15.衝動
跳ね上げた刃を通して、衝撃が腕へ伝わった。
アニマは踏ん張り、白剣を横へ流す。
そのままレオンの胸へ突きを放った。
届かない。
半歩。
それだけで切っ先の外へ逃れられた。
引き戻すより早く、白い刃が手首へ迫る。
肘を畳む。
服の袖が裂けた。
浅い。
傷を確かめる暇はなかった。
レオンの猛攻が続く。
次は首。
続いて脇腹。
アニマは身体を捻り、ショートソードを斜めに添えて軌道を変える。
剣が擦れ合う。
甲高い音が耳に残った。
剣速が凄まじい。
かつて戦った剣士の中でも上位に入る。
久方ぶりに感じる死の気配。
アニマは床を蹴った。
横へ抜け、振り向きざまに斬りつける。
白剣がそれを止めた。
短い衝突。
二人の間に、僅かな距離が開く。
アニマは息を吸った。
白い剣。
真っ直ぐに伸びた刀身。
左右へ張り出す鍔が、刃と十字を作っている。
柄も、その先の丸い金具も白い。
傷一つなかった。
対して、こちらの刃には小さな欠けができている。
まだ数度。
まともに打ち合ったのは、それだけだった。
この剣では保たない。
レオンが近づく。
アニマは正面から受けず、刃の横を滑らせた。
足を入れ替え、喉を狙う。
躱された。
だが、今度は外套の肩口を裂いた。
レオンの剣が戻ってくる。
アニマも剣を引き戻す。
互いの刃が、胸の前で交差した。
アニマは前蹴りを繰り出す。
レオンが身を引く。
爪先は空を切った。
離れ際に白剣が跳ね上がる。
顔を逸らした。
乾いた音。
仮面の頬が欠け、破片が床へ散った。
その奥。
自分の頬にも、熱い線が走っていた。
ほんの僅か。
踏み込み。
剣を戻す速さ。
次の攻撃へ移るまでの間。
こちらが打ち込めば防がれる。
防いだ直後には、もう次の刃が来る。
剣の腕だけなら、僅かに向こうが上だ。
「……厄介だな」
アニマは呟いた。
レオンが剣を構え直す。
「それはこちらの台詞だよ」
口調は穏やかなままだった。
技量は同等かレオンがやや上。
初めて見るが、白剣は恐らくかなりの業物だろう。
このままでは勝てない。
アニマは、腕へ力を流した。
身体の奥。
抑えていたものを、少しだけ引き出す。
指が柄へ食い込んだ。
腕の筋肉が膨らむ。
踏み込む。
先ほどより深く。
レオンの胸元へ、切っ先が迫った。
白剣が間に入る。
押し込むと、レオンの足が僅かに下がった。
力では勝る。
アニマはさらに前へ出た。
右から、左から、上から。
斬り、突き、受けられれば流す。
白い刃が、そのすべてに追いついてくる。
だが、反撃は来ない。
もう少し。
脚にも力を込めた。
床を蹴る感触が変わる。
レオンの横へ回り込み、肩を狙う。
白剣が交差する。
耳障りな音がした。
小さな破片が飛ぶ。
こちらの剣だった。
「っ」
アニマは後ろへ跳んだ。
刃の半ば。
先ほどの欠けが広がっている。
力が増しても、剣は変わらない。
強く打ち込めば、それだけ刃に負担がかかる。
「実力に対して武器が凡すぎるんだよ」
レオンが踏み込んだ。
「不相応であれば、武器ですら弱点になりうる」
アニマは後ろへ退かず、横へ躱す。
追ってくる切っ先を、最小限の動きで逸らす。
まともに受けるな。
刃を合わせるのは一瞬。
押し合わない。
打ち返さない。
脚を使い、距離を変える。
レオンの脇腹を掠めた。
白い外套に赤い筋がつく。
浅かった。
もう一度、踏み込もうとする。
白剣の切っ先が先に来た。
喉。
上体を引くと、今度は足元へ刃が落ちる。
跳び退いた。
踵が床へついた瞬間、次の一撃が迫る。
速い。
アニマは剣を添え、受け流した。
白剣が滑る。
傷んだ刃が軋んだ。
横へ抜けようとした。
レオンも同じ方へ動く。
行く先を塞がれた。
背後には、空の檻。
左肩が鉄の柱へ触れた。
白剣が頭上から落ちる。
アニマは剣を斜めに立てた。
受け流し、身体を横へ逃がす。
その筈だった。
レオンの手首が返る。
白い刃の向きが変わった。
狙われたのは、アニマの身体ではなかった。
ショートソード。
最も深く欠けた、その一点。
衝撃が走る。
手の中が、急に軽くなった。
刀身が宙を舞った。
折れた。
託された剣が。
そう理解する前に、アニマは床を蹴っていた。
檻の前から離れる。
白剣が追ってくる。
胸元が熱くなった。
服が裂け、血が散る。
浅くはない。
アニマは折れた剣を投げつけた。
レオンがそれを払い落とす。
その間に下がる。
だが、距離は開かなかった。
剣を折るために、受けさせられた。
今さら気づいても遅い。
白い切っ先が、再び目の前へ迫っていた。
アニマは首を捻った。
頬を刃が掠める。
右へ逃げる。
レオンが追う。
継戦か逃走か。
階段へ向かうには、身体を反転させなければならない。
そんな余裕はない。
背を向ければ斬られる。
レオンの手首へ腕を伸ばした。
届く前に白剣が戻る。
引っ込めた指の先を、刃が通り過ぎた。
素手では間合いに入れない。
腕力はあっても、触れられなければ意味がなかった。
さらに下がる。
足がもつれかけた。
視界の端に、檻が映った。
その中にいる女も。
まだ、助けられていない。
胸の奥が熱くなる。
もっと力を引き出せる。
それは分かっていた。
だが、その先は。
王宮の訓練場。
途切れた記憶。
あの時も、自分の意思で止められなかった。
今度は戻れるのか。
何の根拠も、保証もない。
白剣が振られる。
アニマは身を沈めた。
髪の先が散る。
考えている間にも、刃は迫る。
逃げられない。
このままでは殺される。
アニマは奥歯を噛み締めた。
まだだ。
まだ、渡さない。
自分の身体も。
自分の意識も。
胸の奥で抑えていたものを、解き放った。
熱が全身へ駆け巡る。
肩。
背。
脚。
内側から筋肉が膨れ、服が軋んだ。
レオンの目が細くなる。
「……何だ?」
足が速まった。
先ほどまであった僅かな間が消える。
白剣が一直線に迫った。
首。
躱しきれない。
刃が皮膚へ触れる、その直前。
アニマの左腕が跳ねた。
刃ではない。
平らな腹へ、横から拳を叩きつける。
白い軌道がずれた。
首筋が薄く裂ける。
だが、刃は横を抜けた。
アニマは踏み込んだ。
右の拳を振るう。
レオンが後ろへ跳んだ。
拳は届かない。
それでも、ようやく距離が開いた。
息を吐く。
喉から漏れたのは、低い唸り声だった。
頬が熱い。
歯が噛み合わない。
顎が押し広げられ、牙が唇の内側へ触れる。
仮面の亀裂が広がった。
乾いた音が重なる。
次の瞬間、獅子を模した顔が砕け散った。
顔を拭った手の甲が、黄金の毛に覆われていた。
腕にも。
裂けた服の下にも。
首の周りには長い毛が広がり、肩へ触れている。
身体が一回り大きくなっていた。
それでも、二本の脚で立っている。
拳も握れる。
まだ、自分の身体だった。
あの時ほどではない。まだ、理性は残っている。
レオンが、白剣の柄へもう片方の手を添えた。
先の一撃は、当たらずとも警戒はさせられたらしい。
アニマはその切っ先を見る。
斬られれば死ぬ。
変わっていない。
何も。
そう言い聞かせ、床を蹴った。
速い。
自分でも、そう思った。
レオンの目の前へ出る。
白剣が振り下ろされた。
アニマは横へずれ、肩を突き出す。
レオンが身を引いた。
間に合わない。
肩が胸へぶつかる。
レオンの身体が押し流された。
靴が石の床を擦る。
アニマは追った。
拳を振り抜く。
頭へ届く直前、レオンが身を沈めた。
白剣が下から走る。
脇腹に熱が走った。
アニマは腕を引き戻し、身体を捻る。
遅れた。
黄金の毛が赤く濡れる。
痛みがある。
それなのに、足は止まらなかった。
次の拳を放つ。
レオンの腕を掠めた。
白剣の切っ先が跳ねる。
そこへ蹴りを重ねた。
レオンが退く。
椅子に踵が触れた。
すぐに横へ跳び、体勢を立て直す。
アニマの蹴りが、椅子を砕いた。
木片が散る。
その音に、胸の奥が震えた。
壊れた。
もっと暴れたい。
アニマは歯を食いしばった。
違う。
見るのは剣だ。
追うのは、この男の動きだ。
白剣が来る。
また、避けきれない。
腕の外側を斬られた。
それでもレオンの懐へ入った。
肘を叩き込む。
脇腹に当たった。
短く、息の詰まる音。
レオンが下がる。
初めて、構えが崩れた。
アニマは踏み込もうとした。
白剣が胸へ向いた。
退く。
間に合った。
あと一歩出ていれば、突き刺されていた。
まだ、こちらを見ている。
息が乱れても。
身体を打たれても。
この男は、隙を見せない。
身体能力が向上したとはいえ、得物の有無は大きい。
アニマは右へ動いた。
レオンの切っ先が追う。
左へ。
やはり、追ってくる。
自分の呼吸がうるさかった。
脇腹から血が流れている。
腕を伝い、指の先からも滴る。
力は湧いてくる。
だが、傷が塞がるわけではない。
長くは保たない。
レオンが一歩、前へ出た。
アニマも踏み込んだ。
右の拳を大きく引く。
レオンの目が動いた。
肩。
腕。
空いた脇腹。
白剣が走った。
アニマは拳を振り出しかけ、そのまま身体を沈めた。
避けきれない。せめて受ける場所を限定する。
左肩へ刃が食い込んだ。
焼けるような痛み。
アニマは止まらなかった。
低い姿勢から、右脚を振り抜く。
狙うのは、踏み込んできたレオンの脚。
膝の横。
足が当たった。
硬い手応え。
続いて、骨の砕ける音。
レオンの身体が傾いた。
白剣が肩から抜ける。
アニマは床を踏み締めた。
右の拳。
体勢を崩したレオンの頭部へ、叩き込む。
重い感触が腕へ返った。
レオンが吹き飛ぶ。
床に落ち、一度転がった。
白い剣が石を擦る。
アニマは追おうとした。
その膝が折れた。
「……っ」
片手を床につく。
息が入らない。
左腕が持ち上がらない。
視界の中で、レオンがぼやけた。
起き上がってはこない。
だが、右手はまだ剣の近くにあった。
動けないのか。
こちらが来るのを待っているのか。
確かめるために近づく余力はなかった。
あと一太刀。
それで、今度こそ終わるかもしれない。
アニマは歯を剥いた。
まだ殴れる。
潰せる。
胸の奥で、何かが急かしてくる。
「……違う」
掠れた声が出た。
こいつを殺しに来たのではない。
檻。
フロウ。
そちらへ顔を向ける。
身体を引きずるように、立ち上がった。
*****
鉄格子へ手をかける。
冷たかった。
檻の奥で、フロウが身を縮めた。
目が合う。
怯えていた。
当然だ。
獅子の仮面は、もうない。
今、その下から現れている顔も、まともなものではないのだろう。
「……下がってろ」
言葉を押し出す。
フロウが壁際へ寄った。
アニマは扉の格子を掴んだ。
引く。
鉄が軋む。
肩から血が流れた。
腕の傷も開く。
構わず、さらに力を込めた。
留め金が外れた。
扉が歪む。
蝶番が石壁から抜け、足元へ落ちた。
開いた。
これで。
手を離そうとした。
離れない。
指が鉄へ食い込んでいた。
折れた金具。
割れた石。
足元へ散った破片。
もっと壊したい。
アニマは息を止めた。
腕が震える。
檻の向こうで、鎖が鳴った。
その音へ、顔が向く。
フロウがいた。
細い首。
震える肩。
動く胸。
手を伸ばせば届く。
「……っ」
アニマは目を閉じた。
駄目だ。
助ける。
連れて帰る。
そのために来た。
何度も繰り返す。
鉄を握っていた指を、一本ずつ外した。
膝をつく。
動くな。
今、手を伸ばすな。
床へ押しつけた右手が、石を削った。
痛い。
まだ痛みが分かる。
まだ、考えられる。
足音がした。
階段。
近づいてくる。
アニマは顔を上げようとして、途中で止めた。
喉の奥から、唸り声が漏れる。
「……アニマ?」
知っている声だった。
鳥の仮面。
通路の入口に、フレッサが立っていた。
片手には短剣。
もう片方には、幾つもの鍵が下がっている。
彼女の足が止まっていた。
視線が動く。
床に倒れたレオン。
壊れた檻。
アニマ。
「お前……」
「フロウを」
遮った。
長くは話せない。
「先に……頼む」
フレッサはすぐには近づいてこなかった。
短剣を握る手に力が入るのが見えた。
アニマは目を伏せた。
「俺に、近づくな」
自分でも、どんな声になっているのか分からなかった。
フレッサがゆっくりと動く。
アニマから距離を取り、檻へ入った。
短剣を収め、鍵の束から一本を選ぶ。
「フロウ」
膝をつく音。
鍵が触れ合う音。
「……フレッサ?」
「ああ。迎えに来た」
金属がぶつかる音。
フロウの足首から、鎖が落ちる。
アニマは床を見続けた。
聞こえる。
二人の呼吸が。
指が動きかける。
握り込む。
爪を掌へ食い込ませる。
「立てるか」
フレッサの声。
フロウが何か答えた。
聞き取れなかった。
自分の鼓動が、あまりに大きかった。
「……連れていけ」
アニマは言った。
「早く」
「お前もだ」
即座に返ってきた。
顔を上げる。
フレッサが、フロウを片腕で抱えていた。
「上は騒ぎになっている。入ってきた道は使えない」
「なら……」
「別の出口を見つけてある」
鍵の束が鳴った。
「お前が勝ったら、すぐに出られるように」
アニマは彼女を見た。
鳥の仮面の奥。
その目が、こちらを見返している。
「……俺は」
喉が震えた。
言葉の代わりに、低い唸りが出る。
フレッサの足が止まった。
「……動けるか?」
アニマは右手を握り込んだ。
「……少し時間をくれ」
フレッサが鍵を懐へ収め、近づいた。
身を屈め、空いている腕をアニマの身体へ回す。
傷に触れた。
全身が跳ねた。
殴れ。
頭の奥で、衝動が膨らむ。
アニマは拳を強く握り込む。
爪が食い込む。
「そのままでいろ」
身体が浮いた。
フロウとアニマ。
二人を抱えたまま、フレッサが立ち上がる。
「私を逃がした訳を聞かせてもらわないとな」
返事はできなかった。
ただ、一度だけ頷いた。
*****
身体が揺れる。
階段を上がっている。
傷が痛む。
肩が熱い。
背後の地下室からは、追ってくる足音は聞こえなかった。
上からは声がする。
「裏だ!」
「門の方も見ろ!」
フレッサの足が止まった。
壁際。
すぐ近くを、複数の靴音が通り過ぎていく。
アニマは呼吸を止めた。
声を出すな。
唸るな。
握った手を、さらに強く握る。
拳先から血が滴る。
足音が遠ざかった。
再び身体が揺れる。
廊下を曲がる。
また曲がる。
フレッサが扉を足で押し開けた。
冷たい空気が流れ込んだ。
夜だった。
星が見える。
庭を抜け、開かれた小さな門を通る。
屋敷の灯りが背後へ遠ざかった。
フロウが、小さく息を吐いた。
すぐ近くで。
アニマの指が震える。
まだ終わっていない。
敵はもう、目の前にいなかった。
それでも、何かを壊したかった。
アニマは目を閉じた。
握り締めた拳を、開けなかった。




