第34話「壁の向こう側」
訓練場の空気は独特だった。
魔力の残滓。
汗の匂い。
金属音。
誰かの怒声。
そして、能力がぶつかる音。
能力者育成校へ入学してから一ヶ月近く。
神代透もようやく、この空気に慣れてきていた。
だが。
慣れたからといって楽になる訳ではない。
「もう一回だ」
透明な盾が宙へ浮かぶ。
直径一メートルほど。
以前より密度は上がった。
強度も増した。
だが。
まだ足りない。
透は歯を食いしばった。
ランキング戦まで残り十一日。
時間がない。
もちろん焦ったところで強くなれる訳ではない。
それは分かっている。
それでも。
玲司の姿が脳裏を過る。
受験の日。
雷を纏いながら圧倒的な力を見せた姿。
Sクラス。
主席。
学年最強候補。
あいつだけじゃない。
隼人。
美月。
迅。
皆前へ進んでいる。
透だって進んでいる。
だが。
差が縮まっている気がしない。
「……くそ」
盾が揺らぐ。
魔力が乱れる。
透は舌打ちした。
その瞬間。
「だから焦り過ぎだ」
後ろから声が飛んだ。
振り返る。
相沢蓮だった。
銀髪。
鋭い目。
Aクラス三位。
最近は毎日のように顔を合わせている。
「焦ってない」
「嘘だな」
「最近みんなそれ言うな」
透は苦笑した。
相沢は肩を竦める。
「分かりやすいからな」
そう言って訓練区画へ入ってくる。
周囲の生徒たちが少しざわついた。
相沢は目立つ。
Aクラス上位。
実力者。
無口。
良くも悪くも有名人だった。
だが本人は全く気にしていない。
「神代」
「何だ」
「模擬戦やるぞ」
透は固まった。
「は?」
「模擬戦」
「聞こえてる」
問題はそこじゃない。
「何で急に」
「実戦不足だからだ」
相沢は当然のように言った。
「お前」
一拍。
「訓練は真面目だ」
「褒めてる?」
「半分」
微妙だった。
「でも実戦経験が少ない」
相沢は続ける。
「盾の扱いも悪くない」
「おう」
「だが」
視線が鋭くなる。
「戦い方が下手だ」
透は反論できなかった。
事実だからだ。
能力を使うことと。
戦うことは違う。
真壁にも言われた。
玲司との差もそこにある。
だから。
透は頷いた。
「分かった」
「意外だ、逃げると思った」
「お前な」
失礼な奴だった。
だが。
透自身も分かっている。
ここで逃げても意味がない。
むしろ。
今欲しいのは実戦経験だ。
十分後。
訓練区画中央。
透と相沢が向かい合っていた。
周囲には何人かの見学者がいる。
気付けば人が増えていた。
「おい」
「相沢じゃね?」
「マジだ」
「何やってんだ?」
「模擬戦らしい」
「相手誰?」
「神代」
「ああ、災害級遭遇者の」
透は頭を抱えたくなった。
その呼び方やめてほしい。
だが。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
「始めるぞ」
相沢が構える。
透も盾を展開する。
透明な盾。
心臓が速い。
緊張している。
当然だ。
相手はAクラス三位。
今の自分より遥かに強い。
だが。
逃げる理由にはならない。
「行くぞ」
相沢が言った。
その瞬間。
地面が爆ぜた。
「っ!?」
速い。
一瞬だった。
透は反射的に盾を前へ出す。
直後。
轟音。
拳が叩き込まれる。
衝撃。
全身が軋む。
だが。
倒れない。
受けた。
確かに受けた。
「ほう」
相沢が僅かに目を細める。
「前よりマシだな」
透は息を吐いた。
余裕なんてない。
今の一撃だけで分かる。
強い。
相沢は強い。
玲司とはまた違う。
荒々しい。
だが無駄がない。
洗練されている。
そして。
次の瞬間。
相沢が消えた。
「なっ」
右。
違う。
左。
違う。
後ろ。
「っ!!」
透は咄嗟に振り向く。
遅い。
間に合わない。
そう思った。
だが。
体が勝手に動く。
盾。
背後へ展開。
衝撃。
受けた。
ギリギリで。
だが。
受けた。
観客たちがざわめく。
「今の反応したのか?」
「マジか」
「結構やるな」
透には聞こえていなかった。
必死だった。
今はただ。
目の前の相手を見るので精一杯だ。
「神代」
相沢が言う。
「何だ」
「お前」
一拍。
「盾しか見てないな」
意味が分からなかった。
だが。
次の攻撃で理解する。
相沢が踏み込む。
拳。
盾。
受ける。
また拳。
受ける。
また。
また。
また。
気付けば透は防御しかしていなかった。
受ける。
守る。
受ける。
守る。
それだけ。
「っ!」
横から衝撃。
吹き飛んだ。
地面を転がる。
肺から空気が抜けた。
「ぐっ……」
痛い。
だが立つ。
立たなければ終わる。
「今の何だ」
透は息を切らしながら聞いた。
相沢は言う。
「見えてなかっただけだ」
「何が」
「俺が」
透は黙った。
図星だった。
盾ばかり見ていた。
守ることばかり考えていた。
だから。
相手を見失った。
「戦うってのはな」
相沢が言う。
「能力を使うことじゃない」
透は顔を上げる。
「相手を見ることだ」
その言葉は。
妙に重かった。
透はゆっくり立ち上がる。
息を整える。
そして。
相沢を見る。
盾じゃない。
能力じゃない。
相手を見る。
どこを見るのか。
足。
肩。
視線。
呼吸。
全て。
次の瞬間。
相沢が動いた。
だが。
今度は違う。
透は見た。
肩の動き。
重心。
踏み込み。
拳が来る。
盾を動かす。
衝撃。
受け切る。
「……!」
初めてだった。
攻撃を読めたのは。
ほんの少し。
本当に少し。
それでも。
確かな成長だった。
相沢が僅かに笑う。
「悪くない」
その一言だけだった。
だが。
透は少しだけ嬉しかった。
ランキング戦まで残り十一日。
届かない背中はまだ遠い。
だが。
今日。
神代透は確かに一歩前へ進んだ。




