表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英語ペラペラのふりをしていたら、英語ペラペラの彼女に惚れられた件  作者: 螺旋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/17

第3話「英語圏式コーチング、と呼ばれた件について」

宮本さくらという人間は、悪意がないぶん質が悪い。


 桐嶋一哉はそれを、木曜日の午後に学んだ。


 会議室に向かう廊下で、さくらが一哉に言った。


「桐嶋くん、今日の先方って英語オンリーだから。よろしくね」


「あの、宮本さん。俺は補佐的な立場で——」


「うんうん、頼りにしてるよ」


 聞いていなかった。


---


 ハリスン映像という名の、ロサンゼルス系の会社だった。担当者は四十代の男性で、「Hi, how's it going?」と軽い調子で挨拶してきた。


 一哉の脳内翻訳が走る。「やあ、調子はどう?」——これはわかった。問題はこの後だ。


「Good, thank you」


 一哉は言えた。これは言えた。TOEIC430点でも言える。


 問題は次の三十分間だった。


 担当者のマイク・ブラウンは早口で、しかも時折スラングを混ぜる。一哉の聴解率は入社初週の外国人会議を下回った。体感四割。つまり六割は宇宙語だった。


 一哉はこの状況への対処法をすでに確立しつつあった。


 ①黙る ②翠を見る ③翠がメモしたことをさりげなく確認する ④それっぽく相槌を打つ


 今日は翠がいない。一哉は内心で「詰んだ」と思った。


 しかし三秒後には「まあ黙ってればなんとかなるかも」とも思っていた。これが桐嶋一哉のバグである。


 一哉は黙った。


 うなずいた。


 「そうですね」と英語で言った("That's right" は言えた)。


 また黙った。


 マイクが何か質問してきた。内容は四割しかわからなかったが、「どう思う?」という顔をしていたので、「It's interesting point」と言った。どこかで見た表現だ。意味はあっているはずだ。たぶん。


 マイクがにっこりした。「Exactly!」と言った。


 さくらが一哉を見て小さくうなずいた。


 一哉は「なぜうまくいっているのか全くわからない」と思いながら、会議が終わるまでその作業を繰り返した。


---


 会議室を出た後、さくらが言った。


「桐嶋くん、すごいね」


「……いえ」


「あの間の使い方、絶妙だった。しゃべらないことで相手に考えさせてたじゃない。英語圏の人ってああいうコーチング的なアプローチ好きだもんね」


 一哉は三秒間、さくらの顔を見た。


(俺がやっていたのは英語力ではなく生存本能です)


「……そういう意図では」


「あ、あえて言わないタイプか。かっこいい」


 さくらはそう言って、お菓子の袋を持ったまま颯爽と歩いていった。


 一哉は壁に手をついた。何かが着実に変な方向に進んでいた。


---


 そしてその翌日、問題が起きた。


 後輩の田中くん(新卒・入社一週間目・一哉よりさらにフレッシュ)が一哉の席に来た。


「桐嶋さん、ちょっとよろしいですか」


「どうぞ」


「英語の……間の使い方って、どう練習するんですか? 宮本さんから聞いたんですが、桐嶋さんって英語圏式のコーチング手法を使ってるって」


 一哉は返答に四秒かかった。


「……誰から聞いたって?」


「宮本さんです。なんかすごいって社内で」


(さくらさんが昨日の今日でもう広めた)


 一哉は口を開いた。否定しなければならない。これは否定するべきだ。「俺はただ黙っていただけです」と言えば済む話だ。


「桐嶋さん?」


「……間というのは」


 なぜか説明し始めていた。


 一哉は自分でも驚いた。しかし田中くんがメモ帳を開いて「はい」と言う顔をしていたので、止まれなかった。


「相手の言葉を、受け取ったと示すための時間なんです。反射的に返すより、少し置いたほうが……重みが出る」


 これは本当のことだ。どこかの本で読んだ。英語に限らず当てはまる話だ。一哉は嘘はついていない。


 田中くんが「なるほど!」と言ってメモした。


 一哉は「俺がやっていたのは絶望による沈黙ですが、それが偶然コーチングと同じ形をしていたというだけです」とは言えなかった。


 ステップ4に突入した、と一哉は思った。もちろんそんな言葉は知らない。でも「周囲がなんか勝手に話を大きくし始めた」という感覚は、はっきりあった。


---


 夕方、翠が席に戻ってきたとき、一哉はまだぼんやりしていた。


「今日の会議、お疲れ様でした」


 翠が言った。声が近かった。一哉の隣に立っていた。


「さくらさんから聞きました。うまくいったって」


「……まあ、なんとか」


「一哉くんって、英語のとき顔が変わりますよね」


 一哉が翠を見た。


「変わる?」


「なんか……集中してる顔、というか。真剣な顔」


 翠がそう言って、少し首を傾けた。


「格好いいなって思って」


 一哉の心臓が一回、余計に動いた。


(格好いい)


(俺が真剣な顔をしているのは、英語が聞き取れなくて半泣きになっているからです)


 でも、そんなことは言えなかった。翠が「格好いい」と言ったのは、一哉が英語を必死に聞こうとしている顔に対して、であって——


 一哉は「……ありがとうございます」と言った。


 言ってから、「なんでお礼を言っているんだ」と思った。


 翠は「おつかれさまでした」と言って自分の席に戻った。背中が見えた。


 一哉は画面を見ながら、「格好いい」という言葉の残像を消そうとした。


 消えなかった。


 (考えるな、と言い聞かせたが、考えることをやめられなかった。それは今週で二度目だった)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ