4.友人だと思っていました。
「これは、いったいどういうことなんだ?」
後に扉から出てきたザカリーは、警備隊により捕らえられた。
それを横目で見ながら地上に戻ると、酒場にも警備隊や騎士たちが詰めかけていて、中にいた従業員や客はほとんどが捕らえられていた。
その間を、クロアゲハは優雅に通り過ぎていく。
マーティンは、意味も分からず手を引かれていく。
そして、酒場から出てしばらくしてから、やっと言葉を発したのだ。
「見てのとおりよ?」
「見てわからないから聞いているんだ」
「……ずいぶんと、察しが悪いのね。でも、いいわ。そういうところもあなたの良いところだものね」
「はぐらかさないでくれるかな?」
いきなり賭博場に連れてきたと思ったら、そこにザカリーがいた。
ザカリー相手に騙すようにしてネックレスを手に入れて、外に出たら警備隊が待ち構えていた。
「……君が、この賭博場を教えたのか?」
「ええ。あなたのご友人の足取りを追っていたら、たまたま見つけたの。あの人、しっぽを隠すのは不得意だったみたいね。あなたのことは騙せても、アランの目はごまかせないわ。――でも、あなたが聞きたいのはそんなことではないでしょう?」
マーティンは息を呑んだ。
仮面の隙間から覗く紫の胡蝶蘭は、自分のことを逃してくれない。
さっきから必死で考えないようにしているけれど、目の当たりにした光景が、すべてを語っていた。
押し付けられた借金。それから、賭博場に出入りしているという不名誉な噂。
「それで、あなたはザカリー・ヘイズのことを、まだ友人だと思っているのかしら」
ヴァネッサの問いかけに、マーティンは頷くことも首を振ることもできなかった。
「いますぐ答える必要はないわ。まずは、そうね。本人に確かめるのが一番じゃないかしら」
◇
「マーティンじゃないか。助けに来てくれたのか」
牢屋の中で、つまらなそうに壁にもたれながらブツブツ何かを呟いていたザカリーが、マーティンの姿を見た瞬間、まるで救世主が現れたかのように笑顔を浮かべて鉄格子の前までやってきた。
マーティンは息を呑む。そうすることしかできなかった。
目の前にいる男は、いままで騙していたことを忘れたみたいに親しくしてくる。それが信じられなかった。
――いや、彼は知らないのだ。あの賭博場にマーティンがいて彼の言動を目撃したことも、塀の外でおのれの悪事が明るみになっていることも。
彼はきっと、マーティンなら自分の言葉をなんでも信じてくれると思っている。
マーティンは重い口を開く。
「ザカリー。君に聞きたいことがあって、会いに来たんだ」
「ああ、なんでも聞いてくれ。でも、まず言っておくが、俺は無実だ。俺は何もやっていない」
なんて軽い口だろうと、マーティンは思った。
ザカリーは本当に心の底からそう思っているようだった。自分は悪くないと、取り調べでもそう訴え続けているらしい。
「ザカリー。君は、どうして僕の名義で借金をしていたんだ。何か理由があるのなら教えてほしいんだ」
「あ、ああ。そうだったな。……実は、母が病気で」
すぐに嘘だとわかった。伯爵夫人は健康だ。すでに調べてあるし、伯爵家はそこまで財政難ではなかったはずだ。
「ここに来る前、伯爵夫人に会ってきた。夫人は涙ながらに謝罪していた。自分の息子が悪いことをしたと。病気には見えなかったよ」
「あー。いまのは嘘だ。本当は投資に失敗したんだ。だからお金が必要で……」
ザカリーは目を泳がせるようにして、言葉を探しているようだった。
「とにかく、どうしてもお金が必要だったんだ。おまえはいつも俺にお金を貸してくれていただろ。だから、少しぐらいなら……そう思っていたらいつの間にか借金が大きくなっていて、とても隠せなくなってさ。……でも、公爵家ってお金持ちだろ? だから、借金ぐらいならどうにでもなると思ったんだ。それなのに、まさか勘当されそうになるなんて……。いや、でも、大丈夫だろ? おまえ、あの成金――伯爵と婚約したんだからさ。それで借金はチャラになっているはずだ。だから、もう、大丈夫だろ?」
「……ザカリー。君のやったことは犯罪だ。それが、わからないわけがないだろう?」
通常の借金は信頼の上で成り立っている。貴族であれば名誉そのものだ。
そのため身分の証が必要で、他人の名前を語るなんてありえないことだ。
この国の貴族は、家の印章のついた宝石を持ち歩いている。当主であれば指輪を、その子供たちであればネックレスなどを。
ザカリーは、公爵家の印章のついた宝石を偽造して、それを身分証明に使ってお金を借りたのだろう。まともなところであれば、すぐに偽造は見破られたはずだ。
だから、ザカリーがお金を借りたところは闇金だろうと、ヴァネッサが言っていた。そして、きっと相手はザカリーの素性を掴んでいたはずだと。
「いや、俺はただ少し、おまえの力を借りようと思っただけだ。だって、おまえは優しいだろ。もう借金はないんだし、許してくれるよな?」
「どの口でものを言っているんだ。印章の偽造は犯罪だ。借金を作るだけではなく、不名誉な噂を流して公爵家の名誉を落とそうとしたこともそうだ」
ディーヴィス公爵はもうすでに動いている。
ザカリーに逃げ場はない。彼は法の下に裁かれるのを待つだけだ。
「僕は、君が反省しているものだと思っていた。でも、違うんだな」
ため息が出る。ずっと信頼していた友人の裏の顔は酷いものだった。
「そもそも君の借金は、賭博に手を出したからだ。いっときの快楽を得るために、一体どれだけのものを犠牲にしたのか、わかっているのか」
彼が失ったのはおのれの名誉だけではない。マーティンの信頼も安いものだ。
今回の事件により、ヘイズ伯爵家は社交界を追われることになるだろう。
自分だけではなく、両親も道連れにした愚行だ。
「僕はもう君の力になってあげることはできないよ」
彼がどうしてここまでの行動に走ったのか。
それはもしかしたら、マーティンが考えなしにお金を貸していたからかもしれない。
父がマーティンの行動を咎めたのは、寄付そのものではなかったのだろう。誰にでも優しくする行為を続けていると、いつか足元を見られて、いいように利用されるというのを伝えたかったのかもしれない。
「マーティン。俺を見捨てるのか?」
鉄格子の向こうで、信じられないと目を見開いたザカリーが見ている。
こぶしを握り、それを悟られないように背中に隠しながら、噛み締めた奥歯の底からマーティンは声を絞り出す。
「僕は君のことを友人だと思っていた。……君は、どうなんだ、ザカリー」
「…………」
息を呑むような間のあと、ザカリーのため息が聞こえた。
「おまえのことなんて、元から友人だなんて思ってないさ。ただ、利用しやすそうだから近づいただけで」
「……そうか。よくわかったよ」
ザカリーが言っていることは本当のことだろう。
彼はマーティンのことを友人だとは思っていなかった。
出会いさえ、計算されたものだったのかもしれない。
でも、だけど――。
「僕は、君のことを友人だと思っていた。……でも、もう会うことはないよ」
背を向けると、マーティンは部屋を出た。
鉄格子をガンと蹴りつけて文句を言う声が聞こえてきたけれど、振り向きもしなかった。
外に出ると、そこでヴァネッサが待っていた。
「それで、あなたはザカリー・ヘイズのことを、まだ友人だと思っているのかしら」
三度目になる問いだったが、今度は返答に迷わなかった。
「昔は友人だった。でも、いまは違う」
紫の胡蝶蘭は優雅に笑った。




