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夜鷹の夢  作者: 首藤環
二章
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45 In the first place

 少年が次に目覚めたのは本能的に食欲が刺激される匂いによってだった。

 椅子の上で太い縄で簀巻きにされ、無理矢理食卓に座らされていた。

 目の前にはスパイスを効かせて大雑把に焼いた肉塊と野菜が適当に煮られたスープの皿が並んだテーブル。

 対面にはウルザが座って煙草をふかしていた。

 食事よりウルザの殺害を優先して暴れようとするも縄が切れる様子はない。

 ワイヤーさえ引きちぎった少年を抑えられるほどに強靭な縄は多少軋むだけでほどけそうにもなく、喉元まで巻き付けられては噛めももしない。


 桁違いの膂力を承知しているウルザが用意したこのロープは、エメリア国内の〝塔〟から発見した繊維で、ハザウェイが武器としていることからも強度は折り紙つきだ。

 編み上げて直径一センチもあると、流石に軽々とは切れない。

 素材が希少で量産は望めず持ち歩くにもこの太さにすると重さが欠点となる以外は拘束具として完璧である。


 ひとしきり身をよじっても外せない拘束とわかった少年は唸って敵意を示し、ウルザは赤々と燃える暖炉に煙草を投げ捨てる。

 普段は粗野で乱暴なウルザが存外に上品にナイフとフォークを使って肉を切り分け、取り皿に盛る。

 皿は少年がなんとか口を付けられる場所に置かれた。

 空腹に響く温かい匂いを嗅いで少年は混乱した。

 いつもは人工的で鼻に残る匂いの何かばかりを口にして、こうやって旨そうな物が目の前に有ったのは、何かを叩き潰すか引き裂くかした時だけ。

 なぜ今はそれがここにあるのか。

 わからない。

 食事はやることをしてから与えられていたが、もしかして今日はそういう(・・・・)日なのか。

 なら、いつものように力を出して暴れて壊そう。

 これまでもそうだった。

 壊す何かが熱くても、冷たくても、硬くても、素早くても、力が強くても、痛くても、なんとかしてきた。

 だから、たまたま今日もそうやって食べる日なのだろう。

 多分これからもそうしていくのだから。

 心の平衡を保つために、少年は判断を凍らせた。

 ウルザを壊してからこの焼かれた肉を食べようと。

 

「クウウゥゥゥアァァァ!!!」


 吠えて縄に戒められる体に活を入れる。

 軋むのは体だけではなくなった。

 縄を構成する繊維が悲鳴を上げ肌に食い込んで血が滴り始めても少年はますます力む。

 同じ太さの鋼鉄をはるかに上回る引っ張り強度を持つ特殊なロープが裂かれ始めたの見て、ウルザはテーブルごと料理を部屋の隅に移動させてもう一波乱に備える。


 龍種すら繋ぎ止める繊維をまさか生身で力任せに破る者がこの世にいるとは製作者も予想だにしていなかっただろう。


 まさに魔物を凝縮した力の化身。

 全方向に振り撒かれる殺意。

 破壊の顕在。

 対峙していると強大さを肌でヒリヒリと感じられる。

 さながら脱皮のように縄を四散させ、丁寧な仕上げの椅子を蹴り砕いて薪に変えて突き進む怪物を受け止められる人間など居るのか。

 

「一万年はええんだよ」


 人類の叡智はその質問に肯定と答える。

 いかに怪物が暴虐の限りを尽くし周囲を破壊で満たそうが、研鑽を積み狙い済ました人類の一撃はその喉元に至る。

 ウルザは空中の少年を蹴り上げる形でタックルの衝撃を利用して浮かす。

 きりもみして瞬き数回分だけの時間が生まれた。

 完全に無防備になった少年がとっさにもがくが、飛ぶ術を持たなければどれだけ力があり素早くとも意味がない。

 もみくちゃの中で顎先をかする程の、それでいてただ二度の殴打が少年の脳をかき混ぜて機能不全に陥らせ、意識を刈り取った。

 時間があり、無防備の相手。

 勝利の要因には十分だった。

 一代限りの暴力と連綿と受け継がれた知恵は人知れず雌雄を決した。



 少年がもう一度目覚めた時も、テーブルを戻して交換した椅子の上だった。

 意識が無い間に吐いたらしい胃液で口が酸っぱかったが今度は一切の拘束が無かった。

 ウルザは少年の力量を見定め、取り押さえるのに必要ないと思ったからだ。


「食うぞ。ちょっと冷めちまったけどな」


 煙草を灰皿に押し付けてフォークを持つウルザに、少年は衝撃を受けた。

 というより、理解を超えていた。

 敗北は死である世界で生き延びた少年は当然これまで負けた事がなかった。

 ある時は巨大な檻の中で大乱闘を勝ち残り、またある時は巨躯の男に大苦戦を制して、死体を踏みつけにしてきた。

 だから知らなかった。

 何度も決定的な敗北を喫したのに生きていることも。

 圧倒的に打ちのめしておいて、止めの追撃はおろか威嚇もしないで食事をさせられたことも。

 まるっきり未経験だった。

 どうやっても敵わないが襲っても来ないウルザはひとまず放置して、食事を優先することを少年は決めた。

 勝てば食える。

 負ければ死ぬのが当たり前で暮らしていた少年もここに至ってついに敗北を認めたのだった。

 頭を切り替えた少年は鼻先の肉にかじりつき、手づかみで貪る。


「やっと食ったか」


 餌付けという第一の難関を過ぎて一安心したのもつかの間で、少年は卓上の食料全てを平らげる勢いでかき込んでいる。

 うかうかしてられないと、負けず劣らずの速さでウルザも続く。

 少年が鍋に顔を突っ込んで野菜のスープを飲んでいる隙にウルザは茹でた芋を貪る。

 飢餓状態にあった少年と二人で次々と皿を空け、あっという間にテーブル中央の大きな腿肉を残すのみとなった。

 こんがり焼けた肉から突き出た足の骨に二人して同時に掴み、イノシシの股を裂いて取り合いになるか否かというところで、恐ろしく切れるナイフで真ん中で真っ二つに切り分けて事なきを得る。

 少年は骨まで噛み砕いて食べきりウルザはワインをらっぱ飲みしつつ肉の油を胃に流し込む。

 ものの十数分で十キロの肉とその他の料理を食べ尽くしてしまった。

 ウルザ自身は細身とはいえど鍛え上げた肉体と長身に見合う胃袋をしているのだが、ほぼ同じ量を平らげた少年の体は二回りは小さい。

 それでいて、テーブルに載っていた料理の体積の半分をさらりと消費してしまうのだから、供給量を増やすべきかとウルザは頭を掻く。


「狩りの日、増やすか……」


 食後の一服に指を伸ばしかけて、はたとやめる。


 少年にとって、まだ実験は終了していない(・・・・・・・)

 破壊せよ。

 力を示せ。

 それだけが存在意義だった少年はそれしか出来ない。

 それ以外の生き方を知らない。

 そんな哀れな生命だということはウルザは誰よりも(・・・・)分かっている。

 だからこそ、痛ましい怪物には同情よりも教えてやることが必要なのだ。


「付き合ってやるよ。いくらでもな」


 テーブルをひっくり返しその陰から襲い来る少年の爪を避けて、掌底で横合いから耳の裏を強かに叩く。


 狙いは頭蓋骨の中のバランス感覚を司る三半規管。

 一歩誤れば脳に重大な損傷を与える行為も、ピンポイントに心臓を射抜けるウルザには造作もない。

 平衡感覚が木っ端微塵になって這いつくばる少年を転がして脇に退けると、四散した皿等を拾って裏手の井戸へ洗いにいく。

 桶に汲んだ冷たい水で皿を流していると雪を踏むたどたどしい足音が追ってきてウルザも舌を巻く。

 少年は震える膝に活を入れてなんとか立っているような有り様だった。


「もう動けんのかよ。すげえな」


 雪を蹴って一息に距離を縮める少年の顔を、振り返りもせずに鉄板入りの踵で出迎えてやる。

 ここまで足音があれば跳躍の速度や角度は大体わかる。

 現にウルザの蹴りはクリーンヒットし、少年は井戸の側に立つ太い木に衝突して止まった。

 回復しきっていない少年は今度はそうそう立ち上がれない。

 目を回す少年の傍らで悠々と鍋や皿を洗うと手拭いで拭き上げ、少年の片足を掴んで家に連れ帰る。


 汚れた床を雑巾で掃除していると爪で脇腹を抉られかけたが、紙一重でかわして両脚を使った関節技で首を締め落とし転がす。


 テーブルを立て直して遅めの昼食を全て片付けたウルザは寝室に向かい、早々にダブルベッドに横になる。

 逃げず殺しに来るという確信の上で豪快にもドアも開け放し、寝息を立ててすぐに眠り始めた。

 どう接するにせよ衝突は避けられず、長い付き合いになるのなら眠れる時に寝ておく方がいい。

 熟睡したまま気配で目を覚まして応戦出来る女は怪物とのつきあい方をそう考えたのだった。

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