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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
19/25

17.制御

 翌朝、アニマは自分で靴を履いた。

 身を屈めると、脇腹が引き攣る。昨日ほどではなかった。


 紐を結び、ゆっくりと立ち上がる。


「歩ける?」


 ハルカが尋ねた。


「ああ」

「途中で痛くなったら、言ってね」

「分かった」


 返事をして、腰へ手を伸ばしかけた。

 そこには、もう何もなかった。


 代わりに服の裾を直し、扉へ向かう。


 ベアが玄関の脇に立っていた。


「また倒れて運ばれてくるなよ」

「気をつける」


 アニマは足を止めた。


「泊めてもらって、助かった。飯も」

「作ったのはハルカだ」

「ハルカのことも、ありがとう」


 ベアが鼻を鳴らす。


「歩けるようになった途端、出歩きやがって」

「話をしに行くだけだ」

「やんちゃも程々にしとけよ。傷が開くぞ」


 アニマは頷いた。


 ハルカも頭を下げる。


「行ってきます」

「ああ」


 外へ出る。


 朝の光が眩しかった。


 暫く歩いて出た通りには、荷車を引く男がいる。

 店先へ木箱を積む者も。


 焼けたパンの匂いがする。


 あの夜とは、何もかも違って見えた。


「こっちだよ」


 ハルカが隣へ並ぶ。


「リーフさんが、来るならここへって」


 彼女の手には、小さく折られた紙があった。


 アニマは歩幅を合わせた。


 いつもなら気にしない石畳の段差が、今日は足に響く。それでも、自分の脚で歩けていた。


 通りを二つ曲がる。


 ハルカが足を止めたのは、店の並ぶ通りから少し外れた建物の前だった。


 扉を叩く。不規則なリズムで、五回。

 合図を決めておいたのだろう。


 中で足音がした。


「どちら様ですか」

「ハルカです。アニマも一緒に」


 すぐに扉が開いた。


 ケアが立っていた。


 こちらを見るなり、目を大きくする。


「起きられたんですね」

「ああ」

「どうぞ。皆さん、中にいます」


 通された部屋には、大きな机があった。


 その向こうで、リーフが立ち上がる。


「アニマ!」


 椅子が床を擦った。


 近づいてきた彼女は、アニマに抱き着いた。

 傷に触れないよう、あくまで軽く。


 アニマは固まる。

 少ししてリーフは離れ、アニマを見た。


 アニマの顔。

 肩。

 服の下の包帯がある辺り。


 順に確かめるように見ている。


「もう、動いて大丈夫なの?」

「歩くくらいなら」


 ハルカを見る。


「無理はさせません」


 彼女が答えると、リーフはようやく息を吐いた。


「良かった。ずっと起きないって聞いてたから」


 部屋の奥に、テイクがいた。

 アルクもいる。


 その隣には、フレッサ。


 仮面を外した彼女と目が合った。


 何か言われるかと思ったが、フレッサは椅子を一つ引いただけだった。


「座れ」

「ああ」


 腰を下ろす。


 机の向こうで、一人が立ち上がった。


 長い耳。

 整えられた髪。

 清潔な服。


 一瞬、誰か分からなかった。


「……フロウ?」


 女が頷く。


 地下室で見た時とは違う。

 顔を上げ、自分の脚で立っていた。


 線はまだ折れそうなほど細い。

 それでも、こちらを見る目には光があった。


「助けてくださって、ありがとうございました」


 深く頭を下げられた。


 アニマは、膝の上で手を握る。

 彼女に伸ばしかけた手を思い出してしまう。

 助けるためではない手を。


「……無事で良かった」


 ようやく、それだけ答えた。


 フロウが顔を上げる。


「私、あの時、何も言えなくて」

「いや。こちらこそ怖がらせてしまった」


 アニマが答えると、彼女は小さく首を振った。


「そんな事ありません。命の恩人です」


 その隣へ、リーフが戻る。

 フロウの肩へ手を添えた。


「本当に、ありがとう」


 今度はリーフが言った。


「あなたたちが行ってくれなかったら、どうなっていたか」


 彼女の指が、フロウの服を僅かに掴んだ。


 アニマは二人を見た。


 戻ってきたのだ。


 あの檻から。ここへ。


 膝の上の手を、ゆっくりと開いた。


「手当て、助かった」


 アニマはテイクとケアへ顔を向けた。


「あの時は、礼を言えなかった」

「礼なんて」


 ケアが首を横に振る。


 アルクが言った。


「アニマ殿、途中で何度呼んでも返事しなかったんですよ」

「悪かった」

「先に言っといて欲しかったですよ。眠ると起きないとか、そういうのは」


 隣で、ハルカが頷いた。


 アニマは視線を落とす。


「……そうだな」


 昨日も言われた。

 何を言うべきか、言わないべきか。

 少し考えすぎていたかもしれない。


「話してもらおうか」


 フレッサの声だった。


 顔を上げる。


 机を挟んで、こちらを見ていた。


「獅子のような姿に変化していた」


 視線が集まる。

 アニマは少しだけ黙った。


 今隠すのは、フレッサやフロウに対して誠実じゃない。


「……俺の持つ権能。いや、起源魔法と呼ぶべきか」


 深呼吸をする。


「獣の姿に近づくにつれて力を得る。使いすぎると……周りのことが分からなくなる」


 自分の指へ目を落とす。


「敵も、味方も。何かを壊したくなる」

「だから、近づくなと言ったのか」

「ああ」


 隣でハルカが息を呑んだ。


 フロウの方は見られなかった。


「あの時は、抑えるだけで精一杯だった」


 部屋が静かになった。


 机の端に置かれた器から、湯気が上がっている。


「……獣の英雄」


 リーフが呟く。

 アニマの心臓が跳ねる。


「同じような能力を持つ獣の英雄という人の話を聞いたことがあるわ」

「…………」

「……そう、なのね」


 静寂。

 獣の英雄にまつわる話が、良い噂なわけがない。

 この反応も当然だ。


「だが、お前は味方に危害を加えず、見事敵を討ち取った」


 フレッサが沈黙を破る。


 彼女は戻ってきた。


 鍵を持って。出口を探して。

 アニマの勝利を信じて。


 自分が戦っている間、彼女も動いていた。


「戻ってきてくれて、助かった」


 アニマが告げると、フレッサは腕を組んだ。


「あんな捨て身の戦い方、身体が持たないぞ」

「気をつける。ありがとう」


 少しの間、目が合った。


 先に逸らしたのは、フレッサだった。


「なら、良い」


*****


「報酬の話をしてもいいか」


 アニマが切り出すと、リーフは頷いた。


「もちろん。そのためにも来てもらいたかったの」


 机の上へ、身を乗り出す。


「何が欲しい?」

「武器」


 答えてから、続けた。


「それと、力の扱い方を知りたい」


 リーフが瞬きをした。


「扱い方?」

「獣になる力だ。未だに御しきれていない」


 アニマは右手を握った。


 今は、何も起こらない。


「今度も味方を傷つけない保証はない。だから魔法の制御に精通した人を紹介してほしい」


 リーフはすぐには答えなかった。

 考え込むように目を閉じた。


 暫くして目を開けると、困り眉のまま告げる。


「……ごめんなさい。正直、あなたより強い人には会ったことがないの。お役に立てそうにないわ」


 アニマは頷いた。

 予想はしていた。


 自分の身体のことだ。他に同じような人を見たことがあるわけでもない。


「そうか」

「でも、武器なら」


 リーフが続ける。


「知り合いの鍛冶職人がいるわ」

「鍛冶職人?」

「ええ。普通の店に並んでいるものが合わない人にも、武器を作っているの。身体の大きさや、力の強さに合わせて」


 アニマは空いた腰へ目を落とした。


「俺の力に耐えられる剣も、作れるか」

「実際にあなたを見てもらわないと、約束はできない。でも、相談するなら、その人がいいと思う」


 リーフは指先で机を軽く叩いた。


「ガレンという人よ。セントラルに工房がある」

「セントラル」


 アニマは繰り返した。


「大陸の中央か」

「そう。ここからすぐには行けないけれど、材料も人も集まる場所だから。必要なものを探すにも向いているわ」


 リーフがテイクへ声をかける。


「紙をお願い」

「紹介状ですね」

「ええ」


 テイクが席を外した。


 アニマはリーフへ向き直る。


「良いのか、獣の英雄なんか紹介して」

「確かに、悪名高い称号だけど。目の前の人間の善悪すら判断できなくなるほど落ちぶれてないわよ」


 テイクが紙と筆記具を持って戻ってきた。

 リーフは机に置かれた紙に向かい、文字を書きながら答える。


「それに、私が紹介するのは獣の英雄としてのアニマじゃなくて、鉄級冒険者のアニマだしね」

「……助かる」

「勿論、武器の代金もこちらで出す」


 言いかけた礼が止まった。


「まだ、いくらになるかも分からない」

「紹介状に小切手を同封しておくわ。そのまま渡せば分かるようにしておく」


 リーフは隣のフロウを見た。


「安いもので済ませようとしないでね。これでも資産に自信はあるのよ」


 アニマは口を閉じた。


「……分かった」

「力の方は、引き続き調べてみるわ」


 リーフが言った。


「分かる人がいるかどうかも含めて。すぐに答えは出せないけれど」

「ああ」


 アニマは頷く。


「それだけでも、助かる」


 隣で、ハルカが息を吐いた。


 顔を向けると、彼女はこちらを見ていた。


「セントラルに行くんだね」

「ああ、行ってみたい」


 答えてから、少し間を置く。


「一緒に、来てくれるか」


 ハルカが目を丸くした後、微笑む。


「最初からそのつもりだよ」


 すぐに返ってきた。


「でも、傷が良くなってからね」

「……分かってる」

「本当に?」


 アニマは頷いた。


 肩は、まだ痛い。


 ここまで歩いただけでも、少し疲れていた。


 今すぐ出発できる身体ではない。

 それくらいは、分かっていた。


「あと、出る前に仮でも得物が必要ですよね」


 アルクが言った。


「丸腰で長旅ってわけにもいかないでしょう」

「ああ」


 武器が欲しい。

 そのために武器も持たず出ていき、また大怪我なんてしていたら目も当てられない。


 アニマは空の腰を見て、短く息を吐いた。


「……それも、相談したい」

「そこは俺に任せてください。この街で馴染みの鍛冶屋があるんです」


 アルクが笑った。


 セントラルで、武器が手に入るかは分からない。

 この力をどうすればいいのかも、まだ分からない。


 それでも。


 隣には、ハルカがいた。

 力を、身分を打ち明けても仲間でいてくれる人達がいる。


 アニマは掌を見つめる。


 何も掴んでいない手だった。


 今は、そのままにしておけた。


*****


 血に汚れ、各所が破れていた白い外套は、新しいものに替わっていた。


 グランツは机の向こうに立つ男を見る。


 レオン。


 その隣には、銀髪の女がいる。

 首元まで服を整え、外套を掛けられていた。


 出かける支度だった。


「今、何と?」


 グランツが尋ねる。


「ここを出ると言ったんだ」


 レオンは穏やかに答えた。


 聞き間違いではなかった。


 グランツは椅子の肘掛けを掴んだ。


「傷はどうする。まだ治療が必要でしょう」

「歩けるよ」

「そういう話ではない」


 商会の治癒魔法士を呼びつけた。

 折れた脚も、頭の傷も、できる限り治療させた。


 それでも、完治したとは聞いていない。


 実際、レオンは左脚を僅かに庇っていた。


「どこへ行くつもりです」

「あの少年を探す」

「侵入者」

「うん」


 軽い返事だった。

 侵入者が仮面をつけた女と少年であることは聞いていた。捜索させているが、未だに見つかっていない。


「獣の英雄だよ」


 グランツの指が止まった。


「……何?」

「黄金の毛。獅子の姿。あれだけの力を持つ少年が、そう何人もいるとは思えない」


 レオンは腰の剣へ触れた。


「仮面の下まで獣だったとはね」


 口元が僅かに動く。


 笑ったように見えた。


 だが、目が違った。


 白目がヒビ割れたかのように血管が浮いている。

 こちらを見ているようで、焦点は定まっていなかった。


 グランツは唾を飲んだ。


 獣の英雄という名が持つ威力。確かにそれならば、レオンが敗北したのも得心がいく。

 普段ならばその名を聞いただけで取り乱していただろう。


 だが今は、取り乱す余裕すら無い。

 眼前の白剣の英雄、それが持つ威圧感の前では。

 

「なら、尚更だろう。貴方を倒した相手ですぞ」

「そうだね」

「今から追いかけて、また同じことになったらどうする」

「同じにはしないよ」


 声は変わらなかった。


 レオンの指が、剣の柄を撫でる。


 一度。

 もう一度。


 グランツはその手から目を離せなかった。


「待て。私との約束はどうなる」


 グランツは絞り出す。


 エルフの奴隷を失ったのは痛いが、また捕まえればいい。


 だが、苦労して手に入れた英雄級の戦力との繋がりまで失うとなると、話は違う。

 この繋がりはレオンの気まぐれによるものが大きかったが、それでも。


 レオンが顔を上げる。


「あんたには、ここを守ってもらうはずだ。その代わりに、私はその女を――」

「感謝しているよ」


 遮られた。


 レオンは隣の女へ目を向けた。


 外套の襟が折れている。

 白い手袋をした指で、それを直した。


 女は動かなかった。


 胸が、僅かに上下している。


「君がいなければ、こうして連れて歩くこともできなかった」


 優しい声だった。


 グランツは女の顔を見た。


 薄く開いた唇。

 どこにも留まらない視線。


 レオンが何を言っても、返事はない。


「分かっているなら、ここに残ってくれ」


 グランツは声を強めた。


「私が魔法を解けば、その女がどうなるか――」


 言葉が止まった。


 レオンが、こちらを見ていた。


 剣は抜かれていない。


 それなのに、グランツの背中へ汗が流れた。

 全身に剣の切っ先が突き立てられているような感覚。


「解くのかい?」


 静かな問いだった。


 グランツは口を開いた。


 声が出ない。


「解かないよね」


 レオンが一歩、近づいた。


 脚を庇う、小さな一歩。


 グランツは椅子ごと壁際まで下がった。


「グランツ殿、感謝しているよ」


 穏やかな声だった。


 冗談を言った後のように、レオンの口元が緩む。


 目だけが、笑っていなかった。


「お前……」


 グランツの喉が鳴った。


「私を脅すのか」

「まさか。グランツ殿は想像力が豊かなようだ」


 あっさりと答えられた。


 護衛を呼ぼうと思えば呼べた。


 扉の外にいる。

 声を上げれば、入ってくる。


 声を上げる間を、見逃してもらえるのか。


 グランツは、白い柄へ置かれた手を見た。


 何も言えなかった。


「彼女のことは、これからも頼むよ」


 レオンが言った。


 もう話は終わったというように、女の傍らへ戻る。


 その手を取った。


「行こう」


 女が動いた。


 一歩。

 引かれた手に続いて、もう一歩。


 レオンが扉を開ける。


 廊下にいた護衛が顔を覗かせた。

 グランツを見て、次にレオンを見る。


 グランツは首を横に振った。


 止めるな。


 声にする必要はなかった。


 白い外套が、扉の向こうへ消える。

 銀色の髪が続いた。


 足音が遠ざかっていく。


 グランツは動けなかった。

 肘掛けを掴んだ指が痛む。


 ゆっくりと手を離す。

 掌が汗で濡れていた。


 机の向こうには、もう誰もいない。


 レオンがいれば、それで十分だった。

 誰が来ても。

 何人来ても。


 自分ならば御し切れる。

 そう思っていた。


 間違いだった。


 グランツは閉じた扉を見た。


 廊下からは、もう足音も聞こえなかった。

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