12.犠牲
少し長くなりました。
ベアの家を出てから、アニマたちは一度ウエスタンの宿へ戻った。
リーフたちが借りているのは、街の中心から少し外れた場所にある宿だった。ポルトで泊まった宿ほど豪華ではないが、部屋は広く、作戦について話すには十分だった。
窓の外には夕暮れの街が見える。
太陽は既に西へ傾き、建物の影が道を覆い始めていた。
部屋の中央に置かれた大きな机には、ウエスタンの地図が広げられている。
その周囲を囲むのは、アニマ、リーフ、アルク、フレッサ。
そして、リーフの身の回りの世話をしている二人のエルフだった。
細身の青年と、その隣に立つ女性。
青年の名はテイク。
女性の名はケア。
二人が兄妹であることも、少し前にハルカから聞いた。
『お兄さんの方がテイクさんで、妹さんがケアさんなんだって』
何気なくそう教えられた時、アニマが初めて知ったと答えると。
『一緒に何日も旅してるのに!?』
と、随分驚かれた。
名前を聞く機会がなかっただけだと説明したが、ハルカは最後まで納得していなかった。
「どうぞ」
ケアが淹れた茶を机へ置く。
「ありがとう」
リーフが微笑んだ。
テイクはその隣で、机の端に置かれた紙を整理している。
二人とも今回の潜入には参加しない。
だが、何も知らずに待つつもりもないようで、ケアなどは先ほどから落ち着かない様子で何度もリーフへ視線を向けていた。
「本当に今夜、行うのですか?」
「そのつもりよ」
リーフの返事に、ケアの表情が曇る。
隣にいたテイクが妹を見る。
「今更止めても、リーフ様は止まらないだろう」
「それは……そうだけど」
アルクが笑う。
「貴方はもう少し心配してください」
「してるって」
いつものことなのだろう。
そのやり取りを見ていたリーフが、少し困ったように笑った。
「それじゃあ、始めましょう」
その一言で空気が変わる。
フレッサが机へ近づき、広げられた地図の一角を指差した。
「標的はここだ」
ウエスタンの西側。
街の中心から離れた倉庫街だった。
大きな商会や職人が荷物を保管する建物が並ぶ区画で、昼間は荷車や人の出入りも多い。しかし、夜になれば人通りは大きく減る。
「表向きはグランツ商会が所有する倉庫の一つだが、夜になると奴隷が運び込まれている」
フレッサが別の紙を置く。
建物の簡単な見取り図だった。
二階建て。
正面には大きな扉。
裏手には荷物を運び入れるための出入口があり、左右には隣の建物との間を通る細い路地が伸びている。
見取り図には内部の構造まで記されていた。
「中を見たのか?」
「完全には」
フレッサは首を振った。
「三日前から周辺を見ていた。窓も少ないが、周囲の同じ構造と思われる建物を見た」
「見張りは?」
「夜は確認できただけで十二人」
「全員戦える?」
「恐らく。昼間に働いている人間とは別だ」
アニマは地図へ目を落とす。
十二人。
自分一人なら多くはない。
正面から入ったとしても、恐らく問題なく倒せる。
だが、今回はそれでは意味がなかった。
「交代は?」
「夜半に一度」
「同じ時間?」
「ここ二日はほぼ同じだった」
アニマは少しだけ顔を上げる。
「二日とも見たのか?」
「ああ」
「裏口は?」
「二人。正面が四人。建物の中に少なくとも四人、残り二人が周囲を巡回している」
「屋上は?」
「一人だけ上がることがある。ただし常駐ではない」
「近くの衛兵は?」
「ここだ」
フレッサが少し離れた場所を指差す。
「走れば数分。だが、この辺りは商会の倉庫が多い。多少の物音ならすぐには来ない」
「逃げ道は?」
「三つ考えている」
問いを重ねても、フレッサはほとんど迷わず答えた。
周囲の道。
夜間の人通り。
見張りの歩く順番。
隣の建物との距離。
屋根から侵入できそうな場所。
アニマが聞こうとした内容のほとんどが、既に調べられていた。
地図を見る限り、潜入までの計画に穴はない。
「…一人でやるつもりだったのか?」
「ああ」
フレッサは当然のように答えた。
「協力者が見つからなかった場合は、フレッサ一人で中へ入る予定だったの」
リーフも続ける。
「以前から準備してくれていたから、できると言ってくれて――」
「できる?」
アニマが言葉を遮った。
アニマが加わる前から決まっていたであろう、作戦の大筋。
それは危険な考えだった。口にするか迷うが、言っておいた方がいい。
リーフが目を瞬く。
「何?」
アニマは答えず、もう一度見取り図を見る。
侵入。
見張りの排除。
奴隷の居場所を確認する。
そこまではいい。
フレッサならかなりのところまでいけるだろう。
だが、その先。
「中に奴隷は何人いる?」
「正確には分からないわ。昨日運び込まれた人も含めれば、二十人近くいる可能性がある」
「二十人」
戦えない者が多いだろう。
怪我人がいる可能性も高い。
長い間まともな食事を与えられていなければ、走ることすら難しい者もいるだろう。
「フレッサ」
「何だ」
「一人で二十人を連れて出るつもりだったのか?」
短い沈黙。
「ああ」
「無理だ」
アニマは即答した。
リーフが驚いたようにフレッサを見る。
「不可能ではない」
「確かに、絶対不可能とは言わない」
アニマが地図を指差す。
「中に入るだけならできる。見張りもある程度は倒せる。でも、奴隷を見つけた後で動きが変わる」
一人なら狭い場所を使える。
屋根にも上がれる。
敵の目を避けて移動することもできる。
だが、二十人を連れればそうはいかない。
歩けない者が一人いるだけでも、撤退速度は大きく落ちる。
「見張りに気づかれたら?」
「その時は戦う」
「奴隷を守りながら?」
「……」
「増援が来たら?」
フレッサは答えない。
アニマにはそれで十分だった。
計画が悪いわけではない。
むしろ、潜入するまでの準備はよくできている。
問題は。
それを単独でこなそうとしていたことだった。
「アルクが参加すればどうだ」
アニマが尋ねる。
フレッサの目が僅かに動く。
「……成功率は上がる」
「なら、どうして連れていかない想定だった?」
フレッサはすぐには答えなかった。
代わりにリーフが口を開く。
「そうよ。そんなに危険ならアルクも――」
「駄目です」
それまでより強い声だった。
リーフが言葉を止める。
フレッサはまっすぐリーフを見た。
「アルクはリーフ様のそばに残ります」
「でも、貴女一人じゃ危険なんでしょう?」
「問題ありません」
「今、問題があるって話をしてたじゃない!」
リーフの声が少し大きくなる。
ケアが不安そうに二人を見る。
「私ならテイクとケアがいるし――」
「駄目です」
もう一度。
今度は迷いなく。
「何でよ」
「貴女を守る者がいなくなる」
部屋が静かになった。
リーフが何かを言おうとする。
しかし。
言葉が出てこない。
アルクも黙ってフレッサを見ていた。
アニマはそこでようやく理解した。
フレッサは知らなかったわけではない。
自分一人では厳しいことを。
最初から分かっていた。
それでもアルクを連れていくという選択肢を考えなかった。
考えなかったのではない。
選ばなかった。
アルクまで作戦に加われば、リーフの護衛がいなくなるからだ。
「……だから言わなかったの?」
リーフの声が少し震える。
「何をです」
「一人じゃ危ないってこと」
「言えば、今と同じことを言うでしょう」
「当然よ!」
リーフが机へ手をついた。
「だから言いませんでした」
あまりにも平然とした答えだった。
リーフが息を呑む。
「それじゃあ……貴女が死んでもいいって思ってるってことじゃない」
フレッサは何も答えない。
「フレッサ」
「リーフ様が無事なら、それでいい」
その言葉に。
アニマは眉を寄せた。
「それは駄目だ」
今度はフレッサがアニマを見る。
「何がだ」
「全部」
アニマは地図から手を離す。
「リーフを守るためにアルクを残す。それは分かる」
「ああ」
「だから自分一人で死ぬかもしれない作戦をやる。それは分からない」
「死ぬつもりはなかった」
「死ぬつもりがあるかどうかの話じゃない」
フレッサが黙る。
アニマ自身、似たことを何度もしてきた。
敵の攻撃を自ら受ける。
危険な場所へ先に入る。
自分が戦えば済むなら、他人を下げる。
それが間違っているなど、今まで考えたこともなかった。
だが。
今、目の前で同じようなことをしている人間を見ると。
「成功すると言い切れるか?」
フレッサは答えない。
それが答えだった。
リーフが俯く。
「……私、知らなかった」
「知らせる必要がありませんでした」
「あるわよ」
今度の声は大きくなかった。
それでも。
はっきりしていた。
「私を守るためなら、自分がどうなってもいいなんて思わないで」
フレッサの表情が僅かに揺れた。
「アルクも」
リーフが隣を見る。
「フレッサも」
そして。
「二人とも私の大切な人よ」
アルクが少しだけ目を伏せる。
フレッサはしばらく何も言わなかった。
「……申し訳ありません」
やがて。
小さくそう答えた。
リーフはまだ何か言いたそうだったが。
アニマは机を拳で数度叩いた。
三人がアニマを見る。
「俺がいる」
犠牲は必要ない。
「この作戦は完璧と言っていい。戦力さえ揃えば」
俺がこの作戦を完璧にする。
フレッサがアニマを見る。
「頼んだ、アニマ」
「最初からそういう話だったでしょうに」
アルクが呆れたように言った。
少しだけ。
部屋の空気が緩んだ。
フレッサがアニマを見る。
「足を引っ張るなよ」
「そっちこそ」
微かに。
フレッサの口角が上がった、ような気がした。
地図へ視線を戻す。
アルクはリーフのそばに残る。
フレッサは一人ではない。
潜入するのは二人。
アニマとフレッサなら、取れる手段も大きく増える。
「今回、優先するのは敵戦力の殲滅じゃない」
アニマが言った。
「奴隷だ」
リーフが頷く。
「もちろんよ」
「なら、余計なことはしない」
アニマは続けた。
「できる限り、戦闘は避ける。必要最低限、各個撃破だ。戦力も不明だしな」
「殺すのか?」
アルクの問いに、アニマは首を横へ振る。
「余裕があれば気絶に留めたい。情報も吐かせたい」
誰が奴隷を運んでいるのか。
どこから連れてきたのか。
そして、どこへ送るつもりなのか。
生かしておいた方が使える。
そして最も気をつけなければならないこと。
「もし連絡を取られそうになったら即叩く。敵に襲撃を気取られるまで時間を稼ぎたい」
「理由を聞いても?」
アルクが尋ねる。
「奴らにとって奴隷は何だと思う?」
リーフの顔が僅かに強張る。
「……商品」
「ああ」
腹立たしいが。
そういうことだ。
「奴隷を奪われると分かった時、奴らは素直に渡さない」
人質にするかもしれない。
逃げる時間を稼ぐために使うかもしれない。
取り返されるくらいなら。
「殺す可能性もある」
ケアが息を呑んだ。
「そんな……」
「あると思う」
フレッサも静かに言う。
「奴らにとって、奴隷の命は軽い」
だからこそ。
正面から攻撃するべきではない。
アニマが暴れれば、見張りを倒すこと自体は難しくない。
だが、建物中に敵襲が伝われば、その瞬間に中へ捕らえられている者たちが危険になる。
「敵の殲滅だけなら、正面から押し入った方が早い。でも今回はそれじゃ駄目だ」
勝つためではない。
助けるために戦う。
なら、戦い方も変える必要がある。
「巡回の見張りから消す。次に裏口、そして潜入だ」
「私は最初裏口まで助力し、屋根伝いで2階から潜入する」
フレッサが言う。
「弓は使えないが問題ないか?」
「問題ない」
「弓兵じゃなかったのか?」
「弓しか使えないとは言っていない」
「そうか」
それなら問題ない。
むしろ少し興味が湧いた。
「その顔は何だ」
「別に」
「少し楽しんでいないか?」
「気のせいだ」
話し合いはさらに続いた。
侵入する時間。
連絡方法。
合流地点。
作戦が失敗した場合の退路。
奴隷を解放した後は、テイクとケアが待機している場所まで移動させる。
リーフたちは事前に倉庫街から離れた場所へ小さな建物を借りていた。一晩程度なら、二十人ほどを隠すことはできる。
「食事と水はこちらで用意します」
テイクが言う。
「怪我をしている方もいるでしょう。最低限の薬も準備しておきます」
「治癒魔法士がいたら良かったんだけど……」
ケアが呟いた。
その言葉で、アニマはふと普段なら隣にいる人物を思い出す。
ハルカ。
今頃ベアのところで何をしているのだろう。
宴の時の様子を見る限り、きっと仲良くやれているだろう。
「アニマ?」
リーフの声で意識を戻す。
「何でもない」
「ハルカのこと?」
「……少し」
隠す必要もない。
ベアが守ると言った。
それを信用したから置いてきた。
「きっと大丈夫よ」
「分かってる」
だからこそ、今はこちらへ集中する。
リーフは少し笑ってから、机の上へ一枚の紙を置いた。
そこには一人の少女の特徴が書かれている。
「この子が、私が探している人」
エルフ。
リーフと同じくらいの年齢。
金色の長髪。
リーフより頭一つ高い背。
やはり整っている顔。
それ以外にも、いくつかの特徴が並んでいた。
アニマは紙を見る。
「名前は?」
「フロウ」
リーフが紙をなぞりながら答えた。
「どういう関係なんだ?」
何気なく聞いたつもりだった。
だが、リーフはすぐには答えなかった。
しばらく紙に書かれた名前を見た後、ゆっくり話し始める。
「……幼い頃から、一緒だったの」
それから少し身の上話をしてくれた。
リーフの家は少し堅苦しく、周囲にいる者たちはどうしても彼女に遠慮する。
たとえリーフが間違っていても、強く言わない者が多かったのだそう。
「少し?」
アルクが口を挟む。
リーフが睨む。
「少しよ」
「はい」
アルクはすぐ黙った。
だが、その少女だけは違ったらしい。
嫌なものは嫌。
間違っているものは間違っている。
リーフが無茶をしようとすれば怒り、気に入らないことがあれば喧嘩もした。
「遠慮のない奴だったんだな」
「本当に遠慮なんてなかったわよ」
リーフは少しだけ笑った。
だが、その表情はすぐに消える。
「最後に会った時も、喧嘩していたの」
「何で?」
「……私が無茶をしたから」
アルクとフレッサが何も言わない。
恐らく二人には心当たりがあるのだろう。
「その子に止められて、私が怒った。向こうも怒って……そのまま」
それから。
フロウは攫われた。
「まだ、謝れてないの」
リーフが小さく言う。
「連れてくるから、その時に謝ればいい」
アニマは紙を机へ戻した。
「待っててくれ」
リーフが顔を上げる。
「……ええ、頼りにしてるわ」
小さく。
それでも確かに頷いた。
*****
夜のウエスタンは、昼とは違う顔を見せる。
中心部では今も明かりが灯り、酒場から笑い声が漏れていた。夜でも商売を続ける店の前には人が集まり、通りを馬車が走っていく。
だが、街の中心から離れて倉庫街へ近づくにつれ、人の姿も灯りも少なくなった。
石造りの建物の間。
暗い路地に、一人の男が立っていた。
「……暇だな」
小さく呟く。
返事はない。
先ほどまで、少し離れた場所にもう一人いたはずだった。
「おい」
呼んでも返事はない。
「どこ行った?」
持ち場を離れたのなら後で文句を言ってやる。
そう考えながら路地の角へ向かい、何歩か歩いて角を曲がった。
「……?」
誰もいない。
男が立ち止まる。
先ほどまで確かにここにいた。
「おい?」
もう一度呼んだ。
その時。
背後に微かな気配。
男が振り返るより早く、口元を手で塞がれる。
「――っ!?」
声が出ない。
抵抗しようとした瞬間、首筋へ鈍い衝撃が走った。
視界が揺れ、身体から力が抜ける。
男の身体が倒れた。
しかし、地面へ落ちる音はしなかった。
アニマが身体を受け止め、ゆっくりと地面へ寝かせる。
呼吸はしている。
「……二人目」
小さく呟いて顔を上げる。
倉庫の屋根。
そこにいたはずの見張りの姿は、既に消えていた。
代わりに闇の中で、フレッサが静かにこちらを見下ろしている。
その足元には、気を失った男が一人。
音は聞こえなかった。
アニマは僅かに目を細める。
やはり。
自分がいなくても、この女はかなりいいところまで進めたのだろう。
だからこそ。
一人で行かせなくてよかったとも思った。
フレッサが小さく指を動かす。
予定通り。
周囲に異常なし。
アニマも頷き、視線を前へ戻す。
暗闇の中に、目的の倉庫がある。
耳を澄ますとその奥から微かに、金属の擦れる音が聞こえた。
鎖。
アニマの黄色い瞳が細くなる。
敵を倒すためではない。
中にいる者たちを、一人でも多く確実に助けるために。
「……作戦開始だ」




