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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
17/27

15.衝動

 跳ね上げた刃を通して、衝撃が腕へ伝わった。


 アニマは踏ん張り、白剣を横へ流す。

 そのままレオンの胸へ突きを放った。


 届かない。


 半歩。

 それだけで切っ先の外へ逃れられた。


 引き戻すより早く、白い刃が手首へ迫る。


 肘を畳む。

 服の袖が裂けた。


 浅い。


 傷を確かめる暇はなかった。


 レオンの猛攻が続く。

 次は首。

 続いて脇腹。


 アニマは身体を捻り、ショートソードを斜めに添えて軌道を変える。


 剣が擦れ合う。

 甲高い音が耳に残った。


 剣速が凄まじい。

 かつて戦った剣士の中でも上位に入る。


 久方ぶりに感じる死の気配。


 アニマは床を蹴った。

 横へ抜け、振り向きざまに斬りつける。


 白剣がそれを止めた。


 短い衝突。


 二人の間に、僅かな距離が開く。


 アニマは息を吸った。


 白い剣。


 真っ直ぐに伸びた刀身。

 左右へ張り出す鍔が、刃と十字を作っている。


 柄も、その先の丸い金具も白い。


 傷一つなかった。


 対して、こちらの刃には小さな欠けができている。


 まだ数度。

 まともに打ち合ったのは、それだけだった。


 この剣では保たない。


 レオンが近づく。


 アニマは正面から受けず、刃の横を滑らせた。


 足を入れ替え、喉を狙う。


 躱された。


 だが、今度は外套の肩口を裂いた。


 レオンの剣が戻ってくる。

 アニマも剣を引き戻す。


 互いの刃が、胸の前で交差した。

 アニマは前蹴りを繰り出す。


 レオンが身を引く。

 爪先は空を切った。


 離れ際に白剣が跳ね上がる。


 顔を逸らした。


 乾いた音。


 仮面の頬が欠け、破片が床へ散った。


 その奥。

 自分の頬にも、熱い線が走っていた。


 ほんの僅か。


 踏み込み。

 剣を戻す速さ。

 次の攻撃へ移るまでの間。


 こちらが打ち込めば防がれる。

 防いだ直後には、もう次の刃が来る。


 剣の腕だけなら、僅かに向こうが上だ。


「……厄介だな」


 アニマは呟いた。


 レオンが剣を構え直す。


「それはこちらの台詞だよ」


 口調は穏やかなままだった。


 技量は同等かレオンがやや上。

 初めて見るが、白剣は恐らくかなりの業物だろう。

 

 このままでは勝てない。

 アニマは、腕へ力を流した。


 身体の奥。

 抑えていたものを、少しだけ引き出す。


 指が柄へ食い込んだ。

 腕の筋肉が膨らむ。


 踏み込む。


 先ほどより深く。


 レオンの胸元へ、切っ先が迫った。


 白剣が間に入る。


 押し込むと、レオンの足が僅かに下がった。


 力では勝る。


 アニマはさらに前へ出た。


 右から、左から、上から。

 斬り、突き、受けられれば流す。


 白い刃が、そのすべてに追いついてくる。

 だが、反撃は来ない。


 もう少し。


 脚にも力を込めた。


 床を蹴る感触が変わる。


 レオンの横へ回り込み、肩を狙う。

 白剣が交差する。


 耳障りな音がした。

 小さな破片が飛ぶ。

 こちらの剣だった。


「っ」


 アニマは後ろへ跳んだ。


 刃の半ば。

 先ほどの欠けが広がっている。


 力が増しても、剣は変わらない。


 強く打ち込めば、それだけ刃に負担がかかる。


「実力に対して武器が凡すぎるんだよ」


 レオンが踏み込んだ。


「不相応であれば、武器ですら弱点になりうる」


 アニマは後ろへ退かず、横へ躱す。


 追ってくる切っ先を、最小限の動きで逸らす。


 まともに受けるな。


 刃を合わせるのは一瞬。

 押し合わない。

 打ち返さない。


 脚を使い、距離を変える。


 レオンの脇腹を掠めた。

 白い外套に赤い筋がつく。


 浅かった。


 もう一度、踏み込もうとする。


 白剣の切っ先が先に来た。


 喉。


 上体を引くと、今度は足元へ刃が落ちる。


 跳び退いた。


 踵が床へついた瞬間、次の一撃が迫る。


 速い。


 アニマは剣を添え、受け流した。


 白剣が滑る。

 傷んだ刃が軋んだ。


 横へ抜けようとした。


 レオンも同じ方へ動く。


 行く先を塞がれた。


 背後には、空の檻。


 左肩が鉄の柱へ触れた。


 白剣が頭上から落ちる。


 アニマは剣を斜めに立てた。

 受け流し、身体を横へ逃がす。


 その筈だった。


 レオンの手首が返る。


 白い刃の向きが変わった。


 狙われたのは、アニマの身体ではなかった。


 ショートソード。

 最も深く欠けた、その一点。


 衝撃が走る。


 手の中が、急に軽くなった。


 刀身が宙を舞った。


 折れた。

 託された剣が。


 そう理解する前に、アニマは床を蹴っていた。


 檻の前から離れる。

 白剣が追ってくる。


 胸元が熱くなった。


 服が裂け、血が散る。


 浅くはない。


 アニマは折れた剣を投げつけた。

 レオンがそれを払い落とす。

 その間に下がる。

 だが、距離は開かなかった。


 剣を折るために、受けさせられた。

 今さら気づいても遅い。


 白い切っ先が、再び目の前へ迫っていた。


 アニマは首を捻った。


 頬を刃が掠める。


 右へ逃げる。

 レオンが追う。


 継戦か逃走か。


 階段へ向かうには、身体を反転させなければならない。


 そんな余裕はない。

 背を向ければ斬られる。


 レオンの手首へ腕を伸ばした。


 届く前に白剣が戻る。


 引っ込めた指の先を、刃が通り過ぎた。


 素手では間合いに入れない。

 腕力はあっても、触れられなければ意味がなかった。


 さらに下がる。

 足がもつれかけた。


 視界の端に、檻が映った。

 その中にいる女も。


 まだ、助けられていない。


 胸の奥が熱くなる。


 もっと力を引き出せる。

 それは分かっていた。


 だが、その先は。


 王宮の訓練場。

 途切れた記憶。


 あの時も、自分の意思で止められなかった。


 今度は戻れるのか。

 何の根拠も、保証もない。


 白剣が振られる。


 アニマは身を沈めた。

 髪の先が散る。


 考えている間にも、刃は迫る。


 逃げられない。

 このままでは殺される。


 アニマは奥歯を噛み締めた。


 まだだ。


 まだ、渡さない。


 自分の身体も。

 自分の意識も。


 胸の奥で抑えていたものを、解き放った。


 熱が全身へ駆け巡る。


 肩。

 背。

 脚。


 内側から筋肉が膨れ、服が軋んだ。


 レオンの目が細くなる。


「……何だ?」


 足が速まった。


 先ほどまであった僅かな間が消える。


 白剣が一直線に迫った。


 首。


 躱しきれない。


 刃が皮膚へ触れる、その直前。


 アニマの左腕が跳ねた。


 刃ではない。

 平らな腹へ、横から拳を叩きつける。


 白い軌道がずれた。


 首筋が薄く裂ける。


 だが、刃は横を抜けた。


 アニマは踏み込んだ。


 右の拳を振るう。


 レオンが後ろへ跳んだ。


 拳は届かない。

 それでも、ようやく距離が開いた。


 息を吐く。


 喉から漏れたのは、低い唸り声だった。


 頬が熱い。

 歯が噛み合わない。


 顎が押し広げられ、牙が唇の内側へ触れる。


 仮面の亀裂が広がった。


 乾いた音が重なる。


 次の瞬間、獅子を模した顔が砕け散った。


 顔を拭った手の甲が、黄金の毛に覆われていた。


 腕にも。

 裂けた服の下にも。


 首の周りには長い毛が広がり、肩へ触れている。


 身体が一回り大きくなっていた。


 それでも、二本の脚で立っている。

 拳も握れる。


 まだ、自分の身体だった。

 あの時ほどではない。まだ、理性は残っている。


 レオンが、白剣の柄へもう片方の手を添えた。

 先の一撃は、当たらずとも警戒はさせられたらしい。


 アニマはその切っ先を見る。


 斬られれば死ぬ。


 変わっていない。

 何も。


 そう言い聞かせ、床を蹴った。


 速い。


 自分でも、そう思った。


 レオンの目の前へ出る。


 白剣が振り下ろされた。


 アニマは横へずれ、肩を突き出す。


 レオンが身を引いた。


 間に合わない。


 肩が胸へぶつかる。


 レオンの身体が押し流された。

 靴が石の床を擦る。


 アニマは追った。


 拳を振り抜く。


 頭へ届く直前、レオンが身を沈めた。


 白剣が下から走る。


 脇腹に熱が走った。


 アニマは腕を引き戻し、身体を捻る。


 遅れた。


 黄金の毛が赤く濡れる。


 痛みがある。


 それなのに、足は止まらなかった。


 次の拳を放つ。


 レオンの腕を掠めた。

 白剣の切っ先が跳ねる。


 そこへ蹴りを重ねた。


 レオンが退く。


 椅子に踵が触れた。

 すぐに横へ跳び、体勢を立て直す。


 アニマの蹴りが、椅子を砕いた。


 木片が散る。


 その音に、胸の奥が震えた。


 壊れた。


 もっと暴れたい。


 アニマは歯を食いしばった。


 違う。


 見るのは剣だ。

 追うのは、この男の動きだ。


 白剣が来る。


 また、避けきれない。


 腕の外側を斬られた。


 それでもレオンの懐へ入った。

 肘を叩き込む。


 脇腹に当たった。


 短く、息の詰まる音。


 レオンが下がる。


 初めて、構えが崩れた。


 アニマは踏み込もうとした。


 白剣が胸へ向いた。


 退く。


 間に合った。


 あと一歩出ていれば、突き刺されていた。


 まだ、こちらを見ている。


 息が乱れても。

 身体を打たれても。


 この男は、隙を見せない。


 身体能力が向上したとはいえ、得物の有無は大きい。


 アニマは右へ動いた。

 レオンの切っ先が追う。


 左へ。

 やはり、追ってくる。


 自分の呼吸がうるさかった。


 脇腹から血が流れている。

 腕を伝い、指の先からも滴る。


 力は湧いてくる。


 だが、傷が塞がるわけではない。


 長くは保たない。


 レオンが一歩、前へ出た。


 アニマも踏み込んだ。


 右の拳を大きく引く。


 レオンの目が動いた。


 肩。

 腕。

 空いた脇腹。


 白剣が走った。


 アニマは拳を振り出しかけ、そのまま身体を沈めた。


 避けきれない。せめて受ける場所を限定する。


 左肩へ刃が食い込んだ。


 焼けるような痛み。


 アニマは止まらなかった。


 低い姿勢から、右脚を振り抜く。


 狙うのは、踏み込んできたレオンの脚。


 膝の横。


 足が当たった。


 硬い手応え。

 続いて、骨の砕ける音。


 レオンの身体が傾いた。


 白剣が肩から抜ける。


 アニマは床を踏み締めた。


 右の拳。


 体勢を崩したレオンの頭部へ、叩き込む。


 重い感触が腕へ返った。


 レオンが吹き飛ぶ。


 床に落ち、一度転がった。


 白い剣が石を擦る。


 アニマは追おうとした。


 その膝が折れた。


「……っ」


 片手を床につく。


 息が入らない。

 左腕が持ち上がらない。


 視界の中で、レオンがぼやけた。


 起き上がってはこない。


 だが、右手はまだ剣の近くにあった。


 動けないのか。

 こちらが来るのを待っているのか。


 確かめるために近づく余力はなかった。


 あと一太刀。

 それで、今度こそ終わるかもしれない。


 アニマは歯を剥いた。


 まだ殴れる。

 潰せる。


 胸の奥で、何かが急かしてくる。


「……違う」


 掠れた声が出た。


 こいつを殺しに来たのではない。


 檻。


 フロウ。


 そちらへ顔を向ける。


 身体を引きずるように、立ち上がった。


*****


 鉄格子へ手をかける。


 冷たかった。


 檻の奥で、フロウが身を縮めた。


 目が合う。


 怯えていた。


 当然だ。


 獅子の仮面は、もうない。


 今、その下から現れている顔も、まともなものではないのだろう。


「……下がってろ」


 言葉を押し出す。


 フロウが壁際へ寄った。


 アニマは扉の格子を掴んだ。


 引く。


 鉄が軋む。


 肩から血が流れた。

 腕の傷も開く。


 構わず、さらに力を込めた。


 留め金が外れた。


 扉が歪む。

 蝶番が石壁から抜け、足元へ落ちた。


 開いた。


 これで。


 手を離そうとした。


 離れない。


 指が鉄へ食い込んでいた。


 折れた金具。

 割れた石。

 足元へ散った破片。


 もっと壊したい。


 アニマは息を止めた。


 腕が震える。


 檻の向こうで、鎖が鳴った。


 その音へ、顔が向く。


 フロウがいた。


 細い首。

 震える肩。

 動く胸。


 手を伸ばせば届く。


「……っ」


 アニマは目を閉じた。


 駄目だ。


 助ける。

 連れて帰る。


 そのために来た。


 何度も繰り返す。


 鉄を握っていた指を、一本ずつ外した。


 膝をつく。


 動くな。


 今、手を伸ばすな。


 床へ押しつけた右手が、石を削った。


 痛い。


 まだ痛みが分かる。

 まだ、考えられる。


 足音がした。


 階段。


 近づいてくる。


 アニマは顔を上げようとして、途中で止めた。


 喉の奥から、唸り声が漏れる。


「……アニマ?」


 知っている声だった。


 鳥の仮面。


 通路の入口に、フレッサが立っていた。


 片手には短剣。

 もう片方には、幾つもの鍵が下がっている。


 彼女の足が止まっていた。


 視線が動く。


 床に倒れたレオン。

 壊れた檻。

 アニマ。


「お前……」

「フロウを」


 遮った。


 長くは話せない。


「先に……頼む」


 フレッサはすぐには近づいてこなかった。


 短剣を握る手に力が入るのが見えた。


 アニマは目を伏せた。


「俺に、近づくな」


 自分でも、どんな声になっているのか分からなかった。


 フレッサがゆっくりと動く。


 アニマから距離を取り、檻へ入った。

 短剣を収め、鍵の束から一本を選ぶ。


「フロウ」


 膝をつく音。

 鍵が触れ合う音。


「……フレッサ?」


「ああ。迎えに来た」


 金属がぶつかる音。


 フロウの足首から、鎖が落ちる。


 アニマは床を見続けた。


 聞こえる。

 二人の呼吸が。


 指が動きかける。


 握り込む。

 爪を掌へ食い込ませる。


「立てるか」


 フレッサの声。


 フロウが何か答えた。


 聞き取れなかった。

 自分の鼓動が、あまりに大きかった。


「……連れていけ」


 アニマは言った。


「早く」

「お前もだ」


 即座に返ってきた。


 顔を上げる。


 フレッサが、フロウを片腕で抱えていた。


「上は騒ぎになっている。入ってきた道は使えない」

「なら……」

「別の出口を見つけてある」


 鍵の束が鳴った。


「お前が勝ったら、すぐに出られるように」


 アニマは彼女を見た。


 鳥の仮面の奥。

 その目が、こちらを見返している。


「……俺は」


 喉が震えた。


 言葉の代わりに、低い唸りが出る。


 フレッサの足が止まった。


「……動けるか?」


 アニマは右手を握り込んだ。


「……少し時間をくれ」


 フレッサが鍵を懐へ収め、近づいた。


 身を屈め、空いている腕をアニマの身体へ回す。


 傷に触れた。


 全身が跳ねた。


 殴れ。


 頭の奥で、衝動が膨らむ。


 アニマは拳を強く握り込む。


 爪が食い込む。


「そのままでいろ」


 身体が浮いた。


 フロウとアニマ。

 二人を抱えたまま、フレッサが立ち上がる。


「私を逃がした訳を聞かせてもらわないとな」


 返事はできなかった。


 ただ、一度だけ頷いた。


*****


 身体が揺れる。


 階段を上がっている。


 傷が痛む。

 肩が熱い。


 背後の地下室からは、追ってくる足音は聞こえなかった。


 上からは声がする。


「裏だ!」

「門の方も見ろ!」


 フレッサの足が止まった。


 壁際。


 すぐ近くを、複数の靴音が通り過ぎていく。


 アニマは呼吸を止めた。


 声を出すな。

 唸るな。


 握った手を、さらに強く握る。

 拳先から血が滴る。


 足音が遠ざかった。


 再び身体が揺れる。


 廊下を曲がる。

 また曲がる。


 フレッサが扉を足で押し開けた。


 冷たい空気が流れ込んだ。


 夜だった。

 星が見える。


 庭を抜け、開かれた小さな門を通る。


 屋敷の灯りが背後へ遠ざかった。


 フロウが、小さく息を吐いた。

 すぐ近くで。


 アニマの指が震える。


 まだ終わっていない。


 敵はもう、目の前にいなかった。


 それでも、何かを壊したかった。


 アニマは目を閉じた。


 握り締めた拳を、開けなかった。

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