揺れないはずの境界
境界は、はっきりしている方が楽だ。
こっちと、あっち。
選ぶ側と、選ばない側。
曖昧なままより、よほど扱いやすい。
だからこそ。
(揺れると、面倒)
リリアは、提出された課題の束をめくりながら思った。
今回の内容は単純だった。
候補者同士で二人一組を組み、
仮想の案件に対して共同で結論を出す。
ただし。
組み合わせは、事前に指定されていた。
そして、その組み合わせが問題だった。
「……随分、露骨ですね」
イーサが、静かに言う。
「ええ」
リリアも頷く。
選ぶ側と、選ばない側。
意図的に、混ぜられている。
境界を、崩すための配置。
(上が、動かしてきた)
このまま分断が固定されるのを、
よしとしなかったのだろう。
講義室。
いつもと同じようで、
少しだけ空気が違う。
名前が呼ばれていく。
「第八候補、セレナ」
「……」
「第十三候補、リリア」
ざわり、と空気が揺れた。
(まあ、そうなるよね)
予想はしていた。
視線が集まる。
セレナは、わずかに眉を動かしただけだった。
「よろしくお願いします」
先に言ったのは、彼女の方。
「こちらこそ」
短く返す。
それ以上の言葉は、なかった。
与えられた課題は、
地方の紛争処理。
利害が複雑に絡む、
典型的な“正解のない問題”。
席に着く。
向かい合う形。
少しの沈黙。
「どう進めますか」
セレナが、先に口を開いた。
「任せます」
「……そう来ますか」
困ったように、ほんの少しだけ笑う。
「補佐官としての意見は?」
「今回は、ただの候補者です」
「そういう建前ですね」
「ええ」
それでいい。
それ以上は、踏み込まない。
セレナは、少し考えたあと、資料を広げた。
「では、前提を整理しましょう」
「はい」
静かな作業が始まる。
争いはない。
対立もない。
ただ、淡々と進む。
それでも。
(違う)
感じる。
微妙なズレ。
視点。
優先順位。
言葉の選び方。
「この場合、早期に決断すべきです」
セレナが言う。
「時間をかけると、被害が拡大します」
「そうですね」
リリアは、頷く。
「ただ」
「ただ?」
「その決断を、誰が負うかで変わります」
セレナが、少しだけ目を細める。
「責任の所在、ですか」
「はい」
「王妃なら、負うべきでしょう」
「ええ」
肯定する。
「でも、今回はまだ候補者です」
「……」
「責任を負えない立場での決断は、
あとで歪みます」
沈黙。
否定は、されない。
けれど。
「それでも、決めなければならない場面はあります」
「ありますね」
「なら、決めます」
はっきりとした声。
迷いがない。
(これが、“選ぶ側”)
リリアは、少しだけ目を伏せた。
「分かりました」
それ以上は、言わない。
最終的な結論は、
セレナの案をベースにまとめられた。
大きな衝突はなかった。
だが。
(噛み合ってはいない)
提出。
評価。
結果は、良好。
むしろ、高評価だった。
「安定していますね」
老女官が、そう評した。
それで、終わり。
講義が終わり、人が散る。
廊下で、セレナが足を止めた。
「……やりにくいですね」
「そうですね」
「否定しないのに、従わない」
少しだけ、苦笑する。
「それが、あなたのやり方ですか」
「かもしれません」
曖昧に答える。
「境界は、必要です」
セレナは、静かに言った。
「曖昧なままだと、崩れます」
「ええ」
「あなたは、それを保とうとしている」
「そうですね」
「でも」
彼女は、まっすぐ見る。
「いずれ、どちらかに寄ることになります」
その言葉は、穏やかだった。
脅しではない。
ただの事実。
リリアは、少しだけ考えてから答えた。
「そのとき考えます」
「遅いと思いますよ」
「でしょうね」
それでも、今は。
まだ、決めない。
セレナは、何も言わずに去っていった。
残された廊下。
静か。
分断は、まだ残っている。
けれど。
完全ではない。
少しだけ、混ざった。
そして、それが。
(いちばん、厄介)
はっきり分かれていた方が、楽だった。
揺れないはずの境界が、
わずかに動き始めている。




