18.途上
「大剣、ですか」
アルクが聞き返した。
「ああ」
「両手で使うものですね」
「前は、それを使っていた」
アニマは机の上で、右手を少し開いた。
柄の長さ。
そこから伸びる刀身。
覚えている。
リーフたちに力のことを話してから、丸一日が経っていた。
寝て、食べる。
ハルカの治療を受ける。
それだけでも、身体は随分と軽くなった。
歩くたびに響いていた痛みも、今はほとんどない。
ただ、腕を大きく動かすと、肩が若干引き攣る。
「頑丈なものがいい。重さは問わない」
「分かりました。親方にも相談してみます」
アルクが頷く。
本当なら、自分で確かめたかった。
だが、屋敷では仮面を失っている。
顔を見たのが、あの白剣の英雄だけとも限らない。
「俺は屋敷に入っていませんから。買い物くらいなら問題ありません」
こちらの視線に気づいたのか、アルクが言った。
「アニマ殿は、ここで待っていてください」
「頼む」
扉が閉まった。
アニマは窓へ目を向ける。
厚い布が掛かり、外は見えなかった。
「それで、本当に今日出るの?」
隣から声がした。
ハルカだった。
「ああ。もう良くなってきた」
「良くなってきたのと、治ったのは違うよ」
「歩ける」
「歩けるのは知ってる」
ハルカの目が肩へ向く。
アニマは動かしかけた腕を下ろした。
見せれば納得するかと思った。
そういう話ではないらしい。
「私も、早めに街を離れた方がいいと思うわ」
リーフが口を挟んだ。
ハルカがそちらを見る。
「まだ捜しているの。商会の人間が、宿や店を回っている」
「……ここにも?」
「今のところは来ていない。でも、いつまでも見つからないとは言えないでしょう」
リーフは窓を見た。
「馬車と御者はこちらで手配してあるわ。歩いて旅をするより、負担は少ないはずよ」
ハルカが黙った。
膝の上で、指を組み直す。
「……途中で傷が悪くなったら、止まって休む」
「ああ」
「痛くても黙ってるのは駄目だからね」
「分かった」
顔を覗き込まれる。
アニマは目を逸らさずに頷いた。
やがて、ハルカが長く息を吐く。
「じゃあ、馬車ではちゃんと休んで」
*****
机に、革の袋が置かれた。
重い音だった。
「約束の報酬よ」
リーフがこちらへ押し出す。
隣には、封をされた手紙。
「こっちはガレン宛て。工房の場所も書いてあるわ」
アニマは袋を手に取った。
中で硬貨が擦れ合う。
「武器の代金とは別に?」
「当然でしょう。フロウを助けてもらったんだから」
向かいに座るフロウが、頷いた。
前に会った時より顔色がいい。
手元の器を、両手で包んでいた。
「他の人たちは、どうなった」
アニマは尋ねた。
「倉庫から連れ出した人たちだ」
「もう国外へ出ているわ。うちの者に頼んで、何組かに分かれて移動してもらったの」
「全員か」
「ええ。向こうでも、しばらく世話をしてもらえるようにしてある」
アニマは息を吐いた。
あの夜、腕の中にいた人々。
軽すぎる身体。
毛布をかけても震えていた子供。
今は、商会の手が届く場所にはいない。
「そうか」
袋を荷物へ収める。
リーフは、もう一つ包みを差し出した。
「それから、これ」
開くと、仮面が入っていた。
くすんだ灰色。
目元から頬を覆う、滑らかな形。
牙も、鬣もない。
片側に、細い線の模様が入っているだけだった。
「前のものとは、変えた方がいいでしょう?」
「ああ」
顔へ当てる。
獅子の仮面よりも軽い。
口元は隠れず、息もしやすかった。
「似合ってるよ」
ハルカが言った。
「前より?」
「前のは、私は見てないから」
そうだった。
アニマは仮面を外し、紐を確かめた。
守ってくれたものだった。
あの夜、顔へ白剣が迫った時も。
砕けた破片は、地下室に残してきた。
「ありがとう。使わせてもらう」
リーフが頷いた。
それから、旅の道順を聞いた。
街道沿いの村で水や食料を補い、馬を休ませながら進む。
セントラルまでは、まだ遠い。
話を聞き終える頃、扉が叩かれた。
「戻りました」
アルクだった。
長い包みを、肩に担いでいる。
*****
布が解かれる。
幅のある刀身。
飾り気のない鍔。
両手で握れる長い柄。
大剣だった。
「店にある中では、一番頑丈なものだそうです。刃の状態も確かめてもらいました。でも、とにかく重たいですよ」
アニマは差し出された柄を握った。
重さが腕へかかる。
ショートソードとは違う。
手の先だけでは収まらない重み。
左手を添える。
懐かしかった。
右足を僅かに引く。
剣の重さに合わせて、身体の向きが変わった。
考えなくても分かる。
どこへ置けば、次に動けるか。
「……馴染む」
アニマが呟くと、アルクの口元が緩んだ。
「それなら良かった」
刃へ目を走らせる。
欠けはない。
柄も緩んでいない。
だが、白剣と打ち合えばどうなるか。
まだ、分からなかった。
強く振れることと、打ち合っていいことは違う。
アニマはゆっくりと背丈ほどの大剣を下ろした。
「振らないの?」
ハルカが尋ねる。
「ここでは狭い」
「外でも、今は駄目だからね」
「……ああ」
肩の痛みを確かめるように、左手を離した。
アルクが鞘を差し出す。
「背負うための帯も付けてもらいました。長さは調整できます」
「助かる」
刃を収める。
ようやく、手元に武器が戻ってきた。
それだけで、部屋へ入った時とは気持ちが違った。
もう、折らずに済むだろうか。
鞘へ添えた手に力を込めかけ、緩めた。
*****
ベアの家へ残していた荷物は、ハルカが取りに戻ってくれた。
アニマはその間に、帯の長さを合わせた。
背負うと動きにくいため、馬車の中では脇に置くことにする。
昼前、裏手に馬車が着いた。
幌のついた、荷物を運ぶための馬車だった。
荷台の一角には毛布が重ねられている。
御者台の男が、リーフへ頭を下げた。
「頼んでいた二人よ」
「承知しました」
荷物が積まれる。
ハルカが、最後に水袋を確かめた。
「ベアは、何か言っていたか」
「今度は自分の足で帰ってこいって」
アニマは頷いた。
今朝、家を出る時にも似たことを言われた。
「あと、教えたことを忘れるなって。私に」
「教えたこと?」
「後で話すね」
ハルカが笑った。
リーフたちが、扉の陰まで見送りに出てきた。
「ガレンによろしく。私からも、また連絡するわ」
「ああ」
アニマは手紙を入れた場所へ触れた。
「世話になった」
「こちらの台詞よ」
リーフの隣で、フロウが頭を下げる。
「どうか、お気をつけて」
テイクとケアも頷いた。
アルクは荷台の縁を軽く叩く。
「剣で困ったことがあったら、まずはガレン殿に見てもらってください。無理に使い続けないように」
「分かった」
最後に、フレッサと目が合った。
「今度会う時までに、その力を扱えるようになっておけ」
「そうしたい」
アニマは答えた。
フレッサが僅かに口元を動かす。
「なら、またな」
「ああ。また」
仮面を着け、幌の下へ入った。
馬が歩き出す。
荷台が揺れた。
ハルカが隣へ座る。
幌の隙間から、建物が遠ざかっていく。
角を曲がるまで、アニマはその先を見ていた。
*****
車輪の音が変わった。
石を叩く硬い音が途切れ、土を踏む低い響きになる。
城門では、御者が書類を見せていた。
荷台を覗かれたが、長く引き留められることはなかった。
誰かが追ってくる気配もない。
アニマは幌の端を持ち上げた。
城壁が見える。
高い石の壁。
その上を歩く兵。
門へ向かう荷車の列。
ゆっくりと、小さくなっていった。
代わりに、畑が広がる。
刈り取られた茎の並ぶ土地。
まだ葉を残す畝。
道の脇には、浅い水路が続いていた。
陽を受けた水面が、途切れ途切れに光る。
風が幌を膨らませた。
乾いた土と、草の匂い。
アニマは布から手を離した。
「横になったら?」
ハルカが言った。
毛布を指している。
「まだ眠くない」
「眠らなくてもいいから」
言われた通り、身体を倒した。
剣は手の届く場所にある。
揺れても動かないよう、荷物の間に挟んであった。
頭の上で、幌の縫い目が揺れる。
鳥の声が聞こえた。
街では、気づかなかった音だった。
「……ウエスタンでも、色々あったね」
ハルカが小さく言う。
「ああ」
返事をして、目を閉じた。
車輪が小石を踏む。
身体が跳ねる。
脇腹は少し痛んだ。
だが、その痛みを隠すために身構える必要はなかった。
「揺れると、少し響く」
「毛布、もう一枚入れようか」
「頼む」
ハルカが背中の下へ、畳んだ毛布を差し込んだ。
先ほどより、楽になった。
*****
街道脇で、馬を休ませた。
道から少し離れたところを、小さな川が流れていた。
水は浅い。
丸い石の間を抜け、白い泡を作っている。
御者は馬を連れ、少し下流へ歩いていった。
アニマとハルカは、木陰に腰を下ろす。
枝の間から光が落ちていた。
風が吹くたび、膝の上の影が動く。
パンを割る。
ハルカは受け取った半分を、すぐには口へ運ばなかった。
「あのね」
アニマは顔を向ける。
「私が、助けてあげてほしいって言ったから」
声が小さくなる。
「それで、無理をさせたのかなって」
川の音がした。
ハルカはパンへ目を落としている。
「あんな怪我をするなんて、思ってなかった」
「俺もだ」
アニマは答えた。
ハルカが顔を上げる。
「あれほどの強敵がいるとは思わなかった。剣を折られるとも」
「……うん」
「でも、行くと決めたのは俺だ」
ハルカは黙った。
それだけでは、足りない気がした。
アニマは手元のパンを見る。
「フロウが、礼を言ってくれた」
「うん」
「倉庫にいた人たちも、国外へ出られた」
指先についたパン屑を払う。
「行って良かったとは、思ってる」
ハルカの肩が僅かに下がった。
「……そっか」
アニマは頷く。
「ただ、心配はかけた」
ハルカが唇を結んだ。
「それは、本当に」
「ああ」
「助かった人がいるのは、嬉しいよ。でも、アニマも帰ってきてほしい」
「帰ってきた」
「フレッサに抱えられて、ね」
何も言えなかった。
ハルカが小さく息を吐く。
「次は、もう少し無事に帰ってきて」
「そうする」
ハルカがようやくパンを齧った。
アニマも、残りを口へ放り込む。
「グランツ商会の屋敷では、どうだったの?」
少しして、ハルカが尋ねた。
「どこから?」
「入ったところから」
アニマは思い出しながら話した。
大きな屋敷だったこと。
外には見張りがいたのに、中にはほとんどいなかったこと。
地下へ下りたこと。
フレッサが、フロウを先に見つけたこと。
「すぐ分かったの?」
「ああ。顔もよく見えなかったのに」
薄暗い檻。
小さく呼ばれた名前。
「その前に、レオンがいた」
「白剣の英雄」
「ああ」
仮面越しに目が合った瞬間を思い出す。
「フレッサを逃がした。でも、出口と鍵を探して戻ってきてくれた」
「聞いたよ。帰ってきた時、すごい顔をしてたって」
「そうか」
それから先は、少しずつ話した。
獣化を進めた時のこと。
戦いが終わっても、衝動が消えなかったこと。
ハルカは途中で口を挟まなかった。
話し終える頃には、木陰の端が足元まで動いていた。
*****
馬車が再び走り出す。
畑は少なくなり、低い丘が続くようになった。
道は丘の間を縫っている。
上りにかかると馬の歩みが遅くなり、御者が短く声をかけた。
アニマは荷台の縁に背を預け、ハルカの話を聞いていた。
「最初は、何をすればいいのか全然分からなかったんだ」
彼女が自分の腕を見せる。
「治療の時とは、魔力の使い方が違って」
「身体強化か」
「そう。ベアさんに教えてもらったの」
家で聞きそびれた話だった。
「できるようになったのか?」
「少しだけね。まだ、長くは続かないけど」
ハルカが手を握る。
その腕へ、薄く魔力が巡った。
僅かな変化だった。
すぐに消える。
「難しい?」
「うん。力を入れようとすると、身体まで固くなっちゃうの」
肩を上げて見せる。
「それじゃ動けないって、何度も言われた」
アニマはハルカの手を見た。
自分の傷を治した手。
今、その腕には別の力も宿るようになった。
「試してみたのか」
「水を運んだり、少し重いものを持ったり。持ち上がった時は嬉しかった」
ハルカが笑った。
「戦いは、まだ全然だけど」
「急がなくていい」
「でも、万が一があるから」
すぐに返された。
俺が守るから、戦わなくていい。
そう言いかけて、アニマは口を閉じる。
命からがら帰還しておいて、言えない。
丘の斜面を、風が渡っていた。
草が倒れる。
その先の草も倒れる。
見えないものの通り道が、遠くまで続いていく。
アニマは毛布へ身体を預け直した。
隣では、ハルカが水袋の口を結んでいる。
強くならなければ。
いつでも戦えるように。
車輪の音を聞きながら、目を閉じる。
今度は、少し眠れそうだった。
*****
馬車が減速した。
アニマは目を開ける。
幌の内側が、薄く赤く染まっていた。
陽が傾いている。
「どうした」
上体を起こす。
御者が手綱を引いていた。
「今夜は、あの村で馬を休ませるつもりだったんですが」
声が途切れる。
アニマは幌から顔を出した。
道の先に、木の柵があった。
その一部が、倒れている。
門の脇には荷車。
横向きに置かれ、隙間を塞いでいた。
槍を持った男が二人、こちらを見ている。
畑には人がいない。
風が吹いた。
血の匂いがした。
「止めてくれ」
馬車が止まる。
アニマは大剣へ手を伸ばした。
「アニマ?」
ハルカの声。
「まだ、下りるな」
槍を持った男の一人が近づいてくる。
袖が破れていた。
腕に巻かれた布が、赤黒く濡れている。
「何の用だ」
「水と飼葉を分けてもらおうと思って。何かあったんですか」
御者が尋ねた。
男は馬車の中を見た。
アニマの仮面。
鞘に収まった大剣。
「冒険者か」
「ああ」
「魔物が来た」
「いつ」
「昼過ぎだ。何匹も、畑の方から」
アニマは柵の向こうへ目を向けた。
門の内側に、黒い塊が転がっている。
獣に似た身体。
不自然に長い脚。
動いてはいなかった。
「まだいるのか」
「追い払った。何匹かは殺した。だが……」
男が村を振り返る。
その先から、声が聞こえた。
呻く声。
誰かを呼ぶ声。
魔物の気配はない。
アニマは剣の柄から手を離した。
ハルカが、荷台の縁へ来ていた。
男の腕を見ている。
「怪我をした人は、他にも?」
「いる。動けない奴も」
ハルカがこちらを見た。
アニマは一度、頷いた。
彼女が荷物から布の袋を取る。
「治癒魔法が使えます。案内してもらえますか」
男の目が大きくなった。
「治癒魔法を?」
「はい」
門の方へ、男が振り返った。
「開けろ!」
荷車が動かされる。
アニマも馬車を下りた。
着地の衝撃が、脇腹へ響く。
少しだけ息を止めた。
ハルカはもう、門の向こうへ走っている。
その先で、二人の男が板を運んでいた。
上には、人が寝かされている。
血の染みた布。
垂れ下がった片手。
ハルカが駆け寄った。
アニマは大剣を馬車へ立てかけ、彼女の後を追った。




