46 Some two people
食事時はもちろん用を足している間ですら攻撃を加えようとする少年の前で寝ようものなら、すかさず脚か拳が飛んでくる。
そんなことは百も承知でウルザは眠っていた。
前後不覚になっていた少年が起きるとすぐそこで大胆不敵な寝様を見せつけているウルザがいるという寸法だ。
いぶかしむのもそこそこに、喉笛目掛けて鋭い爪を突く。
それより早く、ウルザの足の裏が少年の眉間に炸裂する。
予想外の一撃で少年はのけぞるように倒れこみ、壁材の丸太を折って止まる。
例によって、特殊な衝撃を浸透させる類いの神憑りを通り越して胡散臭いの域に達した蹴りだ。
身をもって経験しても寝たままそれをやるとは信じられず、狸寝入りを疑って恐る恐る這い上がる。
ベッドに五体を投げ出したウルザは熟睡している。
そう見えるだけでなく、事実、規則的な寝息をしているウルザは今まさに快眠の最中にあった。
これほどの余裕を見せつけられたのは初めてだった。
付け入る隙が無いということもあしらわれている内に学んだ。
こちらの攻撃は一切命中しないで、防ぐことも不可能な盾と矛。
単純に次元が違う。
初めから傷つくようなプライドは持ち合わせていない少年は、純粋に歴然とした差を認めた。
だがそれがどうした。
少年はそう思った。
何百何千と殺し合う中で、自分より力で勝る者も素早い者も打たれ強く何度も甦る者もいた。
それらより少年が勝っていたと断言出来ることは一つ。
絶対に倒すという執念。
倒されても倒されても食い下がり、死の縁に立たされても己を省みず踏み出す固い意思。
各分野の怪物を絞り出し煮詰めた一粒の結晶が、闘争を捨てる筈も無かった。
次の日の勝利のためなら今を捨てるのに躊躇いはない。
首を洗って待っていろ。
「ギギギアイイ……」
硬い声帯からそんな感情の呻き声を漏らし、寝室から出て薪がはぜる暖炉の前に丸まった。
翌朝、寝起きのウルザにすかさず飛び付いたが寸分の狂いもない掌底の一発を顎先に食らって昏倒した。
「狩りでも行くか」
よく食べる新入りが増えて備蓄の食肉が心もとなくなっていたのだった。
一日の予定を考えながらタオルを首に掛けて外にある井戸に行く。
屋内ならまだしも、氷点下を大きく下回る外界に下着姿で靴も履かず新雪を踏む。
真っ白な欠伸を垂れ流し、タオルを置くと木の蓋を外して桶を投げ入れる。
井戸は凍っておらず、組み上げた水を頭から被る。
全身の傷痕を冷やす水の心地よい感触に混ざる足音がひとつ。
豪快に雪を蹴散らして鳴らしている。
「てめぇなぁ……」
呆れるように呟き、機を伺って飛び上がった少年の鼻っ柱に後ろ蹴りを叩き込む。
「頑丈にも程があんだろ」
ウルザにしてみればこれだけ派手に足音を立てていたら、どこから来るか、どれだけ加速しているか、どの高さにいるのか、予測は容易い。
ここまですぐに行動可能になるとは思わなかったが、技術的には素人もいいとこだ。
今度はどうにかして耐えたのか、蹴り脚を掴もうとしてきたので、足の指で少年の荒れた髪を器用に掴み、傍に伸びた木の幹に叩きつける。
「水が飲みたきゃ自分で汲め」
それでもまだ少年が動きを止めなかったが、短期間でこれ以上脳に衝撃を与えると殺してしまう恐れが有ったので、水分が凍り始めた髪や体を拭きながら家に戻った。
残された少年はしばらくして起き上がると見よう見まねで釣瓶を落として水を汲み、喉の乾きを癒した。
一方、ウルザは干し肉と酒の朝食を胃に流し込み、タバコに火を着けて服に袖を通す。
傷んだ黒髪を襟から出し、ブーツを履いていつものスタイルに落ち着く。
本棚に当たり前のように並んだ弓と矢筒を背負ってナイフを腰に収め、ポーチを巻いて白の外套を纏う。
仕事の時のように張り詰めた雰囲気ではなく、ラフな姿だ。
「着いて来んのも待ってんのも好きにしな」
井戸で不思議そうに水を汲んでは戻している少年に一声掛けて森へ入って行く。
少年は雪が乗った枝に遮られてすぐに消えるウルザを見送ってしばらくは桶を手元で回していた。
小枝の揺れも収まったのを見計らって、深雪の足跡と煙草の残り香を追って森に入った。
ひとまず少年の事は忘れて森林を歩いて求める獲物の残す痕跡を見つけることに専念する。
獲れれば何でも構わないが、自分と少年の食べる量を考えると食べ応えのある猪かトナカイが望ましい。
熊が居れば文句なしだが、生憎と近辺の魔物や猛獣は食い尽くした。
縄張りを移した獣に期待をしても無駄だ。
どれだけ探せどさっぱり見つからず、山を二つ越えた先の森の切れ目でようやく足跡と出会う。
かなり大きい。
一メートル近い深さの雪に足跡というより掻き分けて出来たような派手な形跡がまださほど崩れていないままで。
トナカイに類する大型の動物が近くにいるということだ。
歩いた距離に見あった獲物だ。
「はぐれものか」
足跡は一頭分。
狩りにはもってこいだ。
肩から弓を下ろして矢を添える。
そこからまた歩き、足跡を追ってせり出した岩場から滴り落ちた雪解け水の小川で立ち止まった獲物をみつけた。
「エルクか」
水を飲んでいたのは目算で五百キロ前後の雄のエルク。
手のひらのように角が伸びた立派な個体だ。
体重を生かした猛烈な突進を食らえば大の男でも簡単に死ぬ。
十分な獲物に感謝して木陰に膝立ちで潜み矢をつがえる。
風下だったことも手伝ってこちらに気が付く様子はない。
並みの男が四人で弦を張る弓をしならせ、集中する。
急所に当たらなければ一矢で仕留めるのは難しい。
弓がなくとも狩れない事はないが、今はそこまでする気がない。
呑気にエルクと相撲をとっているのをあの少年が見逃すとは思えない。
混乱した揉み合いで起こる不確定な事象は時に実力差を覆してしまう。
最善は手早く獲物を狩ってしまうこと。
よく狙い矢の軌道がエルクの前肢の奥にある心臓を貫くまでイメージが固まるのを待つ。
もう一人、その一瞬の時をやはり狙っていた。
「がああああああああ!!」
唸りを上げて風下の藪から少年が飛び出す。
狙いはもちろんウルザ。
警戒していなかった訳ではないが、ここまで予想通りに仕掛けるほど節操なしだとは思わなかった。
「バレバレだボケナス!」
こうなってはエルクどころではなく、弓を放り出して鼻っ柱に後ろ蹴りを見舞うが、少年は前傾の姿勢でそのまま倒れ込んで外套の裾をガッチリと掴んだ。
ぐいぐいと外套をよじ登ろうとする少年の石頭を何発か殴るが、絞め殺されないように首に寄せ付けないだけで精一杯だ。
体勢が悪く外套を破らないよう振り払うのも厳しい。
「離せって、肉が逃げちまうだろ!」
その気なら問答無用で弾き飛ばせるが、既に軋んでいる外套を台無しにしたくない。
バタバタと揉めているのだから、当然獲物にも察知されてしまった。
静かに水を飲んでいた所に騒がしい人間が現れたことに気を悪くしたか、エルクは猛然とこちらに突進し始めた。
「うげっ」
流石のウルザも馬より重い体に鋭利な角を備えたエルクの突進を食らいたくはない。
となると肉が向こうから来た好機を生かすのに必要な僅かな時間をまずは作らねばならない。
ブーツの鉄板入りの爪先で少年の喉を小突き、反射で硬直した隙に外套を脱ぎ捨てて頭に被せ視界を奪う。
柔らかに絶妙な具合で円を描くように、しかも外套の隠された二の腕を蹴り込んで寝転がした。
これで三秒は稼いだ。
それだけで事足りる。
うっすらと足跡を残して疾風の如く雪の上を駆け、エルクに正面から立ち向かう。
絶望的な体重差を鑑みれば愚かでしかないが、ウルザにはそれを覆すだけのパワーとテクニックがあった。
それは一瞬の攻防。
雪を踏み締めて硬い地面に脚力の反作用を預ける。
突き上げる角を手刀で根本からへし折り、空いた首筋を担ぐようにして全体重を乗せたエルクの突撃を受け止める。
雪に轍を刻みながら滑って後退する間に、右の貫手が筋肉に覆われた胸郭をぶち破り、熱く脈打つ心臓を確実に握り潰した。
それでも野生の生命力で数秒は暴れたエルクだったが、直に目から光が消えて倒れ伏す。
ボサボサの髪に絡まった外套から脱した少年が目にしたのは握り潰した心臓を引っこ抜いて投げ捨てたウルザだった。
「ったく、今日は全部洗いだな……」
往生際にもがいたエルクの胸からの返り血で汚れてしまった下半身を見てぼやいて手から滴る血を振って飛ばす。
少年が狙える間隙は消え失せていた。
煙で獲物に気取られることもなくなって、半日ぶりに煙草に火を灯してエルクの足を掴む。
心臓を潰して雑に殺してしまった獲物は早急に血抜きをしないと臭みが出る。
水場でさっさと解体してしまった方がいい。
ウルザがエルクの後ろ足を持って小川へ引き摺るのをじっと見ていた少年を手招きして呼ぶ。
「捌き方教えてやっから、外套持ってこっち来い」
言葉の理解はさておき、手招きに従って後に続いた。
エルクの巨体には狭い川に半分ほど浸し、肛門からナイフを入れる。
それから手早く獲物を食肉に切り刻み、不要な部位を辺りに埋める。
出来上がったのは脚などの食える肉の多い部分。
ウルザが少年にニヤリと笑う。
「お楽しみタイムだぜ」
乾いた薪と枯れ葉をどうにか集めて作った焚き火に洗った薄い岩を渡す。
しばらくして熱くなった頃合いに、切り分けておいた肝臓などの日持ちがしない物を乗せる。
味付けにはポーチから出した岩塩をナイフで削って振り、脂が焼ける匂いを吸ってご機嫌に下手くそな鼻唄を口ずさむ。
道中拾っておいた肉に合う山菜を併せて炒めて香りも付ける。
昨日も旨い肉の大盤振る舞いだったが今日のも一味違ったシンプルな旨みが滲んでいる。
隣で大人しく見ていた少年も本能で誘惑されていた。
肉切って火の通りも調べ概ね良さそう加減だったので、適当な枝をナイフで削ってスプーンにして少年に渡す。
しかしスプーンの使い方など知る由もない少年はスプーンを脇に投げ、素手でレバーを取った。
「ウッ!」
思いの外熱かったのか、岩のフライパンにレバーを投げ返した。
「なにやってんだてめえ」
「…………」
よくも罠に嵌めたなという感情が少年の視線に載る。
「なんだその眼。スプーン渡しただろ……」
呆れて茂みに混ざったスプーンを探す。
雪に刺さっていたそれを使ってレバーを掬う。
「こうやるんだよ」
芳醇な脂がはぜる塊を口に運ぶ。
「ん~うめえ~」
肉の旨味と熱に、たまらずポーチからスキットルを出してぐいっと煽る。
「分かったら食え」
少年にスプーンを返し肉を追加で焼いて塩を振る。
熱さに懲りたか、少年は警戒して岩の上で焼ける音を鳴らす肉を不器用に掬って食べる。
もう一口食べる。
旨い不味いの基準が無かった少年の食欲を刺激するのにも十分な旨味の洪水。
肉を運ぶ手は加速する。
「よしよし、もっと食え」
食い付きのいい少年を上機嫌でウルザも負けじと食べ始める。
結局、五キロはあったレバーだけでは足らずに解体したばかりの肉にまで手を付けてしまった。
切り分けた肉塊を少年にも担がせ、投げ捨てて襲おうとしたのを殴って黙らせるのを二度繰り返したあたりで家に着いた頃には日も傾いていたのだった。




