第21話「長官」
魔力庁長官。
天城黎人。
その男が目の前にいた。
透は思わず立ち上がりそうになる。
テレビで何度も見た顔だ。
能力犯罪対策。
魔獣討伐。
魔力技術開発。
今の日本において最も有名な人物の一人。
その男が何故ここにいる。
何故自分の名前を知っている。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
黎人は柔らかく笑った。
優しそうな人だった。
少なくとも見た目は。
透は慌てて頭を下げる。
「は、初めまして」
「初めまして」
黎人は向かいの席へ腰掛けた。
その動作一つに無駄がない。
自然だ。
不思議なくらい。
それなのに。
透は落ち着かなかった。
理由は分からない。
だが。
何かがおかしい気がした。
「座りなさい」
黎人が言う。
透は再び椅子へ腰掛けた。
桐生は部屋の壁際に立っている。
腕を組んだまま。
一言も喋らない。
その様子も少し気になった。
桐生は基本的に誰に対しても遠慮しない。
だが今は違う。
まるで様子を見ているようだった。
「まず」
黎人が口を開く。
「今日の実習、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「怖かったでしょう?」
透は少し考える。
そして正直に答えた。
「かなり」
黎人は小さく笑った。
「正直で良いですね」
透は何と返せばいいか分からなかった。
部屋に静かな空気が流れる。
黎人は透を見ている。
ただ見ているだけ。
なのに。
何故か落ち着かない。
試験官に採点されているような。
そんな感覚だった。
「神代君」
「はい」
「君はどうして能力者になりたいのですか?」
突然だった。
透は目を瞬く。
「どうして?」
「ええ」
黎人は頷く。
「理由は人それぞれです」
「名誉」
「お金」
「憧れ」
「正義感」
「君はどれですか?」
透は少し考えた。
嘘をつく必要はない。
「妹です」
即答だった。
黎人の目が僅かに細くなる。
「妹さん?」
「病気なんです」
透は続ける。
「魔力循環障害で」
その瞬間だった。
黎人の表情が変わる。
本当に一瞬。
一秒もなかった。
だが透は見逃さなかった。
何かを知っている顔だった。
「そうですか」
黎人は静かに言う。
だが。
その声は少しだけ重かった。
「辛いですね」
「……はい」
透は拳を握る。
思い出す。
病室。
薬。
検査。
何もできない自分。
「だから強くなりたいんです」
気付けば口にしていた。
「能力者になって」
「偉くなって」
「妹を助けたい」
言葉にすると少し恥ずかしい。
だが。
本心だった。
黎人は黙って聞いていた。
否定しない。
笑わない。
ただ静かに。
「良い理由です」
やがてそう言った。
優しい声だった。
透は少し安心する。
だが。
次の言葉で空気が変わった。
「もし」
黎人が言う。
「君の妹を治せる方法があるとしたら?」
透は固まった。
心臓が跳ねる。
「え?」
思わず聞き返す。
今。
何と言った。
「仮定の話です」
黎人は笑う。
「そんな方法があったとして」
「君はどこまでできますか?」
透は答えられなかった。
頭が真っ白になる。
妹を治せる方法。
そんなものがあるなら。
そんなものが。
本当にあるなら。
「……何でもします」
気付けば言っていた。
迷いはなかった。
「そうですか」
黎人は頷く。
その笑顔は優しい。
だが。
何故だろう。
透は少し寒気を覚えた。
その時だった。
「天城」
桐生が初めて口を開く。
低い声。
明らかに不機嫌だった。
「それ以上はやめろ」
部屋の空気が止まる。
黎人は振り返る。
笑顔のまま。
「何故ですか?」
「生徒だ」
「分かっていますよ」
「ならやめろ」
二人の視線がぶつかる。
透は息を呑んだ。
何だこれ。
普通じゃない。
数秒後。
黎人は肩を竦めた。
「分かりました」
あっさり引いた。
だが。
透にはそう見えなかった。
引いたというより。
今回はやめた。
そんな風に見えた。
黎人が立ち上がる。
「今日はこれで終わりです」
「え?」
透は拍子抜けする。
呼ばれた理由が分からない。
だが。
黎人は扉へ向かう。
そして。
出て行く直前。
立ち止まった。
「そうだ」
振り返る。
柔らかな笑み。
だが。
その瞳だけは何故か冷たかった。
「レーガには気を付けてください」
透は目を瞬く。
「レーガ?」
「ええ」
黎人は頷く。
「彼は危険です」
「君が思っている以上に」
そう言い残し。
黎人は部屋を出て行った。
静かに。
まるで何事もなかったかのように。
扉が閉まる。
沈黙。
透はしばらく動けなかった。
「先生」
やがて口を開く。
「何だったんですか今の」
桐生は答えない。
窓の外を見ている。
そして。
珍しく疲れたような声で言った。
「神代」
「はい」
「一つだけ覚えておけ」
透は真剣な表情になる。
桐生はゆっくり振り返った。
そして。
こう言った。
「レーガより」
一拍。
「天城黎人の方が怖い」
透は言葉を失った。
冗談だと思った。
だが。
桐生は笑っていなかった。
その頃。
校舎の屋上。
夕焼けの中。
一人の男がフェンスへ腰掛けていた。
白髪。
赤い瞳。
黒いコート。
レーガだった。
彼はポケットから赤い結晶を取り出す。
そして。
面倒そうに呟いた。
「動き始めやがったか」
その視線は。
天城黎人が去っていった方向へ向いていた。




