表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英語ペラペラのふりをしていたら、英語ペラペラの彼女に惚れられた件  作者: 螺旋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/17

第11話「任せます、と言ったら信じてくれたと思われた」

プレゼンの前日、一哉はメモ帳を三ページ使った。


 翠が英語で話す部分のアウトラインを確認して、予想される質問を書き出して、それに対して翠なら何と答えるかを想像して書いた。自分が答えるためではない。翠が答えた後に「そうですね」と言えるかどうかを確認するためだった。


 我ながら、すごい準備だと思った。英語力ゼロの人間が、英語プレゼンの準備に三ページを使っている。


(俺の努力の方向性は、一体いつから)


 考えるのをやめた。明日の本番に集中した。


---


 プレゼン当日。


 相手は国内の映像系企業だったが、担当者の一人が外国籍だった。さくらから事前に「一人だけネイティブの人がいるから」と聞いていたが、一哉は「翠さんが対応してくれる」という前提で臨んでいた。


 前半は順調だった。翠が英語で説明し、一哉が日本語のスライドを補足する。完璧な分業だった。傍から見れば、バイリンガルの凄腕ペアだった。実態は片方がTOEIC未満なだけだった。


 問題は後半に起きた。


 担当者の外国籍の方が、英語で質問してきた。内容はプレゼン資料の細部についてだった。一哉には七割しか聞き取れなかった。残り三割が核心だった。


 翠が一哉を見た。「どう対応しますか」という目だった。


 一哉は一秒考えた。


(翻訳ツール:会議室なので開けない。俺の英語力:三割を聞き取れていない。翠さんの英語力:完璧。答えは一つだ)


「翠さんに任せます」


 一哉は、そう言った。


 部屋が一瞬、静かになった。


 翠が一哉を見た。一秒だけ見た。それから担当者に向き直って、英語で答え始めた。


 流暢だった。正確だった。担当者が「That makes sense」と言ってうなずいた。翠が補足を加えた。担当者がまたうなずいた。


 プレゼンが終わった。


---


 会議室を出た後、廊下でさくらが一哉の横に来た。


「……あー」


 それだけ言った。


「なんですか」


「いや」


 さくらはそれ以上何も言わなかった。「あー」の中にすべてが入っていた。


 翠が一哉のところに来た。


「一哉くん」


「はい」


「……ありがとうございました」


「俺は何も」


「信じてくれたから、答えられました」


 翠がそう言った。まっすぐな顔で。


 一哉は「信じたんじゃなくて」と言いかけた。


 信じたんじゃなくて、俺には無理だったんです。翠さんなら答えられると思ったんじゃなくて、俺が答えられないから翠さんに振っただけです。あれは決断ではなく撤退です。


 そのどれも、言えなかった。


 翠の「ありがとうございました」の顔が、本当に嬉しそうだったから。


「……翠さんが答えられたのは、翠さんの実力です」


「一哉くんが、ちゃんと私を信頼してくれてるって、伝わりました」


 一哉は翠を見た。翠は本当にそう思っている顔をしていた。


(伝わったのは嘘の信頼です)


(でも)


 でも翠の英語は本当に完璧だった。翠が質問に答えられたのは、翠の実力だった。俺が「任せます」と言ったのは撤退だったが、翠が答えられたのは事実で、それは俺の嘘とは関係ない。


 一哉はそこで少し止まった。


(翠さんの力を、俺は正しく知っている)


(それは嘘じゃない)


「……翠さんはすごいです」


 一哉は言った。


「え」


「英語、本当にすごいと思います。今日のあの質問、難しかったと思うので」


 翠が少し驚いた顔をした。それから、ゆっくり笑った。


「……ありがとうございます」


 今度は翠の「ありがとう」が、最初と違う温度だった。


 廊下の端で、さくらがもう一度「あー……」と言った。今度は少し音量が上がっていた。


---


 帰り道、翠と二人で歩いた。


 今日のプレゼンの話をしながら歩いていたが、会社を出てしばらくすると、会話が自然に止まった。


 黙って歩いた。信号を渡った。また黙って歩いた。


 それが不思議と、居心地が悪くなかった。


「一哉くん」


「はい」


「最近、なんか変わりましたよね」


 一哉は翠を見た。


「変わった?」


「うまく言えないんですけど……なんか、真剣な感じ、というか。前から真剣でしたけど、それと少し違う感じ」


 一哉は前を向いた。


 変わった、か。


 変わったのかもしれない。「考えないことにする」をしなくなった。TOEIC二十五問解くようになった。翠のメモを整理するだけじゃなくて、自分で調べるようになった。それが「変わった感じ」として翠に見えているなら——


「……何かが変わったのかもしれないです」


「何が変わったんですか」


 一哉は少し考えた。


「……やりたいことが、少し増えた気がします」


「仕事で?」


「……仕事で、も」


 翠がそれを聞いて、「そうですか」と言った。


 それ以上聞かなかった。でも横を歩く翠が、少しだけ嬉しそうな顔をしているのが、一哉には見えた。


 改札でいつも通り「おやすみなさい」と言って、別れた。


 電車の中で一哉は、「やりたいことが増えた」という自分の言葉を反芻した。


 仕事で、も。


 「も」以外に何があるのかは、翠には言わなかった。でも言えなかったわけじゃなかった。今日は、少しだけ、言えそうな気がした。


 まだ言わなかったけれど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ