第19話「不快」
レーガの笑みが消えた。
それはほんの些細な変化だった。
だが。
桐生は見逃さなかった。
「……レーガ?」
低い声。
レーガは答えない。
ただ崩れ落ちる災害級魔獣を見つめている。
その視線の先。
黒い肉片の奥。
何かが光っていた。
赤い。
不気味な光。
まるで心臓のように脈打っている。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
生きている。
そう思わせる光だった。
透も気付いた。
「何だあれ……」
美月も眉をひそめる。
玲司は黙ったまま見ている。
迅だけが珍しく真面目な顔になっていた。
「嫌な感じがするな」
誰も否定しなかった。
本当に。
嫌な感じだった。
見ているだけなのに。
身体の奥がざわつく。
体内の魔力が落ち着かない。
その時だった。
ドクン。
赤い光が大きく脈打つ。
瞬間。
全員の身体に衝撃が走った。
「っ!?」
透は思わず膝をつく。
息が苦しい。
頭が痛い。
体内の魔力が暴れている。
まるで無理やり引っ張られているような感覚。
「何だこれ……!」
隼人も顔を歪める。
美月は壁へ手をついている。
調査員たちも苦しそうだった。
だが。
レーガだけは違う。
無傷。
微動だにしない。
ただ赤い光を見ている。
そして。
「なるほどな」
呟いた。
どこか納得したように。
「先生!」
透が叫ぶ。
「何なんですかあれ!」
桐生は答えない。
答えられない。
その顔を見て透は理解した。
桐生も知らない。
あの人ですら。
ドクン。
再び脈動。
その瞬間だった。
地面から魔力が噴き出した。
黒い。
濁った魔力。
まるで泥のような色。
「下がれ!」
桐生が叫ぶ。
全員が後退する。
だが。
黒い魔力は止まらない。
周囲へ広がる。
道路を覆う。
建物へ這い上がる。
生き物のように。
「気持ち悪ぃな」
レーガが言った。
その声には嫌悪が混じっていた。
透は少し驚く。
今まで楽しそうだった男が。
初めて嫌そうな顔をした。
そして。
黒い魔力の中心。
赤い光の前まで歩いていく。
「レーガ!」
桐生が叫ぶ。
「触るな!」
だが。
レーガは止まらない。
「うるせぇ」
短く返す。
「知ってる」
そして。
赤い光へ手を伸ばした。
その瞬間だった。
轟音。
赤い光から無数の魔力が噴き出す。
レーガへ向かって。
まるで拒絶するように。
だが。
レーガは避けない。
むしろ。
笑った。
「やっぱりな」
右手を振る。
瞬間。
魔力の流れが変わる。
透は目を見開いた。
今まで赤い光から放出されていた魔力が。
逆流している。
まるで川の流れが反転したように。
赤い光へ戻っていく。
「何だよそれ……」
透は呟く。
理解できない。
能力の理屈が。
規模が。
全部。
そして。
レーガは赤い光を掴んだ。
その瞬間。
世界が静かになった。
風が止む。
黒い魔力が消える。
重苦しい圧力も消える。
まるで嵐が終わった後だった。
レーガは手の中を見る。
赤い結晶。
拳ほどの大きさ。
中心で何かが脈打っている。
「……チッ」
珍しく舌打ちした。
そして。
その表情が僅かに歪む。
怒り。
それに近い感情だった。
透は気付いた。
今まで。
レーガはずっと余裕だった。
魔獣も。
災害級も。
全部。
遊び半分だった。
だが。
今だけ違う。
本気で不機嫌そうだった。
「レーガ」
桐生が言う。
低い声だった。
「それは何だ」
レーガは少し黙る。
そして。
肩を竦めた。
「知らねぇ方が幸せだぞ」
冗談っぽく言う。
だが。
目は笑っていなかった。
透は背筋が寒くなる。
知らない方が幸せ。
そんな言葉を。
あのレーガが言う。
つまり。
それほど危険な何かなのだ。
その時。
レーガの視線が透へ向いた。
「透」
名前を呼ばれる。
透は反射的に身構えた。
「な、何だよ」
レーガは数秒黙る。
そして。
不思議なことを言った。
「その盾」
透は目を瞬く。
「簡単に手放すなよ」
意味が分からない。
「は?」
「忘れろ」
レーガはそれ以上説明しない。
赤い結晶をポケットへ突っ込む。
そして。
踵を返した。
「待て!」
桐生が叫ぶ。
「どこへ行く」
レーガは振り返らない。
「散歩だ」
「ふざけるな」
「ふざけてねぇよ」
面倒臭そうに言う。
そして。
少しだけ首を動かした。
透の方を見る。
赤い瞳。
そして。
いつもの笑み。
「じゃあな」
次の瞬間。
姿が消えた。
文字通り。
一瞬で。
静寂。
誰も喋らない。
透たちは立ち尽くしていた。
災害級魔獣。
特級指定犯罪者。
謎の赤い結晶。
分からないことだらけだった。
だが。
一つだけ確かなことがある。
今日。
透は世界の一端を見た。
そして。
レーガという男が。
単なる犯罪者ではないことだけは理解していた。
その頃。
遠く離れた場所。
高層ビルの一室で。
一人の男がモニターを見つめていた。
整った顔立ち。
穏やかな笑み。
魔力庁長官。
天城黎人。
彼は静かに呟く。
「やはり現れましたか」
その声には驚きはない。
まるで。
最初から分かっていたかのように。
そして画面には。
レーガが握っていた赤い結晶が映し出されていた。




