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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
20/27

18.途上

「大剣、ですか」


 アルクが聞き返した。


「ああ」

「両手で使うものですね」

「前は、それを使っていた」


 アニマは机の上で、右手を少し開いた。

 柄の長さ。

 そこから伸びる刀身。


 覚えている。


 リーフたちに力のことを話してから、丸一日が経っていた。


 寝て、食べる。

 ハルカの治療を受ける。


 それだけでも、身体は随分と軽くなった。

 歩くたびに響いていた痛みも、今はほとんどない。


 ただ、腕を大きく動かすと、肩が若干引き攣る。


「頑丈なものがいい。重さは問わない」

「分かりました。親方にも相談してみます」


 アルクが頷く。


 本当なら、自分で確かめたかった。


 だが、屋敷では仮面を失っている。

 顔を見たのが、あの白剣の英雄だけとも限らない。


「俺は屋敷に入っていませんから。買い物くらいなら問題ありません」


 こちらの視線に気づいたのか、アルクが言った。


「アニマ殿は、ここで待っていてください」

「頼む」


 扉が閉まった。


 アニマは窓へ目を向ける。

 厚い布が掛かり、外は見えなかった。


「それで、本当に今日出るの?」


 隣から声がした。


 ハルカだった。


「ああ。もう良くなってきた」

「良くなってきたのと、治ったのは違うよ」

「歩ける」

「歩けるのは知ってる」


 ハルカの目が肩へ向く。


 アニマは動かしかけた腕を下ろした。


 見せれば納得するかと思った。

 そういう話ではないらしい。


「私も、早めに街を離れた方がいいと思うわ」


 リーフが口を挟んだ。


 ハルカがそちらを見る。


「まだ捜しているの。商会の人間が、宿や店を回っている」

「……ここにも?」

「今のところは来ていない。でも、いつまでも見つからないとは言えないでしょう」


 リーフは窓を見た。


「馬車と御者はこちらで手配してあるわ。歩いて旅をするより、負担は少ないはずよ」


 ハルカが黙った。


 膝の上で、指を組み直す。


「……途中で傷が悪くなったら、止まって休む」

「ああ」

「痛くても黙ってるのは駄目だからね」

「分かった」


 顔を覗き込まれる。


 アニマは目を逸らさずに頷いた。


 やがて、ハルカが長く息を吐く。


「じゃあ、馬車ではちゃんと休んで」


*****


 机に、革の袋が置かれた。


 重い音だった。


「約束の報酬よ」


 リーフがこちらへ押し出す。


 隣には、封をされた手紙。


「こっちはガレン宛て。工房の場所も書いてあるわ」


 アニマは袋を手に取った。

 中で硬貨が擦れ合う。


「武器の代金とは別に?」

「当然でしょう。フロウを助けてもらったんだから」


 向かいに座るフロウが、頷いた。


 前に会った時より顔色がいい。

 手元の器を、両手で包んでいた。


「他の人たちは、どうなった」


 アニマは尋ねた。


「倉庫から連れ出した人たちだ」

「もう国外へ出ているわ。うちの者に頼んで、何組かに分かれて移動してもらったの」

「全員か」

「ええ。向こうでも、しばらく世話をしてもらえるようにしてある」


 アニマは息を吐いた。


 あの夜、腕の中にいた人々。

 軽すぎる身体。

 毛布をかけても震えていた子供。


 今は、商会の手が届く場所にはいない。


「そうか」


 袋を荷物へ収める。


 リーフは、もう一つ包みを差し出した。


「それから、これ」


 開くと、仮面が入っていた。


 くすんだ灰色。

 目元から頬を覆う、滑らかな形。


 牙も、鬣もない。

 片側に、細い線の模様が入っているだけだった。


「前のものとは、変えた方がいいでしょう?」

「ああ」


 顔へ当てる。


 獅子の仮面よりも軽い。

 口元は隠れず、息もしやすかった。


「似合ってるよ」


 ハルカが言った。


「前より?」

「前のは、私は見てないから」


 そうだった。


 アニマは仮面を外し、紐を確かめた。


 守ってくれたものだった。

 あの夜、顔へ白剣が迫った時も。


 砕けた破片は、地下室に残してきた。


「ありがとう。使わせてもらう」


 リーフが頷いた。


 それから、旅の道順を聞いた。

 街道沿いの村で水や食料を補い、馬を休ませながら進む。


 セントラルまでは、まだ遠い。


 話を聞き終える頃、扉が叩かれた。


「戻りました」


 アルクだった。


 長い包みを、肩に担いでいる。


*****


 布が解かれる。


 幅のある刀身。

 飾り気のない鍔。

 両手で握れる長い柄。


 大剣だった。


「店にある中では、一番頑丈なものだそうです。刃の状態も確かめてもらいました。でも、とにかく重たいですよ」


 アニマは差し出された柄を握った。


 重さが腕へかかる。


 ショートソードとは違う。

 手の先だけでは収まらない重み。


 左手を添える。


 懐かしかった。


 右足を僅かに引く。

 剣の重さに合わせて、身体の向きが変わった。


 考えなくても分かる。

 どこへ置けば、次に動けるか。


「……馴染む」


 アニマが呟くと、アルクの口元が緩んだ。


「それなら良かった」


 刃へ目を走らせる。


 欠けはない。

 柄も緩んでいない。


 だが、白剣と打ち合えばどうなるか。


 まだ、分からなかった。


 強く振れることと、打ち合っていいことは違う。


 アニマはゆっくりと背丈ほどの大剣を下ろした。


「振らないの?」


 ハルカが尋ねる。


「ここでは狭い」

「外でも、今は駄目だからね」

「……ああ」


 肩の痛みを確かめるように、左手を離した。


 アルクが鞘を差し出す。


「背負うための帯も付けてもらいました。長さは調整できます」

「助かる」


 刃を収める。


 ようやく、手元に武器が戻ってきた。


 それだけで、部屋へ入った時とは気持ちが違った。


 もう、折らずに済むだろうか。


 鞘へ添えた手に力を込めかけ、緩めた。


*****


 ベアの家へ残していた荷物は、ハルカが取りに戻ってくれた。


 アニマはその間に、帯の長さを合わせた。

 背負うと動きにくいため、馬車の中では脇に置くことにする。


 昼前、裏手に馬車が着いた。


 幌のついた、荷物を運ぶための馬車だった。

 荷台の一角には毛布が重ねられている。


 御者台の男が、リーフへ頭を下げた。


「頼んでいた二人よ」

「承知しました」


 荷物が積まれる。


 ハルカが、最後に水袋を確かめた。


「ベアは、何か言っていたか」

「今度は自分の足で帰ってこいって」


 アニマは頷いた。


 今朝、家を出る時にも似たことを言われた。


「あと、教えたことを忘れるなって。私に」

「教えたこと?」

「後で話すね」


 ハルカが笑った。


 リーフたちが、扉の陰まで見送りに出てきた。


「ガレンによろしく。私からも、また連絡するわ」

「ああ」


 アニマは手紙を入れた場所へ触れた。


「世話になった」

「こちらの台詞よ」


 リーフの隣で、フロウが頭を下げる。


「どうか、お気をつけて」


 テイクとケアも頷いた。


 アルクは荷台の縁を軽く叩く。


「剣で困ったことがあったら、まずはガレン殿に見てもらってください。無理に使い続けないように」

「分かった」


 最後に、フレッサと目が合った。


「今度会う時までに、その力を扱えるようになっておけ」

「そうしたい」


 アニマは答えた。


 フレッサが僅かに口元を動かす。


「なら、またな」

「ああ。また」


 仮面を着け、幌の下へ入った。


 馬が歩き出す。


 荷台が揺れた。

 ハルカが隣へ座る。


 幌の隙間から、建物が遠ざかっていく。


 角を曲がるまで、アニマはその先を見ていた。


*****


 車輪の音が変わった。


 石を叩く硬い音が途切れ、土を踏む低い響きになる。


 城門では、御者が書類を見せていた。

 荷台を覗かれたが、長く引き留められることはなかった。


 誰かが追ってくる気配もない。


 アニマは幌の端を持ち上げた。


 城壁が見える。


 高い石の壁。

 その上を歩く兵。

 門へ向かう荷車の列。


 ゆっくりと、小さくなっていった。


 代わりに、畑が広がる。


 刈り取られた茎の並ぶ土地。

 まだ葉を残す畝。

 道の脇には、浅い水路が続いていた。


 陽を受けた水面が、途切れ途切れに光る。


 風が幌を膨らませた。


 乾いた土と、草の匂い。


 アニマは布から手を離した。


「横になったら?」


 ハルカが言った。


 毛布を指している。


「まだ眠くない」

「眠らなくてもいいから」


 言われた通り、身体を倒した。


 剣は手の届く場所にある。

 揺れても動かないよう、荷物の間に挟んであった。


 頭の上で、幌の縫い目が揺れる。


 鳥の声が聞こえた。


 街では、気づかなかった音だった。


「……ウエスタンでも、色々あったね」


 ハルカが小さく言う。


「ああ」


 返事をして、目を閉じた。


 車輪が小石を踏む。

 身体が跳ねる。


 脇腹は少し痛んだ。


 だが、その痛みを隠すために身構える必要はなかった。


「揺れると、少し響く」

「毛布、もう一枚入れようか」

「頼む」


 ハルカが背中の下へ、畳んだ毛布を差し込んだ。


 先ほどより、楽になった。


*****


 街道脇で、馬を休ませた。


 道から少し離れたところを、小さな川が流れていた。


 水は浅い。

 丸い石の間を抜け、白い泡を作っている。


 御者は馬を連れ、少し下流へ歩いていった。


 アニマとハルカは、木陰に腰を下ろす。


 枝の間から光が落ちていた。

 風が吹くたび、膝の上の影が動く。


 パンを割る。


 ハルカは受け取った半分を、すぐには口へ運ばなかった。


「あのね」


 アニマは顔を向ける。


「私が、助けてあげてほしいって言ったから」


 声が小さくなる。


「それで、無理をさせたのかなって」


 川の音がした。


 ハルカはパンへ目を落としている。


「あんな怪我をするなんて、思ってなかった」

「俺もだ」


 アニマは答えた。


 ハルカが顔を上げる。


「あれほどの強敵がいるとは思わなかった。剣を折られるとも」

「……うん」

「でも、行くと決めたのは俺だ」


 ハルカは黙った。


 それだけでは、足りない気がした。


 アニマは手元のパンを見る。


「フロウが、礼を言ってくれた」

「うん」

「倉庫にいた人たちも、国外へ出られた」


 指先についたパン屑を払う。


「行って良かったとは、思ってる」


 ハルカの肩が僅かに下がった。


「……そっか」


 アニマは頷く。


「ただ、心配はかけた」


 ハルカが唇を結んだ。


「それは、本当に」

「ああ」

「助かった人がいるのは、嬉しいよ。でも、アニマも帰ってきてほしい」

「帰ってきた」

「フレッサに抱えられて、ね」


 何も言えなかった。


 ハルカが小さく息を吐く。


「次は、もう少し無事に帰ってきて」

「そうする」


 ハルカがようやくパンを齧った。


 アニマも、残りを口へ放り込む。


「グランツ商会の屋敷では、どうだったの?」


 少しして、ハルカが尋ねた。


「どこから?」

「入ったところから」


 アニマは思い出しながら話した。


 大きな屋敷だったこと。

 外には見張りがいたのに、中にはほとんどいなかったこと。


 地下へ下りたこと。

 フレッサが、フロウを先に見つけたこと。


「すぐ分かったの?」

「ああ。顔もよく見えなかったのに」


 薄暗い檻。

 小さく呼ばれた名前。


「その前に、レオンがいた」

「白剣の英雄」

「ああ」


 仮面越しに目が合った瞬間を思い出す。


「フレッサを逃がした。でも、出口と鍵を探して戻ってきてくれた」

「聞いたよ。帰ってきた時、すごい顔をしてたって」

「そうか」


 それから先は、少しずつ話した。


 獣化を進めた時のこと。

 戦いが終わっても、衝動が消えなかったこと。


 ハルカは途中で口を挟まなかった。


 話し終える頃には、木陰の端が足元まで動いていた。


*****


 馬車が再び走り出す。


 畑は少なくなり、低い丘が続くようになった。


 道は丘の間を縫っている。

 上りにかかると馬の歩みが遅くなり、御者が短く声をかけた。


 アニマは荷台の縁に背を預け、ハルカの話を聞いていた。


「最初は、何をすればいいのか全然分からなかったんだ」


 彼女が自分の腕を見せる。


「治療の時とは、魔力の使い方が違って」

「身体強化か」

「そう。ベアさんに教えてもらったの」


 家で聞きそびれた話だった。


「できるようになったのか?」

「少しだけね。まだ、長くは続かないけど」


 ハルカが手を握る。


 その腕へ、薄く魔力が巡った。


 僅かな変化だった。

 すぐに消える。


「難しい?」

「うん。力を入れようとすると、身体まで固くなっちゃうの」


 肩を上げて見せる。


「それじゃ動けないって、何度も言われた」


 アニマはハルカの手を見た。


 自分の傷を治した手。

 今、その腕には別の力も宿るようになった。


「試してみたのか」

「水を運んだり、少し重いものを持ったり。持ち上がった時は嬉しかった」


 ハルカが笑った。


「戦いは、まだ全然だけど」

「急がなくていい」

「でも、万が一があるから」


 すぐに返された。


 俺が守るから、戦わなくていい。

 そう言いかけて、アニマは口を閉じる。


 命からがら帰還しておいて、言えない。


 丘の斜面を、風が渡っていた。


 草が倒れる。

 その先の草も倒れる。


 見えないものの通り道が、遠くまで続いていく。


 アニマは毛布へ身体を預け直した。


 隣では、ハルカが水袋の口を結んでいる。


 強くならなければ。

 いつでも戦えるように。


 車輪の音を聞きながら、目を閉じる。


 今度は、少し眠れそうだった。


*****


 馬車が減速した。


 アニマは目を開ける。


 幌の内側が、薄く赤く染まっていた。

 陽が傾いている。


「どうした」


 上体を起こす。


 御者が手綱を引いていた。


「今夜は、あの村で馬を休ませるつもりだったんですが」


 声が途切れる。


 アニマは幌から顔を出した。


 道の先に、木の柵があった。


 その一部が、倒れている。


 門の脇には荷車。

 横向きに置かれ、隙間を塞いでいた。


 槍を持った男が二人、こちらを見ている。


 畑には人がいない。


 風が吹いた。


 血の匂いがした。


「止めてくれ」


 馬車が止まる。


 アニマは大剣へ手を伸ばした。


「アニマ?」


 ハルカの声。


「まだ、下りるな」


 槍を持った男の一人が近づいてくる。


 袖が破れていた。

 腕に巻かれた布が、赤黒く濡れている。


「何の用だ」

「水と飼葉を分けてもらおうと思って。何かあったんですか」


 御者が尋ねた。


 男は馬車の中を見た。


 アニマの仮面。

 鞘に収まった大剣。


「冒険者か」

「ああ」

「魔物が来た」

「いつ」

「昼過ぎだ。何匹も、畑の方から」


 アニマは柵の向こうへ目を向けた。


 門の内側に、黒い塊が転がっている。

 獣に似た身体。

 不自然に長い脚。


 動いてはいなかった。


「まだいるのか」

「追い払った。何匹かは殺した。だが……」


 男が村を振り返る。


 その先から、声が聞こえた。


 呻く声。

 誰かを呼ぶ声。


 魔物の気配はない。


 アニマは剣の柄から手を離した。


 ハルカが、荷台の縁へ来ていた。


 男の腕を見ている。


「怪我をした人は、他にも?」

「いる。動けない奴も」


 ハルカがこちらを見た。


 アニマは一度、頷いた。


 彼女が荷物から布の袋を取る。


「治癒魔法が使えます。案内してもらえますか」


 男の目が大きくなった。


「治癒魔法を?」

「はい」


 門の方へ、男が振り返った。


「開けろ!」


 荷車が動かされる。


 アニマも馬車を下りた。


 着地の衝撃が、脇腹へ響く。

 少しだけ息を止めた。


 ハルカはもう、門の向こうへ走っている。


 その先で、二人の男が板を運んでいた。


 上には、人が寝かされている。


 血の染みた布。

 垂れ下がった片手。


 ハルカが駆け寄った。


 アニマは大剣を馬車へ立てかけ、彼女の後を追った。

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