幕間 広がる噂
お待たせしました。
一旦幕間。
世界には、表に出ない情報がある。
国家が隠すもの。
商人が金に換えるもの。
冒険者が酒の席で漏らすもの。
そして、誰かが命と引き換えに持ち帰るもの。
それらは時に、正式な報告書よりも早く世界を巡る。
ウエスタンの一角。
表通りから何本も路地を抜けた先に、その建物はあった。
看板はない。
窓も少ない。
外から見れば、使われなくなった古い倉庫にしか見えない。
しかし、その地下。
石造りの部屋に、数人の人間が集まっていた。
中央には大きな円卓。
その上には大陸の地図と、何枚もの紙束が置かれている。
「……では、始めるか」
低い声が響いた。
声の主は、円卓の奥に座る男だった。
ウエスタン冒険者ギルド長――グレイグ。
ウエスタンの冒険者ギルドを預かる人物であり、自身もかつては名のある冒険者だった。
その隣。
椅子の背にもたれ、退屈そうに指で机を叩いている男がいる。
盗賊ギルド長――ラド。
盗み。
密輸。
裏取引。
そういった表には出せない仕事に関わる者たちをまとめる人物だ。
さらに。
商人たちの噂や取引を扱う情報商人、マーロウ。
各地を行き来する冒険者から情報を集める情報屋、ネイ。
他にも、いくつかの組織から人間が集まっていた。
国を動かすような権力者たちではない。
そもそも、そんな者たちが短期間で一堂に会することなど不可能だ。
ここに集まっているのは。
世界の裏側を流れる情報を拾い上げ、それを必要とする場所へ流す者たちだった。
「最初は北部からだ」
グレイグが、一枚の紙を机へ置く。
「北部のルグナ地方で魔物が増えている」
「珍しくもないだろ」
ラドが欠伸をする。
「この時期なら毎年増える」
「兵卒級ならな」
その言葉で、男の欠伸が止まった。
「隊長級が三体確認されている」
「三体?」
「ああ。同じ地域でだ」
部屋の空気が少し変わる。
「魔力溜まりでもできたか」
「調査中だ」
別の紙が置かれる。
「それと、さらに北。バルガ山脈付近で妙な足跡が見つかっている」
「何の魔物だ?」
「分からん」
「分からん?」
ネイが紙を受け取る。
そこには、足跡を写し取った簡単な絵が描かれていた。
「……でかいな」
「大きさだけなら隊長級以上だ」
「英雄級の可能性は?」
「否定できん」
その言葉に、何人かが黙る。
英雄級。
その言葉は、ただ強い魔物という意味ではない。
一体で街を滅ぼしかねない存在。
もし本当に英雄級ならば、冒険者数人でどうにかできる問題ではなかった。
「金級冒険者の『雷槍』ディランは?」
「現在、東のレムナで魔物討伐に出ている」
「なら『鉄壁』ガレス」
「そっちは商隊の護衛だ。相変わらず護衛の依頼しか受けていない」
「相変わらず肝心な時に使えねえな、金級って奴らは」
ラドが笑う。
「好き勝手に動くから金級なんだろう」
「違いねえ」
何人かが小さく笑った。
しかし。
英雄級という言葉が出たことで、先ほどまでより空気は重くなっていた。
「まだ英雄級と決まったわけじゃない」
グレイグが話を戻す。
「近隣のギルドには警戒するよう伝えてある。次だ」
地図の上。
今度は東側へ、小さな駒が置かれる。
「東方のセイル王国で、『剣鬼』ヴァルドが確認された」
「まだ生きてたのか、あいつ」
「勝手に殺すな」
「最後に話を聞いたの何年前だ?」
「三年ほど前だな」
「三年ありゃ人間なんて簡単に死ぬ」
「お前のところの連中と一緒にするな」
「ひでえ言い草だ」
軽口が飛び交う。
だが、紙に書かれている内容へ目を通す者たちの顔は真剣だった。
強者。
それも、一人で戦況を変えられるほどの人間。
そういった者たちの情報は、時として軍隊の動向以上の価値を持つ。
どこにいるのか。
誰に雇われているのか。
何を目的としているのか。
それだけで、一つの街の運命が変わることすらある。
「次」
また一枚。
「南東のアルディア王国で、『白剣の英雄』レオンが軍を離れたという噂がある」
「理由は?」
「不明」
「死んだ可能性は」
「それもある。ただ、死体が確認されていない」
「面倒だな」
「ああ」
死体がない。
それだけで情報の価値は大きく変わる。
生きているのか。
死んでいるのか。
姿を消したのか。
あるいは、消されたのか。
強者一人の行方が分からない。
それだけで警戒するには十分だった。
話題は次々と移っていった。
魔物。
冒険者。
傭兵。
各地の紛争。
急激に力を伸ばした商会。
姿を消した金級冒険者。
世界のどこかで起きた小さな異変が、紙一枚となって円卓へ集められていく。
その中には。
数年後なら歴史書に載るような出来事の、始まりとなるものもあるのかもしれない。
だが今は。
まだ誰にも、それを知ることはできない。
「ウエスタンについては?」
誰かが尋ねた。
今度は、マーロウが紙を出した。
「奴隷商が随分と力を伸ばしている」
グレイグが眉をひそめる。
「またか」
「ああ。最近は人間だけじゃない。エルフを含む亜人もかなり流れている」
「どこからだ?」
「それが分からん」
マーロウは肩をすくめる。
「少なくとも一つの経路じゃない。複数の場所から集められている」
「攫われた奴もいるって話だぞ」
ラドが口を挟む。
「確証は?」
「俺のところにまで噂が来てる時点で、真っ白ってことはねえだろ」
誰も否定しなかった。
「グランツ商会か」
「中心にいるのは、恐らくな」
「最近、随分羽振りがいい」
「金だけじゃねえ。護衛も増えた。裏の連中にも金を撒いてる」
「……何をするつもりだ」
「さあな」
ラドが笑う。
「ただ、金を持った奴が次に欲しがるものなんざ、大体決まってる」
「力か」
「そういうことだ」
短い沈黙。
グレイグは、地図上のウエスタンへ目を落とした。
「こちらも情報を集めておく」
「深入りするなよ」
「分かっている」
奴隷制度そのものは、ウエスタンでは違法ではない。
それ故に厄介だった。
表向きは商売。
その裏で何が行われているのか。
それを調べるには、表の組織だけでは限界がある。
「次で最後だ」
ネイが、手元に残っていた一枚の紙を持ち上げた。
「ポルトからだ」
「ポルト?」
「ああ」
紙が机の中央へ滑らされる。
「少し前、ポルト付近の鉱山で隊長級の大蜘蛛が出たのは知っているな」
「聞いている」
「銀級を集めて討伐した件だろ?」
「そうだ」
ネイは頷いた。
「死者なし。討伐成功」
「上出来じゃないか」
「問題はそこじゃない」
紙を指で叩く。
「討伐に参加した人間から、妙な話が出ている」
「妙な話?」
「鉄級の新人がいた」
一瞬。
誰も意味を理解できなかった。
「……鉄級?」
「ああ」
「隊長級討伐に?」
「正確には荷物持ちとして同行していたらしい」
「なら別に――」
「その鉄級が、大蜘蛛をほぼ一人で仕留めた」
沈黙。
「何?」
「剣で脚を切断。接近戦で圧倒。最後は素手で吹き飛ばしたそうだ」
ラドが目を細める。
「……盛ってねえか?」
「複数から同じ証言が取れている」
「名前は?」
ネイは答えなかった。
代わりに。
もう一枚の紙を取り出す。
「その前に、これを見ろ」
一枚の紙だった。
他国から流れてきたものらしく、端は傷んでいる。
そこには、一人の獣の姿が描かれていた。
短い栗色の髪。
獣の如き黄色い目。
腕から逆立つ黄金の毛。
「ヴェイド王国から少し前に流れてきた情報だ」
部屋の空気が変わった。
「ヴェイド?」
「あの国から情報が出てくるなんて珍しいな」
「だから時間がかかった」
ネイは紙を置く。
「ヴェイド王国で、一人の英雄が消えた」
誰かが息を呑む。
「英雄?」
「通称――『獣の英雄』」
誰も口を挟まない。
「ヴェイド王国が抱えていた英雄戦力の一人。年齢は十七。名前はアニマ」
その名が。
静かな部屋に落ちた。
「十七?」
「間違いない」
「……英雄級が?」
「ああ」
ラドが僅かに眉を寄せた。
「十七で英雄級ってのは、笑えねえな」
「金級冒険者でも、英雄級に届く者は一握りだ」
グレイグが静かに言う。
「金級はあくまで冒険者としての最高位だ。隊長級の者もいれば、英雄級に足を踏み入れている者もいる」
「それで、そいつは?」
「少なくとも英雄級として扱われていた」
ネイが答えた。
「しかも、ヴェイドが『英雄』の名を与えて戦場へ投入していた人間だ」
「……厄介だな」
ラドが、先ほどの紙を見る。
「それで、その消えた英雄と鉄級の新人に何の関係がある」
ネイは、大蜘蛛討伐について書かれた紙を指差した。
「その新人も」
一拍。
「アニマと名乗っている」
沈黙。
グレイグが眉を寄せる。
「ただの同名という可能性は」
「ある」
「顔は?」
「姿絵とはかなり違う。少なくとも、絵のような獣の姿ではなかったそうだ」
「なら別人じゃないのか?」
「ただ、目撃者によれば栗色の髪に、黄色い目だった」
「……名前もアニマ」
「ああ」
今度こそ。
誰も何も言わなかった。
名前。
年齢。
目の色。
そして、隊長級を圧倒する戦闘能力。
偶然と片付けるには、少し多すぎる。
「ヴェイドからは、何があったと?」
「詳しい情報は出ていない」
ネイが首を振る。
「『獣の英雄が消えた』。確実なのはそれだけだ」
「死亡したとは?」
「発表されていない」
「離反したという噂もある」
マーロウが口を挟む。
「噂だろ」
「ああ。理由も分からん。ヴェイド内部で何があったのかもな」
「……」
グレイグは腕を組んだ。
「ポルトでは他に何をした」
「冒険者登録。それから隊長級討伐」
「それだけか?」
「今のところは」
「一緒にいる者は?」
「黒髪の少女。治癒魔法士らしい」
「二人か」
「ポルトを出た後の足取りは?」
「西へ向かった可能性が高い」
その言葉に。
何人かが地図を見る。
ポルト。
そこから西。
街道を辿れば。
「……ウエスタンか」
「可能性はある」
偶然。
その一言で済ませることもできた。
まだ、何かをしたわけではない。
街を襲ったわけでもない。
誰かを殺したという情報があるわけでもない。
ただ。
一国が保有していた英雄級戦力が。
国を離れ。
今、その行方が分からなくなっている。
それだけだった。
「ヴェイドは追っているのか?」
「不明だ」
「目的は?」
「不明」
「敵対の意思は?」
「それも不明」
ラドが鼻で笑った。
「分からねえことばっかりじゃねえか」
「だから情報を集める」
グレイグが言った。
「敵と決まったわけじゃない」
「ああ」
「犯罪者とも限らない」
「ああ」
「なら手を出す理由もない」
グレイグは、少年の描かれた紙を見る。
「だが」
十七歳。
英雄級。
獣の英雄。
ヴェイド王国から姿を消した少年。
「何をするつもりなのか分からない英雄級を、放置する理由もない」
ネイが頷く。
「各地へ回すか?」
「いや」
グレイグは少し考えた。
「広げすぎるな」
「理由は?」
「騒ぎになる」
英雄級という言葉は、それだけで人を動かす。
利用しようとする者。
殺そうとする者。
仲間へ引き入れようとする者。
ただ恐れる者。
不確かな情報を無闇に流せば、それだけで混乱が起きる。
「信頼できる情報網だけでいい」
グレイグは言った。
「見つけても接触はするな」
「戦力を測るのは?」
「必要ない」
即答だった。
「隊長級を一人で倒せる時点で、少なくとも並の冒険者が探りを入れていい相手じゃない」
「じゃあどうする?」
円卓の中央。
少年の姿絵。
その横に置かれた、ポルトからの報告書。
グレイグは、その二枚を見比べる。
「見るだけでいい」
静かな声だった。
「どこへ行くのか」
「誰と会うのか」
「何をしようとしているのか」
そして。
「ヴェイド王国が、どう動くのか」
誰も反論しなかった。
ネイが紙へ何かを書き込む。
名前。
特徴。
確認された戦闘能力。
最後に。
三文字が書き加えられた。
――要注意。
「『獣の英雄』アニマ」
グレイグが呟く。
「当面、監視対象とする」
その頃。
当の本人は。
自分の名前が、静かに世界の裏側を巡り始めていることなど。
まだ、知る由もなかった。




