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獣の英雄  作者: 四茶
第一章『掌に残るもの』
14/25

12.犠牲

少し長くなりました。

 ベアの家を出てから、アニマたちは一度ウエスタンの宿へ戻った。


 リーフたちが借りているのは、街の中心から少し外れた場所にある宿だった。ポルトで泊まった宿ほど豪華ではないが、部屋は広く、作戦について話すには十分だった。


 窓の外には夕暮れの街が見える。


 太陽は既に西へ傾き、建物の影が道を覆い始めていた。


 部屋の中央に置かれた大きな机には、ウエスタンの地図が広げられている。


 その周囲を囲むのは、アニマ、リーフ、アルク、フレッサ。


 そして、リーフの身の回りの世話をしている二人のエルフだった。

 細身の青年と、その隣に立つ女性。


 青年の名はテイク。

 女性の名はケア。


 二人が兄妹であることも、少し前にハルカから聞いた。


『お兄さんの方がテイクさんで、妹さんがケアさんなんだって』


 何気なくそう教えられた時、アニマが初めて知ったと答えると。


『一緒に何日も旅してるのに!?』


 と、随分驚かれた。


 名前を聞く機会がなかっただけだと説明したが、ハルカは最後まで納得していなかった。


「どうぞ」


 ケアが淹れた茶を机へ置く。


「ありがとう」


 リーフが微笑んだ。


 テイクはその隣で、机の端に置かれた紙を整理している。


 二人とも今回の潜入には参加しない。


 だが、何も知らずに待つつもりもないようで、ケアなどは先ほどから落ち着かない様子で何度もリーフへ視線を向けていた。


「本当に今夜、行うのですか?」

「そのつもりよ」


 リーフの返事に、ケアの表情が曇る。


 隣にいたテイクが妹を見る。


「今更止めても、リーフ様は止まらないだろう」

「それは……そうだけど」


 アルクが笑う。


「貴方はもう少し心配してください」

「してるって」


 いつものことなのだろう。


 そのやり取りを見ていたリーフが、少し困ったように笑った。


「それじゃあ、始めましょう」


 その一言で空気が変わる。


 フレッサが机へ近づき、広げられた地図の一角を指差した。


「標的はここだ」


 ウエスタンの西側。


 街の中心から離れた倉庫街だった。


 大きな商会や職人が荷物を保管する建物が並ぶ区画で、昼間は荷車や人の出入りも多い。しかし、夜になれば人通りは大きく減る。


「表向きはグランツ商会が所有する倉庫の一つだが、夜になると奴隷が運び込まれている」


 フレッサが別の紙を置く。


 建物の簡単な見取り図だった。


 二階建て。


 正面には大きな扉。


 裏手には荷物を運び入れるための出入口があり、左右には隣の建物との間を通る細い路地が伸びている。


 見取り図には内部の構造まで記されていた。


「中を見たのか?」

「完全には」


 フレッサは首を振った。


「三日前から周辺を見ていた。窓も少ないが、周囲の同じ構造と思われる建物を見た」

「見張りは?」

「夜は確認できただけで十二人」

「全員戦える?」

「恐らく。昼間に働いている人間とは別だ」


 アニマは地図へ目を落とす。


 十二人。


 自分一人なら多くはない。

 正面から入ったとしても、恐らく問題なく倒せる。


 だが、今回はそれでは意味がなかった。


「交代は?」

「夜半に一度」

「同じ時間?」

「ここ二日はほぼ同じだった」


 アニマは少しだけ顔を上げる。


「二日とも見たのか?」

「ああ」

「裏口は?」

「二人。正面が四人。建物の中に少なくとも四人、残り二人が周囲を巡回している」

「屋上は?」

「一人だけ上がることがある。ただし常駐ではない」

「近くの衛兵は?」

「ここだ」


 フレッサが少し離れた場所を指差す。


「走れば数分。だが、この辺りは商会の倉庫が多い。多少の物音ならすぐには来ない」

「逃げ道は?」

「三つ考えている」


 問いを重ねても、フレッサはほとんど迷わず答えた。


 周囲の道。

 夜間の人通り。

 見張りの歩く順番。

 隣の建物との距離。

 屋根から侵入できそうな場所。


 アニマが聞こうとした内容のほとんどが、既に調べられていた。


 地図を見る限り、潜入までの計画に穴はない。


「…一人でやるつもりだったのか?」

「ああ」


 フレッサは当然のように答えた。


「協力者が見つからなかった場合は、フレッサ一人で中へ入る予定だったの」


 リーフも続ける。


「以前から準備してくれていたから、できると言ってくれて――」

「できる?」


 アニマが言葉を遮った。


 アニマが加わる前から決まっていたであろう、作戦の大筋。

 それは危険な考えだった。口にするか迷うが、言っておいた方がいい。


 リーフが目を瞬く。


「何?」


 アニマは答えず、もう一度見取り図を見る。


 侵入。


 見張りの排除。


 奴隷の居場所を確認する。


 そこまではいい。


 フレッサならかなりのところまでいけるだろう。


 だが、その先。


「中に奴隷は何人いる?」

「正確には分からないわ。昨日運び込まれた人も含めれば、二十人近くいる可能性がある」

「二十人」


 戦えない者が多いだろう。


 怪我人がいる可能性も高い。


 長い間まともな食事を与えられていなければ、走ることすら難しい者もいるだろう。


「フレッサ」

「何だ」

「一人で二十人を連れて出るつもりだったのか?」


 短い沈黙。


「ああ」

「無理だ」


 アニマは即答した。


 リーフが驚いたようにフレッサを見る。


「不可能ではない」

「確かに、絶対不可能とは言わない」


 アニマが地図を指差す。


「中に入るだけならできる。見張りもある程度は倒せる。でも、奴隷を見つけた後で動きが変わる」


 一人なら狭い場所を使える。


 屋根にも上がれる。


 敵の目を避けて移動することもできる。


 だが、二十人を連れればそうはいかない。


 歩けない者が一人いるだけでも、撤退速度は大きく落ちる。


「見張りに気づかれたら?」

「その時は戦う」

「奴隷を守りながら?」

「……」

「増援が来たら?」


 フレッサは答えない。


 アニマにはそれで十分だった。


 計画が悪いわけではない。

 むしろ、潜入するまでの準備はよくできている。


 問題は。

 それを単独でこなそうとしていたことだった。


「アルクが参加すればどうだ」


 アニマが尋ねる。


 フレッサの目が僅かに動く。


「……成功率は上がる」

「なら、どうして連れていかない想定だった?」


 フレッサはすぐには答えなかった。


 代わりにリーフが口を開く。


「そうよ。そんなに危険ならアルクも――」

「駄目です」


 それまでより強い声だった。


 リーフが言葉を止める。


 フレッサはまっすぐリーフを見た。


「アルクはリーフ様のそばに残ります」

「でも、貴女一人じゃ危険なんでしょう?」

「問題ありません」

「今、問題があるって話をしてたじゃない!」


 リーフの声が少し大きくなる。


 ケアが不安そうに二人を見る。


「私ならテイクとケアがいるし――」

「駄目です」


 もう一度。


 今度は迷いなく。


「何でよ」

「貴女を守る者がいなくなる」


 部屋が静かになった。


 リーフが何かを言おうとする。


 しかし。


 言葉が出てこない。


 アルクも黙ってフレッサを見ていた。


 アニマはそこでようやく理解した。


 フレッサは知らなかったわけではない。

 自分一人では厳しいことを。

 最初から分かっていた。

 それでもアルクを連れていくという選択肢を考えなかった。

 考えなかったのではない。

 選ばなかった。


 アルクまで作戦に加われば、リーフの護衛がいなくなるからだ。


「……だから言わなかったの?」


 リーフの声が少し震える。


「何をです」

「一人じゃ危ないってこと」

「言えば、今と同じことを言うでしょう」

「当然よ!」


 リーフが机へ手をついた。


「だから言いませんでした」


 あまりにも平然とした答えだった。


 リーフが息を呑む。


「それじゃあ……貴女が死んでもいいって思ってるってことじゃない」


 フレッサは何も答えない。


「フレッサ」

「リーフ様が無事なら、それでいい」


 その言葉に。


 アニマは眉を寄せた。


「それは駄目だ」


 今度はフレッサがアニマを見る。


「何がだ」

「全部」


 アニマは地図から手を離す。


「リーフを守るためにアルクを残す。それは分かる」

「ああ」

「だから自分一人で死ぬかもしれない作戦をやる。それは分からない」

「死ぬつもりはなかった」

「死ぬつもりがあるかどうかの話じゃない」


 フレッサが黙る。


 アニマ自身、似たことを何度もしてきた。


 敵の攻撃を自ら受ける。

 危険な場所へ先に入る。

 自分が戦えば済むなら、他人を下げる。


 それが間違っているなど、今まで考えたこともなかった。

 だが。

 今、目の前で同じようなことをしている人間を見ると。


「成功すると言い切れるか?」


 フレッサは答えない。


 それが答えだった。


 リーフが俯く。


「……私、知らなかった」

「知らせる必要がありませんでした」

「あるわよ」


 今度の声は大きくなかった。


 それでも。


 はっきりしていた。


「私を守るためなら、自分がどうなってもいいなんて思わないで」


 フレッサの表情が僅かに揺れた。


「アルクも」


 リーフが隣を見る。


「フレッサも」


 そして。


「二人とも私の大切な人よ」


 アルクが少しだけ目を伏せる。


 フレッサはしばらく何も言わなかった。


「……申し訳ありません」


 やがて。


 小さくそう答えた。


 リーフはまだ何か言いたそうだったが。


 アニマは机を拳で数度叩いた。

 三人がアニマを見る。


「俺がいる」


 犠牲は必要ない。


「この作戦は完璧と言っていい。戦力さえ揃えば」


 俺がこの作戦を完璧にする。


 フレッサがアニマを見る。


「頼んだ、アニマ」

「最初からそういう話だったでしょうに」


 アルクが呆れたように言った。


 少しだけ。

 部屋の空気が緩んだ。


 フレッサがアニマを見る。


「足を引っ張るなよ」

「そっちこそ」


 微かに。

 フレッサの口角が上がった、ような気がした。


 地図へ視線を戻す。


 アルクはリーフのそばに残る。

 フレッサは一人ではない。

 潜入するのは二人。


 アニマとフレッサなら、取れる手段も大きく増える。


「今回、優先するのは敵戦力の殲滅じゃない」


 アニマが言った。


「奴隷だ」


 リーフが頷く。


「もちろんよ」

「なら、余計なことはしない」


 アニマは続けた。


「できる限り、戦闘は避ける。必要最低限、各個撃破だ。戦力も不明だしな」

「殺すのか?」


 アルクの問いに、アニマは首を横へ振る。


「余裕があれば気絶に留めたい。情報も吐かせたい」


 誰が奴隷を運んでいるのか。

 どこから連れてきたのか。

 そして、どこへ送るつもりなのか。


 生かしておいた方が使える。


 そして最も気をつけなければならないこと。


「もし連絡を取られそうになったら即叩く。敵に襲撃を気取られるまで時間を稼ぎたい」

「理由を聞いても?」


 アルクが尋ねる。


「奴らにとって奴隷は何だと思う?」


 リーフの顔が僅かに強張る。


「……商品」

「ああ」


 腹立たしいが。


 そういうことだ。


「奴隷を奪われると分かった時、奴らは素直に渡さない」


 人質にするかもしれない。

 逃げる時間を稼ぐために使うかもしれない。

 取り返されるくらいなら。


「殺す可能性もある」


 ケアが息を呑んだ。


「そんな……」

「あると思う」


 フレッサも静かに言う。


「奴らにとって、奴隷の命は軽い」


 だからこそ。


 正面から攻撃するべきではない。


 アニマが暴れれば、見張りを倒すこと自体は難しくない。


 だが、建物中に敵襲が伝われば、その瞬間に中へ捕らえられている者たちが危険になる。


「敵の殲滅だけなら、正面から押し入った方が早い。でも今回はそれじゃ駄目だ」


 勝つためではない。


 助けるために戦う。


 なら、戦い方も変える必要がある。


「巡回の見張りから消す。次に裏口、そして潜入だ」

「私は最初裏口まで助力し、屋根伝いで2階から潜入する」


 フレッサが言う。


「弓は使えないが問題ないか?」

「問題ない」

「弓兵じゃなかったのか?」

「弓しか使えないとは言っていない」

「そうか」


 それなら問題ない。


 むしろ少し興味が湧いた。


「その顔は何だ」

「別に」

「少し楽しんでいないか?」

「気のせいだ」


 話し合いはさらに続いた。


 侵入する時間。

 連絡方法。

 合流地点。

 作戦が失敗した場合の退路。


 奴隷を解放した後は、テイクとケアが待機している場所まで移動させる。


 リーフたちは事前に倉庫街から離れた場所へ小さな建物を借りていた。一晩程度なら、二十人ほどを隠すことはできる。


「食事と水はこちらで用意します」


 テイクが言う。


「怪我をしている方もいるでしょう。最低限の薬も準備しておきます」

「治癒魔法士がいたら良かったんだけど……」


 ケアが呟いた。


 その言葉で、アニマはふと普段なら隣にいる人物を思い出す。


 ハルカ。


 今頃ベアのところで何をしているのだろう。


 宴の時の様子を見る限り、きっと仲良くやれているだろう。


「アニマ?」


 リーフの声で意識を戻す。


「何でもない」

「ハルカのこと?」

「……少し」


 隠す必要もない。


 ベアが守ると言った。


 それを信用したから置いてきた。


「きっと大丈夫よ」

「分かってる」


 だからこそ、今はこちらへ集中する。


 リーフは少し笑ってから、机の上へ一枚の紙を置いた。


 そこには一人の少女の特徴が書かれている。


「この子が、私が探している人」


 エルフ。


 リーフと同じくらいの年齢。


 金色の長髪。

 リーフより頭一つ高い背。

 やはり整っている顔。

 

 それ以外にも、いくつかの特徴が並んでいた。


 アニマは紙を見る。


「名前は?」

「フロウ」


 リーフが紙をなぞりながら答えた。


「どういう関係なんだ?」


 何気なく聞いたつもりだった。


 だが、リーフはすぐには答えなかった。


 しばらく紙に書かれた名前を見た後、ゆっくり話し始める。


「……幼い頃から、一緒だったの」


 それから少し身の上話をしてくれた。

 リーフの家は少し堅苦しく、周囲にいる者たちはどうしても彼女に遠慮する。

 たとえリーフが間違っていても、強く言わない者が多かったのだそう。


「少し?」


 アルクが口を挟む。


 リーフが睨む。


「少しよ」

「はい」


 アルクはすぐ黙った。


 だが、その少女だけは違ったらしい。


 嫌なものは嫌。

 間違っているものは間違っている。

 リーフが無茶をしようとすれば怒り、気に入らないことがあれば喧嘩もした。


「遠慮のない奴だったんだな」

「本当に遠慮なんてなかったわよ」


 リーフは少しだけ笑った。


 だが、その表情はすぐに消える。


「最後に会った時も、喧嘩していたの」

「何で?」

「……私が無茶をしたから」


 アルクとフレッサが何も言わない。


 恐らく二人には心当たりがあるのだろう。


「その子に止められて、私が怒った。向こうも怒って……そのまま」


 それから。


 フロウは攫われた。


「まだ、謝れてないの」


 リーフが小さく言う。


「連れてくるから、その時に謝ればいい」


 アニマは紙を机へ戻した。


「待っててくれ」


 リーフが顔を上げる。


「……ええ、頼りにしてるわ」


 小さく。


 それでも確かに頷いた。


*****


 夜のウエスタンは、昼とは違う顔を見せる。


 中心部では今も明かりが灯り、酒場から笑い声が漏れていた。夜でも商売を続ける店の前には人が集まり、通りを馬車が走っていく。


 だが、街の中心から離れて倉庫街へ近づくにつれ、人の姿も灯りも少なくなった。


 石造りの建物の間。


 暗い路地に、一人の男が立っていた。


「……暇だな」


 小さく呟く。


 返事はない。


 先ほどまで、少し離れた場所にもう一人いたはずだった。


「おい」


 呼んでも返事はない。


「どこ行った?」


 持ち場を離れたのなら後で文句を言ってやる。


 そう考えながら路地の角へ向かい、何歩か歩いて角を曲がった。


「……?」


 誰もいない。


 男が立ち止まる。


 先ほどまで確かにここにいた。


「おい?」


 もう一度呼んだ。


 その時。

 背後に微かな気配。


 男が振り返るより早く、口元を手で塞がれる。


「――っ!?」


 声が出ない。


 抵抗しようとした瞬間、首筋へ鈍い衝撃が走った。


 視界が揺れ、身体から力が抜ける。


 男の身体が倒れた。

 しかし、地面へ落ちる音はしなかった。


 アニマが身体を受け止め、ゆっくりと地面へ寝かせる。


 呼吸はしている。


「……二人目」


 小さく呟いて顔を上げる。


 倉庫の屋根。


 そこにいたはずの見張りの姿は、既に消えていた。

 代わりに闇の中で、フレッサが静かにこちらを見下ろしている。


 その足元には、気を失った男が一人。


 音は聞こえなかった。


 アニマは僅かに目を細める。


 やはり。

 自分がいなくても、この女はかなりいいところまで進めたのだろう。


 だからこそ。


 一人で行かせなくてよかったとも思った。


 フレッサが小さく指を動かす。


 予定通り。

 周囲に異常なし。


 アニマも頷き、視線を前へ戻す。


 暗闇の中に、目的の倉庫がある。


 耳を澄ますとその奥から微かに、金属の擦れる音が聞こえた。


 鎖。


 アニマの黄色い瞳が細くなる。


 敵を倒すためではない。


 中にいる者たちを、一人でも多く確実に助けるために。


「……作戦開始だ」

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