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成金令嬢は「お返し」します。  作者: 槙村まき


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5/5

5.成金令嬢はお返しします。


「姉さま、どうだった?」


 ヴァネッサは器用にも積まれた本の間を通り抜けると、待っていたかのように弟に問いかけられた。

 本から目を逸らすことのない問いかけに、ヴァネッサは嬉しそうに答える。


「うまくいったわ。これで、ディーヴィス公爵の期待にも応えられたかしら?」


 ずっと手に入れたいと望んでいた、彼の不名誉な噂が聞こえてきたのが一か月ほど前のことだった。

 違法賭博場に入り浸って、莫大な借金を抱えている。

 その噂を聞いたほとんどの人は、すぐ嘘だと思っただろう。

 彼ほど善行ばかりしている貴族はいない。そんな彼が賭博にのめりこむなんて信じられない。

 でも中には、彼の行いを鼻持ちならないと思っている人も少なからずいて、そういう人たちが噂をさらに広めていた。


 そんな噂がまことしやかにささやかれるなか、公爵家に彼の名義の借用書が届けられた。その金額は莫大だが返すぐらいなら公爵家にはできる。だが、周囲に隠し通すのは難しい。

 どうしたものかと悩んでいた公爵に、ヴァネッサは救いの手を差し伸べた。


 自分がその借金を肩代わりする代わりに、マーティンと婚約させてほしいと。

 公爵はヴァネッサの真意を測りかねて悩んでいるようだったが、自分の気持ちを伝えると、最後には頷いてくれた。

 ただ借金をただ返すだけだと、マーティンの噂は独り歩きして彼のことを傷つけるだろう。

 そればかりはできないと公爵は言って、ヴァネッサも頷いた。

 だからマーティンの名誉を傷つけた彼の友人を、表舞台に引きずりだす必要があった。


 そのために多くの貴族が集う夜会の席で、マーティンを公爵家から勘当するという宣言をしたのだった。

 ザカリーは予想通り油断して、また賭博通いを始めた。今回うまくいったのだからと、性懲りもなく闇金から借金をして同じことを繰り返していた。

 だから、しっぽを掴むのは容易かった。


(まさか印章の偽造までしているとは思わなかったけれど。でも、これでザカリーはもう終わりね)


 罪に罪を重ねれば、もう逃れることはできなくなる。

 ザカリーが、マーティンに罪を着せたことは明るみになり、マーティンの名誉は回復した。

 それも元から善人だったことが相まって、友人のために身代わりになろうとしていたという噂まで加わって、彼の株はさらに上がった。


「これで、私の目的は達したわ」


「……姉さまはさ、どうしてそんなにもあのカモ――じゃなくて、義兄上が欲しかったの? 俺にはどんな魅力があるのかわからないよ」


「それは、彼が――まだ弱かった私の心を救ってくれたからよ」


 ヴァネッサの言葉に、アランが眉をひそめる。

 きっと弟は、マーティンのことをあまりよく思っていない。

 ただの良い人、というものがこの世に存在しないと思っている。


 でも、ヴァネッサはマーティンの善性をよく知っている。


 両親の訃報により、ヴァネッサとアランの生活は様変わりした。

 アランはますます好きだった読書にのめりこんでしまい、ほとんど部屋から出ることがなくなった。かと思えば、部屋の中で静かに泣いているのを見つけて、ヴァネッサが慰めるということばかり続いていた。

 長子として伯爵家を継いだヴァネッサに待っていたのは、両親がなぜか抱えていた莫大な借金。とてもじゃないけれど、当時の資産では返済不可能だった。


 まだ七歳で、後継者教育も中途半端の状態で、右も左もわからない幼い子供。

 そこに救いの手を差し伸べてくれたのが、叔父夫婦だった。

 叔父夫婦は、ヴァネッサのことを気にかけていろいろお世話をしてくれた。

 アランのことも心配していたけれど、あの頃のアランはヴァネッサと一部の使用人以外部屋に入れたがらず、叔父夫婦とは一度も顔を合わせていなかった。


 叔父夫婦はいい人だ。当時のヴァネッサはそう思っていた。

 だけど日々、違和感は積み重なっていった。


 ちょっとした見下すような言葉。冷たい視線。

 あからさまに不機嫌になり、ため息を吐かれた時もある。

 食事の席で、マナーがなっていないと小一時間怒られたりもした。

 それはヴァネッサのことを思ってくれてのことだと、当時は信じていた。


 積み重なった違和感に気づいたのは、十一歳の時に開かれた、同世代の貴族の子女が集まるお茶会でのことだった。

 叔父夫婦に勧められるがまま、ヴァネッサはそのお茶会に出席したものの、誰とも会話をすることなく隅にいた。

 それも当然だった。ヴァネッサはぶかぶかでサイズの合わないドレスを着せられていた。叔父夫婦がいまの伯爵家の資金だとそれだけしか用意ができなかったと言っていたから仕方なくそのドレスを着て参加したが、明らかに周りから浮いている。

 周りの子女たちは一定の距離を保っていて、こちらをチラチラと見ながらコソコソ悪口を言っていた。


 貧乏令嬢という言葉が聞こえてきて、さらに恥ずかしくなったヴァネッサはお茶会の席からそっと逃げ出した。

 お茶会が開かれていたのは、とある公爵家の庭園だった。数多くの花々が咲き乱れる庭園には背の高い植物もあり、その陰に隠れてヴァネッサは泣いていた。


 そこに、彼が現れたのだ。

 

『どうして泣いているの?』


 太陽の光を遮るように立つ彼は、優しい笑みを浮かべていた。

 柔らかい焦げ茶色の髪に、聡明な緑色の瞳。

 その温かい笑みに惹かれるように、ヴァネッサの口からはずっと耐えていた言葉が洩れ出てしまった。


『みんなが私の悪口ばかり言うの。貧乏人とか、ドレスがダサいとか。本当はこのお茶会に参加したくなかったけど、叔母さんに参加しなくちゃいけないと言われて。叔母さんは伯爵家のお金を使ってたくさんドレスを買っているのに、私にはいつも古着とか流行おくれのドレスばかりで……。叔父さんも、いつも食事の席で私のマナーについて文句を言うの。お金がなくてマナー教師を雇えないから、仕方がないって……。でも、目に入るのも嫌だというようにため息ばかりつかれて』


 言葉にすると、ポロポロと涙がさらに流れていく。

 それを袖で拭いながら、ヴァネッサの語る言葉に、少年は眉を垂らした。


『まずは、謝るよ。ごめんね。公爵家の主催するお茶会で、君を悲しませてしまった。これはあってはならないことだ。僕がちゃんとみんなの様子を確認できていなかったのも原因だ。後でみんなに注意して、謝ってもらうよ』


『……あなた、公爵家の人だったの? ごめんなさい』


『君が謝る必要はないよ。すべてはちゃんと管理できなかった公爵家の責任だ』


 少年は、ヴァネッサに向かって頭を下げた。

 再び上げた顔には、まるで自分のことのように、悲しむような痛むような表情を浮かべていた。


『君はこんなに綺麗なのに、どうしてみんなは悪口を言うんだろう』


『それは、私の両親が借金をしていてとても貧乏だからよ』


 ヴァネッサの食事は叔父夫婦に比べるととても質素なものだった。

 でも、両親の抱えていた借金を返してくれている叔父夫婦に、ヴァネッサが口答えできるわけがない。叔父がまるで自らが伯爵のように振舞っていたとしても、ヴァネッサに言えることはない。


『たとえお金に困っていたとしても、そういう人を悪く言うことはおかしいことだ。人に優しくするのが当たり前なのに』


 それは綺麗ごとだと思ったが、少年は真剣な目をしてそう言った。

 その緑色の瞳はまっすぐで、その瞳にヴァネッサの荒んだ気持ちも徐々に落ち着いた。


『それに、君の叔父夫婦のことだけど……』


 少年はどこか言いにくそうに口にする。


『君は、叔父夫婦から虐められているのかい?』


『え? それは違うわ。叔父さんたちはいつも私のことを思ってくれて……。たまに厳しいことは言うけれど』


『……先程の話だと、僕にはそうは思えないよ。本当に君のことを思っているなら、サイズの合わないドレスを姪に着せて社交の場に出したりしないはずだ』


 ヴァネッサは衝撃を受けていた。彼の言葉だけではなく、数年間積み重なっていた違和感に、やっと気づいたからだ。


(――そう。そうなのね。叔父さんたちは、私のことを本当の家族のように大切にしてくれると言っていたけれど……。でも、それならこれまでの状況はおかしいわ)


 もうすっかり涙は引いていた。

 少年はそんなヴァネッサの姿を見て、パチパチと瞬きをした。


『ありがとうございます、公子様。あなたのおかげで、決心することができましたわ』


 もうさっきまでのようにうじうじしている自分ではない。

 本当の優しさを知ったいま、ヴァネッサの心のうちに湧き起こっているのは、叔父夫婦に対する疑念だけだった。


『君が笑顔になってくれたのなら、よかったよ』


 少年はそう言って陽だまりのような笑顔を浮かべた。

 それが、ずっとヴァネッサの胸に残っている。


 お茶会から帰ると、ヴァネッサは弟のアランに叔父夫婦について相談した。

 アランは、やっと気づいたんだねとつぶやいたが、ヴァネッサに協力をしてくれた。

 それからのヴァネッサの行動は早かった。


 十二歳になると、叔父夫婦が伯爵家の資産を横領していた証拠をつかみ、まずは二人を伯爵家から追い出した。

 当時はまだヴァネッサが十二歳だということもあり、そうすることしかできなかったのが悔やまれるが、叔父夫婦の弱みはまだいくらでも握っていることもあり今後何かあちらから近寄ってきても対処することはできるだろう。


 それからヴァネッサはアランと力を合わせながら、資産を増やす方法を模索した。

 引きこもって読書してばかりのアランの知識は思ったよりも豊富で、数々のことに役に立った。アランは自分の存在を知られるのを嫌がりほとんど表に出てこないため、表立って行動するのはヴァネッサの役目だった。


 手を出した事業や投資などは成功を収めて、いまでは成金令嬢とまで言われるほどだ。

 貴族が自ら進んでお金を稼ぐ行為は、清淑なる貴族のなかでは疎まれる行為だが、ヴァネッサは気にしなかった。

 お金は必要なものだ。両親の借金はもう返済を終えて、あとは必要な時のために備えておくのみ。



 最近の社交界では、錯乱した成金令嬢が公爵子息を買ったとか囁かれているが、それはヴァネッサの行動によるものだ。悔いはない。

 だって、ずっと望んでいた人が、自分のそばにいるのだから。


「アラン。これはね、私にとっては恩返し(・・・)なの。あの時、私に寄り添ってくれた彼を――マーティンを、今度は私が救うのよ」


 やられた悪事はやり返すが、救われた恩はお返しする。

 その価値が、マーティン・ディーヴィスにはある。


「だって、彼は私の――初恋(・・)だもの」


 ヴァネッサの言葉を聞いたアランが、あきらめたように笑った。


「姉さまが幸せそうなら、俺はそれでいいよ」


「あら私、いま幸せそうなの?」


「義兄上が家に来てから、ずっと幸せそうな顔をしているよ。そんな顔を見たのは、俺も初めてだ」


 本から目を逸らしたアランの言葉に、ヴァネッサは自分の顔を確かめるようにして触る。

 確かに目と口は笑っている。


(そう、私は幸せなのね。それなら、これもお返ししなくっちゃ)


 マーティンを、この世の誰よりも幸せな人にしようと、心に誓うヴァネッサだった。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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