェは主人の少し後ろに立っている。


「俺たちに何の用だ」

「仕事を頼みたいの。その前に、グランツ商会の話をしてもいいかしら」

「何を知っている」

「本部へ何者かが入り、囚われていたエルフを連れ出した。同じ晩に、倉庫からも大勢の奴隷が消えている」


 ヴァレリオが器を持ち上げる。


「その後、解放された奴隷の中に攫われた者がいたという話まで広がった。あそこ、最近ずいぶんと大きくなっていたでしょう。快く思っていなかった連中が、ここぞとばかりに騒いでいるわ」

「お前も、その一人か」

「損はしていないわね」


 あっけらかんと言った。


 器を戻す。

 指輪が、受け皿の縁へ触れた。


「このご時世に時代錯誤なんだよねぇ」


 赤い唇から、息が漏れる。


「同意もなく攫って奴隷にしたら、どんな問題が起きるか。ましてやエルフなんて、戦争の火種になりかねないでしょう」


 フロウの顔が浮かんだ。


 檻の奥で、膝を抱えていた姿。


「問題にならなければいいのか」


 アニマが言うと、ヴァレリオは目を細めた。


「そういうことを言いたいんじゃないの。奴隷ってのは、売る側にも買う側にも利がないといけないんだよ。そうでないと、歯止めが利かなくなる」

「売る側の利?」


 アニマは聞き返した。


「ここで言っているのは、主に自分を売る人のことよ」


 ヴァレリオが、脚を組み替える。


「借金を返しきれなくなって、身を売る人。まとまった金を得るために、期間を決めて奴隷になる人もいる。家を失った人が、食事と寝床を得るために契約することだってあるわ」

「売られた子供もいた」


 小さな身体。

 抱き上げた時の、軽さ。


 ヴァレリオの指が止まった。


「家計が苦しくて、子供を売る親もいるわね」

「それは、子供の利なのか」


 隣で、ハルカが僅かに身じろぎした。


 ヴァレリオは、すぐには答えなかった。


「親が受け取った金を、その子の利だと言うつもりはないわ」


 器の縁から指が離れる。


「その話は、分けて考えたいところね。少なくとも、売られた先で何をされてもいいという話にはならない」

「同じ奴隷だろう」

「だから、誰が売り、誰が買い、どう扱うのかが大事なのよ」


 声は穏やかだった。


 アニマは口を閉じた。


 ヴァレリオが続ける。


「すべてを失っても、最後の最後まで残るものがある。自分の身体よ。需要はいくらでもある。市場は、あなたが思っているよりずっと大きいわ」

「売るしかないなら、選んでいるとは限らない」

「ええ。だからといって、今日の食事を明日まで待てるわけでもないでしょう」


 言い返しかけた言葉が、止まった。


 正しいと思ったわけではなかった。


 ただ、腹が減っている時のことは知っている。

 食べるものがないまま、眠ろうとしたことも。


 ヴァレリオは机の方へ目を向けた。


「あそこで扱っている契約には、期間も仕事内容も書いてある。引き渡す相手も調べるし、契約にない働かせ方をしていないか、人を送ることもあるわ」

「自分の商売だからか」

「そうよ。売ったら終わりにしていたら、次にアタシを頼る人がいなくなるもの」


 善いことをしている、と言われるよりは分かりやすかった。


 人を助けたいだけの男ではない。

 金にもなるから、そうする。


 それでも、攫って檻へ放り込むなんてことはしていないらしい。


 アニマの顔を見ていたヴァレリオは笑った。


「アタシの話だけで信用しろとは言わない。あなたたちが壊したものを見れば、無理に信用させる方が怖いもの」


 アニマは、大剣へ置いた手を少し緩めた。


「俺たちだと、どうして分かった」

「足跡を追ったのよ。人を捜すのが得意な者も、商人の噂を集めるのが好きな者もいるから」


 ロジェが、静かに頭を下げた。


「奴隷商人の一部じゃ、あなたは大人気よ。邪魔な競争相手を潰してくれたって」

「そのためにやったんじゃない」

「分かっているわ。勝手に喜んでいるだけよ」


 胸の奥に、嫌なものが残った。


 フロウを助けた。

 倉庫にいた者たちも、外へ出した。


 それが、別の奴隷商人を喜ばせている。


 アニマは机の上の器を見た。


 茶は、少しも減っていなかった。


*****


「依頼というのは」


 話を進めなければ、ずっとここにいることになる。

 アニマが切り出すと、ヴァレリオは頷いた。


「アタシが持っている施設を、いくつか回ってほしいの」

「護衛か」

「それもお願いできれば嬉しいけれど、主な仕事は治療よ」


 視線が、隣へ移った。


「ハルカちゃん。あなたに頼みたいの」


 アニマは顔を上げた。


 大剣へ、指が戻る。


「どうして、それを知っている」

「治癒魔法が使えること?」

「ああ」


 ヴァレリオの笑みは、消えなかった。


「貴族の情報網を馬鹿にしない方がいいわよ」

「どこまで調べた」


 声が低くなった。


 隣で、ハルカが両手を重ねた。

 指先を、袖の中へ隠すように。


 ヴァレリオは、こちらの手元を一度見た。


「少なくとも、治療を受けて助かった人がいることは知っているわ。勘違いしないでほしいのだけれど、腕を見込んで声をかけたのは、あなた一人じゃないのよ」

「……頼みたい治療って、どんなものですか」


 ハルカが尋ねた。


 アニマは彼女を見る。


 眉間には、まだ皺があった。


「孤児院と、奴隷たちが暮らしている施設よ。怪我をしたまま、うまく治らずにいる者が何人かいてね」

「薬や手当ては?」

「できる限りしているわ。けれど、それだけでは足りない者もいる。あなたに診てもらいたいの」

「全員を治せるとは、約束できません」

「そんな約束必要ないわ」


 ヴァレリオが、ロジェへ手を向ける。


 差し出された紙には、いくつかの名前と、短い説明が並んでいた。


 孤児院。

 住み込みの働き手が暮らす寮。

 商会が管理する宿舎。


 ハルカが身を寄せ、文字を追う。


「今日は、どこまでですか」

「無理のないところまで。明日からでも、日を分けても構わないわ」

「アニマにも、一緒に来てもらいます」

「もちろん」


 ハルカが紙から顔を上げた。


 こちらを見る。


「……知らないうちに調べられてるのは、嫌だけど」


 小さな声だった。


 アニマは頷く。


 ハルカが一度、長く息を吐いた。


「ともかく、人を傷つけるような内容じゃないし。蒼脈鉱がもらえるかもしれない」

「そのために、引き受けなくてもいい」

「それだけじゃないよ」


 彼女の指が、紙の端へ触れた。


「治療を待っている人がいるなら、見てみたい」


 ネルム村で、荷台から下りた時と同じ目だった。


 アニマは、もう一度紙を見る。


 書かれている者たちを、まだ知らない。

 この男の話が、どこまで本当なのかも。


「話と違うことがあれば、すぐ離脱するぞ」

「うん」


 ハルカが頷いた。


 アニマはヴァレリオへ向き直る。


「……ハルカがいいなら」


 ヴァレリオの口元が緩んだ。


「ありがとう。それから、あなたたち、蒼脈鉱が欲しいのね」


 アニマは懐から紙を出した。


「これだけ要る」


 ガレンから渡された紙。


 ヴァレリオが受け取り、目を走らせる。


「……なるほどね」


 ロジェを呼ぶ。

 紙を渡し、二言三言、低い声で告げた。


 倉庫。

 在庫。


 その二つだけが聞き取れた。


「用意させるわ」

「市場には、ほとんど出ないと聞いた」

「市場に出る前に買っておく人がいるのよ」


 アニマはヴァレリオを見た。


 ガレンも、そう言っていた。


 軍。

 金持ちの工房。


「望むなら、他の鉱石も取り寄せるわよ。必要なものは、まとめて言ってちょうだい」

「まだ何もしていない」

「あなた達を信頼してるのよ」


 気前が良すぎた。


 希少な鉱石。

 その量すら、ほとんど迷わずに頷いた。


 それほどの価値を、ハルカの魔法に見ているのか。


 アニマは隣を見た。


 ハルカも、こちらを見返していた。


「鉱石は、ガレンに確かめてもらう」

「あの工房へ届ければいいのね」

「ああ」

「分かったわ」


 ヴァレリオが立ち上がった。


「ロジェ。最初は孤児院へ。院長には、こちらから知らせておくわ」

「承知いたしました」


 ハルカが紙を返す。


 アニマは大剣を背負い直した。


 結局、茶には手をつけなかった。


*****


 屋敷を出ても、ロジェが先を歩いた。


 白い顔。

 紫の背中。


 行き交う人々は、やはり何度も声をかけてくる。


 アニマはハルカへ、少し顔を寄せた。


「無理はするなよ」

「分かってる」

「疲れたら、言え」

「アニマにも、同じこと言ったね」


 ハルカが僅かに笑う。


 その顔から、すぐに笑みが薄れた。


「……どこで知ったんだろうね」

「ああ」


 歩きながら、アニマは通りを見る。


 宿へ荷物を置いた。

 道を聞いた。

 武器屋へ入った。


 自分たちが相手の名前を知るより前に、向こうは二人を知り、捜していた。


 仮面があれば大丈夫、と思っていたわけではない。


 それでも、早すぎた。


「こちらです」


 ロジェが足を止める。


 低い塀の奥に、木造の建物があった。


 庭には、洗濯物が干されている。

 窓の下では、二人の子供が桶を運んでいた。


 片方がこちらに気づく。


「あ、ロジェだ」


 手を振りかけ、桶が傾いた。

 もう一人が慌てて支える。


「よそ見はいけませんよ」


 ロジェが言った。


 子供が舌を出す。

 二人で桶を持ち直し、建物の裏へ回っていった。


 扉から、髪を後ろで束ねた女が出てきた。


「お待ちしておりました。治癒魔法士の方ですね」

「ハルカです」

「ありがとうございます。こちらへ」


 中は、煮た野菜の匂いがした。


 廊下の壁には、背の高さを測ったらしい線がいくつもある。

 小さな靴が、戸口に並んでいた。


 奥の部屋へ入る。


 窓際の椅子に、少年が座っていた。


 右腕を、胸の前で吊っている。


 ハルカを見ると、膝の上にあった左手が服を掴んだ。


「以前、荷車にぶつかりまして」


 女が声を落とした。


「傷は塞がったのですが、まだ痛むようで。腕を上げられないんです」


 ハルカは少年の前へ膝をついた。


「こんにちは。腕、見せてもらってもいい?」


 少年は女を見た。


 女が頷く。

 それから、少しずつ布を緩めた。


 ハルカが袋を開く。


 アニマは入口から、一歩入った。


 ロジェは扉の脇に立っている。

 その手には、小さな帳面があった。


 何を書くつもりなのか。


 尋ねようとした時、少年が息を詰めた。


 ハルカが手を止める。


「痛かったね。ゆっくりでいいから」


 アニマは少年へ目を戻した。


 細い腕。

 強張った指。


 ここに来た理由がどうであれ、痛がり方まで嘘には見えなかった。


「水は、どこにある」


 アニマが尋ねると、女が顔を上げた。


「持ってまいります」

「俺が行く。場所を教えてくれ」


 ハルカがこちらを見た。


 アニマは頷く。


 白い顔の男からも、目を離しきらないまま。


 まずは、清潔な水と布。


 治療が始まった。

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