第16話「流躁者」
魔獣が動いた。
一体ではない。
二体でもない。
群れだ。
二十近い魔獣が一斉に地面を蹴る。
轟音。
アスファルトが砕ける。
コンクリート片が宙を舞う。
それだけで十分な脅威だった。
透は思わず拳を握る。
さっき一体と対峙しただけでも分かった。
強い。
間違いなく強い。
今の自分ではまともに戦えない。
そんな化け物が二十体。
普通なら絶望していた。
だが。
レーガは笑っていた。
「やっとその気になったか」
退屈そうだった顔が少しだけ変わる。
嬉しそうに。
楽しそうに。
子供がおもちゃを見つけたように。
その姿を見て透は背筋に寒気を覚えた。
何なんだ。
本当に。
何なんだこいつは。
先頭の魔獣が飛び掛かる。
巨体。
鋭い爪。
人間なら真っ二つになる一撃。
だがレーガは動かない。
避けない。
防がない。
「危な――」
透が叫びかけた瞬間だった。
魔獣の身体が止まる。
空中で。
不自然に。
まるで見えない壁へ激突したように。
「……え?」
透の声が漏れる。
誰も理解できなかった。
魔獣自身も理解できていないようだった。
空中でもがく。
暴れる。
咆哮する。
だが。
動けない。
何かに掴まれているように。
「何だあれ……」
隼人が呟く。
美月も目を見開いている。
玲司だけは黙って見ていた。
その時だった。
レーガが右手を軽く握る。
瞬間。
ドゴォッ!!
魔獣の身体が地面へ叩きつけられた。
アスファルトが陥没する。
衝撃で周囲の窓ガラスが割れた。
土煙。
悲鳴。
轟音。
しかし。
それら全てよりも。
透は別のことに意識を奪われていた。
見えない。
何をしたのか。
本当に分からない。
魔獣が立ち上がる。
いや。
立ち上がろうとした。
だが。
「うるせぇんだよ」
レーガが言う。
その瞬間。
魔獣の身体が弾け飛んだ。
血飛沫。
肉片。
黒い魔力。
全てが一瞬で消し飛ぶ。
静寂。
誰も喋れない。
透も。
隼人も。
美月も。
言葉を失っていた。
強いとか。
そういう話じゃない。
次元が違う。
すると。
「なるほど」
玲司が呟いた。
透が振り返る。
「分かったのか?」
玲司は数秒考えた後で言う。
「魔力だ」
「は?」
「魔獣の体内魔力」
透はますます分からなくなる。
だが。
桐生の目が僅かに細くなった。
どうやら正解らしい。
「触れてもいないぞ」
透が言う。
「いや」
玲司は首を横へ振る。
「触れている」
「どこを?」
「流れを」
透は完全に理解を諦めた。
何を言っているんだ。
隼人も同じ顔をしている。
美月だけが何か考え込んでいた。
その時。
さらに三体の魔獣が飛び出した。
今度は別方向。
左右と上。
完全な挟み撃ち。
だが。
レーガは笑う。
「それだよ」
楽しそうに。
本当に楽しそうに。
「そういうのを待ってた」
そして。
両手を広げた。
瞬間だった。
世界が歪む。
透はそう錯覚した。
空気が震える。
地面が揺れる。
空間そのものが軋んでいるような感覚。
そして。
三体の魔獣が同時に吹き飛んだ。
右の魔獣は壁へ。
左の魔獣は地面へ。
上から来た魔獣は空へ。
それぞれ別方向へ。
まるで巨大な手で弾き飛ばされたように。
「嘘だろ……」
透が呟く。
意味が分からない。
攻撃しているように見えない。
能力を使っているようにも見えない。
だが。
確実に何かをしている。
その時だった。
桐生が口を開く。
「流躁者」
低い声だった。
透たちが振り返る。
「先生」
美月が言う。
「知っているんですか」
桐生は頷く。
そして。
レーガを見ながら言った。
「触れた魔力の流れを操る能力」
透は目を見開く。
それが。
レーガの能力。
「流れ……」
「人間の体内魔力」
桐生が続ける。
「能力で生み出された魔力」
「空気中の魔力」
「地面に流れる魔力」
透の背中を冷たいものが流れる。
嫌な予感がした。
「待ってください」
美月が言う。
「それって」
桐生は答えた。
「ああ」
短く。
「ほぼ全部だ」
沈黙。
誰も言葉を発せなかった。
透はレーガを見る。
白髪の男。
笑っている。
魔獣の群れの真ん中で。
楽しそうに。
まるで遊んでいるかのように。
そして透は理解する。
ニュースで聞いた時。
特級指定犯罪者と聞いた時。
その意味を分かったつもりになっていた。
だが違う。
全然違う。
目の前の男は。
そんな言葉で説明できる存在じゃない。
化け物だ。
誰よりも自由で。
誰よりも危険で。
そして。
誰よりも強い。
その時。
レーガがふとこちらを見た。
透と目が合う。
赤い瞳。
そして。
レーガは笑った。
「見てろよ」
その一言だけだった。
だが。
透は何故か目を逸らせなかった。
次の瞬間。
魔獣の群れが再び咆哮する。
レーガはゆっくりと前へ出た。
まるで散歩でもするかのように。
そして。
本当の戦いが始まろうとしていた。




