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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
21/25

19.手当

筆が乗りました。二話目更新です。

「ここへ下ろしてください」


 ハルカが地面を指した。


 板を担いでいた男たちが、膝を曲げる。

 横たわる男の口から、短い呻き声が漏れた。


 腹へ巻かれた布が濡れている。

 血は、まだ止まっていなかった。


 ハルカが傍らへ膝をつく。


「私の声、聞こえますか」


 返事はない。


 だが、男の目が動いた。


「治療します。少し、そのままでいてください」


 布の袋が開かれる。

 ハルカは傷の様子を確かめ、両手をかざした。


 淡い光。


 アニマは、その後ろに立っていた。


 裂けた服。

 土のついた腕。

 板の端へ垂れた血。


 見慣れたものだった。


 それなのに、今は何をすればいいのか分からない。


「水を持ってきてください。あと、綺麗な布も」


 ハルカの声に、そばの女が走り出した。


 アニマは一歩、近づきかけた。


 男の腕が震えている。


 押さえればいいのか。

 身体を支えればいいのか。


 分からなかった。


 自分の傷に布を巻いたことならある。

 血が止まらないまま、剣を握り直したことも。


 だが、人を治すために触れたことは、ほとんどなかった。

 味方が傷ついた時、敵をそれ以上に傷つけることで対処してきた。


 伸ばしかけた手を下ろす。


 ハルカは男から目を離さず、魔法を使い続けていた。


「すまん、誰か手を貸してくれ!」


 声がした。


 通りの先だった。


 倒れた木材の前で、何人かがこちらを見ている。


 アニマはハルカへ顔を向けた。


「手伝ってくる」

「うん。気をつけてね」


 返事をして、歩き出す。


 持ち上げて、運ぶ。


 それなら、できる。


*****


 ネルム村。


 通りの脇に倒れた木の札には、そう刻まれていた。


 家は多くない。

 低い屋根が並び、その向こうには畑が広がっている。


 何事もなければ、馬を休ませ、水を汲んで通り過ぎる場所だったのだろう。


 今は、道の中央に折れた板が散っていた。


 土壁が崩れている。

 納屋の戸は外れ、軒先の柱が道を塞いでいた。


 三人の男が、柱へ手をかけている。


「こいつを、脇へ退けたいんだが」


 アニマは足を止めた。


 柱の先に、潰れた桶がある。

 割れた壺。

 泥にまみれた布。


「中に、人は」

「いない。全員出した」


 アニマは頷いた。


 柱へ右手をかける。

 少し持ち上げ、重さを確かめた。


 肩が引き攣る。


 左手を添える位置を変え、膝を曲げる。

 腕だけで引かず、脚を伸ばした。


 柱が浮く。


「……おい」


 男の声。


「先を持ってくれ」


 アニマが言うと、三人が慌てて動いた。


 道の脇へ運び、ゆっくりと下ろす。


 土が舞った。


 アニマは息を吐く。

 傷が開いた感触はない。


 次は、折れた梁。

 その下の板を抜き、通れる幅を作る。


 男たちも、空いた場所から木片を運び始めた。


「助かる。すげえ力だな」


 額に布を巻いた男が言った。


「冒険者が来てくれるとは思わなかった」

「たまたま通りがかっただけだ」

「俺らは運が良いな」


 男は、崩れた納屋を見た。


「……本当に、ありがたい」


 アニマは返事をせず、足元の板を拾った。


 通りの奥で、子供が泣いている。


 その声を聞きながら、板を積み重ねた。


*****


 畑側の柵は、内側へ倒れていた。


 根元から折れた杭。

 引き剥がされた縄。


 そのそばに、魔物の死骸があった。


 黒い毛に覆われた胴。

 細長い四肢。

 脚の先には、鎌のように曲がった爪。


「裂脚獣か」


 アニマが呟くと、後ろの男が頷いた。


「知ってるのか」

「ああ」


 兵卒級。

 多くは、その中でも下位に入る。


 ただ、目の前の個体は大きかった。

 脚の太さも、爪の長さも違う。


 中位には届くかもしれない。


 アニマは裂脚獣の腹へ目を向けた。


 槍が一本、折れたまま刺さっている。

 脇腹にも、何度も突かれた跡があった。


 周囲の土が、黒く固まっていた。


「何匹いた」

「六匹。倒せたのは二匹だ」

「戦える冒険者は?」

「いない。俺たちで、槍と農具を持って」


 男は言葉を切った。


 自分の手を見ている。


 指の間が裂けていた。


 兵卒級の下位。

 戦場でなら、アニマが足を止めるほどの相手ではない。


 だが、武器を持ち慣れない者たちが、六匹を迎え撃った。


 子供がいる。

 逃げられない老人もいる。

 背後には、自分たちの家。


 よく、追い払えたものだった。


「……何人も、やられた」


 男が言った。


「もう動かなくなった奴にも、爪を振り下ろしてた。家畜には、見向きもしねえで」


 アニマは折れた柵へ目を戻した。


 血はある。

 だが、何かを引きずって持ち去ったような跡は見えない。


 裂けた死骸の口元にも、食いちぎった肉は残っていなかった。


 魔物が襲う理由は、一つではない。


 食うために獲物を追うもの。

 ただ、目の前のものを壊すために動くもの。


 こいつらは、後者のようだ。


「また、来ると思うか」


 男が尋ねた。


 アニマは村の外を見た。


 踏み荒らされた畑。

 その向こうの低い林。


「来ないとは言えない」

「そうか……」

「ただ、食うためなら、腹が減ればまた獲物を探す。こいつらは違う」


 死骸を指す。


「ここでは二匹死んだ。残りも、無傷では逃げていないだろう」

「ああ。何度も突いた」

「なら、別の場所へ向かう可能性の方が高い」


 壊すものは、他にもある。


 わざわざ痛い目に遭った場所へ戻る理由は薄い。

 少なくとも、飢えに駆られた獣ほどは。


 男は少しだけ息を吐いた。


「それでも、見張りは残しておいた方がいい」

「分かった」


 アニマは柵の脇に立てられた杭を手に取った。


 折れた部分を塞ぐには、数が足りない。


「使える板を持ってきてくれ」


 男が顔を上げる。


「夜までに、ここだけでも塞ごう」


*****


 陽が沈む頃には、道を通れるようになっていた。


 折れた柱は脇へ寄せた。

 柵の隙間には板を渡し、縄で括った。


 元通りではない。


 だが、人が通る場所と、外を警戒する場所は作れた。


 アニマは井戸で手を洗った。


 水が茶色く濁る。

 指の節に、細かな傷ができていた。


 肩も痛い。


 それでも、柱を持ち上げるたびに痛みが増すようなことはなかった。


 桶を置き、息を吐く。


 ハルカの姿を探した。


 村の中央に、少し大きな家がある。

 戸が開け放たれ、中に灯りが見えた。


 人が出入りしている。


 近づくと、血の匂いがした。


 床には毛布。

 壁際には、怪我人が並んでいる。


 椅子に座って腕を吊る者。

 横になったまま目を閉じている者。


 その奥に、ハルカがいた。


「指、動かせますか」


 老人が手を動かす。


 ゆっくりと。

 一本ずつ。


「うん。今日は、重いものを持たないでくださいね」


 ハルカが手を離す。


 老人が何度も頭を下げた。


 彼女は小さく笑い、すぐ隣の毛布へ膝を移した。


 まだ、続けていた。


 アニマは入口の柱へ手を添える。


 村へ着いてから、一度でも休んだのだろうか。


 額に髪が貼りついている。

 袖を捲った腕には、乾いた血がついていた。


 ハルカが布を取ろうとする。


 指先が引っかかり、器が僅かに鳴った。


 彼女はそれを押さえ、何事もなかったように患者へ向き直る。


 疲れている。


 アニマにも分かった。


 休め、と言おうとした。


「ハルカ様、こっちも……」


 女の声がした。


 ハルカが顔を上げる。


 横たわっているのは、少年だった。

 アニマよりも、幼い。


 脚に巻かれた布を、両手で握っている。


「痛み、強くなった?」


 ハルカがそばへ寄った。


 少年が頷く。


「分かった。見せてね」


 その声は、変わらなかった。


 疲れていても。

 何人を診た後でも。


 自分が目を覚ました時と同じように、顔を覗き込み、返事を待っている。


 アニマは口を閉じた。


 ハルカが無理をしていることは分かる。


 だが、ここで手を止めさせれば、目の前の少年は痛いままだ。


 ハルカは助けたいと思っている。

 そのために、ここにいる。


 自分が屋敷へ行くと決めた時も、そうだった。


 止めるだけは、何かが違う。


 アニマは柱から手を離した。


*****


 水の入った器が、ハルカの脇にあった。


 赤黒く濁っている。


 アニマはそれを持ち上げた。


 入口にいた女へ、綺麗な水の場所を尋ねる。

 器を洗い、新しい水を入れる。


 戻ると、ハルカが顔を上げた。


「アニマ」


 器を置く。

 使い終えた布を、別の桶へまとめた。


「ありがとう」


 アニマは頷いた。


 ハルカがまた少年へ向き直る。


 その隣へ、膝をついた。


 少年の脚が震えていた。

 膝を曲げかけ、そのたびに顔を歪める。


「少し、脚を支えてもらえる?」


 ハルカが言った。


 アニマは動かなかった。


 脚。

 薄い皮膚。

 布の端から覗く、細い足首。


 強く握れば、それだけで傷つく。


 地下室の檻を掴んだ指を思い出した。

 鉄が歪んだ。


「……どこを」


 声が低くなった。


 ハルカがこちらを見る。


「ここ。傷には触らないで、下から支えて」


 自分の手を添えて見せる。


 アニマは、その下へ手を差し入れた。


 温かかった。


 骨の形が分かる。

 その周りの柔らかさも。


 少年の身体が強張った。


 アニマは息を止めた。


「痛いか」

「……少し」


 手を引きかける。


「そのままで大丈夫。持ち上げなくていいよ」


 ハルカが言った。


「動かないように、支えるだけ」


 アニマは頷いた。


 指を握り込まない。

 掌へ、重さを預けさせる。


 ハルカの手が傷の上へかざされた。


 光が灯る。


 少年が歯を食いしばった。

 その肩へ、母親らしい女が手を置く。


 アニマは脚を支え続けた。


 重くはない。


 剣や柱の方がよっぽど重たい。


 それなのに、少しも気を抜けなかった。


「……うん。もういいよ」


 ハルカの声がした。


 いつの間にか、少年の呼吸が落ち着いていた。


 脚の下へ、畳んだ布が入れられる。


 アニマはゆっくりと手を抜いた。


 何も壊れていなかった。


「ありがと」


 少年が言った。


 ハルカへ向けたのだと思った。


 だが、その目はこちらを見ていた。


「……ああ」


 アニマは自分の手を見た。


 少し、汗をかいている。


 服で拭おうとして、やめた。


 立ち上がり、もう一度、手を洗った。


*****


 次に頼まれたのは、布を切ることだった。


 言われた幅に裂く。

 使いやすい場所へ重ねる。


 水を替える。

 灯りを近づける。


 起き上がろうとする老人の背を、下から支える。


 分からなければ聞いた。


 ハルカは短く答え、そのたびに手の位置を見てくれた。


 アニマが隣に座ってから、彼女が立ち上がる回数は減った。


「こっちは、これでいいか」

「うん。ありがとう」


 ハルカが手を下ろす。


 アニマは、水の入った器を差し出した。


 彼女が受け取る。

 今度は患者へ渡さず、自分で飲んだ。


 長く息を吐く。


 器を持つ手が、膝の上へ下りた。


「少し、楽になった」


 小さな声だった。


 アニマは頷いた。


「次は」

「あっちの人。でも、その前に少しだけ休む」


 ハルカが壁へ背を預ける。


 アニマも、その隣に座った。


 肩が重い。

 腰を下ろして初めて、自分も疲れていたと気づいた。


 部屋の向こうでは、村の女たちが布を畳んでいる。


 外から男が水を運んできた。

 御者も一緒だった。


 誰か一人が動くたび、別の誰かの手が空く。


 ハルカが目を閉じる。


 アニマは声をかけなかった。


 少し経って、彼女は自分で目を開けた。


「行こうか」


 立ち上がる。


 アニマも、布の束を持って続いた。


*****


 最後の患者の治療を終えた時、外はすっかり暗くなっていた。


 全員が治ったわけではない。


 包帯の残る者もいた。

 添え木を外せない者も。


 それでも、苦しそうな呼吸は随分と減っていた。


 ハルカは村人へ、一人ずつ注意を伝えた。


 今夜は無理に歩かないこと。

 傷を汚さないこと。

 様子が変わったら、すぐに呼ぶこと。


 アニマは使い終えた器を片付けた。


 戸口の向こうに、小さな屋根が見える。


 その下には、布を掛けられた人影が並んでいた。


 ハルカが村へ入る前に、息を引き取っていた者たちだった。


 アニマは足を止める。


 布の端から、土のついた靴が覗いていた。


 村人だけで、六匹を追い払った。


 その言葉の中には、ここに並ぶ者たちもいる。


「アニマ」


 振り向くと、ハルカが立っていた。


 彼女も屋根の方を見た。


 しばらく、何も言わなかった。


 遠くで槌の音がする。

 まだ、柵を直しているのだろう。


「……今夜、泊まる場所を貸してくれるって」


 ハルカが言った。


「ああ」


 アニマは頷く。


 二人で、灯りのある方へ歩いた。


*****


 翌朝、村には木を打つ音が響いていた。


 夜の間に魔物が戻ることはなかったらしい。


 アニマは門のそばまで歩いた。


 昨日渡した板の隣に、新しい杭が立っている。

 縄を締める男が、こちらへ手を上げた。


「昨日は助かった、冒険者さん」

「ああ」


 アニマも手を上げる。


 肩は動いた。

 眠ったことで、昨日の重さは薄れていた。


 馬車へ戻ると、御者が飼葉の袋を積んでいた。


 馬は水を飲んでいる。

 村人が車輪の脇へ、食料の入った籠を置いた。


「道中で食べてくれ」


 アニマは腰の袋へ手を伸ばした。


 男が首を横に振る。


「二人への礼だ。多くは出せんが」

「十分だ。ありがとう」


 受け取り、荷台へ載せる。


 ハルカはまだ、家の前で村人と話していた。


 今朝も出発前に、患者の様子を見て回っていた。


 腕に包帯を巻いた老人が、何度も頭を下げている。


 昨日、脚を支えた少年もいた。

 母親に肩を支えられ、戸口に座っていた。


 目が合う。


 少年が手を振った。


 アニマは一瞬、迷った。


 それから、同じように手を上げた。


「待たせたね」


 ハルカが戻ってくる。


 目の下に、少し影があった。


「眠れたか」

「うん。アニマは?」

「眠った」


 彼女が荷台へ上がる。


 アニマは足元の荷物を寄せ、毛布を広げた。


「今日は、お前が横になれ」

「アニマも、まだ怪我人だよ」

「場所はある」


 荷物をもう少し動かす。


 二人が並んで休むには、少し狭い。

 だが、座ったままでいるよりはいい。


 ハルカが小さく笑った。


「じゃあ、そうしようか」


 御者が手綱を取る。


 門の荷車が退けられた。


 村人たちが道の脇へ立つ。

 ハルカが幌から顔を出し、手を振った。


 馬車が動き出す。


 昨日まで道を塞いでいた柱が、脇に積まれている。

 その向こうで、男が新しい木材を運んでいた。


 村は、まだ壊れたままだった。


 それでも、人が動いている。


 アニマはその姿が見えなくなるまで、外を見ていた。


 やがて、幌の中へ戻る。


 ハルカは毛布に横になっていた。

 目を閉じている。


 アニマも隣へ腰を下ろした。


 大剣は、手の届く場所にある。


 その柄へ触れかけた手を止め、ハルカの肩からずれた毛布を引き上げた。


 彼女は起きなかった。


 アニマは自分の掌を見た。


 少年の脚の重さが、まだ残っている気がした。


 指を開き、膝へ置く。


 馬車は街道を進んでいく。


 次に目指すのは、セントラル。


 アニマは荷物の中の紹介状を確かめてから、静かに目を閉じた。

次回新章入ります。(章の名前を修整しました)

幕間挟むかもしれません。

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