第15話「分からない男」
レーガが屋上から飛び降りた。
それはあまりにも自然な動作だった。
まるで階段を一段降りるような気軽さ。
だが高さは十数メートルある。
普通の人間なら無事では済まない。
透は思わず身を乗り出した。
「おい!」
だが。
ドン。
軽い音が響いただけだった。
レーガは何事もなかったかのように着地する。
膝すら曲げていない。
そのままポケットに手を突っ込みながら魔獣の群れを見上げた。
「……は?」
透は思わず呟く。
今のは何だ。
身体強化か。
いや違う。
魔力を使った痕跡が見えなかった。
隣では美月も眉をひそめている。
「今の……」
「分からねぇ」
隼人が答える。
珍しく真面目な顔だった。
「でも普通じゃない」
それだけは全員が理解していた。
普通じゃない。
本当に。
普通じゃない。
魔獣たちが咆哮する。
耳障りな声だった。
道路が震える。
空気が揺れる。
数だけでも脅威だ。
だが。
レーガは欠伸をした。
「うるせぇな」
本当に面倒臭そうだった。
そこに恐怖はない。
緊張もない。
まるで野良犬でも見ているような態度だった。
「桐生先生」
透が言う。
「何ですかあいつ」
桐生は答えなかった。
ただレーガを見ている。
険しい表情で。
やがて。
「お前ら」
低い声が響く。
「絶対に近付くな」
透は目を瞬いた。
桐生は基本的に感情を表に出さない。
その桐生が。
ここまで強い口調で言うのは初めてだった。
「先生」
美月が口を開く。
「そんなに危険なんですか」
桐生は少しだけ黙る。
そして。
「危険だ」
即答した。
「俺が知る限り最悪の部類だ」
空気が重くなる。
透は思わずレーガを見る。
最悪。
その言葉と目の前の男が結び付かない。
どう見ても悪人には見えなかった。
むしろ。
どこか気だるげで。
自由で。
ただそこにいるだけの男に見える。
「でも」
透が言う。
「ニュースだと死者は少ないって」
その瞬間。
桐生の目が透を見た。
「だから厄介なんだ」
「え?」
「本当に悪人なら分かりやすい」
桐生は続ける。
「だがあいつは違う」
透は黙る。
桐生の声には妙な重みがあった。
「助けることもある」
「助ける?」
「ああ」
隼人が横から言った。
「聞いたことある」
全員が隼人を見る。
「三年前」
隼人が続ける。
「能力犯罪者のグループがバスジャックした事件」
透も聞いたことがあった。
ニュースで大きく報道されていた事件だ。
「犯人グループは全員重傷」
「人質は無傷」
そこで隼人は肩を竦めた。
「でも犯人をボコったのがレーガだったらしい」
「は?」
透は意味が分からなかった。
犯罪者が人を助ける?
「何だそれ」
「知らねぇよ」
隼人も苦笑する。
「だから意味分かんねぇんだ」
その話を聞いても。
やはりレーガという男が理解できなかった。
その時だった。
「おい」
声。
透は反射的に顔を上げた。
レーガだった。
いつの間にかこちらを見ている。
赤い瞳。
真っ直ぐ。
その視線は。
透に向いていた。
「え?」
透が固まる。
「神代!」
桐生が叫ぶ。
だが遅かった。
レーガは透を見たまま言った。
「お前」
透の心臓が跳ねる。
「名前何だ」
一瞬。
全員が沈黙した。
「は?」
隼人が間抜けな声を出す。
透も同じ気持ちだった。
何だそれ。
もっとこう。
あるだろう。
特級指定犯罪者なら。
「神代透です」
気付けば答えていた。
レーガは少し考える。
「透か」
そして。
ニヤリと笑った。
「覚えといてやる」
透の背筋に悪寒が走る。
嬉しくない。
全然嬉しくない。
むしろ忘れてほしい。
「何なんだよ……」
思わず呟く。
すると。
「安心しろ」
隼人が肩を叩いた。
「俺だったら泣いてる」
「安心できねぇよ」
だが。
その様子を見ていた人物がもう一人いた。
玲司だった。
無言。
腕を組んだままレーガを見ている。
その目は鋭い。
透は気付いていなかったが。
玲司はレーガを見てから一度も目を離していない。
まるで。
何かを見極めようとしているように。
その時だった。
魔獣の群れが再び動く。
咆哮。
殺気。
二十近い魔獣が一斉にレーガへ襲い掛かる。
道路が砕ける。
アスファルトが弾け飛ぶ。
常人なら立っているだけで恐怖に呑まれる光景。
だが。
レーガは笑った。
本当に楽しそうに。
「やっとかよ」
そして。
右手をゆっくり持ち上げる。
その瞬間。
空気が変わった。
透は思わず息を呑む。
本能が告げていた。
これから何かが起きる。
とんでもない何かが。
レーガは口元を吊り上げる。
「少しは楽しませろよ」
その言葉と共に。
世界が震えた。




