20.新天地
新章スタートです。
門を抜けても、馬車はなかなか進まなかった。
車輪のすぐ脇を、人が通りすぎていく。
荷物を背負った男。
籠を抱えた女。
その間を、長い耳の子供がすり抜けた。
御者が声をかける。
道を横切ろうとしていた荷車が止まり、ようやく馬が歩き出した。
アニマは幌から顔を出した。
通りの先は見えない。
道は広い。
馬車が何台も並んで走れる幅がある。
それでも、人と荷物とで埋まっていた。
「すごいね」
隣で、ハルカが呟いた。
「ああ」
建物が高かった。
石の壁から突き出した木の窓。
尖った屋根の隣には、丸く膨らんだ屋根。
建物と建物の間に渡された紐から、鮮やかな布が何枚も垂れていた。
風を受け、その下を歩く人々の頭へ影を落とす。
セントラル。
大陸の中央。
人も物も集まる場所だと、リーフは言っていた。
聞いていたより、ずっと大きい。
門へ着く前から、城壁の外にも家が続いていた。
中へ入れば、さらに続く。
これが一つの街なのか。
アニマは仮面の縁へ触れた。
外した方がいいか、と少し考えていた。
灰色の仮面。
前の獅子の仮面とは形も模様も違うが、顔を隠していることに変わりはない。
人目を引けば、それだけ覚えられる。
だが、向かいから歩いてきた男は、目元を金色の仮面で覆っていた。
その後ろには、頭から布を巻き、目だけを出した者がいる。
鳥の嘴のようなものが前へ突き出た面を着けた二人組も、何か話しながら通り過ぎる。
周囲は誰も振り返らない。
「気にならないみたいだね」
ハルカが言った。
「仮面か?」
「うん。色んな人がいるからかな」
ハルカも同じことを考えていたらしい。
アニマは手を下ろした。
ひとまず、このままでよさそうだった。
*****
宿へ荷物を置いた頃には、昼を少し過ぎていた。
御者とは、そこで別れた。
ここまで運んでくれた礼を言うと、男は帽子を取り、よい旅をと頭を下げた。
馬車が角を曲がる。
車輪の音は、すぐに街の騒ぎへ紛れた。
「行こうか」
ハルカが言った。
アニマは頷く。
村を出てから、幾日か馬車に揺られていた。
その間に、肩の引き攣りはほとんど消えた。
大剣を背負っても、傷は痛まない。
帯を締め直し、手紙に添えられた道順を確かめた。
まず、大きな噴水のある広場へ。
そこから、東へ続く通りに入る。
文字で読むだけなら、難しくはなかった。
だが、最初の広場に着くまでに、二度、人へ道を尋ねた。
通りが多すぎる。
角を曲がるたび、別の店が現れた。
通り抜けられると思った路地は、店の中庭に繋がっていた。
噴水が見えた時、ハルカが小さく息を吐いた。
「あった」
水が高く吹き上がっている。
縁には人が座り、食べたり、話したりしていた。
広場の一角では、弦を弾く音に合わせて男が歌っている。
言葉は聞き取れるのに、意味の分からない歌だった。
足元に置かれた器へ、通りがかりの女が硬貨を落とした。
別の場所から、焼いた肉の匂いが流れてくる。
その奥には、色の濃い粉を小皿に並べた店。
見たことのない文字が書かれた布。
細い金具をいくつも繋いだ首飾り。
ハルカが一つの店へ目を向け、足を緩めた。
並んでいたのは、小さな硝子の器だった。
青や緑の色が混じり、陽を受けて光っている。
「見るか」
「……帰りに寄ってもいい?」
「ああ」
ハルカはもう一度だけ振り返ってから、隣へ戻ってきた。
急ぐ理由はなかった。
それでも、アニマも先に鍛冶屋へ行きたかった。
背中にある剣の重さを確かめ、東の通りへ向かう。
途中で、袖を引かれた。
「ねえ、そこのお兄さん」
振り向く。
目を惹く赤い服を羽織った女が、こちらを見ていた。
耳から下がる飾りが揺れる。
「重そうなもの背負ってるね。少し休んでいかない?」
甘い匂いがした。
女の後ろには、細い通りがある。
軒先に吊るされた色付きの灯り。
窓には厚い幕が掛かっていた。
「宿なら、取った」
「寝るだけの場所じゃないわよ」
女が笑う。
「疲れを取ってあげる。初めてなら、優しいお姉さんが――」
「大丈夫です!」
ハルカが、アニマの反対側の腕を掴んだ。
声が大きかった。
アニマはそちらを見る。
顔が赤い。
「私たち、行くところがあるので」
「あら。連れがいたのね」
女はハルカを見て、アニマの袖から手を離した。
「それじゃ、お邪魔だったかしら」
「そういうことじゃ……とにかく、行こう」
引かれるまま、アニマは歩いた。
女の笑い声が背後へ遠ざかる。
少し進んでから、ハルカが手を離した。
「ああいうところには、ついていかないでね」
「ああいうところ?」
「ああいうところ!」
ハルカは前を向いたままだった。
耳まで赤くなっている。
事情はよく分からないが、あまり聞かないほうがよさそうだ。
「疲れていたら、宿で休めばいいから」
「……分かった」
アニマは頷き、道順の紙へ目を戻した。
*****
水路を越えると、聞こえる音が変わった。
槌の音。
何かを削る音。
道の端に、鉄の輪が積まれている。
店先へ並べられた鍋の向こうで、男が金具を磨いていた。
人の流れを避けながら、奥へ進む。
看板が見えた。
剣と槌。
その下に、ガレン工房と刻まれている。
「ここだ」
アニマは足を止めた。
戸を押す。
熱い空気と、鉄の匂いがした。
壁には剣が並んでいた。
長いものに短いもの。
刃が反ったものもある。
槍の穂先や盾は、別の棚へ分けて置かれている。
奥から槌の音が響いていた。
「いらっしゃい」
帳面を開いていた若い男が、顔を上げる。
「何か探してる?」
「ガレンという人に会いたい」
「親方に?」
「ああ。紹介してもらった」
アニマは手紙を出した。
男が封へ目を落とす。
それから、こちらを見直した。
「少し待っててくれ」
奥へ消える。
槌の音が止んだ。
「……あの娘から?」
太い声がした。
間もなく、奥の戸口を塞ぐように男が現れた。
アニマは、ベアを思い出した。
太い首。
肩から腕へ盛り上がった筋肉。
革の前掛けから出た腕には、いくつも古い火傷の跡がある。
だが、背は低かった。
アニマよりも、さらに低い。
その分、横幅があった。
顎を覆う濃い髭。
短く編まれた先が、胸元で二つに分かれている。
ドワーフだった。
「ガレンだ。ここの親方をやってる」
男は手紙を片手に、アニマの前へ立った。
「アニマってのは、お前か」
「ああ」
「私はハルカです」
隣でハルカが頭を下げる。
ガレンは二人を順に見てから、もう一度手紙へ目を落とした。
「ずいぶん大事な客らしいな。代金は気にするなとさ」
紙を畳む。
「で、今の得物じゃ力に耐えられねえ?」
「前の剣は、折れた」
「そいつか」
背中を指された。
「これは、その後で買った。旅の間に使うために」
「見せろ」
アニマは帯を外し、大剣を渡した。
ガレンが鞘から抜く。
窓の光へ刃をかざし、指の腹で側面を撫でた。
「悪かねえな。飾りに手間をかけず、厚みを残してる。仕事は真面目だ」
柄を握り直す。
「これじゃ足りねえって、誰が言った」
「まだ試していない」
「なら、試してから来い」
「それも折れてからじゃ、遅い」
ガレンの手が止まった。
アニマは続けた。
「普通の武器では力を出し切れないんだ」
「力任せにぶつけりゃ、何だって傷む」
「分かってる。それでも、耐えられるものが欲しい」
手元の剣を見る。
「武器に合わせて、力を抑えたくない」
ガレンが鼻を鳴らした。
大剣を鞘へ戻し、台に置く。
「見たところ、身体は細え。魔法で強化する口か?」
「少し違う」
「違う、ね」
ガレンは壁際の棚へ向かった。
一番下から、短い剣を抜き出す。
刃は潰してあった。
柄も鍔も、鈍い灰色をしている。
「強度を見るために打った試作だ。握りまで鉄で作ってある」
柄をこちらへ向ける。
「好きに力をかけてみろ。壊しても構わねえぞ」
口の端が上がった。
「壊せるもんならな」
アニマは剣を受け取った。
冷たい。
革を巻いていない柄は、少し太かった。
「本当にいいのか」
「二度言わせんな」
ハルカを見た。
彼女が、少しだけ後ろへ下がる。
アニマは切っ先を床へ向けた。
右手へ意識を集める。
身体の奥から、力を引き上げた。
指が締まる。
最初に、表面のざらつきが掌へ食い込んだ。
次に、金属が鳴った。
低く、短い音。
指の下で、柄が潰れていく。
「……待て」
力を止めた。
手を開く。
丸みのあった柄には、指の形に沿って深い窪みができていた。
握った部分だけが、細く歪んでいる。
ガレンは動かなかった。
剣からアニマの手へ。
手から、もう一度剣へ。
視線が行き来する。
「これで、いいか」
アニマが尋ねると、ガレンが剣を取り上げた。
歪んだ柄を撫でる。
自分でも握り、力を込めた。
変わらない。
男の目が細くなった。
「……お前、まだ全力じゃないな」
「ああ」
今度は、すぐに返事がなかった。
ガレンは棚の上へ試作の剣を置いた。
それから、髭の奥で笑った。
「面白いじゃねえか」
前掛けで手を拭う。
「受けてやるよ。奥へ来い」
*****
工房の奥は、さらに暑かった。
炉の中が赤い。
壁際の棚には、見分けのつかない金属の塊が並んでいた。
ガレンは作業台から道具を退け、アニマをその前へ立たせた。
「大剣でいいんだな」
「ああ」
「長さは、今のと同じくらいか」
「もう少しあってもいい」
「使う場所は?」
「旅先だ。狭い場所でも戦うが」
「だったら、やたら長くしてもしょうがないな」
ガレンが紐を取った。
「腕を出せ」
肩から手首まで。
肘を曲げ、掌を開く。
次々と測られ、そのたびに脇の板へ数字が書きつけられていく。
「握りはただの鉄じゃあ、また潰すことになるな」
ガレンが、アニマの掌を裏返す。
古い傷。
指の付け根の硬くなった皮膚。
そこを親指で押された。
「重さは」
「重くても構わない」
「持てるかじゃねえ。振った後、止められるかだ」
アニマはガレンを見た。
「止められる」
「どの重さまで」
「……確かめたことはない」
「なら、確かめる」
壁際から、刃のない鉄の棒が運ばれた。
持ち上げる。
構える。
指示されたところまで、ゆっくり動かす。
ハルカは少し離れた椅子に座り、その様子を見ていた。
「肩、大丈夫?」
「ああ」
痛みはなかった。
ガレンがこちらを見る。
「怪我してんのか」
「もう治ってる」
「つい数日前に、ね」
ハルカが付け加えた。
ガレンが鼻を鳴らす。
「治り具合まで誤魔化すなよ。合わねえ剣を作らされちゃ、たまらん」
アニマは頷き、言われた通りに腕を上げ直した。
測定が終わる頃には、板の上に数字と線が増えていた。
ガレンはそれを眺め、髭を撫でる。
「普通の鋼だけじゃ、無駄に重くなるな。刃を厚くすりゃ済むって話でもねえ」
棚へ向かった。
小さな箱を開き、中から黒っぽい石を取り出す。
台へ置かれる。
石の割れ目に、青い筋が走っていた。
「芯に、こいつを使う」
「これは?」
「蒼脈鉱。精錬して、他の金属と合わせる。硬くするだけじゃなく、粘りを持たせられる」
ガレンの指が石を弾いた。
「刃が受けた力を、剣全体で受け止める。折れにくくするには、そこからだ」
アニマは石を見た。
「これで、作れるのか」
「足りねえ」
ガレンは、あっさりと言った。
「それっぽっちじゃ、小刀にもならん。お前の得物なら、相応の量が要る」
「買える場所は」
「分かってりゃ、俺が買ってる」
顔を上げる。
ガレンは冗談を言っている様子ではなかった。
「出回らないのか」
アニマが尋ねると、男は頷いた。
「鉱脈が少ねえうえに、採れる量も少ねえ。まとまったものは、買い手が先についてる。軍だの、金持ちの工房だのにな」
「取り寄せるのも、難しいんですか」
ハルカが口を挟む。
「伝手は当たる。だが、いつ入るとは言えんな」
ガレンは板を裏返した。
石の名前と、必要な量を書きつける。
それを紙へ写して、アニマに渡した。
「同じ鉱石でも、混じり物が多けりゃ使える量は減る。こっちに書いた分は最低限だ。見つけたら、金を払う前に俺へ見せろ」
「……分かった」
紙を受け取った。
名前。
量。
青い筋が走る、黒っぽい石。
探す手掛かりは、それだけだった。
「他の材料なら?」
「作れる」
ガレンは言った。
「だが、お前が欲しいのは、今より少し丈夫な剣か?」
アニマは黙った。
「……探してくる」
「俺も声をかけておく。見つからねえからって、その辺の石で我慢しろとは言わねえよ」
ガレンは台に置いた大剣を押し出した。
「それまでは、こいつを大事に使え。そいつを打った奴も、お前の握力までは考えてねえ」
アニマは柄を握った。
大剣が、急に頼りなく感じた。
*****
店を出ると、外の空気が冷たく感じられた。
アニマは手元の紙を見る。
蒼脈鉱。
文字を読んでも、在り処は分からない。
紹介状を持ってくれば、話が済むと思っていた。
剣の形を決め、代金を払い、できるのを待つ。
そこまで簡単ではないにしても、次に何をすればいいかくらいは分かるものだと。
「まず、鉱石を売っているところを探そう」
ハルカが言った。
「ガレンさんの知らないお店も、あるかもしれないし」
「ああ」
返事をして、通りを見る。
人が流れていた。
これだけの店がある。
どこかには、あるかもしれない。
だが、そのどこかへ辿り着くまでに、どれだけ歩けばいいのだろう。
紙を畳みかけた時だった。
「お困りのようですね」
すぐ横から、声がした。
アニマは顔を向けた。
工房の壁際に、人が立っていた。
細い身体。
濃い紫の上着に、白い手袋。
顔も白かった。
肌の色ではない。
首元との境に、はっきりと色の違いがあった。
片方の目の下に、黒い雫のような模様が描かれている。
赤く塗られた口元は、実際の唇よりも外へ伸びていた。
笑っているのか。
そう描かれているだけなのか。
一目では分からなかった。
「誰だ」
アニマは紙を握ったまま尋ねた。
相手が、胸へ片手を添える。
「とある貴族の使いでございます。主人が、お二人とお話ししたいと」
「人違いじゃないか」
白い顔が、僅かに傾く。
「いいえ」
赤い口元が動いた。
「グランツ商会に大きな打撃を与えたと噂の英雄様、ですよね」
深く、頭を下げられた。
アニマは動かなかった。
通りでは、まだ人が行き交っている。
隣の店から、槌の音が聞こえた。
ハルカが息を呑む。
アニマは彼女の前へ、半歩出た。
大剣の柄へ手を伸ばす。
隣で、ハルカも足を引いた。
使者は頭を上げる。
白く塗られた顔に、赤い笑みが残っていた。




